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豊岡演劇祭2023 特別インタビュー①:範宙遊泳『バナナの花は食べられる』インタビュー

 2007年より、東京を拠点に海外での公演も行う演劇集団 範宙遊泳。豊岡演劇祭2023では第66回岸田國士戯曲賞受賞作『バナナの花は食べられる』の上演を予定しています。2021年の初演から再演版『バナナの花は食べられる』はどのような作品へと変化したのでしょうか。演劇活動や作品の気になることについて、演出家の山本卓卓さんにお聞きしました。

撮影:雨宮透貴

— 劇団の由来について教えてください。

 範宙遊泳は2007年(大学2回生)に作った団体です。4つの漢字がかっこいいなあと思っていて。カタカナとかではなく、日本語感が出ている言葉にしたいと思っていたんですよね。四文字熟語っぽく漢字四文字って考えていた時に、範疇遊泳っていう名前で相談していたんですけど、これキャッチーじゃないよね、字書きづらいよねって話になって、じゃあ「山ちゃん(山本さんのあだ名)宇宙大好きだから、宇宙の宙にしたら」と言われ、それ良いねとなりました。意味を考えていくと、範疇に囚われることなく、宇宙を遊泳していく、ジャンルに囚われない自由な活動をしていきたいという風に落ち着いていきましたね。変ですよね。変な団体名だというか、あんまり思い浮かばない語呂じゃないですか、造語だから。それがすごく自分の中ではこだわりがあって、良いじゃんと思って、最終的には名付けました。 宇宙遊泳とか、寒中水泳とか、複数の意味を持たせるのが作家としての癖ですね。

— 豊岡演劇祭2021公演が中止を受けてから2年後の上演となりますが、どのようなお気持ちでしょうか。

 中止になった時は「しょうがない」という言い方はあれですが、「どうしてもやりたい」という気持ちと「現実的にできないだろう」という気持ちがありました。悔しいという気持ちもありますが、次に繋げられるように、豊岡演劇祭との関係は切れないように今後もお願いしますというお声がけをさせていただきました。豊岡演劇祭側が約束を守ってくださったと言いますか、実現することができ、ありがたいなという気持ちですね。

— 初演から再演にあたり、どのような変化がありましたか。

 かなり変わったな、という印象があります。2年ぐらい経て、人間は1日1日経験していく生き物なので、死んだ細胞もあれば、入れ替わった細胞もあります。ご飯の好みとかも2年前とは変わっていて、単純に自分の肉体が変化しました。戯曲自体は当時書かれた2年前の言葉なわけですが、最新の自分の体や状態とは違う部分が結構あるな、と思いました。でも2年前の自分は、自分として尊重しつつ、2年後の自分しか見えない景色というか、できない上限みたいなものは必ずそこにはあるわけなので、過去と今現在の自分を両方大事にしながら、言葉にほんのちょっとを足してみたり。微調整のレベルなのですが、その微調整が自分にとっては大きい調整で、時間を経て自分がたどり着いている物を実感しながらの日々ではありましたね。

— 今回、ツアー公演をされていますが、地方公演の魅力とは何でしょうか。

 まだ1都市しか回っていませんが、「来てくれてありがとう」と言われた時は嬉しかったですね。こっちからすると、「行かせてください」というマインドなんですけど、観客が「来てくれてありがとう」「良いものを観せてくれてありがとう」と言ってくれるのはありがたいです。まず呼んでくれるということは、例えばいわきアリオスだと、我々を呼んでくれた劇場プロデューサーが「いわきの人にこれを見せたい」という思いを持っているからというのが伝わってくる。それが観客と共鳴しあっている。そういうのが心地いいですね。だから、東京とか都市でやっていると、過ぎ去っていく演劇文化の一つとして考えられがちなんですけど、地方でその劇場の歴史の一つ観客にとっての歴史の一つにしてもらえて、その現場に立ち会えたというありがたみを再確認します。それは都市でやっているだけでは味わえないことですね。あとは、シンプルに知り合いが増える、新しい人たちと関わっていくことができるのは、地方でも公演をやっていくことの可能性を感じます。

