第14回・外山恒一賞 受賞者発表
外山恒一賞
主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する。辞退はできない。
外山恒一のファシストとしての再臨(2004年5月5日・ファシズムへの獄中転向を経て福岡刑務所を満期出所)を記念して、2011年より毎年5月5日に受賞者の発表をおこなう。
授賞は、外山恒一が受賞者の活動に「全面的に賛同している」ことを意味するものではなく、あくまで「いま最も注目している」ことを意味するものである。多くの場合、授賞は好意的評価の表明であるが、時にはイヤガラセである場合もありうる。
外山恒一が創設した革命党「我々団」の公然党員は授与の対象とならない。
賞状・賞金・賞品はない。「外山恒一と我々団」や「我々少数派」などの外山恒一関連サイトで授賞が発表されるだけで、受賞者への通知もないが、受賞を知った受賞者は「外山賞活動家」であることを周囲に吹聴してまわって存分に自慢することが許される。外山賞受賞は活動家として最高の栄誉であり、いくら自慢しても自慢しすぎるということはない。
※歴代の受賞者などについてはコチラ
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うー、例年以上に何も思いつかない。
1つにはもちろん、日本社会が引き続き没落の道をまっしぐらで、本賞を本来は最も授与したい若者の政治運動領域に心躍るような試みが何ら登場してくる様子がないからだが、もう1つには純粋に個人的な事情で、3ヶ月ほど前にパソコンが壊れてしまったのである。たしか2つ3つ、この1年の間にオッと思った作品なり事件なりを今年の外山賞候補としてメモっておいたテキスト・ファイルがあったんだが、消えてしまった。
そんなわけで例年以上に〝身内ボメ〟的になってしまうと思う。
まず前回の外山賞のノミネート漏れ。
寄せ場史料調査会『聞き書き山谷・釜ヶ崎闘争史』
外山賞の授賞発表などをわざわざ読むような人には云うまでもなかろうが、東京に模索舎という特殊な書店がある。現存する全党派の機関紙誌類をはじめ、新左翼系の刊行物が、発行元で品切れにでもなってない限りまずたいてい入手できる、すごい書店だ。
私も上京のたびになるべく1度は顔を出すようにしている。現在の店員氏2名とはいずれも面識があり、私が「何かいいの入ってる?」と訊くと、「あるよぉ」とオススメされたブツをつい買ってしまうという、怪しい店の怪しい常連しぐさを毎回のようにやってしまう。
それでたぶん一昨年(2022年)の秋だかに店員E氏の口車に乗せられて購入したのが、この(今のところ)2冊出ている〝聞き書き〟シリーズである。1冊目は21年11月に出ていて風間竜次という、2冊目は22年7月に出ていて宗村義隆という、もちろんそれぞれ山谷・釜ヶ崎の70年代初頭とか半ばぐらいからのベテラン活動家らしいが(風間氏のほうは刊行前の21年2月に死去しており、そもそもインタビューは病床でおこなわれたそうだ)、実はかなり不勉強な私は、彼らの名前すら認識していなかった。というかそもそも山谷・釜ヶ崎の運動史については、83年から86年にかけての(この〝聞き書き〟によれば実際は87年まで続いたらしい)、山谷争議団側に2名の死者が出た、手配師ヤクザ・金町一家との熾烈な抗争に関する通りいっぺんの表層的な知識しか有していなかった。
この〝聞き書き〟シリーズでは、証言者たちが運動体の形成に直接に関わっていく70年代初頭以来の山谷・釜ヶ崎の闘争史が、その前史も含めて、詳細に掘り起こされていることはもちろん、(私がさまざまの運動経験者に同様のインタビューをおこなってテープ起こしする際もなるべくそうしているように)証言の際のちょっとした脱線や、冗談や、細部を思い出そうとして話の順序が錯綜してしまったりするような部分まで再現されており、読み進みながら自分もまるでそのインタビューの現場に立ち会っているような感覚を抱かせてくれるところも素晴らしい。
現代史版の日本書紀たることを目指した私の『全共闘以後』にも、金町一家の組員によって、山谷でドキュメンタリー映画を撮っていた青年監督が84年に刺殺され、山谷争議団リーダーが86年に射殺された話などは当然、出てくることは出てくる。ただしほんの申し訳程度で、第2章第5節で80年代の〝第2次テント芝居ブーム〟を概説するくだりでその〝関連事項〟的に触れているだけである。それは『全共闘以後』が全共闘以後の運動史全体を描くのではなく、全共闘世代より下の世代による闘争史を描くことに主眼を置いた歴史書であるためではあるが、上記のとおり、私はそもそも山谷・釜ヶ崎の闘争史についてほとんど知識がなかったのである。
何の歴史を理解するに際してもディテールというものがとにかく重要で、上記したようなテープ起こしの姿勢からして、その点でも申しぶんのない貴重なインタビューだ。金町一家との有名な抗争に関しても、その背景・発端から詳細に語られていて、断片的な知識に基づいて私が漠然とイメージしていたような闘争の雰囲気とは、実際にはまるで違っていたらしいことにも衝撃を受けた。要するに、仲間を2人もヤクザに殺されてるんだし、かなり悲壮な感じの闘争だったんだろうと想像してたわけだが、もちろんそれらの事実は重いにしても、当事者たちは実にあっけらかんと、くだんの熾烈な時期を含む闘争史の全体を、楽しそうに回想しているのである。
