『全共闘』(3)

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 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 「その3」は原稿用紙換算18枚分、うち冒頭8枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその8枚分も含む。

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(第1部 全共闘以前 第1章 「世界戦争」の時代)


   4.アナキズムとファシズム


  アナルコ・サンディカリズム

 アナキズム(無政府主義)もまた、十九世紀の社会主義運動の中から登場した主要な思想潮流の一つである。マルクス主義とは対立的なものと一般に考えられているが、事情は複雑だ。
 多くのアナキズムの入門書で〝プルードン-バクーニン-クロポトキン〟と整理されがちな〝アナキズムの系譜〟は、実はクロポトキンが〝でっち上げた〟に等しいものであるらしい。主要にはマルクス派とバクーニン派の対立が原因で崩壊した「インターナショナル」(第一インター)を、マルクス死後の一八八九年に再建するに際して、マルクスの盟友だった老エンゲルスは、最初からバクーニン派つまりアナキストたちをその枠組から外し、また並行してマルクスの思想を〝マルクス主義〟として体系化する作業も進めた。すでにバクーニンも死去しており、第二インターから排除されたアナキズム勢力の中心人物となっていたクロポトキンは、エンゲルスを中心とするマルクス主義勢力に対抗して、独自の世界組織(黒色インター)を作り、またエンゲルスが体系化しつつあった〝マルクス主義〟にも対抗して、アナキズム思想の体系化に取り組んだ。その過程で、たしかに「アナーキー」という言葉を肯定的に使用する共通点はあったとしても、思想内容的にはまったく異質なプルードンとバクーニンとを、単に第一インターにおいてそれぞれマルクスと対立したということで、エンゲルスと対立する自らの先行者として位置づけ、まるで〝プルードン-バクーニン-クロポトキン〟という〝アナキズムの系譜〟が存在するかのように〝でっち上げた〟というわけだ。実際には、バクーニンの思想はプルードンよりむしろマルクスに近かったと思われる。
 ……という話は今回あまり重要ではない。ともかく、もともと同じ〝社会主義〟の思想や運動の枠内で競合し切磋琢磨し合っていたマルクス主義(的傾向)とアナキズム(的傾向)とは、十九世紀末にはそれぞれ一派を成して対立し合うに至ったのである。
 そのアナキズムの潮流の中からも、二十世紀初頭、マルクス主義の潮流におけるレーニン派のように〝黙示録的〟な傾向を持つ一派が登場する。サンディカリズムである。フランス語の「サンディカー」は英語で言うと「シンジケート」、この文脈では具体的には労働組合のことを指している。サンディカリズムは日本語では「労働組合至上主義」、あるいは単に「組合主義」などと訳されてきた。
 労働組合を基盤とするゼネストなどの直接行動によって資本主義を倒そうというサンディカリズムは、もともと必ずしもとくにアナキズム系の思想というわけでもなかったが、マルクス主義者たちが急速に議会主義へと傾いていったために(第一インターが各国の社会主義者たち個々人を構成員とする組織だったのに対し、第二インターは各国の社会主義〝政党〟を構成単位としたところにも、そのことは表れていよう)、ともに議会進出路線を唾棄していたサンディカリズムとアナキズムが結びついて、〝アナルコ・サンディカリズム〟の一大勢力を成した(「アナルコ」とは〝アナキズム的〟の意)。
 なお、マルクスとバクーニンとの主要な対立点は、一般的なアナキズム理解でよく言われるような、〝階級支配の道具〟たる国家権力の廃止へと至る以前に革命派による過渡的な〝独裁〟を認めるか否かといった点になどではなく(バクーニンもアナキストたちの結社による〝見えざる独裁〟を主張していた)、議会進出に意味を見出すか否かという点にあったようである(バクーニン派が否定した〝党〟とは、政治組織一般のことではなく、議会進出を目指す政治組織のことらしい)。
 暴動や武装闘争などをこそ〝直接行動〟と考えるクロポトキン派は、労働組合を基盤とするゼネストなどというサンディカリズムの路線は、マルクス主義的な階級闘争理論に汚染された偽のアナキズムだと見なしたようだが、たしかに〝狂い咲け、フリーダム〟〝村に火をつけ、白痴になれ〟と威勢がよく派手好きなアナキストの〝気分〟からすれば、労働者をコツコツと組織しようということになりそうで、いかにも地味に感じられようサンディカリズムに、革命的な意味づけを与えたフランスの思想家がソレルである。
 一九〇八年に刊行されたソレルの『暴力論』のタイトルとなっている「暴力」とは、サンディカリストたちが目指すゼネストのことで、もちろんソレルは〝ゼネストという暴力〟を称揚しているのであり、この本によってソレルは一躍、アナルコ・サンディカリズムの代表的理論家と見なされるようになった。フランスでは十九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、労働組合運動をマルクス主義政党の統制下におこうとするマルクス主義者たちに反発して、自立的に運動を展開しようとするペルティエらの労働組合運動が一大勢力を成していた。それは、マルクス主義者たちが主導する社会主義政党と、議会主義を嫌うサンディカリストたちが主導する労働運動との分裂でもあった。もともとマルクス主義者だったソレルは、この過程で次第に議会主義に失望し、ペルティエらに接近していく。ペルティエは一九〇一年に若くして死去するが、その思想はソレルに受け継がれ、まさに〝黙示録的〟な様相を帯びる形で理論化されることになる。

 アナルコ・サンディカリズムにおいては、まさしくゼネラルストライキの本質はイメージなのであり、ペルティーエの後継者V・グリフュールが呼んだように「革命的ロマン」だったのであり、ソレルの『暴力論』はなぜゼネラルストライキが「革命的ロマン」たりうるのかという問いへの解説書であるとすら言いうる(略)。ペルティーエがとなえたゼネラルストライキとは、経営者との取引のためにおこなわれる戦術としての職場放棄とは全く異質なものであり、それは政治的行為ですらなかった。つまりゼネラルストライキとは、十九世紀における革命や暴動の体験を経て労働者の武装的反乱に備えて強化されたブルジョワ政府に対して可能な、労働者からブルジョワへの一撃としての、一国の全労働者がしかける突然の全面的な生産の停止なのである。そこに期待されるのは生産の全面的な停止による社会の全体的な崩壊にほかならず、そこでは政権構想といった政治的配慮は全くなされずに、社会の突然の崩壊という事態から何かが、革命的な何ものかがうまれてくるとだけ考えられ、そしてその姿が予見しえないからこそ、社会のきたるべき崩壊は「ロマン」として待ち望まれていたのである。そして敵味方を問わず、社会の構成員全体を危機におとしいれ、おびやかすゼネラルストライキの実施をこそソレルは暴力と呼んだのである。
 (福田和也『奇妙な廃墟』90年・ちくま学芸文庫)

 フランスに発祥したアナルコ・サンディカリズムは、もともとアナキズム運動の伝統が強かったスペインやイタリアでも大きな勢力となるが、のちに見るようにファシズムに合流した部分を除いては、アナキズム運動そのものが、第二次大戦の勃発以前に衰退してしまう。国家権力による弾圧も当然あったとはいえ、それ以上に、マルクス主義者たちによって撲滅されてしまったのだと言ってよい。
 〝マルクス主義者、許すまじ〟の根拠としてアナキストたちが必ず引き合いに出すのが、ソ連におけるクロンシュタット叛乱とマフノ運動の鎮圧、そしてスペイン内戦という三つの故事である。

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