小山田圭吾問題の最終的解決
──名探偵・外山恒一の冒険4
「名探偵・外山恒一の冒険」シリーズ
1.オフィスVADの秘密(98年)
2.「アナーキー・イン・ザ・UK」の秘密(04年)
3.『ファイト・クラブ』──“映像の乱れ”の謎(16年)
1.
さて皆さん。
北尾修一氏による勇気ある告発によって、〝コーネリアス〟こと小山田圭吾氏への今回の壮絶なバッシングの火元となったブログ記事が、文章能力の不足といった不可抗力の類ではなく、明白なる悪意に基づいて巧妙に構成されたデマ、要するにいわゆる〝フェイク・ニュース〟の類であることはすでに明らかとなりました。
「勇気ある」というのは、北尾氏はそもそも、小山田氏が自身のイジメ加害体験を赤裸々に告白したインタビュー記事が掲載された『クイック・ジャパン』誌の編集者であり、しかも問題のインタビューの場にも居合わせたというのですから、「身内をかばっているだけではないか?」と穿った見方をされてしまう可能性が高いことは、北尾氏自身がよく自覚していたに違いないからです。実際そのように北尾氏の告発記事を貶める、湧いて出る前から湧いて出るだろうと予想できるレベルの愚か者も大量に湧いて出ました。
もっとも、北尾氏は当時まだ同誌の新米編集者で、問題の記事を担当していたわけでもなく、社内をウロウロしていてたまたま現場に居合わせただけであるようです。
それにそもそも、北尾氏の「動機」などどうでもよろしい。たとえ実際に「身内をかばう」ことが北尾氏の目的だったとしても、問題は北尾氏が書いた内容が充分に説得的であるか否かということだけでしょう。
北尾氏の告発記事は3部構成となっており、第1部は前置きのようなもので、自身がインタビューの現場に居合わせた事情、小山田氏の受け答えを横で聞いていて当時とくに違和感や嫌悪感は持たなかったこと、できあがった記事を読んでも、当時やはり何か〝問題〟があるような記事だとは感じなかったこと、などを証言しています。繰り返しますが、あくまでも〝前置き〟です。
第2部こそが告発記事の白眉です。『クイック・ジャパン』第3号に掲載されたインタビュー記事原文と、くだんの〝フェイク・ニュース〟ブログの記述とを突き合わせ、ブログの書き手が、小山田氏が饒舌に語った大量の言葉から、少しでも小山田氏の〝情状〟に酌量の余地ありと感じさせかねない文言を周到に削除し、悪辣な印象を強化させるであろう文言だけを抜き出しており、しかもそれら禍々しい断片を最大限に効果的に配置・構成する作為が明らかであることを、北尾氏は完全に証明しています。
のち、くだんの〝フェイク・ニュース〟ブログの別の記事に、その筆者が小山田氏を攻撃したのは「冷房のきいたスタバの店内でスマホ片手にカフェラテ飲みながら、やっぱり原発っていらないよねぇ、などと知的なおしゃべりしながらコーネリアスを聴きつつ素敵ライフを満喫してらっしゃるスノッブな豚ども」への羨望……おっと失礼、劣等感を動機とするものであることを明白に語った、つまり〝語るに落ちた〟記述があることを、北尾氏の告発記事の読者が指摘しました。この記述は、指摘を受けるや慌てて削除された様子であり、デマ記事の作者の悪辣な意図と卑劣な人間性は、この1件のみをもってしても、もはや否定のしようがありません。
北尾氏の告発記事の第3部は、では実際のところ小山田氏が加担したイジメの実態とはどのようなものだったのか、という北尾氏の推理です。北尾氏は、小山田氏の行為が明確にイジメであることを確認しつつ、しかしそれでも、小山田氏と被害者のイジメられっ子「沢田君」との間には、いくばくか友情めいたものが存在したのではないか、と論じています。
北尾氏の告発記事に反発した人々の、その反発の大部分はこの第3部に向けられています。北尾氏は繰り返し、小山田氏のやったことはイジメ以外の何物でもなく、それ自体は決して許されるものではないと強調しているのですが、陰惨なイジメをまるで〝美しい友情物語〟であったかのように描き、結果として小山田氏を免罪してやっているように感じられるのでしょう。
その反発は、とりあえず私も理解します。しかし、反発者たちは、第3部がデタラメなんだから第1部はもちろん第2部の内容さえデタラメなのだと行き過ぎてしまう。北尾氏の書いてることは全部デタラメで、したがって北尾氏がデタラメだと指摘したデマ記事は、やっぱりデマではなく真実なのだと考えて、「小山田、許すまじ」の思いを却って強くしてしまうのです。それは行き過ぎというものです。
すでにご存じの方も多いでしょうが、北尾氏は私が最近上梓した『政治活動入門』という歴史的名著の担当編集者です。北尾氏は『クイック・ジャパン』誌の版元である太田出版をとうに退社しており、現在は独立して、百万年書房という零細出版社を1人で運営しています。『政治活動入門』はその百万年書房から刊行されました。
そのため、案の定というべきか、私がこの事件に首を突っ込み始めると、まるで私が北尾氏という〝身内〟をかばっているかのようにゲスの勘繰りを始める輩もまた次々と湧いてくる始末です。〝身内をかばう〟というのは人民のある種の美徳であり、それはそれで美しくもなくはないと温かい目で見守るにやぶさかではありませんが、私は人民ではありません。あなたがたとは違うんです!
