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インタラクティブ業界と呼ばれていたもの :前半

この業界に入って丸5年。丁度節目の年でもあるので、この業界についてまとめようとしたのだが、どうにも客観的な事実を固めるだけでもかなりの労力を使いそう(全然まとまった文献がなく、調査だけでかなりの人月を費やすこと必至)なので主観的な振り返り記事として記述する。

自分がこの業界に入ったのは2014年の4月。32歳だった。入社したのは1-10designという会社。いわゆるウェブ制作会社だ。ただ、当時の時点ですでに普通のウェブ制作会社ではなく、『ウェブ以外の何かのアウトプットを模索している、インタラクティブ業界のウェブ制作会社』だった。

いや、そもそもなぜ1−10designに入社することになったかという経緯から書いた方が良い気がする。自分は2009年に東京工芸大の博士後期課程を単位取得退学し、京都の3Dや2Dのスキャナ、画像を使った検査装置を作っているメーカで研究開発をしていた。主な仕事の範囲は検査や検出のアルゴリズム、光学系の設計とカラーマネジメント、イメージプロセッシングだった。
プログラミングは会社に入ってから覚えた。大学の時点でプログラミングの授業は勿論あった(C言語だった)が、真っ黒い画面を立ち上げてどうでもいい計算の結果を返すだけの講義で、全くプログラミングに興味が湧かなかった。統計解析処理を研究分野的によく触っていたのだが、FFTも重回帰分析も殆どExcelでやっていた。ちょっと触ってもR程度だった。いや、一度だけCで色変換のアルゴリズムを作って.rawの画像をsRGBからAdobeRGBに変換させてた気がする・・・。

まぁ兎に角2009年にメーカに就職してからプログラミングを本格的に勉強しだした。OpenCVを触ったのもこのタイミング。OpenCVは当時CPUベースのものしかなく、遅かったのでOpenCLで動くするようにして納品物には実装していた。こう書くとひたすらプログラミングしてたように感じるが普通のエンジニアとちょっと違い、『説明する』という仕事が結構多かったように思う。2週間に1回、自分が成果をひたすら喋るだけのMTGを開催して貰っていた。なので何かを作る前や作った後にはひたすらパワポで資料を作って自分の作っているものをどういうロジックで作ろうとしているのかを説明していた気がする。自分が博士課程まで行って得た知識が少し特殊だったからだが、この機会を5年間ずっと与えてくれた前の会社には感謝しかない。

自分は『コミュニケーションは下手だが喋れる』と言われることが多いのだが、これは大学院でもこの会社でも次の会社でも、ひたすら『自分の感覚値を素早く言語に落として物理量と関連づけて説明する』ことを仕事として日常的にさせてもらっているからだと思う。もう丸15年ぐらいやってると思うとプログラミングよりも全然勉強歴の長いスキルだ(書籍などをちゃんと読んで体系的に勉強したことはないが・・・)。

で、おそらく2011年ぐらいだと思う(ソースが見当たらなかった・・・)。mixiが自社のクラスタの分を表した美しいデータビジュアライゼーションがRで統計処理し、Processingなる環境でビジュアライズしたものだ、という記事を何処かで見かけたのがCreative Coding系との出会いだった。画像も動画もウェブカムも音も、勿論ビジュアライズも非常に簡素なJavaで記述できるソレは遊びにも業務にも使える非常に魅力的なフレームワークだった。

実は前職に入る時『小さい会社に入ってハードウェアからソフトウェアまで全部やってみたい』と思ったのが入社の理由だったりした(ハードもソフトも未経験な癖に・・・今の自分なら仕事舐めてるな、と言うだろう)。
が、やはり小さくてもメーカはプロフェッショナルであり、メカ、回路、ファーム、アプリは全部分業制になっていた。そしてさらにいうと自分は研究開発寄りだったので、タッチする実装部分は他のエンジニアよりもさらに少なかった。
その結果、『これはプライベートでも時間作ってやらないといつまで経っても半人前の実装能力しかないな・・・』という焦りが結構あったように思う。が、実務でもないのにMFCを触るのはあまりにも楽しくない(あと私物のPCがMacだったのもあった)・・・という時に見つけたのがProcessing(とArduino)だったのだ。

