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FIREしました

私事ですが、先日、FIREしました。

まあ、もう56歳なんで、FIREっていうほど早くはありません。
ほんとは、もう少し早くFIREしたかったのですが、この歳になってしまっただけです。

このnoteでは、何でさっさとFIREできなかったんだ、という話をします。

大学に就職する(30年前)

大学の教員になるって普通の就活じゃありません。
今だとネットで求人探せますが、当時は指導教授のコネとか知り合いのツテとかしかありませんでした。
ただ、自分で選べない代わりに、競争相手も少ない平和な時代でした。
私の場合、学会でたまたま出会った人に教えてもらった公募に応募してみたら、採用されました。しかも定年までいられる任期のないポストでした。

でも、今だとそんなに簡単に決まることはありません。たいてい最初は任期のあるポストで、採用されてもすぐに次のポストを探さなくてはいけません。
そういうことがネットで何でもわかってしまうので、今ならそもそも大学教員になろうとは思わなかったでしょう。
ちょっと時代が違えば、まったく違う人生だったと思います。

FXを始める(20年前)

なんとなく流れで大学教員になってしまった以上、最初の10年くらいは流れで仕事してました。

大学教員の仕事って大学によっても分野によっても差はありますが、基本的に裁量制の仕事なので、決まった勤務時間はありません。
必要最低限の講義や会議、ゼミや研究室の学生の指導を行っていれば、何も言われません。(昇任するには研究しないといけませんが)

大学の教員って基本研究したいからなるもので、それ以外の仕事は仕方なくやっているっていうのがほとんどです。
逆に言うと、やりたい研究がなければ、大学の仕事自体無意味なものになってしまいます。

ちょうどこの頃、今までやっていた研究に興味がなくなってきたことや、モンスターなんとかの対応をせざるを得なかったこととかあり、早くやめたいと思い始めました。

まだFIREって言葉はなかったと思いますが、やめるには「金」、ということで、投資について調べ始めました。

その当時も株のデイトレーダーとかいたと思います。
ただ、日中チャートにへばりついて手動でトレードするのは専業じゃないと難しいということで、プログラムで自動トレードできないかと模索する過程でFXを始めました。

合同会社を作る(10年前)

FX始めたといっても、すぐにうまくいくはずもありません。
システムトレードのプログラム自体はすぐにできたのですが、それですぐに儲かるはずもありません。
いったんシステムトレードに見切りをつけて、オプション取引に手を出したり、色々と迷走した挙句、またシステムトレードに戻ってきました。
その間、相当な損失は出したと思いますが、破産しなければ、そのうち取り戻せることも経験しました。

そして、その頃、FXの本を書いたりもしていたので、印税の管理も兼ねて法人を作ることにしました。
このころになると、ネットで何でも調べられるようになっていたので、比較的簡単に合同会社を作ることができました。

会社を作っておけば、大学をやめたときに一応会社経営者という肩書が残るので、家族の理解が得られやすいとも考えました。
実際、法人立ち上げて1年目にその会社員という立場でクレジットカード(楽天ですが)も作れましたし、社会的な信用も多少はあります。

法人は何かと面倒なところはありますが、経費の自由度も上がるし、個人だと適当になっていたトレードの管理も厳密に行うようになったので、まあよかったと思います。

FIREすると決めた(1年前)

自分が勤めていた大学は私立で、副業もOKだったので、会社もっている人も結構いました。だからそのまま大学に勤め続けるということも考えました。

漠然とやめたいとは思ってましたが、やめる切っ掛けがありませんでした。なかなかやめにくい職場だったのです。

ルール上は、2週間前に退職届けを出せばいいのですが、後任の教員の採用は急にはできません。
もともと学内に決まった後任がいればいいのですが、そうでない場合、そのポストは次の年には空席になってしまいます。

学生数に比して教員の多い大学だと多少空席になっていても問題ありませんが、教員が少ない大学だと、一人欠けるだけで、ほかの教員の負担が相当増えてしまいます。

なので、後任を採用して円満に退職するには1年前に退職の意思を示す必要があったのですが、これはすぐに踏み切れるものではありません。
退職なんてある意味勢いでやるものなのに、1年後にその勢いがあるかなんてわからないからです。

そういう事情もあり、定年前にやめる人はほとんどいない職場でした。
でも、その状態でもやめる切っ掛けになったのがコロナ禍でした。

コロナでオンライン授業になったことで、今後はオンラインが主流になるか、対面とオンラインの選択が教員も学生も自由にできるようになると思っていました。
ところが、コロナが落ち着いてくると、基本対面に戻すという話になっていました。オンラインは特別な理由が必要とか。

そうか、やっぱり変わらない組織なんだ、ということがはっきりしたことでやめる決断ができました。

FIREした(今ここ)

FIREといっても完全に引退したわけではありません。
大学とも完全に縁が切れたわけではなく、週に1回か2回の講義を非常勤講師として続けます。
あと、法人として、個人としてトレードは続けるので、残りの期間を考えてリスクを抑えた投資をしながら生計を立てていけばいいかと考えています。

ただ、FIREするにも家族の理解が不可欠です。
定年まで保証されていた安定した収入を捨てることは、家族にとって理解しがたいものです。
今後の収入には投資、投機のリスクが伴うことに理解があった方がいですが、なかなか同じ価値観をもつことは難しいかもしれません。
でも、少なくとも時間に対する価値観は共有すべきです。
新たにできた自由時間に、これまでの収入以上の価値があることが共有できれば、FIREを理解してもらえるのではないでしょうか?


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