マニアックといえばマニアックな史料だが、単に読み物としても充分以上に面白いし、読む人が少しでも増えればなあと思って、追加ノミネートしておく。
ちなみにこのシリーズの企画には、やはり『全共闘以後』第3章第6節、法政大の中核派支配打倒闘争を概説したくだりに少し登場し、現在は歴史学者になっている友常勉という人も深く関わっているようだ。現代の日本書紀たる『全共闘以後』にチラッとでも登場するぐらいの人になると、その後もそれなりに偉大な仕事をしてたりするのである。
では本年度の外山賞、まずは例によって幸いにも、いや惜しくも受賞には至らなかった人物・団体・作品・事件などを紹介していこう。
……と思ったが、その前に、今年も昨年に引き続いて、我が「教養強化合宿」出身学生たちのご活躍を自慢しておこう。
もう何年も前からフェミニズム系の文芸批評家として、メジャー論壇誌も含むさまざまの媒体にたびたびその論考が掲載され、界隈では〝出世頭〟呼ばわり(?)されてきた第7回合宿OGの住本麻子さんの最初の著作『文豪悶悶日記』が、23年9月に刊行された。今回は、すでに何冊も著作のある荒木優太氏との共著だが、たぶんそう遠くないうちに単著もガンガン出始めて、活躍しまくることが界隈では大いに期待されている。
また、その〝栄光の7期〟と並び称される〝炎の14期〟あるいは〝白熱の14期〟、要はまあ1人キャラの立った青年が主導する形で、参加学生たちが、私がちょっと目を離すと討論、スキあらば討論、何かにつけては討論を始めてしまうという〝真剣!20代しゃべり場〟みたいな第14回合宿OGの洪先恵(ホン・ソネ)さんが、23年6月、日本シナリオ作家協会などが主催、東宝が協賛してるらしい第32回「新人シナリオコンクール」というやつに、『富士山がついてくる』という作品で入選を果たした。
ちょうど100コ上のレーニン先輩は100年前にはもう死んでるし、私も今や活動家としては基本的に引退しているつもりで、今後は、教え子たちの活躍をまるで私の活躍のように自慢する悪いオッサン路線を邁進していこうと思っている。「教養強化合宿」に参加すると、たった10日間で、同世代から圧倒的に抜きん出た文系教養を身につけることができるばかりか、話の合う友達も一挙に増え、人生がいきなり輝きだし、しかも参加費・食費・宿泊費すべて無料とまさに〝いいことづくめ〟を絵に描いて額に入れて美術館に飾ったような話なんだが、ただ1点、このようにちょっとでも活躍し始めると外山恒一に〝コイツはワシが育てた〟的なことを云われてしまうという、とても重い十字架も背負わされてしまうのである。
でもまあ、無料でこれだけの善行を積んでいるのだから、それぐらいの横暴は神様も大目に見るべきだろうし、こうして心おきなく自慢していく所存である。
エッヘン!
というわけで本題。
ノミネート1 『自称・救援ノート』
2021年の第11回外山賞でもノミネートしておいた、名古屋の「自称室伏良平容疑者」界隈が20年に起こした、アメリカ領事館前ビラまき逮捕事件に関連する出版物である。
事件そのものについては、第11回外山賞の記事を読めば分かる。比較的どーでもいいというか、些細な、たかがビラまきで1ヶ月も拘留し、執行猶予つきとはいえ「懲役6ヶ月」を云い渡すという、日本政府のゴミカスFランぶりが改めて白日のもとに晒されたという話でしかない。
この事件の重要性は、被逮捕者5人の救援(獄中の政治犯を支援する活動のこと)をめぐるゴタゴタのほうにある。救援グループが4つも立ち上げられ、揉めまくったのである。
名古屋には通称「エサマン」というかなりタチの悪い活動家がいる。75年生まれだから私の5つ下で、したがって今や相当のベテラン活動家でもある。私の知る限りでも、この20年ぐらいずっと、名古屋の若い世代の運動(フリーター労働運動とか)を仕切っている印象だった。名古屋に何か活動の足がかりを作ろうとするとエサマンと接触せざるを得ず、私も不本意ながら、つまりコイツ鬱陶しいなとかなり不快な思いを抱えつつ、テン年代前半から10年間近く、表面的には良好な関係を保ってきた。2014年初頭の〝舛添サンほめご…いや大絶賛キャンペーン〟の街宣に参加して以来、私の〝密接交際者〟の1人になっていた自称室伏良平容疑者がその後、名古屋に移住するとまずは〝エサマン界隈〟の構成員になっていったのも、その頃たいてい、〝外山恒一を囲んで飲む会in名古屋〟とかの会場はエサマンが経営するバー「クイアーズ」だったことからも、まあ仕方がなかった。
ところがエサマンがかなりタチの悪い活動家であることは、ちょっと付き合えば分かることなので、自称室伏良平容疑者は次第にエサマンから距離を置き始め、アメリカ領事館前ビラまき事件での逮捕はちょうど、いよいよエサマン界隈を離脱しようとしていたタイミングでのことだったのである。エサマンは自称室伏良平容疑者を自分の周辺に留めようと、熱心に救援活動を組織し始めた(「なりゆき救援会」)。自称室伏良平容疑者に恩を着せて、自分のもとを離れられないよう精神的に支配する意図はミエミエだったので、名古屋在住の教養強化合宿出身者らを中心に、エサマン界隈とは別個に成立しつつあった交流圏の面々が、自称室伏良平容疑者をエサマンの魔の手から救い出すため、独自に結成したのが、今回この『自称・救援ノート』を刊行した「自称救援会」である。自称室伏良平容疑者自身も、「なりゆき救援会」による救援を拒否し、「自称救援会」による救援を受け入れていた。
