【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】デカルトの哲学を自然学中心に整理する

孤山老人


まえおき

本稿は授業のレポートを加筆修正したものである。実を言うと、もともと小説を投稿する予定なのが準備不足なため5日前に授業レポートを加筆して掲載する運びとなった。また、学部一年生という未熟な身ゆえ「調べ学習」の域を超えないものとなったが、寛容な目で見て頂きたい。加筆修正をした関係上内容的に本筋から外れてしまうこともあるが、この冊子が無償または低額で配布されること、そしてこの冊子は学生の集まりが発行していることを考慮してご容赦頂きたい。

序論

本レポートではデカルトの哲学全体を自然学を中心にして見ていきたいと思う。

授業でも至る所でデカルトの数学的自然学の重要性が述べられている。そのため私はデカルトの哲学が初期の段階から数学的な要素を持つ学問体系を作ることを目的として作られたのではないかと考えて、デカルトの自然学を中心にデカルトについて調べてそれを整理しようとした。というのはこのようにして整理ができれば、自然学をテーマにしてデカルトについてデカルトを理解する事に少なくとも一定意味があると言えそうだからである。本論の構成としては、1.デカルトの生涯 2.デカルトの初期の著作3.デカルト以前の自然観4.デカルトの自然観5.デカルトの方法的懐疑 6.デカルトの私の存在証明 7.デカルトの神の存在証明 8.デカルトの永遠真理創造説9.デカルトの自然学の中身10.デカルトの自然学の現代に対する影響の予定である。

本論

1.デカルトの生涯について

授業で習ったことをまとめると、デカルトは1607 年、国王アンリ 4 世によって創設された当時最先端の学校、ラフレーシュ学院に入学する。ラフレーシュ学院はイエズス会が運営する学校で、イエズス会はプロテスタントに対抗して作られたカトリック側の軍隊的な団体。デカルトはこの学校に 8 年間通う。文法、修辞学、アリストテレス的な論理学、自然学、形而上学といった伝統的な学問に 加え、数学などを学んだ。オランダの軍隊へ志願兵として入隊し、それはナッサウ伯マウリッツの軍事学校で、軍事技術を学ぶためであったと思われる。そしてそこでベークマンと会い数学的自然学の研究を始めた。[1]そして、ここから考えられる事としては、デカルトは初期の段階から数学的な自然学を作ろうと試みていたと考える事が予測される。そして彼が具体的に数学のどのようなところに惹かれたのかについて知りたいと思った。

2.デカルトの初期の著作

先に述べた目的を達成するために、死後に発見されたデカルトの初期の著作精神指導の原理を調べてみることにする。デカルトの『知能指導の原則』の原則2に「困難な対象にかかずらわった結果真偽から区別する力もなく疑わしいものまで確実なものであるかのように考えてしまうよりいっそ何も研究しないで居る方が良いようなものである。というのはそうした対象においては学識を増す見込みよりも減ずる危険の方が多いからである。」[2]この部分からデカルトはどうやら初期の段階から知識の確実性を大事にしたらしいと言う事が分かる。また、同じ規則にその目的に叶うものは数論と幾何学だけだと考えている。このことから、彼は数学の確実性に心を惹かれており、数学以外の事柄についても、数学のような確からしさを追求していった事と考えられる。

3.デカルト以前の自然観

デカルト以前の自然観としては、アリストテレスの自然観があり、デカルトの時の主流であった。デカルトの自然観について述べるためには、まずデカルトが対抗した自然観について知らなければならないからである。アリストテレスの自然観は物事を考える時に形相と質料の2種類のものが存在してそれを同時に考えなければならない。このようにヒューレはエイドスと切り離せないものとなるが、このことは、我々が物体の運動等について考える時に、各種の物のエイドスが異なるために、その運動について数学的に考えることを不可能にしていると思う。ガリレオなどの事を考えるとデカルトによって初めて可能となったとは言えなくとも、「それゆえに近代科学のように自然現象の量的な変化を求め」[3]それを検証して実証性を獲得することが難しかった(理論的な正当性が無かった)のではないかとは言えそうである。

