世界最過激思想家・千坂恭二氏との対談2014.09.17「なぜファシズムを掲げなければならないのか」(もくじ)

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 日本最過激というよりもおそらく世界最過激の思想家・千坂恭二氏との対談である。紙版『人民の敵』では、世界に通用するごくごく少数の日本の革命的知識人の1人である絓秀実氏との対談(うちいくつかをすでに公開済み。「総合もくじ」参照)と共に、千坂氏との対談も何度か掲載しており、それらも順次公開していくつもりだが、これはその第1弾である。
 2014年9月17日に大阪でおこなわれ、紙版『人民の敵』創刊号に掲載された。
 千坂氏は1950年生まれで、全共闘運動の最年少世代(“68年”には高校全共闘とかをやっていた世代)に属する。全共闘運動では、上級生や院生さらには助手などの年長世代は、少し上の世代が共有していた社会主義的傾向を継承しており、下級生や浪人生・高校生など年少世代は、全共闘運動の過程で新たに生じてきたニヒリズム的傾向を色濃く持っていた、というのが千坂氏の“68年”論では強調されているが、千坂氏自身、まだ大半の全共闘活動家が主観的にはマルクス主義者のつもりでいた当時すでにアナキストを自称し、「アナキスト高校生連合」を組織したり、69年に結成された「アナキスト革命連合」に参加したりした。
 70年代初頭に、千坂氏は“最年少にして最過激の論客”として新左翼論壇に颯爽とデビューし、むろんアナキズムの論客として、およそ70年代いっぱいその活躍は続いたが、80年代に入ると同時にほとんど文章を公に発表しなくなり、以後約四半世紀、“隠遁生活”を続ける。そして07年頃から再び『情況』などの新左翼論壇誌にポツポツと新たな論考を発表し始めるのだが、かつての“過激なアナキズムの論客”は、復活してみると“ファシズム”を積極的に評価する立場を明らかにし(ファシストを自称してはいない)、往事の千坂氏を知る人々の度肝を抜いたのである。
 アナキスト時代の著作に『歴史からの黙示』(田畑書店・73年/2018年に航思社から“増補改訂新版”刊行)、絓氏に“アナルコ・ファシスト”と形容されるようになる“復活”後の著作に『思想としてのファシズム』(彩流社・15年)がある。もちろん外山編集の『デルクイ01』(彩流社・11年)、『デルクイ02』(同・13年)にも論考や座談会などでご登場いただいている。
 この(『デルクイ』等を除けば)初回対談では、話題があっちこっちに飛びまくるが、関西弁で速射砲のように喋りまくる“千坂節”を堪能いただきたい。

 前編(原稿用紙26枚分・冒頭10枚分は無料で読める)
 「○○大学アナキズム研究会」の増殖
 千坂氏主宰「思想研究会」
 外山の「教養強化合宿」
 新左翼運動史の入門書
 今や大学で“思想”は学べない
 よせばいいのに「ファシスト」を自称する意味
 トロツキーのスターリン主義、アナキストのファシズム

 後編(原稿用紙24枚分・冒頭11枚分は無料で読める)
 外山流ファシズム道の“秘技伝授”
 柄谷行人の“氏素性”
 “現代思想”は実はファシズムの可能性を云々している
 日本におけるナショナル・ボルシェビズム研究の不在
 天皇は君主ではなく現人神である
 行き過ぎて初めて道を極めることができる

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