小山田圭吾の「名誉回復」運動のために

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 小山田圭吾の「名誉回復」を希求している諸君。
 SNSなどでたまに見かけるように、太田出版だのロキノン社だのといったFラン出版社や、小山田の作品を取り扱うFラン音楽会社に、ひたすら平身低頭して世間様に許しを請う以外のマトモな対応を期待するのは無駄である。もちろん日本のFラン・マスコミに報道姿勢を改めることを期待するのはもっと無駄である。
 Fラン国家・日本、Fラン民族・日本人は、有史以来、「外圧」に屈する以外の形で自己を改めたことなどない。
 私はまあ単なる趣味としてはフリッパーズ・ギターやコーネリアスをそれなりに愛聴してきたとはいえ、もともとそれほど熱心なファンというわけでもなく、なんか行きがかりでつい小山田擁護の論陣を張ってしまっただけだし、他のことで忙しくなってきたし、しかも英語がほとんどできないので、あとは諸君に任せる。かなりややこしい日本語文だが……まあオシャレで知的な渋谷系の諸君はみんな、これぐらいの日本語の英訳ぐらいできるでしょ。
 下記を英訳して(まあ仏訳とか独訳とかでもいいけど)、欧米先進諸国様の、日本のFランとは違うAクラスの有名音楽誌、サブカルチャー誌などの編集部に片っ端から、どんどん勝手に送りつけなさい。先に発表した「小山田圭吾問題の最終的解決」と違って、論証はハショりまくっているが、ガイジン相手にコマゴマと〝事情〟を説明したって仕方がない。また逆に、日本の学校状況や政治(反体制文化)状況がいかに特殊であるかといった説明は絶対に必要で、たぶん私以外の者が書くとそういう部分をハショっちゃうだろうなあと心配して私が書いたのである。もっと論証が必要だと思うなら、むちゃくちゃ長いから数ヶ月がかりになるやもしれんが、「小山田圭吾問題の最終的解決」を訳せばよかろう。
 匿名でもいいが、もし署名が必要なら、姓名を逆順表記する悪習にはムカついているので「TOYAMA Koichi」としといてほしい。肩書きが必要なら、妙な誤解を与えるに決まってるので絶対に「ファシスト」とか書かずに、「〝反管理社会〟を標榜する日本のアクティヴィスト」とでもしといてくれ。


 コーネリアスによる残虐なイジメを
 強烈に印象づけたフェイク・ニュース


 東京オリンピック開会式の音楽を担当することになっていたロック・ミュージシャンの「コーネリアス」こと小山田圭吾が、少年時代に同級生に対しておこなった苛酷なイジメについて、雑誌インタビューで自慢げに回想していたことが発覚し、開幕直前になって辞任に追い込まれたことは、諸外国でも大きく報道されたようである(※1)。
 小山田が語ったイジメの内容は本当に陰惨なもので、精神疾患を抱える同級生に集団でよってたかって危険なプロレス技をかけたり、全裸にして自慰行為を強要したり、果ては大便を食わせたりしたという、とうてい人間の所業とは思えない、想像を絶する凶悪なものである。
 小山田は日本では一部のコアなロック・ファンに支持されてきたマイナーなミュージシャンにすぎないが、同じような少数のファンが諸外国にも存在し、活動は国際的なものだったから、ニュースの衝撃は世界中に薄く広く伝わったに違いない。まさかあの小山田が……と。
 ところがここにきて、騒動のそもそもの発端となった匿名のブログ記事が、原典の雑誌インタビューを明白な悪意をもって改竄した、ほぼデマと断じてよいインチキな代物であったことが判明し、雲行きが怪しくなってきている。オリジナルの雑誌記事とくだんのブログ記事の記述とを比較対照して「悪意ある改竄」を証明した検証記事がネットに挙げられた結果、日本のほぼすべてのマスメディアも、オリジナルの雑誌記事を確認することなく、誰が書いたのかも明らかでないネット上のブログ記事にのみ依拠した報道をおこなっていた疑いも今や濃厚である。
