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中学受験 塾物語⑨

[マサアキ君編]

トモやユリナの話から数年前の話。
マサアキが5年生のとき、1年間国語を担当した。

私は中学受験専門の指導としてはまだ2年目の新人だった。
5人男の子だけのクラス。
責任者をしている教室とは別の教室のクラスなので、この曜日にしかこの教室には来ない。他の講師との情報交換はノートに頼ることになる。

数回の授業での印象を言うと、男の子5人はそれぞれすごく個性的だが、
マサアキ以外のメンバーは、比較的素直で、生徒としてはとてもやりやすく、私にとってのマサアキが何よりの「強敵」かなと。

マサアキ。かなり印象深い生徒の一人だ。
やる気にものすごくムラのある子だった。
元気な小学生の男の子なんだからそれも当然のことだと思う。
中学受験というものさしだけで考えて言うのは申し訳ないが
向いてるかそうでないかと言われると、迷わず後者。
どの講師に尋ねても 要注意人物。


算数や理科は、本人が好きで成績もよい。偏差値でも60前後。
センスがあると講師も誉めていて、難問に対しても割と前向きだ。
やる気の低い方のときだと、中学受験生とはとても思えない。
ただのやんちゃぼーず。いや問題児というべきか。
学校でも相当やんちゃしているそうだし。
半そでのTシャツにビーチサンダルが定番で、教室にいるよりも野山かけずりまわっている方が似合っているんじゃないかと思う。
こういうタイプの子に長時間の塾はオリなんじゃないかと思えるときもあった。

今は得意の理系科目も、気分に任せた勉強では定着する単元にもムラが出てきて、
6年生のときに今の偏差値を維持していることは保証できない。
っていうかたぶん無理だろう。

いやいやその前に中学受験をしないという選択肢もありうるのかもしれない。勉強ばっかりの生活にリタイアという意味でもまた精神的に成長するのを待ち受験は高校受験でという選択もありえる・・・。

内容を熱くなって大声で説明したって、授業中何度も脳内トリップしちがう世界にいってしまう。彼を見ていていったい何度西原理恵子の漫画を思い出したか。
忘れ物もほぼ毎回、字は宇宙語のごとく乱雑で解読不可能。
提出期限が過ぎて何度も催促されてからようやく出されるプリントはしわくちゃ。

キライな国語の授業での彼の扱いには本当に悩まされた。
こっちも必死だ。四字熟語に食いついたなと思ったら、それをパズルにあしらってみた。
全く本を読んでいない様子なので、授業前に読み聞かせを少ししてみたり、
内容の深めの絵本を持ち込んで授業前後に広げてみたり。

マサアキによって授業ペースは狂ってしまう。かと言って無視はできないし、したくないし。
当時まだ若かった私、そろそろ生意気になってくる男子生徒に手こずってしまっては、すぐになめられてしまう。
そうなればマサアキだけではなく、全員にとって私の授業は意味を成さなくなってしまう。

マサアキはどんどんと私をなめているような態度になってきた。
マサアキのふざけた答えに、他のメンバーの笑いが起きる。
真剣に考えてまちがうのなら仕方がないが、のらりくらりと言い訳をしたり、適当に返事をしたりする。

「じゃ、次の問題、まず主人公の気持ちをつかもう。何行目に注目するべきかな。マサアキ?」

「い。」

「ん?なんて?」

「イ。」

他のメンバーは噴出した。

・・・全く授業を聞いていない。さっきの選択問題の解答を言ったつもりになっている。

「いいかげんにしぃや!だれのための受験やねん!やる気ないもんは帰れ!」

怒鳴った。
クラスがシーンとなった。
今までにこにこやさしかった先生がいきなり怒鳴った。さすがに驚いた表情をしている。
今までのたるんだ顔が全員締まった。
それでテキストの解説に戻り、私は授業を続けた。が、内心ではドキドキしていた。
雰囲気がもっと悪くなり、全員がすねた感じになったらどうしよう・・・と不安だった。脅しただけでは意味がない。

子ども達のテキストを見る目が真剣になった。
肌寒い季節なのに私の額に汗がにじみ、カーディガンを脱いで、腕をまくる。
授業時間が短く感じられた。しかし、ものすごく疲れた。
こんなに疲れた授業はしたことがなかった。

授業後、生徒たちは意外とけろりとしていて「先生、さよなら~」と元気に帰っていった。
後で考えると、他の厳しい先生の授業を受け続けてきた子ども達からすれば
私程度が慣れない感じで声を張り上げたところでダメージは少なかったのかもしれない。


私は低くて大きな声で生徒に話をするとき、ある算数の講師を意識していた。
私は中学受験クラスを初めて担当した年、「やさしいお姉さん的講師」をめざしていた。
当時の私は、小学生が勉強ばっかりではかわいそうと心の底から思っていた。
受験は子ども達がものすごく我慢して、親からやらされているものであると思い込んでいた。
せめて授業がイヤではないように、楽しくおもしろく、工夫を重ねてできるだけ明るい気分でいられるように。
小学生なんだからあんまり細かいことがたがた言わないで、
今日も楽しかったーと家に帰って、また次の授業が楽しみになるように。