4.デカルトの自然観について

デカルトの自然観はいわゆる「心身二元論」で授業で本当は物心二元論と呼ぶべきと教わった。デカルトの『省察』の第二省察の物心二元論を述べている箇所の蜜蝋の比喩について要約すると以下のようになる。

まず蜂の巣から取り出されたばかりの蜜蝋を想像してみる。この蜜蝋は蜜の味も元の花の香りも失っておらず色も形も大きさも明らかである。指先で叩けば音もするしものをはっきり認識するために必要なものはすべて蜜蝋に備わっている。だが、この蜜蝋に火を近づけるとそれらの諸条件はすべて消えてしまう。しかしながら、そうであったとしても蜜蝋はまだ蜜蝋のままである。[4]
(『省察』 井上 庄七 森 啓訳を参照した。 )

デカルトはこのようにして、それらの性質は蜜蝋に内在する性質ではなく、蜜蝋の外にある物であると言う。そしてこのことによってデカルトは物の性質と物体の物的な部分に切り離して考えることに成功したと思う。また、その後に「蜜蝋に属しないものを取り除くと、後に残るのはなんであるかを見てみよう。いうまでもなく、広がりを持った、曲がりやすい、変化しやすいあるものだけである。[5]」とあり、このことからデカルトが物体の本質として広がりを持つと考えていることがわかった。しかしながら、ここでまた、新たな疑問点が出てきた。つまり、前の部分に述べたようにそれ以前はアリストテレス的自然観がな根強くあり、デカルトはどのようにして、このような自然観を正当化したのかと言うものです。この問への回答は「懐疑を先に立てつつもっとも確実な認識たるべき「コギト」の立言よりはじめて物心の実在的区別へと至るという道[6]」によるものである。

5.デカルトの方法的懐疑について

デカルトは「コギト」に至る前にまず方法的懐疑と呼ばれる作業にとりかかっていた。次に方法的懐疑について授業で扱われたこととしては以下のようなことが扱われた。

この懐疑は、疑わしいから疑うのではなく、わざと疑う、あえて疑う懐疑である。それどころか、一度で も欺かれたことがあるならば、そのことを全面的に偽であるとみなして疑う懐疑である。そのため、「方法的懐疑」と呼ばれる。また、懐疑にも三つの段階があり、第一段階が感覚の懐疑 第二段階が世界の懐疑 第三段階が欺く神の懐疑である。[7]

このデカルトの方法的懐疑は本論の部分で述べられたような確からしい物を確定させるために考えたのではないかと思った。しかしながら、初期のデカルトが数学的な真理を自明なことにしていたのに、なぜ、デカルトが『省察』に於いては疑ったのか疑問に思った。(そしてどうやらデカルトがそのような数学的真理を疑ったのは、デカルトの永遠真理創造説が背景にあるらしいと分かった。)[8]また、

6.デカルトの私の存在証明について

デカルトはまず私の存在を証明する。その過程について授業で学んだこと覚えている範囲でまとめる。

まず、欺く神の懐疑によって我々の認識は欺かれているとした時に、あたかも全てのことが誤っており、我々には何も確からしい認識はないように思える。しかしながら、もし我々が欺かれているとすれば欺かれている我々の存在は確からしいという流れでデカルトは「私」の存在を証明した。

また、ここにデカルトは自分自身が存在することを証明したが、これだけだと何も意味をなさないのでデカルトがここからどのように考えたのかに興味がある。

7.デカルトの神の存在証明について

デカルトの存在証明は三つあり授業ではそのうちの一つの存在証明を扱いました。まず、それについてまとめることにする。

デカルトはまず観念について考える。その結果「無限の観念」以外の観念については自分で編み出すことが出来ると考える。しかしながら、無限の観念については存在を編み出すことは出来ず、また、無限の観念にもその原因が存在することを主張する。ここでデカルトはまた、存在するものの方が完全性が高いことや原因は結果以上に完全でなくてはならないことから。神の存在を証明した。[9]