 オリジナルの記事によれば、小山田はたしかに凶悪なイジメの加害者ではあったが、とくに悪質なものについては、せいぜい傍観者的な立場での関わりにとどまり、しかもすべては7歳頃からローティーンにかけての時期の出来事で、れっきとした大人になってからそれらの事実を告白したインタビュー記事のトーンも、何ら自慢げなものではなく、むしろ自身の少年時代の卑劣な行為を自嘲的に振り返ったものだった。騒動の火元となった匿名ブログ記事では、そうした事実が一切分からないように巧妙な編集が施されており、要するに、小山田に有利な情状を示唆する部分はすべて削除され、悪質さを強く印象づけそうな箇所だけをピックアップして貼り合わせた、まさに「改竄」がおこなわれていたのである。
 さらにくだんの匿名ブログの別の日付の記事では、まんまと小山田が猛烈なバッシングの餌食となっている様子について、小山田の音楽が流れるオシャレな高級カフェで知的でリベラルな政治談義に興じている「豚ども」がパニックに陥っているのはいい気味だと、ドス黒い本音が吐露されていた。この「本音」に関する記述を発見して騒ぎ始める者が現れると、この記述はただちに削除されたことは云うまでもない。要するに、ことの本質は一種の「インセル」問題、何事も上手くいかない不遇感に苛まれた1人の孤独な社会不適合者が、華やかで充実した都市生活を満喫しているように見えるリベラルな文化エリートたちに敵意を燃やして仕掛けた情報テロだった可能性が極めて高いのだ。
 したがってこの際、卑劣な故意のデマ・ブログに書かれた「事実」は一切廃棄処分として、小山田は本当は何を告白していたのか、オリジナルの雑誌インタビュー記事に基づいて再確認してみよう。
 小山田の「告白」が掲載された雑誌は2冊あり、いずれも20年以上前のものである。
 まず『ロッキンオン・ジャパン』というジャパニーズ・ロック専門誌の94年1月号。このジャンルに関する専門誌としては、同誌は代表的なものと考えてよい。89年にデビューして小山田の名を日本の音楽シーンに知らしめたバンド「フリッパーズ・ギター」を91年に解散し、約2年間の沈黙を経て、「コーネリアス」名義で最初のソロ・アルバムを発表する直前の時期におこなわれたインタビューである。
 前提として踏まえておく必要があるのは、この時点での小山田は、すでにとうに日本の音楽シーンではそれなりに知られた存在だったとはいえ、生い立ちやキャラクターについてはほとんど知られるところのない、謎めいた人物であり続けていたという事実である。インタビュアーで『ロッキンオン・ジャパン』編集長でもある山崎は、これを機会に小山田の実像に迫って、音楽経験以外の来歴などについても根掘り葉掘り聞き出してやろうと構えていた。
 いざインタビューに臨むと、小山田は意外に素直に、ミュージシャンとしてデビューする以前の、自身の子供時代、学生時代の出来事について問われるがままに多くを語り始める。山崎は小山田に対して先入観を抱いており、それはつまり、小山田は我々ワーキング・クラスの人間とはかけ離れた、何一つ苦労を知らずにぬくぬくと育った裕福な特権階級のエリートなのだろうというものである。ところが予期に反して小山田は、かつてはちょっとした不良少年であり、徒党を組んで盗みを働いたり近隣の他の学校の不良グループとの喧嘩に明け暮れたりしていたらしい。古いタイプのロック・ジャーナリストである山崎は次第に嬉しくなって、さらにワイルドなエピソードを聞き出そうとテンションを上げていく。しかし一方で、小山田の不良エピソードはどれもこれもいちいち中途半端な、勇ましいというよりみっともない類の話ばかりなのである。小山田自身そのことをよく自覚していて、武勇伝というより自虐的なトーンで語っている。「どう? オレって本当に情けない奴でしょ?」という話をしているのだ。イジメの話題も、その延長で登場する。
