反共ファシストによるマルクス主義入門・その6

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

  「その5」から続く〉
  〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2014年夏から毎年、学生の長期休暇に合わせて福岡で開催している10日間合宿(初期は1週間合宿)のためのテキストとして2016年夏に執筆し、紙版『人民の敵』第23号から第26号にかけて掲載したものである。
 ともかく、これさえ読んでおけば(古典的)マルクス主義については大体のことは押さえられるという、我ながら良い入門書ではある。

 性質上、他人の本からの引用部分も多いのだが、面倒なのでそういった部分も含めて、これまでどおり機械的に「400字詰め原稿用紙1枚分10円」で料金設定する。とにかく“これだけで大抵のことは分かる”素晴らしい内容なんだから、許せ。
 第6部は原稿用紙19枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読める。ただし料金設定にはその6枚分も含む。

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   9.古代ギリシア哲学

 レーニンは、「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」(1917年)という論文で、マルクス主義は哲学・経済学・社会主義思想の3つの構成要素からなり、それぞれドイツ、イギリス、フランスのそれを源泉つまりベースにしていると解説している。

 フランスを中心とした社会主義思想の発生と展開についてはざっと概観したので、次に哲学史を概観する。

 近代哲学史は、高校の「倫理・政経」の教科書などでも、デカルト-カント-ヘーゲルを基本線として整理されることが普通である。ヘーゲルは近代哲学の完成者とされる。後で改めて見るように、ヘーゲル哲学は「弁証法」を特徴とし、矛盾・対立するものが争闘を経てやがて高次の水準で統合される、ということを繰り返すことで人類史は「進歩」してきたと考え、かつヘーゲル哲学こそ過去のすべての哲学を統合した究極の哲学であるとヘーゲル主義者は考えるのだが、マルクス主義者は、そのヘーゲル哲学と、ヘーゲル哲学への批判とをさらに高次の水準で統合した真に究極の哲学がマルクス主義であると考える。しかもマルクス主義は、哲学のみならず、哲学とは別個に発展してきた経済学や社会主義思想(歴史学と考えてもよい)までも併せて統合した、究極の社会科学であるというのである。

 ほとんど人類史の総体を背負って成立したと云わんばかりのマルクス主義であるから、哲学史に関しても、単に近代哲学史だけを概観して済ませるわけにはいくまい。

 一般に“哲学の祖”はソクラテスであるとされる。古代ギリシアの人で、紀元前469年に生まれ、同399年に死んだ。ソクラテスの弟子がプラトンで、プラトンの弟子がアリストテレスである。近代哲学史がデカルト-カント-ヘーゲルを軸に整理されるように、古代哲学史もソクラテス-プラトン-アリストテレスという軸を基本線として整理されることが多い。アリストテレスが云わば、“古代哲学の完成者”である。

 紀元前5、6世紀のギリシアには、ソクラテス以外にもたくさんの“哲学者”が出た。今日でも名前が残っている最初の人はタレスで、紀元前7世紀から6世紀にかけての人である。「万物の根源は水だ」と述べたとされる。続いてさまざまの人が出て、いちいち覚える必要はないが、例えばアナクシマンドロスは「万物の根源は“無限定なもの”だ」と云い、数学者として有名なピタゴラスは「万物の根源は“数”だ」、ヘラクレイトスは「万物は流転する」、デモクリトスは「万物の根源は“同質・不可分の原子”だ」とそれぞれいろんな説を唱えており、共通して“万物の根源”は何なのかを追求していたらしいことが分かる。もちろんもっと昔の人々は、そんなことを考える必要はなかった。自然は神秘であり、人知を超えた力によって動かされており、そうした世界観は各地でさまざまな神話として表現されていた。が、それでは納得できない人々がヨーロッパ世界においてはこの頃のギリシアに出現し始めたわけだ。この初期の哲学を「自然哲学」と云うが、世界史用語集では、「自然現象を神話や神々の力によって説明するのではなく、合理的思考を用いて解釈しようとする哲学の最初の形態」、「この段階では科学と哲学は未分離」と説明されている。

 考えてみれば同時代の中国にも「諸子百家」が出ている。紀元前6世紀ごろから同3世紀ごろにかけて、孔子や老子をはじめ、墨子、孫子、韓非子、その他さまざまの思想家が思い思いに自らの思想を展開している。インドのブッダも紀元前5、6世紀の人である。こうしたことに着目して、笠井潔は「観念革命」という概念を提起している。

 思想がある個人の名前とともに、具体的にはその著書によって提出されるようになったのは、それほど古いことではない。ゾロアスターの天啓(前六三〇年頃)、シャカの誕生(前五六五年頃)、孔子の誕生(前五五〇年頃)、ソクラテスの刑殺(前三九九年)、律法再編纂による書かれた形でのユダヤ教成立(前四二八年頃)……。つまり、ほぼ紀元前五〇〇年頃を中心とする前後二百年間で、儒教や仏教、ギリシャ思想や後にキリスト教、イスラム教を生むユダヤ思想などの世界思想が、ほとんど世界史的=観念史的な同時性をもって発生しているのである。
 「宗教-法-国家」の共同観念の時代は、この観念革命をもって自己観念の時代へと移行するのだ。人類史百万年、観念史二十万年の射程で捉えるならば、前後二百年あまりとは驚くべき短時間であり、ほとんど一瞬だといってもさしつかえない。このほとんど一瞬のあいだに、中国からギリシャまでの全世界で、国家の共同観念に制度化されていたにせよ習俗的・神話的水準にとどまっていた人間の観念が一挙に飛躍したのである。
 (『テロルの現象学』)

 「共同観念」「自己観念」など独特の“笠井用語”についての説明は省くが、ともあれこの「観念革命」は、ヨーロッパにおいては“哲学の誕生”という形で発生した。紀元前5世紀後半のギリシアでは「ソフィスト」と呼ばれる専門的知識人たちが活躍し、世界史用語集には「“知恵ある者”の意。民主政最盛期のアテネでは商業や政治活動が活発で、法廷や討論の場で勝利する修辞・弁論術を教えるソフィストが活躍」との説明がある。“哲学の祖”ソクラテスは、これらソフィストたちとの論争の中で頭角を現す。

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