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主人のいない住まい

共鳴の実感

壁に貼ったA4スケジュールを挟んで、対話ができるようになると、徐々に「その先」が見わたせるようになります。

ここでもインタラクティブ(相互の、双方向の)という関係性をじっくり醸成することを心がけました。つまり、母親の「捉え方」と私の「捉え方」が共鳴していることを互いに感じとることでしょうか。

スケジュールに限らず、何か同じものを見ながら対話をすると、同じ箇所で共鳴していることが分かり、徐々にそれが拡がっていくことも分かるから不思議です。

そして、私の家族のスケジュールが立て込む時期がやってくることが事前に分かったとき、軟着陸を模索する決心をしました。

この時、私の頭に何度も浮かんだのは、「満月の夜、母を施設に置いて」という書籍です。詩人である藤川幸之助さんが、母親についての詩を書いておられます。巻末には谷川俊太郎さんとの対談も収めれれています。

対談の中で、藤川さんはこう仰られています。「 最初に母のことを詩にしようと思ったのは、不謹慎ですが、母がネタになると思ったからなんです。」しかし、お母様の側にいて、メモをとったりされたのですが、詩が全く書けなくなったそうなんです。

ある日、お母さまの大便と格闘した時を境に、言葉が出始めて「これが詩だ」という境地に立つことができたというエピソードがありました。

私が軟着陸を模索した時のなんとも表現できない気持ちは、一種の後ろめたさでしょうか。藤川さんの詩が書けなかった時期に重なってしまったのです。

この時、躊躇する私の気持ちを励ましてくれたのが、先程の「共鳴」の実感です。同じスケジュールを挟んで、母と対話し、共鳴を感じたという時間が私の背中を押してくれたのです。


「満月の夜、母を施設に置いて」



代弁を始める住まい

2022年9月15日(木曜日)、母は施設に入所しました。

有料老人ホームです。

入所の前にサービス担当者会議が開かれ、何もわからない母は、言われるままに椅子に腰をおろし、「よろしくお願いします。」を繰り返していました。

母の生活の場所が、自宅から施設に変わった日でした。

「住人がいなくなった家は荒れてしまう」という話は、たくさん聞いてきましたので、時々65歩を歩いて、風を入れることにしました。

母は、「神仏(かみほとけ)を抱えとるから」と、いつも心配していましたので、毎日、朝と夕、手を合わせに行くことにしました。

それから、思ったより汚れがひどく、掃除が必要でした。
優先順位は、トイレとソファーベッドです。

ソファーベッドには、母の皮脂がびっしり付いていて、お湯や掃除機で綺麗にするのに二日を要しました。
トイレの汚れも凄まじく、最終的には、便器を素手で擦りました。

イベント的に掃除をすることは、時間的にも体力的にも難しく、住みながら、少しずつやっていこうと決めました。

夕食と入浴を済ませ、ビールを持って母のいない家に通う日が始まりました。

テレビは見ませんので、パソコン環境を整え、ビール片手に一人の時間を楽しむともなく楽しんでいると、いろんな物たちが目に入ってきます。

その物たちは住まいと共に、後期高齢者の母の生活を、そして、「生活とは何か」ということを母の代弁をするように、私に語りかけてくるのです。

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