 たしかにそこで告白される「イジメ」の内容は壮絶なものである。「危険なプロレス技をかける」ぐらいのことはまだしも分別のない子供には時にありそうなことだが、「全裸にして自慰行為を強要する」とか「大便を食わせる」などの極限的な虐待は、グァンタナモ基地でさえ(たぶん)おこなわれてはいないだろう。
 しかし、怒りに我を忘れる前に、とりあえず2つ、考慮に入れておかなければならないことがある。
 1つは、この残虐な行為に関する告白を含むインタビュー記事は、雑誌に掲載される前に、小山田側によるチェックがおこなわれていないということである。インタビューの場で突然、生い立ちについて根掘り葉掘り訊かれ、とっさに思い出したままに、重要なディテールを抜きに大雑把に語ったことが、そのまま記事になってしまったのである。もしかしたらインタビュアーが、故意にではないとしても、小山田の語った内容をいくらか誤解したままテキスト化したり、実際には語られていた重要なディテールをリーダビリティを上げるために削除したりということも、普通に考えられる。しかし、どのようにテキスト化されたとしても、仮にそれが歪曲に近いものだったとしても、小山田側には訂正を求める機会はなかったのである。
 その背景には、まだインターネットが普及していなかった当時、活字媒体には大きな影響力があり、『ロッキンオン・ジャパン』の誌面に登場させてもらえるか否かでミュージシャンたちの作品の売り上げも大きく変わるものだったという事情もある。ミュージシャンやレコード会社は『ロッキンオン・ジャパン』編集部に対してあまり強く出ることができなかったのである。それでもほとんどの活字メディアでは、さすがにインタビュー記事であればインタビュイー側に刊行前に原稿をチェックさせるのが当然とされていたが、『ロッキンオン・ジャパン』はミュージシャン側・レコード会社側とのそうした力関係の上にあぐらをかき、インタビュイー側にインタビュー原稿を決して事前にチェックさせない雑誌として有名だったと、当時を知る多くの編集者やライターが証言している。
 そしてもう1つは、にわかには信じがたいかもしれないが、日本の学校では、小山田が語った程度の「イジメ」は、もちろんありふれているわけではないが、極めて珍しいというほどでもない、ということである。
 日本の学校は地獄である。
 高校や大学の優等生たちを中心とする政治的な反抗が70年代のうちに完全に鎮圧され、中学や高校の不良少年たちを中心とする純暴力的な反抗が80年代初頭にほぼ鎮圧されて以降、学校という場における生徒たちのさまざまな不満は、そのはけ口を失い、攻撃性は生徒たちの間で互いに向けられるようになった。ちょうどニワトリなどを大量に狭い檻の中に入れておくと、ストレスから必ずイジメが始まるのと同じことである。また、日本にも生じた「68年」の大規模な若者反乱に衝撃を受けた教育行政当局が、生徒たちに「悪い影響」を与えかねない反体制的な思想を持つ者を教員として採用しないことに力を入れすぎた結果として、集団の中で孤立してしまうようなタイプの生徒を理解し、適切にケアしうるような教員は、やはり80年代に入る頃には日本の学校現場からはほぼ姿を消した。日本社会において学校での生徒間の「イジメ」が大きな社会問題として騒がれるようになるのは、80年代前半のことである。