すぐProcessingの本を買い漁って勉強を始めた。その流れでインスタレーションというプログラミングを使った面白いコンテンツを作ってるアーティストがあるらしいことも知った。程なくして業務と同じC++で書けるopenFrameworksの存在を知り、特にopenFrameworksを集中して勉強し始めた。C++で書けて、OpenCVが使えて、ビジュアライズもできて、exe書き出しもできる。macでもwinでもいけるopenFrameworksはプライベートだけでなく業務でも利用できた。程なくして会社での画像処理の試作はPhotoshopのバッチ処理とopenFrameworks+ofxCVで記述してやるようになっていった。会社で利用するフレームワーク(自社フレームワークとMFC)は実装のときだけ触るようになっていった。

その頃に京都でインスタレーション、ProcessingやopenFrameworksの勉強会、「インスタ部」が開催しているのを知り、それに出入りするようになった。ここで次の勤め先となる1-10designの人と初対面した。インスタ部はインスタレーションのためのスキルを勉強する自習会のようなものだが殆どがFlasherと呼ばれるFlashというツールを使うウェブ系の開発者ばかりだった。ウェブに疎かった自分はこのFlashに全くピンと来ず「吉野家コピペとかMADとかの制作ツール」ぐらいの認識しかなかった。このFlashで面白コンテンツをウェブ上で公開してお金をもらっているウェブ制作会社の業界をインタラクティブ業界というらしい、というのもこの頃知った。
インスタ部の勉強会の後には朝まで続く呑み会があったが、呑み会で出てくる話題が同年代らしいディープでフラットなやりとりだったのを強く覚えている(ベーシックインカムがどうだとか、京都の市長選挙がどうだとか、CTOと元社員がすげーフラットな態度で話し合ってるのとか・・・)。Arduino周りのセンサやハードウェアの情報などは自分一人ではなかなか見つけられなかったので、行くたびに新しい機材や情報が手に入って新鮮だった。

2012年の夏には八王子でopenFrameworksの開発合宿(確かその後も何回か行われたが確か第一回だったはず)があり、そこにも参加した。講師は神田さんだった。40人ほどの参加者が居たが殆どがFlasher、映像作家、メディアアーティストであり、メーカの人間は自分含め2名だけだった。つまり自分以外は一人だけだ。その一人であるTさんとはちょこちょこ合宿中に「マイノリティだけど頑張りましょう!」とか喋った覚えがある。そのTさんは次の年、Facebookを見たらライゾマティクスに入社しており、なんやねん!と思った記憶がある。

といいつつ自分もこの頃、具体的には2013年春ぐらいから転職を考え始めた。何か『これだ!』という契機があったわけではなく、『もっと新しい技術を使って素早く何かを作って世にアウトプットしていきたい』という思いが強くなったからだ。インタラクティブ業界は『広告として新しい技術をアウトプットする、ということにお金が払ってもらえる』という非常に稀有な業界だったので非常にマッチしていた。とはいえ30超えての業界ごと変える転職なのでそれなりに慎重になるべきだろう、と思って手始めに夏休みにSTARRYWORKSのお手伝いをしたりした。

もう一個ぐらいインタラクティブ業界の会社の様子を見てみたいと思い、1-10designの長井さんに「この業界に転職考えてるので業界の様子把握するのに御社の会社見学させてくれませんか?」と聞いたところそのまま「ていうかうち募集してますよ!来ましょうよ!」と連絡をもらってしまった。ちょっと悩んだが保留せず入社試験を受けさせてもらうことに決めた。ほぼ即決したのは、この業界では何処に入るかじゃなく、どんなアウトプットしていくかが重要な業界なように感じていたのが大きな理由だ。転職するならプロセスを可能な限り吹っ飛ばしてアウトプットに早く関われるようになるのが得なのでは、と考えるようになっていた。

ということで自分は2014年の4月に1-10designに参加することになった。
入社の経緯しか書いてないが、キリがいいのでここで終える。タイトル詐欺感があるが、まぁそれは後半で回収できるはず。

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あざす!
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技術相談役。 テクニカルディレクター・コレクティブ『BASSDRUM』メンバー。 大阪芸術大学・京都芸術大学非常勤講師。 博士後期課程満期退学の工学修士。 目の研究→メーカで研究開発→クリエイティブ系のデザイン会社→プロトタイプ開発のスタートアップ→充電期間→今ここ
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