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老子と学ぶ人間学⑫最終回 無用の用

「老子と学ぶ人間学」最終稿は、
老子の言葉で、私が最も好きな言葉
「無用の用」。

道教・儒教・仏教の中国三大哲理の中で、
最も古く、最もシンプルな哲理、
それこそが道教だ。

道教とは、自然発生的民族哲理であり、
経典もなければ、教祖もない。

後から誕生した儒教・仏教に対抗するため、
リクルートしたのが老子。

つまり、老子は道教の祖ではなく、
道教成立以降、道教の祖に
ヘッドハンティングされた人物だ。

このとってもいい加減さも、
道教は面白い。

その老子の書いた道徳経を、
道教の経書にした。

道徳経はたった81章 
伝本により違いはあるものの、
5000文字程度しかない。

四書五経や仏教経典に比べれば、
何たるシンプルさ。

その中に、
「上善は水の如し」
「足るを知る者は富む」
「大器晩成」など、
名コピーが散りばめられている。

その中で私が一番好きな言葉は
「無用の用」だ。

三十の輻、一つの轂を共にす。其の無に当って、車の用有り。
埴を挺て以て器を為る。其の無に当って、器の用有り。
戸牖を鑿ちて室を為る。其の無に当って室の用有り。
故に有の以て利を為すは、無を以て用を為せばなり。

道徳経 第11章

三十本のスポーク(車軸)の間にある空洞、
コレって必要なのか、と思うだろう。
だが、この空間があるからこそ、
車を動かすエネルギーが生じるのだ。

粘土をこねて中央を凹ませる。
その空間が生まれたことで、
粘土が器として機能するようになった。

戸は単なる板である。
しかし、壁に打ち付けることで、
密閉と開放という概念が生まれ、
空間としての新たな価値が誕生した。

車軸

このように、
一見、役に立つのかと思うものが、
有用で利益が出るものを生んでいる。

単独では無用のものが、
組み合わせにより有用になる。

陰陽論の根本を説いた言葉で、
イノベーションのキーワードだ。

1.夏炉冬扇

夏の火鉢と冬の扇を、
「夏炉冬扇」(かろとうせん)という。
季節外れの無用のものという意味だ。

松尾芭蕉は俳句を「夏炉冬扇」に例えている。

「予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて用る所なし。」

許六離別の詞(柴門ノ辞)
芭蕉

確かに俳句は、人の腹は満たさない。
「いやいや心は満たすから、十分ではないか」と言うかもしれないが、
もし夫が俳人で、一銭も家計に収入をもたらさなかったら、あなたはどう思うか。
「冗談じゃない!そんな無用な事をするな!」と叫ぶだろう。

それでは芭蕉は無用の人なのか。

銭を稼ぎ、地道に家庭を支えた男たちの名は残っていないが、
芭蕉の名は後世に残っている。

夏の火鉢は無用だが、
時が転じて冬になれば、有用になる。
冬の扇は無用だが、
時が転じて夏になれば、有用である。

だから夏に火鉢を捨てる人もいないし、
冬に扇を捨てる人もいない。

それなのに、私たちは、
用をなさぬ人材を捨ててしまう。

俳人の夫も…。

30代の時は無用だと思っても、
継続して、修練し、
70代なった俳人の夫の価値は上昇する。

2.「無用の用」創業の法則

老子は、その物自体では無用だが、
他と組み合わせる事により、
有用になると述べている。

優秀な創業者の息子である、
二代目はぱっとせず、
三代目が事業を再興させた、という話はよく聞く。

代々優秀な人材を輩出する事例の方が稀である。

事業継承には、数字マジックがある。

1代目・3代目・5代目・7代目など奇数は陽の数字で表数だ。
つまり、1・3・5・7・9という数字を背負うだけで、表に出やすい。

逆に
2代目・4代目・6代目・8代目など偶数は陰の数字で裏数だ。
どしても陰になりやすい。
大きさは出ず、こじんまり、
女性的で学者的な質を帯びる。

創業者の息子が優秀でも、
2という数字を背負うだけで、
その勢いが小さくなる。

2代目・4代目は、
3代目、5代目に繋げるため存在している。

それこそ、無用の用だ。
論理的根拠はないが、
古来からの陰陽ルールであり、

そのルールを知っている人たちは、
2代目、4代目を同族以外の者に担わし、
同族の優位性を保持してきた。

3.「無用の用」パレートの法則

イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートは、
上位の2割が全体の8割を生み出すという考え方を提唱した。