 小山田は、傍観者としてであれ、大便を食うことを強要するような壮絶なイジメに荷担したわけだが、べつに被害者は自殺したわけではない。日本は子供の自殺が異様に多い国で、その動機の大半はイジメを苦にしてのものと思われる。暴力的なイジメのエスカレートによる過失殺人も時々報じられるが、現場の教員たちは責任追及を恐れてそうした事件を隠蔽しようとするのが常だから、イジメではなく「一緒に遊んでいる」過程での事故死として処理され表面化しないケースは、発覚して報道される例の何倍にも上るだろう。大便を食わせる程度の、直接に殺してしまうことはありえないような「些細な」イジメが、仮に日本の学校の20〜30校に1校で起きていたとしても、驚いてはならない。直接的にであれ傍観者的にであれイジメに加担した側は、そうした事実を数年のうちにすっかり忘れてしまう。小山田が残虐なイジメに一定の加担をしたことは間違いないようだが、そのことで小山田に激しい非難を浴びせた側も、日本人であれば9割方は、自身もかつて学生時代には小山田と同じように、残虐なイジメを少なくとも見て見ぬふりをしながら学校生活を送ったことを、都合よく忘れてしまっているだけなのである。
 小山田のインタビューが掲載されたもう1つの雑誌は、95年7月に発売された『クイック・ジャパン』第3号である。同誌は、日本のサブカルチャー(※2)全般を扱う、やはりその分野では日本を代表する雑誌で、今回の騒動を承けて廃刊となるまで四半世紀以上、刊行され続けてきた。
 『クイック・ジャパン』でのインタビューは、無名の若いライターが、「イジメ問題」を既存のそれとは異なった切り口で考察することを謳って開始した連載企画の第1回として掲載されたものである。既存の切り口とは、日本の教育行政が主導し、マスメディアも追随して、日本の学校現場に急速に広められた「イジメ、ダメ、絶対」だの「イジメ、かっこ悪いよ」だのといった呪文的スローガンに象徴されるようなそれである。これらのスローガンは日本の子供なら誰でも知っているもので、つまり彼らは、そうした呪文を日々唱えさせられながら、引き続き同級生をイジメ殺したりしているのだ。くだんの連載企画「いじめ紀行」は、そんな無意味なキャンペーンを嘲笑的に挑発しつつ、まずはイジメが起きる現場の実態に迫るために、加害者側であれ被害者側であれ、過酷なイジメの経験者たちにそれぞれの経験を詳しく語ってもらう、というものだった。その第1回ゲストとして、小山田は自身のイジメ加害経験を改めて詳しく語ったのである。『ロッキンオン・ジャパン』94年2月号で、小山田は前号の掲載記事について遠慮がちに不満を述べてもおり、おそらく小山田側としては、不正確な形で自身のファンたちに伝わってしまった情報を訂正する意図もあったと思われる。
 しかしこのインタビューでは、小山田が小学生時代と中学生時代にイジメていた2人の同級生が、いずれも軽度の精神疾患者であったことも明らかにされ、今回の騒動の火元となったデマ記事の執筆者に、小山田への致命的なイメージ・ダウンを与えるための格好の素材を提供することにもなってしまっている。
 インタビューにおける小山田の語りは、極めて真摯なものである。そもそも、イジメた側は通常、そんな事実など数年と経たないうちにきれいに忘れてしまうというのに、小山田は、最初はちょっとした「からかい」でしかなかったものが、次第に残虐きわまりない「イジメ」へとエスカレートしていく過程について、「なるほど、たしかに子供たちの世界では、そういうことはいかにも起こりそうだ」と読者の脳裏にもまざまざと光景が思い浮かぶように語ることができるほど、ディテールに至るまでをしっかり記憶しているのだ。これが、小山田自身が記憶を幾度となく反芻し、「どうしてこんなことになってしまったんだろう?」と彼なりにイジメの経験と向き合ってきたことの証左でなくて何であろう?
