反共ファシストによるマルクス主義入門・その7

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

  「その6」から続く〉
  〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2014年夏から毎年、学生の長期休暇に合わせて福岡で開催している10日間合宿(初期は1週間合宿)のためのテキストとして2016年夏に執筆し、紙版『人民の敵』第23号から第26号にかけて掲載したものである。
 ともかく、これさえ読んでおけば(古典的)マルクス主義については大体のことは押さえられるという、我ながら良い入門書ではある。

 性質上、他人の本からの引用部分も多いのだが、面倒なのでそういった部分も含めて、これまでどおり機械的に「400字詰め原稿用紙1枚分10円」で料金設定する。とにかく“これだけで大抵のことは分かる”素晴らしい内容なんだから、許せ。
 第7部は原稿用紙17枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読める。ただし料金設定にはその6枚分も含む。

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   11.近代の序曲

 世界史の教科書の構成はたいてい、まずアウストラロピテクスだピテカントロプスだネアンデルタール人だクロマニヨン人だ北京原人だジャワ原人だの“原始時代”が最初にあって、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明の“四大文明”の説明があり、次にギリシア・ローマと中国の隋・唐あたりの「古代史」、さらに進んで中世ヨーロッパ、イスラム圏の展開、インドの諸王朝の興亡、中国の宋や元……とここまでは各地域バラバラに(「十字軍」や「シルクロード」といった“例外的”な“越境”エピソードも少しはあるものの)、あっちへ行ったりこっちへ行ったりの“つまみ食い”的な記述に終始するが、やがて「近世の始まり」とか「近代への序曲」と題された章に突入するや、ヨーロッパが急速に発展し、世界中を荒らし回り、それまで各地バラバラに展開していた歴史が一気に結びついて連動し始め、ようやく“世界史”という感じがしてくるようなものになっている(ただし近年では、各地域バラバラに展開していた“地域史”を結びつけ、“世界史”を発動させたのはチンギス・ハンのモンゴル帝国だとする説が有力になり、教科書の記述も変化しつつあると思われる。が、ここでは措いておく。関心のある者には岡田英弘『世界史の誕生』92年・ちくま文庫を勧める)。

 「中世」と、フランス革命によって全面的に成立する「近代」との過渡期のような時代、「近代」への準備期間・助走期間のようなこの時代は、“近世”と呼ばれたりする(日本史でも、西洋史の区分を援用して、平安時代までを「古代」、平安末期の平氏政権時代あるいは鎌倉時代からを「中世」、そしてもちろん明治維新以後を「近代」とするのがオーソドックスな考え方であり、織田・豊臣から江戸時代にかけてを西洋の“近世”に対応させることもまたオーソドックスなものである。が、これもここでは措いておく)。そして「中世」から「近代」への過渡期たる“近世”の記述を「ルネサンス」から始めるのもまた世界史教科書のセオリーである。

 「ルネサンス」は、14世紀から16世紀にかけて、ヨーロッパ各地にさまざまの芸術が百花繚乱に咲き乱れたという現象である。たしかに華やかではあるかもしれないが、しかしそんなことがなぜそれほど大事なのか?

 歴史教科書や用語集をしげしげと眺めていると気づくのだが、ヨーロッパ中世には“個人の”芸術作品や著作がまったくない。神学の著作だけが例外で、他は何も出てこないのである。「ニーベルンゲンの歌」などの叙事詩や「アーサー王物語」などの騎士道文学は、すべて“作者不詳(というより不在)”の伝承文学である。古代にはギリシアにもローマにも、ホメロスやサッフォーといった詩人、アリストファネスをはじめとする劇作家、キケロやセネカといった文筆家、ヘロドトスやタキトゥスなどの歴史学者やピタゴラスやアルキメデスやヒポクラテスなどの科学者や医学者、さらにはすでに述べたたくさんの「ソフィスト」ら哲学者など、掃いて捨てるほど芸術家・知識人・文化人が存在したのに、である。ヨーロッパ中世はまさに“文化不毛”の数百年で、“暗黒の……”と云いたくなるのも無理はない。

 これにはやはりキリスト教的な世界観が大きく関係しているようで、要するに無から何かを“創る”ような行為は、人間ではなく神の領域に属するものなのである。このあたりのことを、青木裕司というろくでもない左翼受験業者(河合塾福岡校の人気講師で、受験書籍のベストセラーである語学春秋社の“実況中継”シリーズの世界史担当。いかにろくでもない人物であるかについては外山のサイトにある「スターリン主義者はせめて厚化粧せよ」(後註.あるいは『全共闘以後』)を参照。ただ人格はともかく世界史の説明は上手いので、青木の“実況中継”シリーズは古本屋で入手して熟読することを勧める)は以下のように説明している。

 「ルネサンスにおけるヒューマニズムは何と訳されるか?」
 人文主義と訳します。もしくは人間中心主義という場合もあります。これは、物事を考える際の出発点に「人間」を持ってくるという発想だけれど、今日のわれわれから見たらごく当たり前のことですね。
 ところがこの発想は、14、15世紀のイタリアあるいはヨーロッパにとっては、非常に斬新なものだった。なぜならそれまでは「神」がすべての中心だったからです。
 (中略)
 そういうルネサンス時代に生きた人たちの理想的人間像は、「万能人」です。
 (中略)
 神の代わりに人間を持ってこようというわけだから、普通の人間ではダメなんだ。例えば単に世界史ができる顔の大きな人間だったら、中世カトリックの連中からバカにされるんです。「なんや、人間中心とはいっても、惨めなもんやのう」(笑)。
 そこでルネサンスの人たちは、ある意味では神にも匹敵できるような人間を理想に据えたんです。そして恐ろしいことに、当時、そういう人間がゴロゴロいた。代表はだれか? こりゃもうレオナルド゠ダ゠ヴィンチだろう。
 彼は芸術家であると同時にダンテの研究者としても随一で、ラテン語はペラペラできる。だから人文系の勉強でも最高です。そして同時に科学者、なおかつ彼は体力もすさまじかった。人間の身長ぐらいの高さだったら、助走なしで飛び越えたという。
 われわれも日常生活の中でときどき「天才」という言葉を使うけれど、せいぜい英数国理社のどれもできる人で、東大に通った人ぐらいのもんでしょう。ダ゠ヴィンチは違う。まず東大の文Ⅰにトップ合格する一方で東大の理Ⅲにもトップ合格、一方で東京芸大にトップ合格で、なおかつ日体大は特待生(笑)。これぐらいの能力がなければダメなんです。これをもって万能の天才というんです。
 (青木『世界史講義の実況中継』90年)

 それほど“神”の壁は厚かったのである。

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