当然というか何というか、エサマン側は「自称救援会」による〝分裂策動〟を非難し始める展開になる。悪質なデマの類もいろいろ交えながらである。
それだけなら別にどーということもないのだが、名古屋がややこしいのは、エサマンの悪質さなどお子ちゃまレベルの、もっと本格的にタチの悪い、矢部史郎という極悪活動家の存在なのだ。私の元同志で、現在は不倶戴天の敵となっている男である。矢部は東北の震災というか福島の原発事故以来、開き直って〝放射脳〟を自称しつつ、郷里の愛知県春日井市に移り住んでいる。
矢部はエサマンとも対立しており、かつ自称室伏良平容疑者のことも嫌っていた。というか、そもそも愛知に移住した直後、名古屋の若い運動シーンを仕切っているエサマンの女性関係を糾弾して失脚させ、〝エサマン界隈〟を乗っ取るという策謀が大失敗し、以来、名古屋に独自の運動圏を作ることができずに孤立を続けていた。もちろん引き続き〝打倒エサマン〟の機会を虎視眈々と狙い続けている様子だった。
私は、これはマズい展開だぞと警戒レベルをぐんと上げた。『全共闘以後』にも書いたように、網を張っている範囲に誰か逮捕者が出た際に、救援運動に介入し、引っ掻き回して、その人間関係をズタズタにし、残ったイキのいいのを自らの傘下に取り込むという策謀を、ゼロ年代初頭以来、まあ毎回失敗しているとはいえ、矢部は何度も繰り返している。今回も絶対に怪しい動きを始めるに違いない。しかもエサマン界隈は、矢部が介入するまでもなくすでにゴタゴタしていたのであって、火に油を注ぐようなことをやってさらに引っ掻き回すのは簡単である。
実際、矢部の策動はすぐに始まった。教養強化合宿出身で、コロナ自粛下の東京で〝補償要求デモ〟を繰り返して多少の注目を浴びた紅川ヒミコが愛知に移り住んでおり、自称室伏良平容疑者と同様、さっそくエサマンに反発してその界隈から離脱しようとしていたところである。矢部はヒミコ(そもそもフェミニズム系=ポリコレ系したがって正統派のヘサヨ系活動家だった)を取り込んで、手駒として救援運動に送り込み、案の定まずは〝エサマン糾弾〟をやらせ始めていた。そういう展開になるのは私には最初から分かっていたので、それ以前に、矢部というのがいかに悪質でろくでもないかを説明し、いくらエサマンに問題があるにしても(少なくともこのタイミングでだけは)矢部に近づくな、どうもエサマン界隈とは別個に救援活動に取り組もうというグループが登場しそうだから(「自称救援会」のこと)、矢部派ではなくそっちに参入しろ、と警告しておいたんだが、忘恩の徒・ヒミコは矢部の手先と化し、したがって〝外山界隈〟には出入り禁止となっていった。
矢部の最終目標も私の目には明らかだった。自称室伏良平容疑者と共に逮捕され、自称室伏良平容疑者と同様、被逮捕者5人の中で最も長く約1ヶ月の拘留を受けた末に罰金刑を云い渡された女性活動家Tを、矢部派の新たな一員として取り込むことである。このTも我が教養強化合宿の出身者で、それ以前に私が熱烈支持する「劇団どくんご」の群馬公演スタッフでもあり、元シールズながらその前非を悔いて我がファシズム勢力による一連の原発推進派ほめご…いや大絶賛キャンペーンや〝ニセ選挙運動〟などにも熱心に参加してきた、当時の〝外山界隈〟のかなり中心的な一員であり、最も可愛い教え子の1人だったのだが、いかんせん元シールズ的なしょーもないサヨク根性は未だ抜けきれず、〝外山界隈〟に入り浸ると同時に、首都圏の、いまどき〝ノンセクト・ラジカル〟を称するヘサヨ(=ポリコレ派)界隈にも熱心に参加しているという、中途半端な立ち位置にあった。Tはそもそもエサマン界隈とは何の関係もなく、主に東京で活動し、たまたま名古屋に遊びに来ていた時に、自称室伏良平容疑者の主導でおこなわれたビラまきに飛び入り的に参加していただけの人である。矢部にすれば、ファシストなんぞ自称している〝外山エピゴーネン〟にしか見えないであろう自称室伏良平容疑者などどーでもよく、またエサマン界隈の箸にも棒にもかからんようなポンコツ活動家どももどーでもよく、狙いは、半ば正統派左翼(ヘサヨ)でもあるTただ1人であろうことは、不倶戴天の敵としての矢部の一番の理解者たる私には、手にとるように分かる。
この逮捕事件における私の関わりは、一貫して、救援活動への矢部の介入を阻止することのみを目標としてのものとなった。「なりゆき救援会」と「自称救援会」がSNS上などで互いを非難し、救援運動内部の対立を対外的にことさらにアピールし始めようとするので、そーゆー矢部がいかにも喜びそうな状況を作るな、と両者の仲裁にひたすら務めた。私がエサマンと縁を切るのはもう少し後の時期で、この時点では、エサマンとも直接やりとりをしていたのである。2020年から21年にかけて、東浩紀と津田大介のケンカを仲裁し、「なりゆき救援会」と「自称救援会」のケンカを仲裁し、日本を代表する過激派の名をほしいままにしている私が、ひたすら他人のケンカの仲裁ばかりしているという、まっこと不本意な状況だった。
私の謀略(?)は功を奏し、不肖の教え子、忘恩の徒・ヒミコも含む矢部派は救援活動に一切関与できず、イライラを募らせて、「なりゆき救援会」と「自称救援会」の双方への遠吠え的な非難をSNS上などで繰り返すだけの、ざまーみろ的な末路をたどった。私の関わりはその程度のもので、そもそも私は、どんなに長くても判決までの約3ヶ月でシャバに戻れるのは確実なショボイ容疑なんだし(実際には約1ヶ月で保釈)、そこまで手厚い救援が必要な事案でもあるまいにとタカをくくっていたところもある。