 小山田らが最初にイジメた相手は、7歳の時に突然やってきた転校生である。その転校生・沢田君(仮名)は、同級生たちの前に突然現れたその日、廊下でズボンを脱ぎパンツを脱ぎ、下半身丸出しでトイレに駆け込んで大便をした。「こいつは一体何者だ?」という衝撃が同級生たちの間に走る。7歳である。誰もがまだほぼ猿である時代の話だ。「障害者」などというカテゴリーは、まだ猿どもの中にはない。小山田らは沢田君の一挙一動に興味津々で、こんなことを云えばどう反応するか、こんなことをしたらどうか、いちいち「実験」せずにはいられなくなる。最初はそんなふうに始まって、11歳になる頃には、段ボール箱に閉じ込めてビニールテープでぐるぐる巻きにし、「空気穴」からチョークの粉をはたき入れたりするような、まったくの「イジメ」にまでエスカレートしている。
 中学生時代の小山田らのイジメの標的は村田君(仮名)である。おそらくは「境界例」とでも診断されるだろうような軽度の精神疾患者だったという。プロレス技をかけたり、あるいは、衣類ロッカーに閉じ込めて扉側を下にして倒して出られないようにした上で外側から数人でそれを蹴るといったイジメをやった相手が、この村田君だ。
 ただし、小山田らのイジメには、やはりまだ半ば猿であるローティーンの浅はかさに見合う程度には「節度」のようなものもあったようである。小学生の時にも沢田君を閉じ込めた段ボール箱には一応「空気穴」を開け、時折そこから中の沢田君に声をかけて「生存確認」をしていたように、命に関わるようなことはもちろん、大怪我をさせたりすることのないよう「配慮」していた様子なのだ。段ボール箱や衣類ロッカーに短時間閉じ込めたところで、いくらか怖い思いをするだけで、怪我はすまい。「プロレス技」も、おそらく痛めつけて泣かせるぐらいのことはしているようだが、怪我をするような危険なことは避けていたように、少なくともインタビューからは読み取れる。が、その「暗黙のルール」は、いつも村田君をイジメている小山田ら数人のメンバー内でのみ共有されているものにすぎない。村田君をイジメている現場にたまたま闖入してきた「怖い先輩」が、そうした「ライン」を簡単に踏み越えて、命に関わるかもしれないような危険な技をかけ始める。小山田らは「これはマズいのではないか?」と内心動揺していたが、急に優等生ぶって「やめろよ」とも云いにくい雰囲気だし、結局はイジメがどんどんエスカレートしていくことを止められずに、ついには全裸にして自慰行為を強要したり、大便を食わせたりといったことまで「傍観」してしまうのだ。しかも、内心では怖じ気づいていることを周囲に悟られないよう、表面的にはヘラヘラと笑いを浮かべさえしながら。
 小山田の告白は、そのような「リアルな」ものなのである。それは、そもそも大人たちの間でさえ極端に同調圧力の強い日本の、子供たちの世界でイジメがどのように発生し、どのようにエスカレートしていくかの貴重な証言である。おそらくはイジメのそういった「本当の実態」に迫ることを目的とした連載企画であり、小山田の語りは見事にそれに応えている。これに今回起きたような猛烈なバッシングが浴びせられてしまうとなると、イジメの加害者たちは誰も二度と、このような正直な体験告白などしてくれなくなるだろう。
 小山田の語りが特徴的なのは、少なくともイジメをやっていた当時は、主観的にはそれをイジメだとは考えておらず、単に「一緒にフザケている」、「ちょっとからかっている」だけだったことを、絶対に否定しようとしないことである。客観的にはかなりエスカレートしたイジメの段階での諸々の事実を語るに際しても、小山田は「イジメだとは考えていなかった」ことを強調する。インタビュアーを務めるライターも、それを横で聞いている編集者たちも、終始笑いっぱなしのインタビューであるのは、このためでもある。「これはイジメではないんだけど……」と前置きした上で語られる内容が、どこをどう聞いても一点の疑いの余地なく「イジメ」以外の何物でもないのである。「いやいやいや、それはイジメです!」というニュアンスでインタビュアーや編集者たちは笑っており、それを察した小山田も「もちろん今にして思えばイジメなんだけどね」と自嘲的に笑っているわけだ。しかしそれを、どうもこれが商業誌での初仕事であったらしい若く未熟なインタビュアーが、テキスト化に際して安易にただ「(笑)」と表記してしまい、注意力に欠ける(とくにインターネット時代の現在、それが「発掘」され問題化されて初めて目にする)読者たちには、まるで無神経かつ無反省な「いじめ自慢」のごときものとして誤認させるような記事に仕上がってしまっていることも、また確かではある。