たしかに私がこの事件に深く興味をそそられたきっかけは、〝身内〟たる北尾氏の告発記事です。しかしそれは、〝身内〟の書いたものは目に入りやすいということ以上ではありません。仮に北尾氏ではなく、もちろん〝身内〟でも何でもない、誰か私のまったく知らない人物がこの告発記事を書いたのだとしても、何かの拍子にたまたま私の目に留まったとすれば、やはり私は今こうしているのとまったく同じように、やむにやまれぬ情熱に突き動かされ、事件解決のために奔走したことでしょう。
そして私は実際、北尾氏の告発記事のうち全面的に肯定しているのは第2部だけで、他はどうでもいい……とまでは云いませんが、北尾氏の印象・解釈にすぎないものとしてニュートラルに受け止めています。一部人民に大きな反発を招いた第3部に、私自身は反発はしませんが、丸ごと鵜呑みにもしません。そういう解釈も成り立つ余地はある、という程度のものだと思います。
そのことは、私がこれから開示してゆく〝驚くべき真相〟の解説に最後までお付き合いいただければ、おのずと明らかでしょう。それは、北尾氏の解釈に重なる部分もありますが、まったくかけ離れた部分もあります。
また、どうも私が『クイック・ジャパン』に象徴されるいわゆる〝サブカル〟シーンの〝中の人〟、つまり一種の〝事情通〟であるかに誤解している向きも一部にあるようです。まさに誤解、否むしろ耐えがたい屈辱と云う他なく、私はそのような堕落・腐敗した世界とは無縁の気高い存在です。たしかに私は93年から94年にかけて、『クイック・ジャパン』の創刊準備号と創刊号の執筆者の1人でした。それは当時〝サブカルの黒幕〟と呼ばれ、斯界に多大な影響力を行使していたコラムニストの中森明夫氏が、私を悪しきサブカル主義へと折伏可能であるかに誤認して、各方面にプッシュしまくり、同誌の創刊編集長である赤田祐一氏にも同様に働きかけをおこなった結果にすぎません。赤田祐一氏──まさに問題の小山田氏へのインタビュー記事の担当編集者であり、しかも創刊時から引き続き同誌編集長でさえあった、今回の事件の主要関係者の1人ですが、赤田氏自身は私になど何ら興味を惹かれていなかったでしょうし、私の側も同様です。実際、中森氏が私への興味を失うと同時に赤田氏からも私への原稿依頼はなくなりましたし、したがって第2号以降の『クイック・ジャパン』誌に私は何ら関わりはなく、赤田氏とも創刊号以来かれこれ25年、1度も会ったことも話したこともありません。北尾氏とも昨年、ウチつまり百万年書房から本を出しませんかという依頼で初めて知り合ったもので、まあ北尾氏の側は創刊準備号と創刊号の誌面に登場した、中森氏云うところの〝カルチャア・スタア〟であった私を一方的に知ってはいたようですが、当時はおそらく会ったこともありません。
何が云いたいかというと、つまり私が与えられた条件は皆さんとまったく同じであるということです。私に何か特別な〝情報源〟があるわけではないのです。私が真相に到達するに際して、用いることのできた材料は、すべて皆さんも同様に用いることができたものばかりです。つまり、すでにネット上にも画像が出回っている、95年7月発行の『クイック・ジャパン』第3号に掲載された小山田氏へのインタビュー記事、さらに〝もう1つの原典〟として何度も引き合いに出されてきた、93年12月発行の『ロッキンオン・ジャパン』94年1月号に掲載された小山田氏へのインタビュー記事、そして副次的に、北尾氏による告発記事にもあり、この事件にそれなりの関心を持つ人々の多くがおそらく目にしたであろう、町山智浩氏や吉田豪氏といった〝サブカル〟界の著名人たちのツイッターなどでも言及があった、例えば、『クイック・ジャパン』における小山田氏へのインタビュアーであり地の文の執筆者である村上清氏のキャラクター、あるいは『ロッキンオン・ジャパン』という媒体の特徴、といったいくつかの情報だけが、私にとっても皆さんにとっても、事件の真相に迫るために活用し得たすべてなのです。
