時代に生きてない

現代に生きてると言えない私です。
周囲が現代の歌手のフェスで盛り上がっている中、安定の小椋佳さんを聴いてます。そして口ずさみます。平和だ〜。大いなる旅路をカヴァーしたスーパーベルズ版も好きです。

それに百恵ちゃんの惜春通り。
春なのに切羽詰まる感じ。電車に乗り、進行方向に向いた席に座って流れる車窓を見ながら聴くのが大好きです。
やはり暗めというか、バラード曲が大好きなのかな。

そして続くは、
Ronnie Spector & The E Street Band の Say Goodbye to Hollywood. 

こんな感じで現代人ではないですね。
懐かしい感じが刺さるんです。

最後のロニースペクターに至っては、中学生の時に登校拒否する寸前の英語の授業で先生が「Be My Baby」を流してくれて、あれを探しに探してたどり着けたのはなんと35歳ごろだったので、もうロニースペクター(ロネッツ)を聴き漁る日々でした。

もはや「一昔前に名古屋ギャルやagehaで流行った名古屋盛りを先にやってたのが70年代だったか〜!」と驚くあたり、これくらいしかアラフォーである証明できるものがないではないか(笑

名古屋盛りに憧れたんです。
20代の頃でしょうかね。男性から女性になっていく時期にちょうど参考にしたメイク雑誌が小悪魔agehaだった私は、「うぉー頭をあんなに盛ってみたい」衝動に駆られるのですが、実際にやったのはアイラインを濃いめに目の周りに引いて、デジャヴのつけまつげ風マスカラ、マジョリカマジョルカのブラウンシャドウくらいですね。お金がなさすぎて、KOSEの一番安いファンデを使ってた記憶があります。

普通の女性になるつもりはなかったんだと思います(笑
あの頃ちょうどビジュアル系にハマっていたし、彩冷えるのりょうぺこさんみたいになれたらいいなーとか、漠然と思ってたんです。(と思っても涼平さんがいなくなったayabie時代の記憶が強い私)

今聴いても名曲で参る。
広く誰にも共感を得られなさそうな歌ばかり好きになっちゃう。
でもそれが私なんですよ。

なんか今日ふと思えたんです。
やっぱ人よりだいぶ特殊な人生経験を踏んでるし、整理のつかない過去をいっぱい持ってるし、思い出さない日常があるから上手く行ってるように見えて、時々思い出して浸ってる時間も私には愛おしいものだと気づいた。

2007年以来となるレインボーパレードに参加した。
ボランティア参加も悩んだけど、一旦見送った。
一昨日八方不美人が出るならやっぱり行きたくて、衝動的に電車に乗っていた。
(こんなふうに書くと躁では?と思われそうだけど、その軽躁が助けてくれる人生だと思うところはあるんだけど、主治医からはすぐ帰ってくるからマトモだと言われた 微笑 確かに学生時代のようにそのままオールで飲みにいくようなことはないんだよね 微笑)

まぁ強いて言えば、LGBTパレードに行く前に母と大喧嘩になったのもあって、もうすっかり心に穴が空いたんです。もう辛すぎてたったそれだけのことなのに、絶望的に落ちて…いやそれだけのことじゃなかったんですよ。

母が指を深めに怪我してそのケアでガーゼに薬を塗るんですが、そのガーゼが私の部屋の床に落ちただけで「あー汚い!」と放たれて、カチンときて。(母はすごい潔癖です…歳と共にだいぶマシになったけれど)それをひきづったまま朝(どうやら私の顔色が相当怖かったらしくそれを指摘されて)を迎えて爆発したんです。

それが発端だったか、一気に堕ちました。
堕ちて遡るのがだいぶ先、何十年も先であればあるほど這い上がってくるまで時間がかかりますよね。こう生まれてこなければ、この人と養子縁組すらしなくてよかったのではないか?いや実家で虐待を受けてたじゃないか?どのみち一人っきりか、ちくしょーーーー!ってめぐり回り続けちゃうのよ、しばらく。

で何か気晴らししていくうちにだんだん元に戻って、「支え合ってかなきゃね」って許しあうのが今の我が家の構造化社会に思います。

癒えぬ傷を癒そうとするより、無かったことにできるくらい特別な価値や経験を付け足すより、それを携えながらももういっそいつやってくるかわからないクライシスにどんな気晴らしが有効か?を考え、地雷のようにやってくるそれに対処できる貯金は必要かなって思うようになってきた感じで。

まぁ母も怒ったことをどこか悪く思ってるのか、500円玉を叩きつけてくるんですよね(汗 これで昼食べろってか〜!というのを抑えつつ)

そんな私、リカバリー大事かなって思ってます。
リカバリーカレッジ受けてみることにしました。
なんかそういうヒントが得られそうだなって。


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