絓秀実氏との対談(2017年9月12日)・その1

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 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 世界に出して恥ずかしくないごく数名の日本の知識人の1人である絓秀実氏との対談シリーズである。
 2017年9月12日におこなわれ、紙版『人民の敵』第35号に掲載された。
 話題は例によって多岐にわたる。
 ( )内は紙版『人民の敵』掲載時にもともとあった註、[ ]内は今回入れた註である。
 なお云うまでもなく、対談中で「前の天皇」とか「先帝陛下」とか云ってるのは昭和天皇のこと、「今の天皇」とか「今上帝」とか云ってるのは平成時代の天皇つまり現・上皇のことである。

 以下本文。
 第1部は原稿用紙換算29枚分、うち冒頭10枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその10枚分も含む。

     ※     ※     ※

 新左翼のメッキが剥がれてきた

外山 本(『良いテロリストのための教科書』青林堂・9月9日)は届きました?

 届きました。ありがとうございます。さっそく読みましたが、分かりやすいよね。オレは前の本(『青いムーブメント』彩流社・08年)のほうがいいと思うけど、今回の本は〝ネトウヨ向け〟って設定なんだから仕方がない。

外山 ネトウヨというか、初心者向けに書きました。

 うん、その割には新左翼運動の流れをかなりちゃんとまとめてあるし、筋がちゃんと通ってる。ああいう本だから多少の遺漏は仕方ないですが……。

外山 重要なポイントはなるべく拾ってるつもりです。例の、〝70年安保〟って呼称の問題(60年代末の学生運動の高揚を〝70年安保〟と呼ぶのは諸党派の感覚で、ノンセクトの感覚からはあくまでも〝全共闘運動〟である、という話)にまでちゃんと言及してますし(笑)。

 オレとしてはやっぱり、新左翼がなぜ、70年の「華青闘告発」以前は天皇制を問題にしえなかったのかという、そもそもの構造の問題について解明がちょっと足りないなと思うけど、初心者向けの本でそこまで説明するのもたしかに難しいでしょう。

外山 そこらへんは絓さんが一連の〝68年もの〟でさんざん書いてますよね。

 共産党は戦前から〝天皇制打倒〟を第一の目標に掲げていて、それは戦後も変わらなかったわけだ。その共産党から離反して新左翼が誕生するに際して、新左翼は、共産党の党派性に対抗するために、共産党が依拠する講座派の理論ではなく、戦前からそれと対立してた労農派(「天皇制打倒」を掲げろというソ連からの命令に、弾圧を招くと反発して共産党を離れた共産主義者たち)の理論を導入することになるわけです。端的には〝宇野経済学〟だよね。
 ともかく新左翼全体が労農派っぽい土壌の上に成立してて、それで天皇制を問題にすることもできなくなっちゃうんだけど、さらに云えば、新左翼というのは結局は〝社民〟(〝社民党〟ではなく〝社会民主主義〟の意。以下同)でしかなかったってことですよ(笑)。今のリベラル化した新左翼のダメさというのも、新左翼のそういう社民性……オレは〝戦後天皇制民主主義〟と呼んでるけど、それがいよいよ全面的に露呈してきたということだと思う。

外山 メッキが完全に剥がれちゃった、と。

 そうそう(笑)。で、外山君も書いてたとおり、華青闘告発を経て初めて新左翼は天皇制を問題にすることができるようになった。いわゆる〝天皇の戦争責任〟の問題ですね。

外山 華青闘告発によって〝日本人の加害者性〟が自覚される、と。

 それで新左翼も〝天皇制打倒〟を前面に掲げて、しばらくの間はそれでやってきたわけだけど、〝戦争責任〟という切り口では、先帝陛下[昭和天皇]がおられるうちはいいけれども……(笑)。

外山 今の天皇[明仁さん]に〝戦争責任〟を問うのはちょっと無理がある。

 今上帝はむしろ〝先の戦争〟について心を痛めてらっしゃるから(笑)、あれよあれよというまに新左翼だったはずの人たちまで次々と天皇に帰依してしまって……。


 共産党も天皇制に妥協

外山 共産党も『赤旗』で元号併記を始めたぐらいだし(昭和から平成に変わる時点でやめていたのを、今年[2017年]4月1日から28年ぶりに再開した)、すでにちょっと前から国会の開会式にも出席してたんでしょ?(開会式には天皇が臨席するので、戦後最初の1回を除いて共産党はずっとボイコットを続けていたが、昨年[2016年]1月4日から、69年ぶりに出席し始めた)

 〝野党共闘〟で浮き足立ってるんですよ。共産党との選挙協力に否定的な民進党員たちの云いぶんの1つに、「天皇制を否定する党とは組めない」というのがあるわけです。というか、彼らが共産党との協力を拒むに際して、それこそが最大の論拠になってると云ってもいいぐらいなんだ。