ことによると、『ロッキンオン・ジャパン』94年1月号に関しては、ネット上に画像が出回っているのは、本編だけで16ページ、さらに6ページの補足が付いて計22ページに及ぶ、その名もまさに「2万字インタビュー」と銘打たれた長大なインタビューのうち、聞くもおぞましいイジメの加害経験について直接に言及した1、2ページ分のみ、せいぜいそれにプラスして、巻末の編集者2人──問題の記事における小山田氏へのインタビュアーで、同誌編集長でもある山崎洋一郎氏と、くだんのインタビュー記事とは直接には関係のない井上貴子氏の対談における、「いやあ、今回の2万字インタヴューのイジメ話、ロープでぐるぐる巻きにしてオナニーさせてウンコ喰わせたというくだりを読んで、私初めて小山田を見直しました」という、そこだけ読めばいかにも人非人の〝鬼畜〟発言としか感じられないであろう井上氏の言葉のみであるかもしれません。私は、『ロッキンオン・ジャパン』94年1月号の現物を持っていますから、インタビューの一部だけではなく全編を読むことができましたし、編集者対談も見開き2ページの全体を読むことができました。さらに云えば、これも発言の一部についてはネット上でも言及されているのですが、その次の号、つまり94年2月号も私は所持していて、そこに掲載されている小山田氏へのインタビューも、私は全編を読むことが可能でした。この点は、少しアンフェアに感じられるかもしれません。しかしそれらにしたところで、そもそも『クイック・ジャパン』も『ロッキンオン・ジャパン』も何らマイナーな雑誌というわけでもなし、努力すれば現物を入手することは決して不可能ではありません。自分で現物を入手しないまでも、もとより所持している人はいくらでもいるはずで、「自分の目で検証したいから誰かインタビューの全編をネットにアップしてくれ」と呼びかければ、そうしてくれる人が決して現れなかったとは、まさか云いきれるものではありますまい。
つまり、基本的には、手がかりはすべて皆さんの前に、あまりにもあからさまな形で示されていたのです。今から私はそれらパズルの断片を、ただ最もありそうな、自然で矛盾のない形に──つまり正しい形に、並べてみせるだけのことです。
2.
時系列に沿って、まずは『ロッキンオン・ジャパン』の記事を検証してみましょう。『クイック・ジャパン』の記事を書いた村上清氏も、この『ロッキンオン・ジャパン』の記事によって小山田圭吾氏がかつてイジメの加害者であったことを知り、自身の連載企画「いじめ紀行」の第1回インタビューの相手にふさわしいのは小山田氏だと思い立つのです。
小山田氏へのインタビューは『ロッキンオン・ジャパン』当該号のメイン記事であり、表紙も小山田氏の顔が大写しになっています。いくつかの目玉記事の情報も表紙に刷り込まれていますが、「生い立ち×レコーディング初公開! 小山田圭吾 『血と涙のコーネリアス』」とあって、うち「小山田圭吾」の字はひときわ大きな活字で目立たせてあります。
改めて云うまでもないことですが……いや、そもそも今回の事件が起きるまで小山田氏に何の興味もなかったような人々が、「まさかあの小山田が?」という、小山田氏の作品をある程度は聴き知っていれば当然抱くであろう疑問も抱くことなく、「なんてヒドい奴だ!」と騒いでいたような気もしますから、ごくごく基本的なことから確認していくほうがいいかもしれませんね。つまりこのインタビューがおこなわれた93年末という時期についてです。
小山田氏は、もともとフリッパーズ・ギターというバンドというかデュオというか、その活動で世に知られるようになった人物です。89年夏にデビュー・アルバムが出た時点では5人組でしたが、うち3人はまもなく脱退してしまって、実質2人のバンドと化して制作したセカンド・アルバムが90年夏に発売され、かつそこそこのヒット作となります。したがってフリッパーズ・ギターは、小山田氏と、その〝相方〟の小沢健二氏の2人組バンドという印象が強いものです。91年夏にサード・アルバムを発表後すぐに解散してしまいますから、メジャー音楽シーンで活動していたのは2年間ほど、しかもそれなりにブレイクしていた時期はうち1年間ほどという、極めて短命なバンドです。
「渋谷系」という言葉が作られ急速に定着していくのは93年以降のことであるようですから、フリッパーズ・ギターはとうに解散してからの話なんですが、フリッパーズ・ギターといえばピチカート・ファイブやオリジナル・ラブなどと並ぶ渋谷系の代名詞的存在と云っていいでしょう。渋谷系というのは要は、コジャレた感じの、なんかお高くとまった、ハナモチならん、少数の文化的エリート向けのロックです。もうちょっと真面目に説明すると、マニア・レベルの洋楽ファンが、大量のレコードを聴きまくった延長線上で自分も作品を作る側に回ったような感じです。渋谷系登場以前、つまり80年代後半から90年代初頭にかけてはいわゆる「バンド・ブーム」の時代で、メジャーどころではブルーハーツとストリート・スライダーズ、マイナーながらそれなりの活況を示していた「インディーズ・ブーム」の雄であったエレファントカシマシなどに象徴されるような、熱い、あるいは暑苦しいロックが主流であり、フリッパーズ・ギターの活動期も引き続きその真っ只中、というよりまさにそのピークと云ってよい時期でした。渋谷系はそういう熱いロック、暑苦しいロックに対するアンチのムーブメントで、「ロック・スピリット」みたいなものを前面に出すような振る舞いを〝ダサい、カッコ悪い〟とバカにする、バンド・ブーム期の反主流的な少数派によって担われた〝オシャレでクール〟な潮流だったのです。