ところが、矢部派は後景に退きつつも、残る3派による対立・抗争は、矢部派の策謀を粉砕したことで私が満足して救援への少々の関わりから手を引いた後に、むしろエスカレートしていったのである。「ん? 3派?」と思うはずだ。矢部派の他には「なりゆき救援会」と「自称救援会」の2派しかないはずでしょ、と。
実は私もまったく関知していなかったことなのである。「なりゆき救援会」と「自称救援会」の他にもう1つ、首都圏のヘサヨ連中、つまりTが日常的に入り浸っている自称〝ノンセクト・ラジカル〟界隈の連中が、独自に救援グループを立ち上げていたのだ。自称ノンセクトのくせに党派のように陰でコソコソ動き回り、「なりゆき救援会」や「自称救援会」に対して、自分たちの存在は秘匿するように箝口令を敷いており、だから双方への薄い関わりしか持っていなかった私の耳にも、まさかもう1つ救援グループが存在しているという話は入っていなかった。
とにかく、ウンザリするようなドロドロの話である。こうやって表層部分をざっと説明しているだけで私はすでにだいぶ疲れている。
しかし、救援をめぐるこのテのドロドロした話は、実は逮捕事件が起きるたびに、運動界隈では毎度のことなのだ。ほとんどのケースにおいて、そういう鬱陶しい話は対外的に秘匿される。秘匿してるつもりはないのかもしれないが、説明するだけでウンザリする話だし、当事者たちも思い出したくもなく、たまに身内どうしで愚痴り合ったりするだけで、ウヤムヤにされてしまうのである。
そういうウンザリするようなメンドくさい、鬱陶しい話を、400ページを超える詳細な報告書にまとめた「自称救援会」の営為は、したがってムチャクチャ偉大である。ほんとは今回の外山賞は『自称・救援ノート』に授与、で決まりみたいなものなんだが、すでに自称室伏良平容疑者には過去に外山賞を授与しているし、その界隈のあれこれが、以後も繰り返し外山賞候補にノミネートされてきた。ここでまた『自称・救援ノート』に授与したりすると、いよいよ〝身内ボメ〟として不当な批判を浴びそうだし(だって自称室伏良平容疑者の界隈以外に、何も重要なことが起きない状況が続いているんだから、批判は不当なのだ)、仕方なく他から選ぶことにする。
なお、詳細きわまる『自称・救援ノート』で改めて騒動の経緯を再確認して、気づいたことがある。これを編纂した「自称救援会」の面々も気づいていないようなのだが、騒動の元凶、事態をややこしくしていった一番の悪は、エサマンではない。つまり「自称救援会」の面々はエサマンを元凶だと見なしており、『自称・救援ノート』にも〝エサマン憎し〟の怨念が立ちこめているのだが、「自称救援会」寄りのスタンスで薄い関わりをしたにすぎず、したがってちょっと距離を置いて状況を眺めていた私には、どうやら違うぞ、と分かる。エサマンはたしかにろくでもないし、現場でディープに救援に関わっていた面々からすれば、〝とにかくエサマンが問題だ!〟という気分になるのももちろん無理はないとも思うのだが、本当に問題なのは、陰でコソコソ動き回り、名古屋で何が起きているのか全然分かってないくせに勝手な憶測で「自称救援会」を中傷する悪質なデマをバラまきまくり、何の役にも立ってないくせにただただ現場を混乱させてばかりの、首都圏のヘサヨ救援会(とその周辺)の連中である。
私はこのもう1つの悪質な連中の存在には気づいていなかったから、矢部派の介入を阻止することには成功し、したがって可愛い教え子たるTが矢部派に取り込まれてしまうことは阻止しえたものの、Tがこのヘサヨ救援会(とその周辺)がまき散らすデマに乗せられ、「自称救援会」と対立してしまうことは阻止しえなかった。Tは現在では熱烈な反外山派と化しており、私への誹謗中傷をあちこちで繰り返す、許すまじき忘恩の徒と化してしまっている(これまで説明してきたとおり、私は救援活動に浅くしか関わっていないのだが、なぜか私がTに恨みを買う主要な1人となっている様子なのである)。正直云って私は、このTの一件を機に、最終的に左翼なるものを見限った。
せっかくだから、その〝見限りツイート〟を以下に掲げておこう。
ノミネート2 中川文人『黒ヘル戦記』
〝身内ボメ〟の類から先にさっさと片づけておこう。
『全共闘以後』第3章第6節で〝主役〟を張ったほどの偉大な活動家・中川文人氏の連作ハードボイルド小説集である。いかに読みごたえのある傑作であるか、noteの記事で長々と書いたので、詳細はそっちに譲る。
ノミネート3 松本哉の「全部に反対デモ」
数十年に1人レベルの天才活動家・松本哉がまた何かやったようである。2023年10月1日に、例によって高円寺界隈で敢行されたデモである。詳細はよく知らない。デモの規模も、それなりに盛り上がったのかどうかもよく知らない。よく知らないが、「全部に反対デモ」などという企画タイトルだけで外山賞ノミネートに値する、松本哉の秀逸なセンスは健在のようだと感心した。
ノミネート4 『トランスジェンダーになりたい少女たち』
外山恒一の本を出そうなどと検討してみたこともあるまい大手ポンコツFラン出版社といえども、稀にやるべきことをやる。