ここから派生した考え方が、2:6:2の法則である。
働き蟻の集団にも見られる現象であるため、
働き蟻の法則ともいう。

組織集団においては、
優秀者が2割、平均的人材が6割、
使えない人材が2割にわかれるという。

それでは、その使えない人材をリストラして、
人材を整えても、
時間と共に、2:6:2になるそうだ。

下位2割の人達こそ、無用の用である。

一見無用に見える「使えない人材」がいるからこそ、組織が動く。
逆にどんなに優秀な人材でも、
自分より優秀でプロジェクトを推進させる人がいたら、
争わないように一歩控えてしまう。
一歩の控えが5歩になり、10歩になり、
いつの間にか「使えない人材」になってしまうが、
彼らが控えない限り、プロジェクトはいつまで立っても動かない。

両親共が高学歴で弁護士と大学教授、
長男も次男も長女も高学歴、
そんな家庭に嫁ぎたいと思うか。

そこに、高齢者の祖父母がおり、
フリーターの叔父がいたりすると、
組織はいきなり活性化し、面白味が生まれる。

「ゆるみの空間」が生まれるからだ。
故に核家族より、大家族の方が組織は強い。

そんな家族を無用だと感じた途端、
集団は弱体化する。

4.「無用の用」商品開発

このように、シンプルな言葉を辿りながら、
考えることで、創造力を活性化する。

だから私は老子が好きだ。
老子の思想は自由なので、
自由に創造することが出来る。

無用とはこころに隙間をもたらしてくれ、
人を惹きつける言葉である。

無用を無用とするか、
無用の用にするかは、捉え方の違いではないか。

世の中には、無用の用が結構ある。

先日、車を買い替えた。
その時、車のロゴが印字された
完成度の高いテディベアがついてきた。
そのクマは、邪魔せず、かつ存在感のある
ちょうど良い大きさで、
驚くほどたくさんの衣装を持っているため、
コレクターが多くいる。

車にとってテディベアなど、無用だろう。
だが、彼らは勝手にそのロゴを背負いながら、
メルカリなどで流通されている。
メーカーが何もしなくても。

このようなノベリティグッズは
景気が良い時代は結構あったが、
今は「無駄」、経費削減ということで、減少している。

そもそも、無用とは、
不要不急の用事以外ということだ。

不要不急の用事以外の無用なものこそ、
景気をあげる用をなしているのに。

美しい女性がいる飲食店など、不要不急。
これが無用だと言えばそれまでだが、
それにより、モチベーションが上がり、
活力が生じるなら、無用の用だ。

スタバの居心地の良い空間など、
冷静に考えると、無用ではないか。

スタバが登場した当初、私たちは、
ホテルのラウンジのような、ゆとりある空間に驚いた。

スタバが販売しているカフェインは、
覚醒効果をもたらすものだ。
だがそこに、座り心地の良い椅子や、
落ち着く雰囲気などリラクックス空間を無償提供している。

交感神経を亢進する飲み物を提供しながら、
同時に副交感神経を亢進する空間の無償提供だ。

陰陽の見事な融合であり、
その空間は無用の用となり、
スタバの躍進に繋がっている。

逆に、あなたがハーブティのチェーン展開をしたければ、
一瞬も待たせず、すぐに持ち帰りができる方法を推奨する。

無用を無用の用にするには、
何か、心の余裕だ。

昔の日本は貧しくてもその余裕があったが、
今の日本には、そのような余裕がないようだ。
だから無用は無用として切り捨てられ、
そこに新たな価値を見出せず、
イノベーションが生まれない。

東洋古典の勉強や、
自分を知ること自体を、無用に思う人もいる。

それでは、あなたはなぜ、芭蕉の俳句を無用だと思わないのか。
それは、人の気持ちや考え方、
感動する風情や情景が変わらないからだ。

日本が躍進するには、
無用を用に変換できる「心のゆとり」ではないか。

一般社団法人 数理暦学協会
山脇史端


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