云うまでもないことですが、私自身は当時はっきりと、主流であるバンド・ブーム側の文化的影響下にあった人間です。私は「日本の89年革命」の主要な担い手の1人であり、ブルーハーツが代表したバンド・ブームは「日本の89年革命」の文化領域における発現だったのですから、当たり前のことです。100万枚とかを売り上げる大ヒット曲が次々と生まれていた当時、売れたといっても10万枚程度のフリッパーズ・ギターを含め、渋谷系なんてマイナーなムーブメントの、しかもそう命名される以前の原型的な諸々は私の視野をかすめもしませんでした。私がフリッパーズ・ギターを知るのは「日本の89年革命」の終焉後、行き詰まっていた時期に中森明夫氏からの接触を受け、中森氏や、やはり同時期に中森氏に猛プッシュされていたため遭遇する機会の多かった、ほどなく『完全自殺マニュアル』で有名になる鶴見済氏などが何かといえばフリッパーズ、フリッパーズと連呼していたので興味を持ち、ちょうど行き詰まって自暴自棄になっていたので小山田氏や小沢健二氏のシニカルな言動にもつい多少の共感を覚えてしまい、またそもそも洋楽マニアが担うジャンルであり音楽的には圧倒的に優れていることぐらい頑固な初期ブルーハーツ派の私にさえ分かりましたから、90年代半ばの一時期は、フリッパーズ・ギターや小山田氏、小沢氏のソロ作品を聴きまくりもしました。
さて、今回の事件と関係してくるのは、まず、問題の『ロッキンオン・ジャパン』誌も本来はむしろ渋谷系の諸君が敵視した「バンド・ブーム」側の潮流を、しかもほとんど代表するようなメディアだったことです。それどころか、そもそも「渋谷系」という言葉自体、『ロッキンオン・ジャパン』の編集者が、洋楽マニアがわらわらとタムロしている渋谷の某レコード店を中心とした半径100メートルでのみ流行している音楽にすぎない、という意味で、つまりバカにしきった、完全にマイナス・イメージの〝悪口〟として流布させたものだとされています。
もちろん、だから渋谷系の台頭を快く思わない『ロッキンオン・ジャパン』編集長の山崎洋一郎氏が小山田氏のパブリック・イメージを低下させることを狙ってイジメ加害経験を根掘り葉掘り聞き出して活字にしたのだ、というような低レベルな陰謀論のようなことが〝真相〟だ、などというのではありません。そうではなく、もともと『ロッキンオン・ジャパン』とフリッパーズ・ギターとは別世界の住人どうしのようなもので、まあ一応は日本のロック・シーン全体の動向を伝えるメディアですからそれなりの大きさで取り上げることはあったでしょうが、『ロッキンオン・ジャパン』はフリッパーズ・ギター的な潮流にとくに好意的な注目を向けていたわけではなく、要するにあまり積極的な関心はなく、小山田氏や小沢氏の〝人となり〟についても、なんかスカしたハナモチならん連中、という当時の主流派のロック・ファンが抱いていたそれと大差ない漠然としたイメージで捉えているだけだったフシがある、ということです。
とはいえ商業誌ですから、それなりに売れているもの、しかもロックなんぞに特別な関心のない世間の大多数派の間でではなく、『ロッキンオン・ジャパン』の主要な読者層である一定コアなロック・ファンの間でこそむしろ話題の的になり始めているミュージシャンを、いつまでも軽く扱っているわけにもいきません。そこで、ここはひとつ、あのいかにもハナモチならん小山田って奴が、実際のところどういう人間なのか、いったん先入観を捨ててイチから話を聞いてみようじゃないか、というのが「生い立ち」の「初公開」を謳ったくだんの超ロング・インタビューなわけです。この時期の小山田氏は、91年夏のフリッパーズ・ギターの解散後、自身のレーベルを立ち上げるなどしてはいましたが、新作の発表などで話題となることはなく、実質的には〝沈黙期間〟と云ってよかろう約2年間を経て、「コーネリアス」名義での初のソロ・アルバムの制作に入っており、まもなくであろうその発売がコアなロック・ファンたちの間で待ち望まれているという、特大インタビューを誌面にドーンと掲載するには絶好のタイミングです。
