外山恒一&藤村修の時事放談2016.06.02「“しばき隊リンチ事件”を語る」(その1)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 先日公開した対談(「しばき隊“闇のキャンディーズ事件”を語る」)と同様、古いもので、2016年6月2日におこなわれた対談のテープ起こしである。紙版『人民の敵』第21号に掲載された。
 藤村修氏は私と同い年で1970年生まれ。ファシストとなった現在でこそ“右方面の友人知人”もだいぶ増えたが、藤村氏は私がまだ“異端的極左活動家”だった頃からの、数少ない(他には東京の大石規雄氏ぐらい)そっち方面の友人で、しかも政治的・思想的な諸々に関して当時からなぜか、他の多くの左方面の友人たちを差しおいて“最も意見が合う同世代”だった。

 標題のとおり、この時期、しばき隊(正確にはその後身団体「クラック」)内で発生した“リンチ事件”がネット上(の一部)で騒がれていた。
 対談中でも述べられているように、事件そのものはさらに約1年半前の2014年12月に発生したものである。そのような事件が起きたことは対外的には伏せられていたのだが、これまた対談中で詳しく述べられているような経緯で、この2014年の4月末頃から表沙汰になり、もとからの(いわゆるネトウヨを多く含む)アンチしばき隊の人々、それまでしばき隊を支持していたのだが事件発覚を機に批判に回った人々、そして(しばき隊メンバーも含む)引き続きしばき隊を支持する人々が、論争というか罵倒合戦を繰り広げるに至った。
 外山と藤村氏のスタンスは、ざっくり云えば、まず第一に、くだんの事件は“リンチ事件”ではあるが政治的暴力と呼べるようなものではなく、要するに“単なるリンチ事件”にすぎないということ、第二に、したがって事件そのものを“政治的に”批判するのは無意味だが、しばき隊の面々の事後対応には悪しき政治性が満ち満ちており、それについては政治的に批判せざるを得ないということである。

 初期しばき隊の中心的メンバーの1人であるライターの清義明氏は、「ネット情報だけでよくもここまで事態を正確に……」と2人の情報収集能力およびネット・リテラシーに驚愕し、とくに藤村氏を「しばき隊評論のトップランナー」とまで絶賛、歴代の紙版『人民の敵』諸コンテンツ中でも屈指の名作対談である。

 なお対談中では正確に「クラック」の語が主に用いられているが、一般には「しばき隊」の名称のほうが浸透しているから、まず「もくじ」などでおおよその内容を把握したい人の存在を念頭に、小見出しには「しばき隊」の語を用いた。

 第1部は原稿用紙換算19枚分、うち冒頭9枚分は無料でも読めます(通常は冒頭無料部分は5、6枚としていますが、この対談では標題と関係ない話が冒頭でしばらく続くので、特別に長めに無料としました)。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその9枚分も含みます。

     ※     ※     ※

 それぞれの熊本地震体験

外山 家の前に見慣れない軽自動車が停まってたでしょ? 親がもう使わないと云うから譲ってもらった。40代も後半にさしかかろうっていうのに、親に車をプレゼントしてもらうという、情けない……(笑)。だけどこれでまあ、本来の体制に戻ったんだけどね。街宣車はあくまで“党の所有”で、ぼくが個人的に乗り回してるのは、前に乗ってた軽自動車が壊れたから、緊急措置でそうしてるんであって、それにこんな住宅街に街宣車を停めておくのも、近所の目が気になってたしさ。各地で飲み歩くために自転車を搭載する必要がある時には、引き続き街宣車を使わざるを得ないけど。

藤村 いきなりそんなふうに“近況”を語り出したってことは、ぼくもやっぱり“近況”を語った方がいいの?

外山 最近の出来事と云えば、熊本の地震でしょう(後註.2016年の対談である)。

藤村 そうそう、それで「阿蘇ロックフェスティバル」が中止になりましたからね。

外山 何それ?

