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写真と絵画のあいだ 1

「まるで絵画だった」
誰かの写真とともに添えられたその言葉に、ふと疑問が浮かんだ。何をもって、「絵画みたいな写真」と言うのだろう。そしてそれを、一般的にみんなが「なるほど絵画みたいだ」と感じるきっかけはあるのだろうか。

サイアノタイプ(青写真)の現像をしているとき、これは絵画と写真の中間くらいな感じがする、と思った。モノクロやカラー暗室での作業は、完全に「写真」をプリントしている感覚だけど、それとはちょっと違う感じだ。そんな感じでサイアノタイプをしていると、だんだんと、もっと自由に「絵」を作りたくなってくる。

切り刻んで再構成したサイアノタイプ

一般的に作意が強い写真が絵画的な印象が強いのか、でも偶然撮れたスナップ写真でも絵みたいなのもあるし…黄金比に近い構図?レタッチ時にいじると絵画みたいになりやすいかも、などとぐるぐる考えて「絵画みたいな写真」の疑問をなぜ持ち始めたのか、と思うといっそのこと絵を描いてみたら、と思い何十年かぶりにキャンバスに絵を描いた。浪人や学生の頃と違い、何に追われるわけでもなく、空いた時間に描き進めた。何かに追われずに描くことを心地よく感じながら、何かを表現するときは油断していると自分の心の隙がそのまま絵に表れるので、心の隙と向き合うのは何年経っても苦しい。

アクリルガッシュ 45cm × 45cm 2024

今回描いてはっきりした答えが出た訳ではない。思うのは、写真はデザインとも密接な関係がありそうな気もしている。みんなきれいな写真をたくさん見ていて目が肥えて写真のデザイン力がかなり高くなっているように感じる(良い意味で)。写真に対するデザインを意識的にやる人も無意識でできる人もいる。
デザインは視覚的に強い表現力を持つので、デザインのフィールド以外で何かを「表現」する時にはデザイン力だけに頼らないようにしたい。なぜなら、芸術表現は作者の心情を表すことで、作者や観る者を癒やし、時には衝撃や勇気を与え、救済することだと感じている。写真表現を構図やレタッチで表面的にデザインすることに対して「絵画」という言葉を使っていたとしたら、自分が思う「絵画」の定義とは異なるような気がした。私が「まるで絵画だった」という言葉が気になったのは、そこに心情が描かれているのかどうか気になっただけのかもしれない。そして深く「心情」を読み取るには、見る側は作者自身のことまで知る必要がある。
絵画表現と写真表現を繋ぐものは「心情」だと感じている。最終的なアウトプットが写真でなかったとしても、私自身の「まるで絵画だった」と感じる写真表現を、もう少し追求していきたい。


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