世界的に売れているらしい、アビゲイル・シュライアーという人の『取り返しのつかないダメージ 娘たちを誘惑するトランスジェンダーの流行』という本を、まずはポンコツFラン出版社・KADOKAWAが、『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』のタイトルで翻訳刊行しようとした。
内容は原題・邦題から容易に推測できるし、書きっぷりは読んでみないことには分からないにしても、主張の内容自体は極めて常識的なものであろうことも容易に推測できる。要するに、誰だって思春期には、性的に成熟していく自らの身体とそれに追いつかない自意識との齟齬に戸惑ったりするものだし、多くの人はやがてその戸惑いを脱却していくものなのに、近年、各国で増長しまくってる〝えるじーびーてぃー〟とかいう変態どもが、変態仲間を増やそうと思ってSNSとかで「キミもこっち側の人間なんだよ」と煽りまくるもんだから、単なる思春期の一時的な気の迷いでしかないような話がそれでは済まないようなマズいことになるケース、つまり早まって性転換手術的な身体改造に踏み込んでしまうガキどもが増えているのは由々しき事態ではないのかと問題提起しているのだろう。思春期を過ぎてだいぶ経っても性的アイデンティティがどうにも安定しないんだったら、真性の変態である可能性もあろうから、やりたきゃ性転換手術的な身体改造でも何でもやりゃあいいけれども、ありがちに悩んでるだけの思春期のガキどもに早まった判断をさせんじゃねーよ、と。
私も昔から、変態は悪いことではないんだから、変態であることを理由に迫害されるようなことは(変態が変態としてのブをわきまえてさえいれば)あってはならないが、変態なんか少ないに越したことはないんだから、変態であることを妙に正当化するような言論は徹底的に弾圧すべきであると考えているので、まあ読んでみないことには最終的な判断はできないにしても、たぶん異論はない。
ポンコツFラン出版社・KADOKAWAは、2023年12月3日、同書を24年1月に刊行することをアナウンスし始めたが、しょせんポンコツFラン出版社なので、増長した変態どもにちょっと抗議されただけで、たった2日で発売中止を決めた。
しかし同じくポンコツFラン出版社の産経新聞出版が、24年4月、これを『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』の邦題で刊行し、たぶん今かなり売れているところである。ポンコツFラン出版社の産経新聞出版のことだから、単にサヨクがイヤがる本を出してやろうという極めて低いココロザシで刊行したのに違いないが、動機に自由あれ、ココロザシは低くとも刊行されるべきものを刊行したという事実は称賛に値するので、不本意ながら称賛しておく。
ノミネート5 佐藤悟志の平和教育粉砕活動
私と同じく本来は〝文筆の人〟であり、80年代末以来、広く読まれるべき重要な政治論文を大量に発表してきた佐藤悟志の単著が、2024年にもなってまだ1冊も刊行されていないこと自体が、日本の出版界のポンコツFランぶりを端的に証明している。
文章が広く読まれていないためもあって、近年では、佐藤悟志は〝トンデモ・プラカード〟のキワモノ活動家みたいな扱いで一般には知られている。佐藤悟志の名前を知らない人でも、金正恩を挑発する「水爆上等 撃ってこい豚! 核戦争には慣れている」だの、私は経緯をよく知らないけれども最高裁が〝えるじーびーてぃー〟の変態どもをますます増長させる判決を出したことを批判しているらしい「キンタマキラキラ最高裁」だの、佐藤が自作しあちこちの公道で掲げているプラカードを、SNSなどで目にしたことのある人は多いはずだ。ちょっと複雑なことは理解できないポンコツFラン左翼の皆さんは、すでに長らく佐藤を〝レイシスト〟扱いしており、道端で佐藤を見かけると〝見ろ、レイシストってのはこんなにキチガイなんだぞ!〟とSNSに写真を上げまくるので、佐藤の少なくとも行動はどんどん有名になっていく一方なのである。もちろん、そうやって敵に自分の活動を宣伝させるというのが佐藤の作戦である。
他のところでも解説したことがあるが、例えばくだんの「核戦争には慣れている」という〝トンデモ・フレーズ〟は、実はよく考え抜かれたもので、〝戦争でヒドい目に遭った〟という被害者意識からしか展開されてこなかった68年以前の日本の反戦運動への絓秀実の批判を踏まえた、被爆体験を被害者意識から語らない、というスタンスの表明だったりする。佐藤を〝トンデモ〟扱いするポンコツFラン左翼の皆さんよりも、佐藤のほうが圧倒的に知的なのである。
感心したのは、佐藤が開陳してくれた、〝北朝鮮を体制崩壊させる簡単な方法〟のアイデアだ。岸田首相が記者会見を開き、北朝鮮に対して、「撃てるもんなら撃ってみろ」と云うだけでいい、と。それで撃ってこなければ、「なんだ、やっぱり本気じゃなく単なる脅しだったのか」となって以後はいわゆる〝瀬戸際外交〟が通用しなくなり、それによって世界中の強国から譲歩を引き出してきたことで保たれていた〝偉大なる首領様〟の権威も地に墜ちて、いよいよクーデタとか始まるだろう。逆にもし撃ってきたら、それこそ世界中が北朝鮮への武力攻撃に踏み切り、もちろんあっというまに体制崩壊させられてしまうはずだ。記者会見を開くだけでいいんだから、軍備を増強する必要もなく、つまりほとんど税金も使わずに済む。ただ1点、もし撃ってきた場合は数万、数十万の死者が出るわけだが、それさえ覚悟すれば、北朝鮮の体制など簡単に崩壊に追い込めるのだ、と。