藤村 「アスペクタ」っていう阿蘇の野外ステージがあって、そこで昔(87年)、日本初のオールナイトの野外ロック・フェスがおこなわれて……。

外山 あ、何か映画(『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987』佐藤輝監督・13年。野外フェス「BEAT CHILD」の記録映像を編集したドキュメンタリー)になったやつだっけ?

藤村 尾崎豊がドシャ降りの中で歌ったりして、伝説的なやつですよ(他にブルーハーツ、ストリート・スライダーズ、レッド・ウォーリアーズ、岡村靖幸、白井貴子、ボウイ、ハウンド・ドッグ、渡辺美里、佐野元春など、当時メジャーの第一線にいた錚々たる面々が出演)。
 それを記念する意味もあって、昨年から毎年開催の予定で始まったのが「阿蘇ロックフェスティバル」で、今年も先週の土曜(5月28日)にあるはずだったんだけど、それが地震で延期になった。“延期”といっても“来年に延期”なんで、事実上は“中止”なんだけどね。私もそれに行くつもりで、チケットも買い、往復のバスの切符も買ってたんです。

外山 さては「でんぱ組」(近年、アイドルの追っかけに身をやつしている藤村氏が現時点で“推し”ているグループ)が出演する予定だったんだな。

藤村 よく分かりましたね(笑)。……主催は泉谷しげるで、基本的にはロック系のイベントなんだけど、今回はあんまりオレが興味を持ってるミュージシャンも他にいなかったんですよ(出演が予定されていたのは、サンボマスター、ウルフルズ、スチャダラパー、電気グルーヴ、レキシ、ワニマ、サイプレス上野などであったようだ)。でもまあ、とにかく中止になって残念でした。

外山 そういう話もあるんだろうけど、もっと個人的なところでもいろいろあったじゃないですか。ぼくの“被災”は前号(紙版『人民の敵』第20号)でも触れてるし、ツイッターとかにも書いてるから今回は流すとして、藤村君も実家がかなり大変だったんでしょ? それで本震の翌日にココで開催した“平坂純一氏(新進の保守論客として、西部邁氏が事実上の主幹を務める雑誌『表現者』に連載中……後註.当時)を囲んで飲む会”にも参加できなかったじゃん。

藤村 そうだったね。あの時は、親が「帰ってきてほしい」って云うもんで、帰って手伝わざるを得なかった。

外山 実家の建物自体は無事だったんだっけ?

藤村 うん。

外山 中がグチャグチャに?

藤村 ほんとにグチャグチャだったな。家そのものは作りがしっかりしてたみたいで、それでも壁にヒビは入ってたし、庭にもヒビが入ってたけどね。

外山 “庭にヒビ”というのは、地割れってこと?

藤村 そうそう。だって家の前の道路は完全にボコッと、段差ができてたぐらいだもん。車も通行不能になってる。……震度7が2回連続だからね。実家に1泊したけど、その間にも震度5レベルのやつが3回ぐらい来て、あんまり眠れなかった。
 翌日、水を汲みにいくと、何人か並んでる人がいたんでお喋りしたんだけど、「もう片づけない」って云ってたよ(笑)。最初の地震でグチャグチャになったのをせっかく片づけたところに本震が来て、またグチャグチャになっちゃったから、少なくとも余震が続いてる間はもう片づけないって、みんな云ってた。

外山 後づけで“前震”ってことになった最初の地震の翌日、“本震”の数時間前に2軒、熊本の行きつけの店を飲み歩いたんだけど、どっちも片づけた上で営業してたからね。“前震”で棚のグラスとか全部落ちたり割れたりしたのをどうにか応急処置で片づけて店を開けたって云ってたのに、間違いなくどっちもまた台無しになっただろうしなあ。

藤村 とにかく熊本は地震についてはまったく警戒してなかったと思うよ。まさか熊本であんな大きな地震が起きるとは、夢にも思ってなかったのが普通だと思う。

外山 こっちもほんの何日か前、「我々団」総出で被災した熊本の秘密アジトを片づけに行ってきたとこです。

藤村 オレもあのアパートには行ったことあるけど、建物自体は壊れなかったの?