あるいは、先に挙げたような複数の著名な〝業界人〟たちが証言しているように、『ロッキンオン・ジャパン』に登場させていただくには、所属レーベルが数十万円から百万円前後の広告掲載料を支払っていることが前提であったらしく、このインタビューの掲載の背景にも単にそういう〝大人の事情〟が存在するだけなのかもしれません。当時まだインターネットなどというものは普及しておらず、活字媒体には現在とは比較にならないほどの影響力がありました。メジャー音楽誌といえども『ロッキンオン・ジャパン』など要は活字中毒者的な文系インテリのロック・ファンを主要読者層としたもので、発行部数そのものは大出版社のマジモンのメジャー月刊誌・週刊誌などとは比べるのもバカバカしい程度のものですが、それでも載るか載らないかがアルバムの売り上げを大きく左右するぐらいの影響力はあったのです。
まあ、そういった〝大人の事情〟の有無もこの際どうでもよろしい。要点は、インタビューの趣旨というか姿勢が、「あのいかにもハナモチならん小山田って奴が、実際のところどういう人間なのか、いったん先入観を捨ててイチから話を聞いてみようじゃないか」というものであるということです。
問題のイジメ加害経験の告白が出てくるのは、本編16ページのうち6ページ目から7ページ目にかけてで、そこに至るまでに、まず生まれた家庭の状況や、幼少期の音楽体験、さらにはイジメの話にもそのまま直接つながっていく万引き云々の素行不良なエピソードなどが語られています。
ちょっと驚くのは、冒頭、どういう家庭に生まれたのか、父親の仕事は何だったのかという質問に答えて、小山田氏が「うちの親父の話を始めんのはヤなんだよなあ(笑)」、「いやあ、うちの親父は芸能人なんです」と云うのに対し、インタビュアーの山崎洋一郎氏が意外そうな反応を見せていることです。「山崎 そうなんだ? それみんな知ってるの?」「小山田 いや、あんまり知らないよ」「山崎 みんな知ってる人?」「小山田 いやあ、どうなんだろう? みんな知らないんじゃないかな(笑)」というやりとりが展開されています。インタビュー中では結局明かされていませんが、小山田氏の父親が「和田弘とマヒナスターズ」という昭和歌謡グループのメイン・ボーカルを務めたミュージシャンであることは、現在ではウィキペディアを見れば最初に書いてある程度の基本情報です。小山田氏は「みんな知らないんじゃないかな(笑)」と謙遜?していますが、単にこのインタビュー当時も現在も若い音楽ファンにはほとんど関心を持たれにくいだけで、客観的には、90年代のフリッパーズ・ギターやコーネリアスなど比較にもならない、全国民的な特大ヒットを60年代に連発した超メジャー・グループです。現在であれば、フリッパーズ・ギターが売れ始めると同時に「マヒナスターズの息子らしい」と噂になりそうなものですが、当時は、少なくともコアなロック・ファンの間ではすっかり有名人と化していた小山田氏に関するこの程度の基本情報が、メジャー音楽誌の編集長のアンテナにも引っかかっていなかったらしいことに私はまず驚くのです。それぐらい現在とは情報の広がり方が違うのだという話でもありますが、同時に、それぐらい小山田氏というのは謎めいた存在で、さきほど述べたような「コジャレた感じの、なんかお高くとまった、ハナモチならん文化的エリート」というイメージが漠然と共有されているだけで、「実際のところどういう人間なのか?」はほとんど知られていなかったという話でもあります。
で、山崎氏は「へーっ!」という感じで素直に驚きながら、幼少期からの小山田氏の成育過程について、根掘り葉掘り聞き出し始めるわけです。小学校から高校までエスカレーター式の私学に通っていたという話が出てきて、山崎氏に具体的に「どこ?」と訊かれて「和光」と答えるなど、本当に基本中の基本情報からいちいち確認されていきます。当然、「どういう子供だったか?」という話になり、和光にはいわゆる〝ヤンキー〟はほとんどいなかったんだが、当時の他の学校には大勢いたヤンキーに近いタイプの、要は〝中途半端なヤンキー〟みたいな連中とツルんで遊んでいた、という話になるわけです。
ここが最大に重要なポイントの1つなんですが、基本的には、〝情けないエピソード〟を恥ずかしながら告白するという調子で話は展開しており、残酷なイジメの話もその延長で語られるということです。もちろん最初のうちは、「具体的にはどういうことをやってたの?」と訊かれて「いや、別に普通に……わりと反社会的なこと? 万引きとかケンカとか、そういうくだらないこと(笑)。タバコ吸ったりとかさ、そういう友だちと遊んでたっていう」といったふうに、あまり公言したくないことを、訊かれたので仕方なく言葉を濁しながら語るという感じです。