佐藤はたぶん本気で云っている。佐藤は〝レイシスト〟とかではなく、実は単に、〝人権のためには戦争も辞さず〟という〝過激な人権派〟なのである。いわばアメリカのネオコンの、もっと過激なバージョンである。人民を抑圧する悪い政府は世界中に存在しており、たとえ何千万という戦死者を出そうとも、それらを打倒するのが先進諸国の務めであると佐藤は考えている。金正恩体制など打倒すべきであるに決まっており、北朝鮮人民を圧制から救うために日本人が何十万人犠牲になってもかまわないと考えている佐藤が、〝レイシスト〟であるはずもない。
もちろん私は佐藤の立場に賛同しているわけではない。〝一億玉砕〟とかイキってたくせに、欧米列強との戦いに中華様や朝鮮や琉球などを巻き込むだけ巻き込んで多大な犠牲を払わせて、いざ本土決戦が迫るとまだ米兵が1人たりとも上陸してこないうちに白旗を上げて降参し、それどころか、占領されると〝鬼畜〟であったはずの敵兵たちのために〝大和撫子〟を狩り集めて〝慰安所〟を作ってさしあげるという、恥も外聞もプライドも何もないポンコツFランの劣等民族に、北朝鮮の人民を救うために犠牲となることを覚悟する、なんてことは絶対に不可能だ。ポンコツFランの日本民族にそんなことを期待するより、橋下とか小池とか進次郎を首相にし、調子に乗らせてイキりまくらせ、何の覚悟もなく北朝鮮を挑発してもらって、そんなつもりじゃなかったのに核を撃ち込まれる可能性のほうがよっぽど期待できる。
でもまあ、ポンコツFランのヘサヨやパヨク連中に〝レイシスト〟扱いされようが、金正恩体制打倒のためにやるべき(だと佐藤が考える)ことをやり続けるという佐藤の覚悟に、各方面になるべくいい顔をして常にほどほどには人気者でありたいという邪念を捨てることのできない私は、頭の下がる思いである。
で、本題である。
佐藤悟志は2023年5月の広島サミットに際して現地入りし、例によって「水爆上等」のプラカードを各所で掲げてまわった。たしか「撃ってこい豚!」の「豚」のところはプーチンの顔写真か何かに置き換えられ、つまり金正恩ではなくプーチンに宛てた挑発になっていたはずである。佐藤は、私の周囲では数少ないウクライナ派であり、〝ロシアの核にビビってんじゃねーよ(ちゃんとウクライナを支援しろよ)〟というサミット参加諸国首脳への〝叱咤激励〟的な文言である。〝核戦争など恐るるに足らず〟の意味で、「広島は復興した!」というプラカードも掲げられてたように思う。アメリカ様のダブル・スタンダードを揶揄する、まあ佐藤は私より英語ができないので文法的にはムチャクチャなんだが英文の、「ナチスが核を持ってなかったからユダヤ人を助けたの?」というプラカードもなかなかの傑作だった。
せっかく東京からはるばる広島くんだりまで遠征したついでに、佐藤は福岡の私のところまで訪ねてきた。できれば長崎の平和公園とかでも「水爆上等」のプラカードを掲げて、プロパガンダ用の記念写真を撮りたいんだと云うので、長崎まで車でお送りした。
とりあえず送るだけ送って、私は疲れて車で寝ていたので現場には立ち会っていないんだが、あとで聞いた話、とんでもない展開が起きたようだ。当初は、〝平和の聖地〟でそんな物騒なプラカードを掲げて、平和を愛する善良な人民が本性を現して佐藤に襲いかかったりした時には、無関係な通行人を装って〝まあまあ、まあまあ〟と割って入らなきゃなるまいと緊張していたんだが、佐藤が平和公園に通じる階段を登っていったのは朝8時とかで、こんな朝っぱらから人もそういないだろうと気が緩んで、放ったらかしてしまったのが悔やまれる。
行ってみると、平和公園はすでに修学旅行の中学生でいっぱいだったらしい。つまり陸軍と海軍のそれを模した制服を着せられた少年少女たちが、軍隊式に整列させられた上で、学級委員か何かが、ニッキョーソの教師に読めと命じられた〝平和の誓い〟だか何だかの凡庸な定型文を棒読みしたりしているそのすぐそばを、佐藤悟志がウロチョロし、「水爆上等」とか大書したプラカードを掲げ、ポーズを決めて記念写真を撮ったりしているのである。すでにその段階で、中学生たちはそっちが気になって仕方がなく、ソワソワしている。一連の儀式が終わって自由行動の時間になると、もう止まらない。中学生たちは佐藤のもとに殺到し、大騒ぎし始める。もちろんこの傍若無人な〝平和の敵〟を懲らしめるためではない。学校教育による洗脳のまだ半ばにある中学生たちが、〝戦後平和主義〟のくだらないイデオロギーをすでに内面化しているはずもないのであって、佐藤のプラカードのキテレツな文言に刺激されて、ただ動物的に発情しているのである。
とくに「横田めぐみさんは性奴隷だ!」の文言に対する男子中学生たちの発情ぶりはすさまじいものだったという。文言の真意は云うまでもなく、〝従軍慰安婦をどうこう云うんなら、向こうで誰かと〝結婚〟させられるために拉致された日本人女性たちのことも問題にしろよクズ左翼ども!〟ということである。だがこれまた云うまでもなく、男子中学生たちは「性奴隷」の3文字に脊髄反射的にコーフンしているだけである。
中学生たちはワケわからん〝平和祈念像〟なんぞには見向きもせず、佐藤悟志とそのプラカードを背景に記念写真を撮りまくっていたそうだ。
〝平和教育〟台無し!