 しかし小山田の、あくまでも当時の主観にこだわりきる姿勢が、却ってイジメという現象のリアルな実態を浮かび上がらせる効果を発揮していることを見逃してはならない。つまり、イジメている側が決してそれをイジメであるとは認識していないがゆえにイジメはどんどんエスカレートしていくものなのだ、という現実を思い知らされるのである。イジメをやっていた当時の小山田も、「イジメは悪いことだ」と考えている。大怪我をさせたり死なせたりする可能性があるようなことが当時の小山田らが「イジメ」と認識するものであり、そんなことが起きないよう配慮しながら、小山田らは「遊んで」おり、客観的にはイジメていたのである。「イジメ、ダメ、絶対」といった呪文的スローガンにイジメを抑止する何の効果も期待しえないことは、当たり前である。
 小山田の特殊ながら誠実な語りに、不真面目な印象を与えかねないテキスト化を施したライターやそれを放置した編集者らの落ち度はともかく、小山田には何ら非難されるべきところはない。7歳とか、あるいはせいぜいローティン時代の、半ば以上に猿だったがゆえの非人間的な過ちを、自慢したならともかく、ただ冷静に、あるいは自嘲的に回想してみせたことは、非難されるべきではない。

 小山田の語りをどう解釈するかについては異論もあり得るし、おそらく小山田に対してやはり批判的な解釈も不可能なわけでもない。が、少なくとも、騒動の火元となったブログ記事が、インセルによる情報テロ、控えめに云ってもフェイク・ニュースの類であることには現在ではまったく疑問の余地なく明らかになっている。
 ところが日本のマスメディアは、現在でも引き続き、くだんのデマ記事によって形成された論調に乗っかったまま、何らの軌道修正もおこなわずに小山田へのバッシングを続けている。小山田の「名誉回復」を求める声は、もちろん同じく大半は小山田バッシングのモードであり続けているネット上で、少数意見として広がり始めているにすぎない。おそらく諸外国にも、今回明らかにしたような事実はほとんど伝えられてはいまい。
 『ロッキンオン・ジャパン』のインタビュー記事の編集者は、そもそも記事を小山田サイドに事前チェックさせていなかったなどの諸事実には一切言及せず、したがって小山田を擁護するたったの一言も含まれない、ただただ平身低頭して「世間」に許しを請う謝罪コメントを発表することで、「世間」が騒動を忘れてくれる日を待っている。『クイック・ジャパン』のインタビュー記事のライターも編集者も沈黙を決め込み、ただ版元の社長がやはり形ばかりの謝罪コメントを出した末に、『クイック・ジャパン』それ自体の廃刊が発表された。
 小山田が関わっていた作品は、小山田つまり「コーネリアス」名義のものばかりでなく、すべてが流通・販売中止となり、もちろんテレビなどでの使用も中止された。小山田がメンバーとして参加しているバンドの新作アルバムの発表も中止となった。出演予定だったコンサートなどのイベントへの出演も、ことごとく辞退させられている。これはとくに今世紀に入って以降、日本ではおなじみの光景で、大麻所持容疑で一時拘束された程度でも、日本では長期にわたる芸能活動の停止を余儀なくされるし、そのまま引退に追い込まれるケースも少しも珍しくない。小山田のような「凶悪犯罪」なら、もしこのまま「名誉回復」がおこなわれないとしたら、今後もうミュージシャンとして活動を再開することは不可能であろう。
 最近ではもうバレてしまっているだろうが、日本は先進国ではなく、したがって言論の自由もない。とにかく同調圧力の極めて強い社会であり、多数意見に異を唱えるような意見は日本のマスメディアにはまず乗ることはない。マスメディアに乗る主張は画一的なものばかりで、一応は存在する保守派とリベラル派との間の論争も、極めて狭い枠の中のものでしかない。言論を取り締まる法律はほとんどないのだが、そもそも少数意見に表明の機会を与えるマスメディアが存在しない社会を、言論の自由がある社会とは云うことはできまい。たとえデマ記事が発端だったことが明白となっても、いったん形成された「小山田=悪」の圧倒的な世論に疑問を差し挟むような恐ろしいことは、日本のマスメディアでは絶対におこなわれないのである。したがって、日本社会には小山田の「名誉回復」がおこなわれるような自浄作用はまったく期待できない。