外山 なるほど、そうなのか。

 そういう事情もあって、共産党も譲歩してるという面もあるんでしょう。

外山 同時に、そもそも共産党自体が社民化してるからでもあるだろう、と。

 うん。

外山 しかし〝野党共闘〟に関して天皇制がネックになってるのは知りませんでした。

 少なくとも建前上はそうなってるはずです。共産党アレルギーの民進党員たちはそれを必ず云う。

外山 たしかに一番攻撃しやすいところですもんね。共産党もさすがに〝天皇制支持〟とまでは云えないし。

 あくまでも最終的には天皇制廃止を目指す、という部分は変えられない。せいぜい「それははるか未来の話です」とでもゴマカしとく以外にないんだもん(笑)。それでもオレは今や、メッキが剥げた新左翼=社民より共産党のほうを相対的には支持してるんだ。しかし共産党も〝野党共闘〟なんてチャチなことに色目を使わず……。

外山 〝たしかな野党〟を貫いてほしい、と(笑)。

 そうそう、〝たしかな野党〟の初心に帰って〝天皇制打倒〟を前面に掲げてほしい。そうしてくれればオレも入党も厭わない(笑)。


 三島由紀夫の〝天皇〟と新左翼の〝プロレタリア独裁〟

 ……そのこととも関連して、ちょっと外山君の意見も聞きたいんだけど、今書いてるちょっとした文章があるんです。こないだの本(『アナキスト民俗学 尊皇の官僚・柳田国男』木藤亮太氏との共著・筑摩選書・17年4月)の続きでもあって、要は〝ファシズム〟の問題です。具体的には〝三島と東大全共闘〟について書いてる。まず例の、有名な言葉がありますよね。

外山 「君たちが一言〝天皇〟と云ってくれれば喜んで手を結ぶ」っていう、三島由紀夫が東大全共闘に対して云った……(69年5月13日に東大の駒場祭で開催された三島と東大全共闘との討論集会での発言)。

 あの発言はわりと本気のものだと思うんですよ。

外山 ええ、ぼくもそう思います。

 三島の論理としてもそうなるはずなんだ。三島が戦前の天皇制を否定したことについては云うまでもないでしょう、戦前の昭和天皇は〝2・26〟の鎮圧を主導したんだからさ。しかし三島は同時に、戦後の天皇制も否定してるわけだ。三島ははっきりそう書いてるのに、三島を信奉する右翼はそのあたりを捉えきれてない。
 で、もう1つ重要なのは、「文化防衛論」(68年)の中で、三島はスターリン主義とファシズムとを〝左右の全体主義〟として否定してる。もちろんそれでも三島はファシストなんだけど(笑)、ともかく〝左右の全体主義〟に反対して三島が構想する社会でメルクマールになるのは〝言論の自由〟なんだということもそこでは云われてるわけです。それで三島が参照しているのは、おそらく端的に〝風流夢譚事件〟(深沢七郎が60年に雑誌『中央公論』に発表した小説「風流夢譚」の、主人公が見た夢の中で天皇夫妻および皇太子夫妻が処刑されるという描写が右翼の反発を招き、ついには翌61年2月、右翼少年が中央公論社社長宅に侵入し家政婦を殺害、夫人に重傷を負わせたという事件)ですよ。
 「風流夢譚」は実は三島が推薦して『中央公論』に掲載させたという経緯があるわけだ。それで三島自身も右翼に脅されてた。三島が〝言論の自由〟を前面に掲げる時に、やっぱり風流夢譚事件が念頭にあったはずです。最低限、「風流夢譚」をも許容するような体制でなければならない、というのが三島の考えだったと思う。しかし三島を信奉する右翼はそのことを何にも考えてないし、左翼も三島が「風流夢譚」を肯定した意味をちゃんと問題にしてこなかった。
 そもそも「風流夢譚」というのは、三島が「文化防衛論」の中で使ってる言葉で云えば、言論上のことではあるにしろ、〝血みどろのアナーキー〟ということでしょう。つまり権力側は……三島が云うのはもちろんある種の〝独裁者〟としての〝天皇〟ということだけど、天皇は〝血みどろのアナーキー〟をも肯定しなきゃいけないんだ、と。〝血みどろのアナーキー〟も含めてすべてを肯定し、〝YES〟と云う天皇、独裁者が必要だというのが三島の〝反革命的な革命〟の内実です。当時の三島に、バクーニンも念頭にあったのかどうか何とも云えないけど、三島の云う〝天皇制〟は、カール・シュミットがバクーニンを評して云う〝反独裁的な独裁者〟に近いものだってことです。〝反独裁〟としてのアナーキーも含めてすべてを肯定する独裁者=天皇について、三島はそれは〝雅び〟だとも表現してる。
 で、三島には〝68年〟の運動も〝血みどろのアナーキー〟の実現であるように見えていたはずで、だから東大全共闘との討論でも三島は、〝血みどろのアナーキー〟を背景とした〝反独裁の独裁〟というレベルで一緒にやろうと云うんだけど、全共闘の側はそれに応えられないんだ。当時の全共闘も含めて日本の新左翼は一貫して〝プロレタリア独裁〟を実質的に掲げることができなかったし、しまいには共産党すら〝プロレタリア独裁〟を口にしなくなってしまう。

外山 〝君たちが一言「天皇」と云ってくれれば〟という三島の呼びかけに、全共闘の側も応じる可能性はゼロではなかったと、ぼくは思うんです。

 うん、応じてしまえばよかったんだよ。「それは我々の云う〝プロレタリア独裁〟と同じことだ」って(笑)。

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