もちろん〝忠臣蔵〟みたいに定型化された儀式的・欺瞞的・無意味的〝ヘーワ教育〟など徹底的に蹂躙され、粉砕されるべきなのである。ぜひとも佐藤悟志には今後も定期的に長崎入りし、平和公園に出没する謎の〝水爆おじさん〟として、全国から訪れる修学旅行の中学生たちの間で伝説化してもらいたいものである。
なお、最近の佐藤悟志は日常的には、東京・新宿の〝トー横〟に週1ペースで「キンタマキラキラ最高裁」などのプラカードを掲げて立っており、案の定、年端もいかない〝トー横キッズ〟たちの間で名物おじさんとしてそれなりに人気者になっているらしい。佐藤はかつて反天皇制の闘士であり、今はなき〝原宿ホコ天〟を舞台に反天皇制グループ「秋の嵐」の一員として果敢な闘争を繰り広げたという人でもあるのだが、たしかに当時の〝原宿ホコ天〟みたいな場所として機能しているのが今は〝トー横〟なのかもしれず、三つ子の魂百までというか、引き続き佐藤は、ヘサヨやパヨクとは一線を画す我ら〝ドブネズミ〟派の生き残りであり、代表格の1人なんだよなあとの思いを強くする。プラカード1つで〝トー横キッズ〟たちの人気者になるなんて芸当は、ヘサヨやパヨクの連中には逆立ちしたって真似できまい。
ノミネート6 ドラマ『不適切にもほどがある!』
クドカンこと宮藤官九郎は、私が強烈に同世代性を感じる数少ない文化人の1人である。たぶん思い入れが強すぎて、かつ同世代でもサブカル方面に走った奴は政治的・思想的センスはゼロなので、必然的に愚作となってしまった映画版『69』(原作は云うまでもなく村上龍が、我々が高校生だった時分に我々の世代に向けて書いてくれた、自身の高校全共闘体験を回想した小説)をほぼ唯一の例外として、クドカン作品は総じて絶賛に値すると思う。東北の震災を背景とした『あまちゃん』で原発問題を回避したことに対して、たぶん批判的な向きも多いだろうとは思うが、サブカル方面の同世代が30、40にもなって遅まきながら原発問題に目覚めたりすると目も当てられない愚かしいことになるのは野間易通の例など挙げるまでもなく火を見るより明らかなので、私はむしろ、クドカンが原発問題を回避したことは、身の程を知った英断だったと考えている。
私が偏った方面に広げているアンテナには、つまりツイッターとかで私の目に入ってきた範囲では、今回のドラマにはヘサヨ方面からの非難の嵐が巻き起こっていたようだが、そんなのは限界集落ヘサヨ村の狭い世界の話で、世間的にはフツーに高評価だったと聞く。
ちなみに私はこのドラマをまだ観ていない。はるか昔に〝地デジ難民〟になって以来、私の家ではテレビを観られないし、超IT弱者なので、ネットでも観られたらしいが観る方法を調べる気も起こらない。ネットフ何とかみたいなのとも契約する気もないし、いまどきレンタル屋に足しげく通って、映画もそうだしドラマもDVD化されてレンタル屋に並んでから全巻借りて一気見するのが習慣である。なので今回のクドカン作品も、レンタル屋で借りて観られるようになる日を心待ちにしている。
観てなくても、設定を聞くだけで大傑作に違いないことは疑いようのないドラマである。まあ結末というか、落としどころがどうなるかについては一抹の不安がないでもないが、少なくとも結末に至るまでの物語の展開は面白いに決まっている。
タイムスリップものであるらしい。昭和の若者と現代の若者とが入れ替わり的にタイムスリップして、現代にやってきた昭和の若者はポリコレ監視社会にいきなりは順応できずに怒られまくり(〝不適切にもほどがある!〟ということだろう、たぶん)、昭和に飛ばされた現代の若者はそのあまりの未開社会ぶり、野蛮ぶりに恐怖するというストーリーのようだ、たぶん。
実は私はすでに2013年時点で、こんなツイートをしている。
ま、まさかパクリでは……とつい考えてしまうぐらいの符合ぶりである。しかし要は、マトモな感覚を維持していれば同世代なら誰でも抱いてしまうような感慨なのだろう。
ノミネート7 「つばさの党」の〝選挙妨害〟
最初にはっきりと云っておくが、私だってこんなもん表彰したくないのである。
そもそも「つばさの党」というのは、あのろくでもないNHKが何たら党の分派だし、つまり知れるお里が悪すぎる。とはいえ今回の行動に関しては手放しで……いやちょっとどこかに掴まってビクビクしつつ、絶賛せざるを得ない。とくに良識ぶった連中が非難の集中砲火を浴びせている状況を見ればなおさらのこと、誰かがホメてあげなきゃいけないじゃないかと義侠心を刺激される。
私が常々、「私のせいですみません」とホーボーに頭を下げて回っているとおり、NHKがどーの党を含め、マック何たらだの後藤カントカだの何とかクレイジー君だの、大きな選挙のたびにキテレツな、ウケ狙いなのに面白くも何ともないゴミカス泡沫候補が乱立するようになったのは、私が2007年の都知事選で、パンドラの函を開けてしまったからである。しかし同時に本音ではそんなに反省していないのは、私の大目標の1つはファシズム革命家として民主主義をテッテー的に蹂躙することであり、私の政見放送を突破口として選挙制度がここまでグチャグチャに破壊されてきたんであって、ざまーみろと思っているからである。
今回の、東京での衆院補選における「つばさの党」の諸君の〝選挙妨害〟も、私が2012年の衆院選に際して敢行した「原発推進派懲罰遠征」をヒントにしているであろうことは、まず間違いない。〝合法的な選挙妨害〟というトリッキーな方法を、NHKがどーたら党ごときに結集してしまうような連中が独力で思いつくはずがないし(こっちも立候補すればもっと豪快に〝妨害〟しうるというアイデアも、私はとっくに提示している)、そもそも私が何年か前にNHKがうんたら党からの出馬を打診されて即座に断った時に、その打診をしてきたのは、今はくだんの「つばさの党」代表になってる黒川ナントカ氏であり、つまり彼らはだいぶ以前から私の活動を意識しているのだ。