 日本の最高権力者は首相ではなく、もちろん天皇でもなく、「世間様」であり「空気」である。「空気を読めない」者は、大人の社会でも日本ではイジメの対象となる。イジメ問題に関して「世間様」が期待するような表面的な謝罪のポーズを抜きに、独特の語り方でそれを語ったことが発覚した小山田は、今まさに大人の日本人たちによる壮絶なイジメの標的にされている。日本の子供社会における壮絶なイジメは、学校状況の変遷に関する特殊事情を大きな背景としてはいるが、それ以上に、異常なほどに強力な日本社会全体の「同調圧力」が、無邪気な子供たちの間では「社会正義」などによる粉飾も施されないままストレートに表現されているだけの話であったりもする。
 だが、もし、諸外国のロック・ファンたちが、今回のデマ報道によって生み出された小山田=コーネリアスに対する誤解を解き、これまでと同様かそれ以上に小山田に活動の舞台を保証し続け、日本国内ではまったく活動のままならない小山田が国外ではそれなりの支持を引き続き得ている様子をこれ見よがしに見せびらかしてくれれば、ちょうど同級生をイジメた子供たちが数年も経てばそんなことなどすっかり忘れてしまうように、今現在これほど壮絶に小山田をイジメている多くの日本人たちも、そんなことは都合よく忘れてしまうだろう。日本人は同調圧力に弱いが、「外圧」にも同じぐらい弱い。諸外国の「世間様」がそんなに素晴らしいと認めているならきっと素晴らしいんだろうと日本での活動再開が待望されるようになるはずである。
 これは音楽の話ではなく、言論・表現の自由のない日本で、最高権力者「世間様」が容認しない語り方で「イジメ問題」を語ったがゆえに不当な迫害に晒されている者に対して、国際社会の救援を求める政治的SOSである。

※1 小山田に続いて、総合演出を担当する予定だったコメディアンの小林賢太郎も、ナチスのホロコースト政策をジョークのネタにしていたことが発覚し、辞任させられた。実は小林のケースと小山田のケースとは密接に関連している。小山田が辞任させられた経緯に疑問を抱いたマイナーなアンダーグラウンド・カルチャー誌の編集部が、ツイッターで、ある世代の日本人なら誰でも知っている公共放送の子供向け教育番組の登場人物たちが、衛生無害なキャラクター設定にそぐわない不謹慎な発言や生々しい本音を楽屋で連発するという約9分間のコミカルな寸劇から、たった一言のポリティカリーにインコレクトな台詞----「以前、大量の紙人形を使った“ホロコーストごっこ”という企画を提案したらプロデューサーにすごく怒られた」----を抽出し、「じゃあこれも問題になるのかな?」と皮肉を込めてツイートしたところ、本当に小林が辞任にまで追い込まれる大騒動に発展したのだ。小山田と小林のいずれも、限られた少数の文化エリート層やアヴァンギャルド志向の若者たちに熱狂的に支持されてきたクリエーターである。

※2 日本では「サブカルチャー」の語はかなり独特に使用されている。何よりも日本で云う「サブカルチャー」には、カウンター・カルチャーは含まれない。したがって、民族的・性的その他のマイノリティ文化を含むニュアンスもない。つまり、若者文化のうち没政治的なものを「サブカルチャー」と総称するのが日本での用法である。日本では、「68年の運動」の後退過程つまり70年代において、同じように「68年」を経験した他の旧西側先進諸国とは異質な展開が起きた。数百人、数千人の構成員をそれぞれ抱えるいくつかの新左翼組織が、互いの存亡を賭けて熾烈な抗争をおこなったのである。国家権力や大資本を攻撃対象とした武装闘争によるそれよりも、日本では、それら反体制組織どうしの抗争による死傷者のほうが圧倒的に多かった。この過程で日本のアヴァンギャルド文化運動の主流は新左翼政治運動と完全に絶縁し、それと連動していた「カウンター・カルチャー」と自己を峻別するため、意識的に「サブカルチャー」を自称し始めたという経緯がある。『クイック・ジャパン』もそういった日本的な意味における「サブカルチャー」を代表する雑誌である。

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