しかし山崎氏のほうが興味津々になってきて、いったん音楽のほうに話を振って小山田氏が饒舌に、別の見方をすれば無防備・無警戒に楽しく語り散らす雰囲気になってきたところで、山崎氏は「音楽以外の部分で思春期の小山田圭吾はどういう感じの人間だったの?」と切り込みます。そこから、くだんのイジメの話まで、小山田氏はつい無警戒なままあれこれと思い出すままに饒舌に語り続けてしまうのです。
のちフリッパーズ・ギターの〝相方〟となる、同学年で和光学園に通っていた小沢健二氏との諸々のエピソードも出てきます。これまた、主に小山田氏が小沢氏との対比で圧倒的に〝情けない〟存在だったという語り方です。小沢氏は中学校では、いつも下駄で登校してくるような蛮カラもどきの名物生徒会長として「華々しく活躍して」おり、それに比べて小山田氏は、どうやら大規模な万引き事件の発覚に連座して、小沢氏が「議長」を務める生徒総会で全校生徒の前に引きずり出され、「もうしません」と反省を表明させられたりしていて、「情けねぇ!」と山崎氏の爆笑を誘っています。しつこく繰り返しますが、イジメの話もこういった流れの延長に出てくるんです。
イジメの話の直前に、「ケンカ」の話が出てきます。もちろん〝情けない話〟として、です。全体を引くと、「山崎 和光って何か文系っぽいよね」「小山田 うんうん。だから学校が町田のほうにあって怖い学校はマジで怖いんだけど、だけどそういうところには全然相手にされなくてさ。ケンカするにしても、玉学や成城とかそういうとこ相手に(笑)」「山崎 文系的なバトル?」「小山田 そうそう、弱い者バトル(笑)」「山崎 でもケンカ弱そうじゃん」「小山田 うん、僕ケンカ弱いもん。速攻で逃げる」「山崎 いちおう参加したという満足感だけ?」「小山田 そうそうそうそう。満足感だけ(笑)。そのスリルを味わいに行くっていう」「山崎 はははは」というやりとりになっています。そしてこれに続く小山田氏のセリフが、「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」というもので、今回大いに問題とされた場面に突入していくわけです。
小山田氏の話を〝ケンカ自慢〟だの〝いじめ自慢〟だのと形容している人が大勢いましたが、とりあえずここまで読み進んでみて、少なくとも〝ケンカ自慢〟などではまったくないことが分かるでしょう。実際には、「オレってこんなに情けないんですよ」という自虐ネタで盛り上がっているんです。当然、イジメに際しての卑劣な振る舞いも、そういうものとして語られています。これも全文を引いてみましょう。
「小山田 あとやっぱうちはいじめがほんとすごかったなあ」「山崎 でも、いじめた方だって言ってたじゃん」「小山田 うん、いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドいことをしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)。だって、けっこうほんとにキツいことしてたよ」「山崎 やっちゃいけないことを」「小山田 うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」「山崎 (大笑)いや、こないだカエルの死体云々っつってたけど、『こんなもんじゃねぇだろうなあ』と僕は思ってたよ」「小山田 だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイディアを提供するだけで(笑)」「山崎 アイディアを提供して横で見てて、冷や汗かいて興奮だけ味わってるという?(笑)」「小山田 そうそうそう! 『こうやったら面白いんじゃないの?』って(笑)」「山崎 ドキドキしながら見てる、みたいな?」「小山田 そうそうそう(笑)」「山崎 いちばんタチが悪いじゃん」「小山田 うん。いま考えるとほんとヒドいわ」というのが、問題にされた箇所の全文です。
まあ、ここだけ読めば……いや、全編を通して読んだとしても、あまりにもヒドい話で、問題にされて当たり前ではあります。