— 「バナナの花は食べられる」の登場人物たちはとても生きている、という風に感じたのですが「生きるということ」は山本さんにとってどういったことでしょうか。

 非常に難しい問いだと思います。現時点2023年9月時点の自分ということを前置きで言いますが、常に「生きる」とはどういうことだろうと探してはいるんですけど、少なくとも今思えているのは、「もう生まれちゃっているし」ということですね。生まれちゃっていて、感覚も持っちゃっていて、日々喜んだりもするし、悲しんだりもするし、切ないとも思うし、とびきり楽しいと思えば、なんか退屈だなあっていう時間もあって、というように生まれちゃっているので、だからここからドロップアウトしようという気持ちはないというか。生きちゃったということを受け入れたいと思うし。日々を感情豊かに過ごしながら、味わいながら1日1日を勉強して生きていきたい。新しい感覚に出逢いながら、自分に出逢いながら、前に進んでいくということ、歳をとっていくことが、自分にとっての「生きる」ことだと思っていますね。

— 何がきっかけで主人公の名前をバナナにすることを思い付いたのでしょうか。

 登場人物が愛着を持って観客に受け入れてもらえるとするならば、短い言葉で略される方がいいのかなと思っていて。打算的だと思われたくないんですが、範宙遊泳という団体も親しみを込めて「範宙」って言ってくれる、略してくれる人が多くて、それが嬉しいんですよね。キャラクターとか人柄とかを思い出した時に、パッと短い言葉で出てくるのがいいなあと思っていて、それがフルーツとか食べ物の名前だったら素敵なんじゃないかな、と。バナナとか。頑なに自分の名前をバナナって名乗っている人がいたら面白いなあと思って。穴蔵の腐ったバナナというのは本当に語呂で、僕は戯曲を書くときに戯曲の曲という部分を大事にする作家なんですけど、音のリズム、音の運び、音色を意識した時に、穴蔵の腐ったバナナという響きになっていくんですよね。そこはもう僕の持っている感覚的なもので、なんでしっくりくるのかというのは神秘的な話になってくるんだけど、そういうことですね。

— 作中に登場する、穴蔵の腐ったバナナ が人におすすめするとしたら、どんな音楽をおすすめすると思いますか?曲名があれば教えていただきたいです。

 穴ちゃん(穴蔵の腐ったバナナのあだ名)は相当音楽が好きですね。結構いろんな音楽を聞いていて…なんだろうなあ、何が好きなんだろう。まあ、プログレ、プログレ言っているし、今現在の音楽というよりちょっと古い音楽というか…髭男とかは聞かなそう。すごいとは思っているけれど。King gnuとか米津さんとか今の人たちはそんなに聞いていないんじゃないかな。凄さは認めているんだけど。

山本さんは、果物のバナナは好きではないそう。

— 演劇活動を続けている理由はありますか。

 大学に入った時から、劇団しかないと思っていました。僕自身は、他にできることもないんじゃないかなと思っていて、つまりアート以外のことが。バイトもたくさんしましたけど僕、接客がダメみたいで。餃子屋でバイトをしていたのですが、家族連れの席に七歳ぐらいの子どもと家族が座ってて、子どもがずっと俺のこと睨んでくるんですよ。わかんないですけど理由が。なんだろう、怖いなあ、と思って接客してたら帰ったんですけど、お客様アンケートが置いてありまして。どうやら子どもはそれを書いていたみたいで、「接客態度、最悪。味は普通だったけど店員が」みたいなことを書かれていて。皿を片付けた時、流石に傷ついて、くしゃくしゃに丸めて捨てましたよ。そう、だからこれをしている時点で無理だろうな、子どもにこんなこと言われて傷ついて、しかもそれを提出しないで、なんかくしゃくしゃに丸めて捨ててる自分全部を含めて社会生活難しいなという挫折があって…そういう星の下でやっているんだなと思っています。 あと、僕は作家っていうよりもアーティストだと思って舵を切っています。作家という一つのカテゴリーではなく、芸術家として自分があろうと決めたというか、一昔前はアーティストという言葉が嫌われていたと思うんですけど、自分がアーティストであろうと決めたからこそ逃れようがないんですよね。僕はアクティヴィストではない、と思っています。つまり、アートで社会を変えていくって気持ちはあるけど、何か活動を起こすことで社会を変えたいわけではない。そこは明確に区切りをつけたいです。世の中の数多ある問題、全てそれは自分にとって由々しき問題としてとらえていますが、それをアートを通して、芸術としてアンサーしていくというのが僕のプライドとしてあり、これはきちんと言っていこうと思っています。 自分がアーティストであるという生き方そのものを、刻々考えるようになっていっているという状態ですね。だから、演劇はライフワーク

