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おやすみエッセイ~ February 2024

毎月つづけようと開設したエッセイでしたが、2月は更新ができなくなりました。3月以降は、綴っていけるかどうか、心のままに決めてゆこうと思います。もう月も跨いだ後ですが、今さらに2月のことを。たったの一文ですが、お付き合いください。

如月


*2月となりました、こちらでは冬の風物詩が、ひらひらと、わたくしの手と足と心に舞い降りて、寒冷のなか、溢れるかなしみに押し潰されんと心を強く持ってまいりましたが、とうに無理がたたっておりました、かなしみはなぜ、人の心を蝕み食うのでしょうか、いまのわたくしには立ち上がるほどの生気すらたもつことができぬと、少しのあいだ筆を置きました、かなしみは今や各方の世界のはじからも届けられ、みながひとつになって受けとめなくてはならぬ時代となりました、いま起きていることが届けられる、そのからくりがいいかどうか未だ答えが見つかりませんが、それでも今日を生きていると、わたくしの目や耳や鼻や口や皮膚へと世のかなしみが日日押し寄せてきて、内に飲み込まざるを得ないのでございます、わたくしはただ、時に我が身におこるかなしみを消化し、手元にある幸せの中にうずまっていればそれでよかったのですが、この齢にしてどうも目を背けられないからくりに負けて、皆皆様がたと同等に、わたくしの元にも背を向けたくなるような話が日に幾度もやってくるのです、と思えば隣には明るく楽しげな話があり、目前にはいつでも喜怒が織り混ざってころがり感情が追いつかず、とうとう心が耐えられなくなった次第、とても日常の小さな幸せのみを拾って筆をとるのは難儀となり、本日を迎えたのでございます、しかしどうにも、わたくしの魂がいうのです、心の瞳を背けてはならぬと、そうして今も彼方より来たるかなしみを、見て見ぬふりはしてはならぬとの一心で、日日飲み込んでまいりました、どこかで今も起きるかなしみは、やはり明朝もわたくしの元へ届けられることでしょう、この世は哀れでしょうか、光を抱くことは難儀でしょうか、見上げてください、空のほしぼしは、そのひとカケラにきらめきと物語を抱いています、彼らは語らず、その嘆かわしい身の上を隠し、この時もなお、わたくしたちに差別なく平等に光を分け与えてくれているのです、けっして手元を照らすことなどなくとも、穏やかに過ごす刻を与えてくれるのです、人は時に悪行をはたらき、時に悲しみをあたえ、時に助け、時に頼りになり、時に笑い合うものです、なんて煩わしい存在でしょう、すべては人の業、悪行と善行をくりかえし、人が人をおびやかし、そして人を助けるのもまた人、世のことわりはひそかに人を愚かしいものと嗤っていることでしょう、わたくしは元来まわりだけを見るに精一杯でありましたが、どこかにいる誰それのかなしみを知るは、他を受け入れること、理解が及ばずとも、同じ刻を過ごせずとも、知ることで相手に思いを馳せ、寄り添うことができると信じております、離れた場所でも無事を祈り、願うことができます、しかしながら、遠く近く、ここより離れた地で誰とは知らぬ御方のかなしみまで受け止められるだけの茶碗も、湯呑みも、つゆ茶碗もわたくしは持ち合わせておりません、しかし、ぽたぽたと垂れたそのかなしみをわたくしの胸の内に仕舞うことにしました、人の黒ぐろとした核から滲み出た忌まわしい所業に塗り潰されてしまった御方のかなしみを、そっと胸に吸い込み、わたくしはわたくしの幸せで心をたもち、打ち消し、かなしみに蝕まれるだけではない生き方をすると誓いました、目を開き見定め耳を傾けて鼻と口とで大きく息を吸い、そのかなしみの風を受け入れましょう、明朝もお天道様とともに、新たなかなしみが届けられることでしょう、そうしてわたくしの中にいっときは留まった遠く近い誰かのかなしみを、夜空の星を見上げ、思い馳せ、どうかどうかとわたくしの願いをほしぼしに語ります、いく億ものかなしみがどうか続くことのなきよう、悪行がなくなり善行が人を助けますよう、となりではたのしげに笑い、そのとなりでは心の屍がころがるという矛盾が消えますよう、そして茶碗に溜まったかなしみは捨てず、自らの内に入れておいてよいのです、心に抱き忘れずにいても、愛する者たちと笑い合える時を過ごします、貴方様もどうか、かなしみばかりに支配されぬ時を、いっときでも過ごせますよう。

寒冷の候、うるう日


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