が、まず第一に、これは小山田氏が、自分がいかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまいますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。イジメの方法について「アイディアを提供するだけ」で「僕が直接やるわけじゃない」という話に、なんて卑劣な奴だとストレートに怒りを爆発させている人がたくさんいるわけですが、小山田氏自身がまさに、自分はまったく卑劣な人間です、という自己批判……とまでは云いませんが、まあ自嘲的なニュアンスで語っているんですから、卑劣だ!とカサにかかって責められても、小山田氏としては困惑する以外にないでしょう。
では山崎氏の側の「(笑)」は何なのか? これもどう考えても、ろくでもないイジメの話を聞いて「楽しそうだなあ」と笑っているわけではありません。1つには、まず小山田氏の自嘲的な語りっぷりを笑っているわけです。たしかに、最初のうちは口が重く、少年時代の実生活面でのエピソードをなかなか語りたがらなかった小山田氏が、饒舌になるにつれて〝情けない〟エピソードを次々と開陳し始め、どんどん自虐的な語りっぷりと化していく様子は、笑いを誘います。そしてもう1つにはおそらく、これまた小山田氏に対して、「とうとう正体を現しやがったな!」という〝ツッコミ〟的な「(笑)」なのです。
さきほども述べたように、どうも当時の小山田氏は、未だ正体不明の謎めいた存在で、〝イケ好かないスカした奴〟という印象だけが流布していた様子です。もしかしたら、小沢健二氏のほうは日本のクラシック音楽界を代表する〝世界のオザワ〟こと小沢征爾氏の甥にあたるという話は、当時すでに知られていたかもしれません。のちに明かされるというか、まあ小沢征爾氏の甥であれば当然そうなるという話にすぎませんが、祖父は、かの石原莞爾の同志の1人でもちろん満州国の要人の1人だった小沢開作ですし、さらには直接の両親ともそれなりに著名な、父はドイツ文学者、母は心理学者です。当時どこまで知られていたかはともかく、小沢氏のほうは、まぎれもない貴族階級の御曹司で、実際そういう雰囲気をあからさまに漂わせていました。東大出身であることもこれはフリッパーズ時代すでに周知の事実だったでしょう。しかも、いくらメジャーとはいえ〝しょせんサブカル〟つまり大衆文化の芸能人家庭出身の小山田氏と違って、小沢氏のほうは、クラシック音楽といいドイツ文学といい、堂々たるメイン・カルチャー、ハイ・カルチャーの超文化エリートの家系です。つまり実際には小山田氏と小沢氏との間には乗り越えがたい階級の壁があったわけですが、一緒にバンドをやってるわけだし小・中・高と御学友の間柄なんだし、ハタから見れば小山田氏も同じような貴族階級の、温室育ちのお坊ちゃんなんだろうと思われていて不思議ではありません。
インタビュー当時の小山田氏のそのようなイメージを踏まえて考えれば、どうせ〝我々庶民〟の苛酷な現実とは無関係なヤンゴトなき環境で何の苦労も知らずぬくぬくと育ってきたに違いない、と思っていた小山田氏が、〝万引き〟であれ〝ケンカ〟であれ〝イジメ〟であれ、意外にも〝我々庶民〟のそれと大差ないグダグダな暗黒エピソードに彩られた少年時代をお過ごしであられた事実を突きつけられて、「わはははは」と「大笑」してしまうのはごく自然な反応とさえ云えます。
こうなってくると巻末の編集者対談における井上貴子氏の〝鬼畜〟発言も、全然意味が変わってきます。編集者対談の全編を読んでみても、やはり井上氏は、小山田氏あるいはフリッパーズ・ギターあるいは「渋谷系」全般について、イケ好かない奴らだという印象を持っているフシがあります。井上氏はそもそも、まあ当時の『ロッキンオン・ジャパン』界隈の主流である、〝熱い〟感じの、〝ロック・スピリット〟万歳!的な美意識の持ち主であるようです。オラオラ系の、女性なら〝姉御〟的な感じということではなく、むしろ逆の、ほとんど文学少女に近いような、豪快かつ繊細で、〝ロックっつうのはなぁ、自分自身と真摯に向き合うってことなんだよ!〟みたいなことを云いそうな人です。くだんの編集者対談でも、小山田氏について「そもそもこのいかにも苦労してませ〜んって顔が憎らひ〜」と悪態をつき、「やはりロックは虐げられた異端児たちの駆け込み寺! 不動産屋行ってもアパート貸して貰えず、無理を押して実家の法事に帰っても親類一同冷たい目で見られ、銭湯入ってもつい小さくなってしま〜うそんな日陰者の巣窟。ロックとはアブノーマルと下層階級の歴史だと、ピート・タウンジェントも言ってるじゃないですか」などと実に王道な文系ロック発言をかましています。「毛糸の帽子被って〝太陽は僕の敵〟って言われても痛くも痒くもない」「こんなんゲレンデに掃いて捨てるほどいるじゃないですか。行ったことないからよく知らないけど」などとも云っています。ちなみに「太陽は僕の敵」というのは、インタビュー時には制作中であったコーネリアスのファースト・アルバムから、シングルとして先行発売された曲のタイトルですね。