外山 うん。

藤村 1階が駐車場になってて、そこがボコッと潰れたような建物も何ヶ所かあったでしょ。あれは上の階に住んでた人、絶対に大ケガしてるはずだよね。寝てたら床が1階ぶん傾くようなもんなんだから、下手すると死んじゃうよなあ。怖いよ。……じゃあアジトは、棚にあったものが落ちてきたぐらいで済んだの?

外山 本棚と冷蔵庫ぐらいしかない部屋だけどね、本棚自体が全部倒れてた。“前震”ですでに全部倒れちゃってたのは“本震”の数時間前に1度部屋に入って確認してて、それがどうも今度は“本震”で部屋ごとシャッフルされて、いったん床に落ちたものがほとんど部屋じゅうに拡散されてた感じ。冷蔵庫は倒れてなかったけど、50センチ以上移動してた(笑)。

藤村 あそこは本をそんなに置いてたっけ?

外山 何年か前に藤村君が来た時はほんとに冷蔵庫以外ほとんど何もない部屋だったと思う。だけどあの後、ココにあった本を2、3百冊、向こうに移しててね。ココはもともと“革命家養成”のための私塾として開設したでしょ。塾生たちがあれこれ独学できるように、開設直後にさんざんブックオフ回りして、百円で大量の本を買い込んだ。その時に間違って重複して買った本がいっぱいあるんだよ。ココに2冊置いてても仕方ないから、そういうのを全部熊本に移したの。

藤村 間違って買った本が2、3百冊もあるの?(笑)

外山 興味を持った塾生が読めばいいって本で、ぼく自身は読む気もないような本に限って、要するに関心が薄いわけだから間違って2冊買っちゃう。宮台真司と誰かの対談本とか、フェミ系の本とか(笑)。

藤村 そうか……。とにかくウチの親なんかも余震を怖がってたよ。震度2とかであっても、揺れると反射的にビクッとするらしい。

外山 もう収まってるでしょ?

藤村 さすがに余震はほとんどないと思う。震源もどんどん動いていったよね、ナントカ構造線に沿って、東の方に。川内より次はむしろ伊方原発が心配だという話もあったぐらいで……。


 「パヨク」って何?

藤村 しかし5月1日にデモ(伊勢志摩サミットの関連で福岡県北九州市でおこなわれた“エネルギー担当大臣会合”に合わせ、東京の「右から考える脱原発ネットワーク」が主催し、藤村氏を福岡側の受け入れとして予定されていたデモが地震を承けて中止となり、しかしせっかくデモ申請もすでに通っていたので、急遽態勢を立て直して外山の主催でおこなった“反原発右派”デモ)をやったのは、もう1ヶ月も前の話だもんなあ。

外山 早いねえ。

藤村 あの時にカウンターをかけてきた、おそらく在特会関係の人が3人いたでしょ。そのうちの1人のツイッター・アカウント(@umechiuo)を在宅さん(藤村氏と共に「右から九電前抗議」を担っていた、福岡の“反原発右派”の主要な1人)が見つけ出したけど、すごいよね。そんなのどうやって見つけるのか、オレには全然分からん。

外山 それはエゴサーチの要領でしょう。ぼくも結構得意ですよ(笑)。……しかし律儀と云うか何と云うか、よくカウンターなんかかけてきたもんだよね。人数も少なかったし(主催者発表13人。正確!)、原発推進派に危機感を持たせるようなもんでもなかろうに(笑)。

藤村 しかも我々に対して「共産党!」とかヤジ飛ばしてた。何でやねん、と(笑)。共産党がどれほど大衆迎合路線にブレたって……。

外山 日の丸は掲げないよね(笑)。

藤村 そうそう。

外山 あれは分かっててわざと云ってるのか、ほんとにバカなのか、どっちなんだろう?

藤村 さらには、どうも「パヨク!」とも云ってたらしい。現場ではオレにはそれは聞こえなかったけど、どっちかと云うとそっちの方が屈辱だ(笑)。

外山 “パヨク”ってどういう意味だっけ?

ここから先は

4,005字

¥ 190

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?