おもしろければ自然と前向きになるし、その方が頭にも入るはず。そう思っていた。
「先生の授業おもしろいから好きー。国語好きになった~。」と
笑顔で教室を出る生徒達に私は調子に乗っていた。

マサアキらのクラスとはまた別のクラスでのことだが、
ペアとなって担当していた算数のT先生の方は見た目も授業もコワイ先生だった。
算数科主任で40代のベテラン。
その先生のため息一つにクラスに緊張が走る。
数秒の沈黙の後、廊下にいても聞こえてくるその先生の罵声に私の方が震えるぐらいだった。

耳を疑うような暴言もあって、生徒の涙も見たことがあるし、上司とは言え「あんなこと言わなくても!」と抗議したくなるようなこともあった。
子ども達がかわいそうだから私だけでもやさしくしよう。そう思ってますます笑顔をこころがけた。

入試が近づいたあるとき、特に私になついてくれている6年生の女子生徒二人が
帰り支度をしながらこんなことをしゃべっていた。

「この前の算数の授業の後な、どうしてもわからん問題を質問に行ったん。
 でもな、先生教えてくれなくて、私めっちゃおこられたんよ~。
 泣けてきてな~。
 でもあの問題な、家で何回も何回も問題読んで図描いたら、
 解けたんよ!それで、先生答えこれでいいですか?って今日持っていったら、
 『ほら見ろ。解けたやろ!君はな、この程度の問題解く力、とっくにつけとるわ』
 って言われてん。めっちゃうれしくて、涙出そうやった。」

「わかるわかる~。あの先生に誉められたときがいちばんうれしいよな!
 私熱で休んだ次のとき、ちょっと早く来いって言われて来たんよ。
 二人きりやし、めっちゃこわい~と思ってたんやけど、
 二人やったらすっごいやさしいしゃべり方やねん~。」

「んで、字かわいいよな。」

「そうそう!顔こわいのに、字かわいいねん。あはは。」

「これから算数の授業やと思ったら、背筋伸びるよな。」

「伸びる伸びる!家で宿題やってるときも算数のとき、姿勢いいし。笑。」

「入試の日、お前なら大丈夫やってあの先生に言われたら合格できそうな気がするわ~」

「ほんまやわ~。」

「でも合格したら、もう先生の授業受けられへんのか~。それはちょっとさみしいなぁ~。」

なんというか・・・ショックだった。
私は大きな勘違いをしていたと。
子ども達が必要としているのは、ヤサシイ先生ではなかった。
楽しくておもしろい授業は、テレビ漫画を見ているように流れて、知識が記憶に残らない危険性もある。

やさしいだけの講師の言葉に重みはなく、それで再三同じ注意を重ねて結局は時間の無駄になることもある。
簡単すぎることを誉めることは、子ども力を見くびっていることになる。
馴れ合いが過ぎて、子どもになめられては教育効果も低い・・・。

塾生が求めているのは、自分を伸ばしてくれる先生であり、自分の弱点や実力を把握していて、合格へ導いてくれる先生。
塾で得たいのは、自分が成長してるっていう実感。
厳しい雰囲気が、クラスの空気に緊張感を作り、そして集中力を引き出す。
ちょっと高めのハードルが子ども達の本気を引き出す。
与えた課題をクリアしたことをちゃんと誉めてやる。

本当の意味での楽しい授業を目指そう。
わかるおもしろい授業。
自分の限界だと思っていたところを越えられる興奮を感じられる授業。
できたこと、知れたことをうれしいと感じられる授業。
そのための緊張感と、集中力をコントロールできる講師になりたい。

算数でこっぴどく雷を落とされた後、私はそれを甘い言葉でフォローして薄めてしまうのではなく、
叱られた理由を噛み砕いて別のアプローチで子ども達に伝えて、さらに深く心に刻めるように。
リンクさせて、どの子にもきちんと課題を明確にしてやれれば、
次の授業はもっと前進させてやることができるはず。

今まで私がやってきたものもきっとムダではないと思う。でもあのままじゃだめだ。
バランスが大事。
説明におもしろい例を出し、笑顔になって、「なるほど!それはわかりやすい!」という瞬間も大事にしつつ、ぴしっとした緊張感もあって子供たちの精神年齢も引き上げるように。


マサアキ達のクラスは、私の塾講師として大きな意味のある経験になったと思う。
ただ、振り返ってみてそう言えるようにようになったのはつい最近のことなんだけども。
あのときは、毎週このクラスに行く足が重かった。
あの手この手、いったいどうしたらいいのか暗中模索、五里霧中、一寸先は闇という感じだった。

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