1988年の反原発運動・全史(その5)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その4」から続く〉
 「前篇・反原発ニューウェーブ」はこれで終わり、
 「後篇・札幌ほっけの会」に続く。
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 単行本版『全共闘以後』の「第3章・第3節 反原発ニューウェーブと札幌ほっけの会」(原稿用紙換算42枚分)にあたる部分の〝オリジナル全長版〟(原稿用紙換算約290枚分)である。
 紙版『人民の敵』第3839号に掲載された。
 単行本版ですでに読んだという諸君も、あんなに面白い話だったのに、本当はもっと面白い話だったのかと衝撃を受けるはずだ。

 第5部は原稿用紙換算17枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその6枚分も含む。

     ※          ※          ※

 小原ら一行は、行動の日を二月二十九日に設定し、東京へ乗り込む。
 前日の二十八日には社会党本部でもある永田町の「社会文化会館」での、高松の一連の闘争の報告集会がおこなわれる。共産党は相変わらず、反原発派を〝非科学的〟、〝ニセ左翼暴力集団が主導している〟、〝トロツキストの運動〟などと盛んに攻撃し続けていたが、土井社会党は、急速に〝反原発〟のスタンスへと移行しつつあった。
 集会には九百名が集まったが、ちろりん村の大西は、「二月二八日は失敗だったと思う。それを小原さんはあっさりとこれが私達の力量ですと臆面もなく認めてしまうところが素晴らしいと思った」と書いている。〝屋内集会〟ではテンションが上がらなかった、ということだろう。もっとも、〝本番〟は翌二十九日の通産省前行動である。
 二十九日にはまず、日比谷公園で集会がおこなわれ、通産省へと〝無届デモ〟で移動し始めたようだ。参加者は五百名ほどだったという。

 これがまた、ものすごいデモでさ。ヒッピーが多いんだけど、彼らはシャンシャカ、シャンシャカと鳴りものを鳴らして、ハレ・クリシュナみたいに踊りながら歩いてるんだ。途中に何かの企業のビルの前に岩みたいなオブジェがあって、ヒッピーの一人がその上に登って、てっぺんに立って、手でみんなを囃して、その岩の周りを他のヒッピーたちがやっぱりシャンシャカやってる。ガードマンが出てきて「やめてください」って懇願するんだけど、云うこと聞かなくてさ(笑)。さらにまたワーッと流れていって、今度は数寄屋橋の、赤尾敏(引用者註.右翼の「大日本愛国党」総裁。数寄屋橋交差点でほぼ毎日、ステッキを振り回しながら吠えるような街頭演説をする姿は、銀座の風物詩と化していた。九〇年死去)がいつも演説してるスクランブル交差点があるでしょ、あそこに出たの。信号が青になると、そのヒッピー連中がスクランブル交差点の真ん中までワーッと出て行って、シャンシャカと踊りまくって、赤に変わるとまたワーッと歩道に戻ってくる(笑)。それを延々と繰り返すんだよ(笑)。その様子を、赤尾敏が街宣車の上で杖をついてジーッと見てるの。
                        (鹿島インタビュー)

 そんなふうに道草ばかり食っているので、なかなか通産省に到着しないのだが、それでもやがて到着することにはなる。通産省も署名を受け取る気はなく、門は固く閉ざされ、小原らはまたしても通産省前の路上でただ騒ぎ続けるしかない。
 驚くべきことに、この日の行動にも参加した鹿島は、法大の仲間数名と共に、裏口から通産省の建物内へと〝侵入〟している。

 門の前でずっと騒いでるんだけど、門は開かないだろうし、どうしようもないし、これはこのまま何の展開もなく終わるしかないかな、と思ってた。法政の人間も何人か来てたんだけど、「裏に回れば入れないことはないようだし、ちょっと入ってみないか?」って云い出す奴がいて、試しに行ってみたら、入れちゃったの。さらに表側に面したロビーまで行けるかなと思って試しに行ってみたら、それも行けちゃった。そしたら、表側は全面ガラスなんだけど、その向こうにものすごい数の群衆の姿が見えてて、それがドンドコ、ドンドコと太鼓やなんかを打ち鳴らしてて、ものすごい音でグワングワンとロビーに反響してるんだ(笑)。ロビーには機動隊が1小隊いて、他に原子力関係の役人が何人かいたけど、みんな茫然自失の表情で、ほとんど身動きもできずに棒立ちになってその様子を見てる(笑)。ついにオレたちはここまでやってるんだと思った。ガラスも割れちゃうんじゃないかと思ったよ。
 その役人たちの中に、フクシマだかフクイだかっていう見覚えのある奴が混じってて、そいつは通産省の原子力ナントカ部の部長なんだ。前年の秋の反原発運動で、何度も交渉をもった相手なの。東京の反原発運動って地味だったから、そういう交渉も終始おとなしくやるだけなんだけど、そいつは全然マトモに相手をしてくれなくて、「いやいや、安全ですから」とか云ってたような奴で、そいつがオレの目の前で真っ青になってる(笑)。で、他の奴に「アンタが話し合いを拒否したんだから、アンタが責任を取れ。この連中と話し合いをすればいいじゃないか」とか云われてる。そいつは、「そんなこと云ったって、こっち側が出した条件を蹴ったのはあいつらのほうじゃないか!」って、もうすっかり声も上擦ってるわけよ。
 (略)
 「あいつらが条件を蹴ったんだ」というのはどういう意味かというと、たしかに通産省側はこの日の交渉について条件を出してきたんだ。交渉に応じてもいいけど、「30人に限る」って。さらに「子供はダメ、ゼッケンもダメ」って云ってきてて、我々の側はもちろん「そんなのは受け入れられない。我々には〝代表〟なんか存在しないんだから、全員で行って全員で交渉するんだ」っていう、そういうところがやっぱり小原一派の〝新しさ〟だったんだよ。〝子供〟や〝ゼッケン〟も含めて〝我々〟なんだ、っていうところもさ(笑)。

 ほんの三分間ほどで鹿島らはガードマンに発見されて建物から追い出されるが、〝不法侵入〟などで逮捕されたりはしていない。

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