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まともに小説なんて読んだことないくせに、小説を書き始めて半年くらいが経った。時間が空いた時に何も考えずにコツコツ書いていたらいつの間にか42話まで出来ていて、冊子にしてみると140ページを超えていた。

不思議なものだ。

凡人には、コツコツと少しづつ続けていくしかないと思うので、ただコツコツコツコツと続けてきたわけだけど、「継続こそがなんとやら」と小学生の頃に聞いたことがあるけど、まぁ、そんな感じがしないでもない。
なんとなく、書き方というのが分かってきたような気がするからである。

ただ、小説をどうして書こうかと思ったのかと言えば、人に伝える新しい手法を模索した中の一つであったが、もう一つ理由があった。

それは、ゼロからイチを生み出したいと思ったからだった。

これまで、その辺りに落ちている石ころや虫けらを解剖したり、写真撮ったりして展示物などを作って、ゼロからイチを生み出していると思っていた。
しかし、改めて考えて見ると、石ころや虫けらを相手にしている時点で、ゼロではないことに気づいた。

では、ゼロとはなんなのか?

それは、この世に存在しないものを生みだすことだと思った。そして、それはなんなのか?と考えた時に気づいたのが、イラストや装置などではなくて、まずは頭の中にある妄想を小説にすることであった。

ただ、妄想をそのまま書くと個人の勝手な自己満足になるし、何より人に伝える手法の模索にならない。さらに、人のことを書くと誰かから「これ私のことじゃないの?」なんて思ってもいない指摘をされるかもしれない。そこで、いろいろと考えあぐねて行きついたのが、身近な生き物の生態などを盛り込んだ生き物が主人公の小説であった。

そんなことを考えている時にいつも私の目の前にヒョコヒョコ現れていたのが、アマガエルであった。

そして、アマガエルのことを勝手に妄想してみようと思ったわけだ。

書き続けて半年が経ってわかったことや気づいたことがいくつかある。

1つ目は、ストーリーやキャラクターは書いていると勝手に出てくるということであった。別に、普段の生活の中でアマガエルのことなんて考えているわけもなく、時間が空いた時にこの小説を書く時だけ少し妄想するのだけど、不思議なものでその時彼らが勝手にしゃべりはじめていつの間にかストーリーが出来てくれた。

2つ目は、この小説のキャラクターが現実世界に少し感じられるようになったことであった。この小説の舞台は当館の敷地内なので、彼らが住んでいる場所のモデルとなった場所(朽ち木や花壇、水路など)がある。その近くを通ると、妄想の中の彼らがそこに居そうな気がしてしまうのである。そんなことはこれを書くまで想像もしていなかった。

3つ目は、文章というものの奥深さであった。これまで論文や展示パネル、テキストなど、端的に正確に論理的に文章を書く訓練ばかりを積んできたので、文章の中に「フリと落ち」のような、「起承転結」のような、そんな感じの文章を書くことが新鮮であることを知った。

まぁ、あまり読んでくれる人は多くない小説だけど、色々な発見や学びをもたらせてくれるし、何より凡人の私ができることは、ただひたすらにコツコツコツコツと継続するしかないので、もう少し続けてみようと思う。

小学生の頃に言われたことをちゃんと覚えていたらよかった。
継続はなんだったかな~~?
力かな?

もし、よかったら読んでみてください。