毎日、仕事に行くだけで9割仕事は終わり。 休まない事だけで、給料が減ることはない。 ここ数年そうやって過ごしてきた。 管理職にはなれないし、責任感も負いたくない。ただ、ベテランとして認めてほしい。 向上心や熱量なんて全くない。自分のプライドを守るために自分より劣る人間を探す。 ※このおはなしはフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
ある居宅支援事業所に、とても仲の悪い2人のケアマネジャーがいました。 1人は利用者の言うことをなんでも 聞く御用聞きケアマネジャーの 福島ひかり。 もう1人は利用者に言うことを聞かせる 唯我独尊ケアマネジャーの 山口のぞみ。 性格も考え方も正反対な2人は とっても、とっても仲が悪いので、 もう何年も朝の挨拶をする事も、 目を合わせる事も、 相手の名前を呼ぶ事もありません。 電話がかかってきてもお互いに取り繋ぐ事はなく、不在と伝え、連絡があった事も伝えません。 足を引っ
シムラさんは旦那さんを早くに亡くして子どもさん達は県外に住んでいる。独居老人だが、元民生委員でおしゃべりが大好きで友達も多く、いつも誰か訪ねて来てくれる、人気者。 ヘルパーさんやケアマネジャーさんには小言を言うのでちょっとめんどくさがられているが本人も自覚の上でそれすらも楽しんでいる。 そんな素敵な意地悪おばあさんと毎週火曜日の1時間、訪問リハビリテーションとして関わることになった。 訪問するとシムラさんはいつもお菓子と飲み物を用意してくれている。 職場で利用者さんからモ
おじいちゃんの口癖は 「農協へいかないかん」 朝でも昼でも夜でも夜中でも農協へ行くと言うので、 「農協は20年以上前に潰れている。」と、僕と弟とおばあちゃんで止めていました。 おじいちゃんは、たぶんアルツハイマー型認知症でした。 その時の僕は、認知症の事もよくは知らず、痴呆って言われるって、恥ずかしいなと思っていました。 いま思うと、無知な、自分の方が恥ずかしく、情けないです。 もう過去に戻る事もおじいちゃんに謝ることもできません。 おじいちゃんに対してもっと話を聞
田舎では ケアプランを 自己作成する老人が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた だけども問題はケアマネジャーがいない 行かなくちゃ 地域包括支援センター行かなくちゃ ケアマネ探しに行かなくちゃ プラン無い 理想のプランが頭を巡る ケアプラン以外は何も見えなくなる それはいい事だろうか? テレビでは我が国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる だけども問題はケアマネジャーがいない 作らなきゃ セルフケアプラン作らなきゃ ケアマネはいない 手続きの書類
会社に 紛れて いきる 俺たちゃ 老害人間 なのさ 部下に弱みを みせられず 年齢だけは 増えていく 「早く管理職になりたい」 年功序列に しがみつき 能力主義を 吹き飛ばせ 老害人間 新入職を いびる日々 俺たちゃ 老害人間 なのさ 後輩たちの 粗探し あることないこと 言いふらす 「早く定年退職したい」 人の失敗 大好物 手がらは 全て俺のもの 老害人間 口は出すけど 手は出さない 俺たちゃ 老害人間なのさ 雰囲気だけで 仕事する 人
回復期リハビリテーション病棟では家に帰ることが目的となる事が多い。 しかし、全員が家に帰ることができるわけではない。 わたしたちが家に帰れるか帰れないか決める権利はない。 「この人は若いから家帰れるな。」 「あの人は重症だから家は難しいと思う。」 「家族が難しい人だから家は無理だね。」 無関係の人達が無神経に不安を煽り未来を否定し過去を無かったことにする。 病気や、怪我が重症で家に帰れない人もいる。 病気や怪我が軽症でも家に帰れない人もいる。 帰りたいのに帰れな
仕事を辞めた。 何もかもが嫌になって辞めた。 丸投げして辞めた。 病院で働いていた。 働き始めた時は、患者が良くなる事で、やりがいを感じていた。患者や家族から感謝されて、先生なんて呼ばれて、チヤホヤされ、なんでも自分で出来ると、このまま思い通りいくと思っていた。 でも、それは勘違いだった。 経験年数が増えてくると、難しい患者を担当することが増え、ストレスもどんどん増えていた。拒否する人や家族関係の悪い人、態度の悪い人、神経質な人などリハだけでは解決しない問題が増え