— 演劇に対する思い、価値観を教えてください。

 大学生の当初は、どうせ誰もわかってくれないからわからせようとしなくて良い、と思っていました。自分の世界観が100%伝わることなんてきっと無いから、わかってもらえなくてもいいや、と。ただ、やっぱり続けていく中で違うな、という思いになっていって、わかってもらえなくていいや、じゃあなんでやっているんだろう、みたいな。基本的に、アートは自己表現だと思います。それをいくら否定したって、自分が作るものだから、根本的には自己表現なんですけど、じゃあ自己表現をなんでしているかって考えたら、わかってもらいたいからだろって思って。だからしょっぱなから矛盾してたんですよね。それは尖ってたからとか、若かったから、愚かだったから、とか色々あると思いますが、その当時はそれしか思い浮かばなくて。途中から、わかってもらいたいという態度を、伝えようとするという努力は、怠わなくても良いじゃん、みたいな気持ちになり、伝えようとしていくことの方が価値のあることじゃないかと思うようになりましたね。
 でも、多くの人に見てもらいたいという欲望はそんなになくて、正直何十万の人が見るYouTubeには数の論理では、演劇は勝てないですよね。ただ、自分の作品を見に来てくれた人に濃い体験を与えたい。これを見たことによって2年くらい生きられる、とか、これを見たせいで明日死んじゃうかもみたいな、演劇はそれくらいの力を持っているものだと信じています。それは数の話より尊いものなのではないか。極力来てくれた人たちを大事にする、伝えるという感覚に今はなっていますね。

— 創作者を目指す大学生に何かアドバイスを頂けませんか。

 大学生のうちは、どんな手段であれ演劇をたくさん見た方がいいです。アート全般を志すならば、そのジャンルを徹底的に観る、感じることから始めた方がいいなあと思うんですけど、ただ、影響を受けるのはそれ以外の方がいい気がします。例えば、小説家になりたい人なら、小説をたくさん読めばいいけど、影響を受けるのは映画や演劇、音楽など自分が志しているものとは違うものから影響を受けた方がいいというのが、僕の思うアドバイスです。だから、大学生のうちはひたすら演劇を見た方がいいけど、一方で演劇以外のアンテナを張り巡らせた方がいいっていうのが一番思うことです。それをやっていれば間違いないと思います。自分には才能がないと思っている人たちがいるんだとしたら、それさえやっていれば、やっていない人と圧倒的に差がつきます。演劇大好きで演劇しか見てないぜっていう人ももちろんいるけど、僕のアドバイスとしては、演劇を見るのは大前提、影響を受けるのは演劇以外がおすすめですね。

— 豊岡演劇祭にて、「バナナの花は食べられる」の観劇に来られる方や興味を持っている方に何かメッセージをお願いします。

 YouTubeで動画を公開している影響が強くて、地方に行っても動画で見てましたと言ってくれるのがありがたくて、公開しててよかったなあと思っています。公開した動画によって、合わないなあって思う人もいるとは思うのですが、いろんな人に場所を選ばず伝わってほしいなあというのがあったので、もし来られなかったとしても、伝える努力はしている団体ですので、動画なりブログなりそれぞれのSNSなどで活動をチェックしてくれると嬉しいです。演劇自体が出会いで、マッチングアプリみたいなもの、そういう性質を持っている芸術だと思っています。演劇というのは人と人との交差点、交流ポイントでそこに一番僕は喜びを感じているし、みなさんにも味わってほしいなあと思っているので、「目の前にいる人間たちと出会えたんだ」という感触を確かめに来てくれたら嬉しいです。それは他の芸術ではなかなか経験できない感覚だと思うので。「人と出会った、確かに今ここでこの瞬間出会ったんだ」というものを残せたらと思っています。

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ディレクターズ プログラム

範宙遊泳
『バナナの花は食べられる』
芸術文化観光専門職大学 静思堂シアター

9/15(金)18:00
9/16(土)18:00
9/17(日)11:00

約3時間
途中休憩10分含む
受付開始:開演45分前
開場:開演30分前

日本語上演/英語字幕付き

前売一般:¥3,500
当日一般:¥4,000
前売U25・学生・障がい者割引:¥2,500*
当日U25・学生・障がい者割引:¥3,000*
前売当日共に高校生以下:無料*
うずまくパス:¥1,000
*当日要証明書掲示

チケット
https://teket.jp/7076/24489

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取材・文:市田鈴音
2002年生まれ。芸術文化観光専門職大学3回生。豊岡演劇祭2023では、実習生として広報部に携わる。


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