神が完全で欺くことは不完全性を含むので神は欺かないという話になる。私には欺くことが不完全性を含むことそれ自体が自明のことにしか思えない。だが、デカルトはそれを自明だとは認めずそれを示すために二つ目の神の存在証明をした。そこでは「デカルトによれば、そのような神の概念の形成者たりえない「私」の「存在」は、少し前に存在したからといって今も存在し得るとは言えず、最高に完全で無限な存在者を原因として、その存在によって連続的に創造されて存在すると結論しなければならない[10]」のであり、そしてこれらのことからデカルトは欺く事のうちに不完全性が有ることを主張して、神は欺かないことを示した。

8.永遠真理創造説について

デカルトの有名な説として永遠真理創造説があり、中身としては今まで、ずっと存在していると思われていた。数学的真理などのものも、神が創造した被造物であり、神がそのように決めたからそうで有るのだという説であるが、デカルト何故そのような説を主張したのか、そしてそのような主張をした理由について考える。まず、これによって神の重要性が上がり、「因果法則的必然性のもとで機械論的にのみ動くーその意味では自律的なー自然をなお神の手元に繋ぎ止め、宗教と科学とをいわば近世的な視点において調停する道を開こうと図ったと評することもできるであろう[11]。」また、永遠真理創造説を唱えることによって「アリストテレス主義の経験論的認識論を排除することができ、数学的自然学というものの可能性を根拠づけることは可能となる。[12]」

9.デカルト的自然学の中身について

デカルトの自然学において真空と虚無が否定されていることはよく知られているが、デカルトは何故そのようなことを考えたのかについて検討したいと思う。まず、デカルトが真空と虚無を否定したことの理由については物体の性質を広がりと捉えた結果、「「物体的実体の全く存在しない」空虚とは、それゆえデカルト的には、延長のない空間、延長でない延長、したがって物体でない物体、以外の何ものでもなく、これまた自己矛盾的言辞以外の何ものでもない[13]」ものとなったからだ。そして、デカルトの自然学の名残がどのような所にあるのかについても知りたいと思った。

デカルト自然学の現代への影響

デカルトの自然学は空虚を認めない点などで時代遅れだと思っていたが、「デカルトの自然学は「一般相対性理論」による「場」の概念の展開とともに、物質と空間とが相即的なものとみなされることになり、これはデカルトのこの説に言及し、「物質即延長」のテーゼの再現とみなしうる。[14]」

結論

以上に見てきたように、デカルトは自然学を含めた諸学に数学的要素を付与して厳密な学問体系を作り出そうとしており、彼の形而上学も数学的自然学を基礎付けるために考えられたものと言えそうである。



参考文献一覧

<世界の大思想>『デカルト』河出書房 1965年

<世界の名著> 『デカルト』中央公論社 1967年

<人類の知的遺産>『デカルト』所 雄章著 講談社 1989年

「小林道夫 デカルト」『哲学の歴史 第 5 巻』、中央公論新社 2007年

『カント』岩崎武雄著 勁草書房 1973年



[1]記憶と授業プリントを参照

[2] デカルト『知能指導の規則』山本信訳, 1965.P8を参照

[3] 『カント』岩崎武雄著 勁草書房 1973年

[4] 世界の名著22 中央公論社 昭和42年 p250,251参照

[5] <世界の名著> 『デカルト』中央公論社 1967年 p251


[6] 人類の知的遺産32 所 雄章著 講談社 1989年 p16


[7] 第五回授業プリント参照

[8] Cf.「小林道夫 デカルト」『哲学の歴史 第 5 巻』、中央公論新社、2007 年、p. 212。

[9] 授業プリント参照

[10] 「小林道夫 デカルト」『哲学の歴史 第 5 巻』、中央公論新社、2007 年、p. 223。

[11] 人類の知的遺産32 所 雄章著 講談社 1989年 p28

[12] 「小林道夫 デカルト」『哲学の歴史 第 5 巻』、中央公論新社、2007 年、p. 190。


[13] <人類の知的遺産>『デカルト』所 雄章著 講談社 1989年 p18


[14] 「小林道夫 デカルト」『哲学の歴史 第 5 巻』、中央公論新社 2007年 p246


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