私が2012年から数年間にわたって展開した、さまざまの〝合法的選挙妨害〟の試みは、べつにその都度の攻撃対象を落選させるとかを目指したものではなく、〝こういうやり方もありますよ〟という戦術アイデアを、マジメではあるんだろうが発想が貧困な左右の活動家諸君に提示するためのものである。ところが、マジメではあるんだろうが単に発想が貧困なだけではなくどうやらアタマも悪いらしい左右の活動家諸君は、相変わらず私を〝キワモノ〟扱いするばかりで、せっかく親切に提示してやってる斬新な戦術アイデアを模倣してみようともしない。参照してくれるのは、今回の「つばさの党」の諸君のような、ちょっと困った人たちばかりなのである。
でもまあ、いい。活動家に何よりも必要とされる資質は、ある種の軽卒さである。主観的なマジメさ以外に見るべきところのない左右のポンコツ活動家連中よりも、〝そうか、外山恒一みたいにやればいいのか!〟と軽率に実践に踏み出してしまう、ちょっと困った人たちのほうが活動家としてよっぽど見込みがある。
今回とくに良かったのは、〝見境がない〟ところである。私の周囲には立憲民主党の支持者もいるし、国民民主党の支持者もいるし、維新の支持者すらいるんだが、今回の「つばさの党」の諸君の〝暴挙〟には、みんな激怒していた。つまり彼らは、誰かれ構わず攻撃しまくっていたということだ。須藤元気陣営にだけはチョッカイを出さなかったらしいが、それは須藤氏が格闘家でオソロシイからではなく、たぶん須藤氏も「つばさの党」の諸君と同様に〝反ワクチン派〟だからだろうから、納得できる(つまり彼らの行動にも彼らなりの、最低限の主義主張というか、政治的・思想的なスジ、節操はあるわけだ)。
聞くところによれば、「つばさの党」による〝妨害〟対策に各陣営はオオワラワとなり、党幹部クラスの有名人が応援演説に駆けつけたりすれば格好の標的にされてしまうというので、そうした演説日程を公開しないように箝口令を敷いて、せっかくの有名弁士の登場を無意味化させてしまうという痛快な事態にまで至ったらしい。
「つばさの党」の諸君に非難を浴びせている連中は、「民主主義の根幹が脅かされる」だの「各候補者の主張を聞く有権者の権利が奪われた」などと喚き散らしているが、民主主義なんぞどんどん脅かされるべきであるというファシストとしての主張は脇に措いても、日本のポンコツFラン選挙運動で、「各候補者」がそもそも「主張」なんかしてんのか、という話である。日本のポンコツFラン選挙運動なんぞ、ニコニコ笑って手を振って名前を連呼して、どーでもいい定型のキレイゴトの無難さを競い合ってるだけで、「有権者」を相手に本気で自分の政治的主張を説得的に浸透させようとする政治家なんかいないし、いたとしてもそういうちゃんとした人に限って当選しないシステムになってるじゃないか。諸外国の選挙制度は、「ポデモス」だの「五つ星運動」だの「海賊党」だの、あるいはネオナチ的のナントカ党だの、新勢力が国政に颯爽と登場しうるような設計になっているようだが、日本の選挙制度ではそんなことは絶対に起こらないようになっている。そんなもん、たとえ民主主義者であっても、そんなダメダメな制度に乗っかって〝改革〟なんか目指すのではなく、まず徹底的な破壊をこそ志向するべきだろう。制度に乗っかるとしても、制度が想定していない〝ジャック〟なり〝ハック〟なり〝ファック〟なりが正しいのだ。
日本を代表する某Fラン国営メディアでは、憲法学が専門であるらしいFラン学者が「お互いに意見を交換し議論するという意味で、街頭演説は民主主義にとって極めて重要な活動」とか云って、それを妨害するものだと「つばさの党」の諸君を誹謗中傷していたようだが、そもそも日本の選挙で「お互いに意見を交換し議論する」なんてことがおこなわれてるんですかー?
〝妨害〟に現われた「つばさの党」の面々と押し問答になった運動員が、勢い余ってか〝転び公妨〟的にわざとか、コケてしまったという程度のことで、「命の危険を感じた」とか実にくだらんことを云ってる大政党の候補者もいたようだし、超ベストセラー作家で超セレブのタレント候補・乙武クンも、世間的には無名の有象無象にすぎないはずの「つばさの党」の面々による〝暴挙〟には手も足も出なかったか(尊敬する吉本隆明先生が、盲目の論敵・黒田寛一を〝思想的メクラ〟と罵倒した故事に倣っています)、「法改正が必要だ」とか反革命言説を撒き散らし始めるし、まあそもそも各メディアで大騒ぎになっているので、今後こういうことができないよう、もはや日本では選挙でしか保障されていない〝言論の自由〟も、いよいよ制限され始めることになるかもしれない。マジメだけが取り柄の左右の無能な活動家連中が同じことをやったのであれば、法改悪阻止の声も高まっただろうが、なんせ「つばさの党」なんで(乙武クンの下半身スキャンダルとか、どーでもいーだろ、とそりゃ私も思う)、挙国一致で法改悪は実現されていく流れになるだろう。
余計なことしやがって、という気もしないでもないが、まあしょうがない。軽率なことをやって、要らぬ弾圧を招いてしまうのも、政治運動ではよくあることである。今回のような〝選挙妨害〟が不可能になったら、また別の新しい手を考えればいい。軽率であり、かつ、へこたれないことが大事なのだ。
私の活動の劣化コピーだし上から目線で、とにかく、ホメてつかわす。
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第十四回外山恒一賞
桐島聡
理由
理由なんか説明する必要はなかろう。
少なくとも今世紀に入って以来、そして少なくともとくに日本国内のものとしては、ズバ抜けて最も明るいニュースだった。
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