川口事件と現在 2.内ゲバの背景

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 「1.内ゲバの歴史」から続く〉

 2022年1月に参加した樋田毅『彼は早稲田で死んだ』読書会のために、同書の主題である72年11月の早大・川口事件の背景や、事件が日本現代史に与えた甚大な影響について解説した文章である。

 1.内ゲバの歴史
 2.内ゲバの背景
 3.川口事件の影響

 「2」は原稿用紙換算9枚分、うち冒頭3枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその3枚分も含む。とはいえ、noteでは100円からしか料金を設定できないので、この「2」が10円ぶん割高になってしまう代わりに、次の「3.川口事件の影響」を10円安くしておく。

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   2.内ゲバの背景

 内ゲバを引き起こす原因の1つには、もちろんレーニン主義的な〝唯一の前衛党〟理論がある。マルクス主義は真理であり、真理は1つだから真理なのであって、だからそれを担う政治勢力も1つしか存在しえないはずである。それが〝前衛党〟で、かつ同様に、真理は1つなのだから真理を体現する前衛党の内部に対立があろうはずもなく、したがって党内派閥などありえない。前衛党は1つ(〝唯一の前衛党〟)で、それは〝一枚岩の団結〟を実現しているはずのものである。
 こんな理論からは、相対的にはそれなりに優秀ではあるのだろう1人の指導者が、独裁的に組織を運営し、その思想や方針に異を唱える者は団結を乱す反革命分子として党外に放逐し、条件さえ許せば(革命政権を樹立するか、あるいは在野の反体制組織の段階でもそれが露見する可能性がほとんどないならば)抹殺するような〝党〟しか生まれようがない。
 つまり内ゲバという現象が生じる根底にはまずマルクス・レーニン主義の組織論があるが、もちろんこれは日本の左翼組織に特有のものではない。各国の公認共産党(コミンテルンが存在した時代にその各国支部だった党)は、すべてこうした理論に基づいて存在していた。
 56年のスターリン批判を機に、とくに若い共産党員たちの脱党が相次ぎ、新左翼勢力が誕生するのも、西側先進国には共通の現象である。ただし日本以外では、公認共産党を〝偽の前衛党〟とし、それに代わる〝(真の)唯一の前衛党〟を創設する試みは、あるにはあったが大して成功を収めなかった。じっさい日本の革共同やブントも、結成当初はほとんど取るに足らない弱小勢力でしかなかったし、そのまま歴史の波間に消えていく可能性のほうが高かったはずである。そうならなかったのは、ひとえに60年安保闘争という巨大な闘争が、新左翼勢力の誕生後まもない時期にいきなり高揚して、ブントがその牽引役を務めて急成長し、それにつかず離れずついていった革共同が漁父の利を得る形でやはりそれなりに大きくなったからだ。
 他の西側先進国では、新左翼的な政治運動は、60年前後の時点では、少数派の若者たちが担う狭い世界の出来事としてしか盛り上がっていない。例えばイギリスの核実験反対運動や、フランスのアルジェリア独立支援運動、アメリカ北部の白人学生たちによる南部黒人の公民権運動の支援などである。
 その時期の欧米先進諸国では、むしろ思想や文化の領域での運動のほうが、より活況を呈している。

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