ともかく、ということはつまりやはり、我々虐げられたプロレタリアの現実とは無縁の、浮世離れした特権階級のスカした若者が、聞いたふうなシニカルなことを斜に構えて云ったり歌ったり、実にハナモチならん!と思っていたのが、たとえイジメる側だったとしても、我々下層の人間が経験してきたのと同じ地獄のような学校空間の生々しい現実をくぐり抜けてきた奴なんだと知って、「初めて小山田を見直しました」という発言につながるのだと解釈すべきなのです。
もちろん、どうにも軽々しい文面に対する違和感は、まず一読してみて私でさえ、いくらか持たざるを得ませんでした。
この点についてはまず、ツイッターで誰かが、「雑誌のインタビュー記事なんて、云ってないことを書き加えられてしまうことさえあるし、まして語尾などの処理のしかた1つや、(笑)を付けるかどうかとかでニュアンスが変えられてしまうことなんかむしろ日常茶飯のはずで、どうしてみんな活字化された文面をそのまま受け入れて『こんなこと云ってやがる』などとウブな反応をするのか、気が知れん」と大意そのようなことを書いているのを目にして、私も大いに頷くところがありました。私にも、『現代思想』97年5月号「ストリート・カルチャー特集」で、云ってないことを編集者に勝手にいろいろ付け加えられて、私ではなくその編集者が云いたいことをそんなこと全然思ってもいない私が代わりに云わせられてるだけの記事と化し、できあがった号を見て激怒したという体験があり……思い出すとまた腹が立ってきました。
したがって実際に『ロッキンオン・ジャパン』の現物を手に取って確認するまでは、もしかしたらそういうことで、まあたしかブルーハーツのインタビューだかでの何かの発言にムッときて山崎洋一郎氏には悪印象を抱いていたということもあり、さては山崎の野郎が深刻なイジメ話を無神経に面白がって、それがそのままテイストとして誌面に滲み出てしまっている可能性を強く疑っていました。しかし読んでみると、さすがに山崎氏もそこまで非常識な人物ではないことが分かって、反省した次第です。
インタビューの流れ、やりとりの調子にもとくに不自然なところはなく、もちろん実際の話し言葉なんてものは文法的にムチャクチャですから、そういうのを直すとか、いろいろ脱線した部分を削除するとか、実際はこの部分にはちょっと長めの間なり沈黙なりが存在したとかいうことはあるでしょうが、内容面に関しては実際おおよそこのようなやりとりがあったのだろうと受け止め、それを前提に私は解釈を進めているわけです。
とすれば、まず1つには山崎氏の年齢の問題があります。ウィキペディアによれば山崎氏は62年生まれで、小・中・高と過ごしたのは60年代の末から70年代にかけてということになります。一方、まあイジメなんてものは昔からある程度は存在したでしょうが、いよいよ深刻化してくるのは80年代に入り、〝ツッパリ〟つまりのちに云うヤンキーたちが大暴れした80年前後の〝校内暴力〟のムーブメントがすっかり鎮圧されきってからのことです。つまり年齢的にはむしろ〝校内暴力〟の世代にあたる山崎氏には、イジメという問題がピンときていない可能性があります。だから特段の配慮をおこなうなんてことは思いつきもせず、ただインタビューで、さきほど述べたように〝自虐ネタ〟という文脈でゲラゲラと笑いながら話が展開したのをそのままの雰囲気で再現してしまったのではないか、と。これはもう、どうこう云っても仕方のない問題です。世代が違い、経験が違うんだから、分かれと云っても分かるわけがありません。
しかし、どうこう云ってもよい問題ではないかと思われるのは、先に挙げた〝業界人〟たちが共通して証言しているとおり、『ロッキンオン・ジャパン』では、インタビューを受けたミュージシャンたちに、その文字起こしをチェックさせない〝しきたり〟になっていたという点です。現在はどうなっているのか分かりませんが、これはヒドい慣行でしょう。これまた先ほど述べたように、当時は活字媒体の影響力が強く、ミュージシャン側、レコード会社側は『ロッキンオン・ジャパン』に〝掲載していただく〟ような力関係だったことの反映なんでしょうが、もしこの文字起こしを事前に小山田氏なり小山田氏のスタッフなりがチェックしていれば、とてもこのままでは掲載を承諾しなかったのではないでしょうか。「90年代にはこういうものが許されたが、今では許されない」なんてトンチンカンなことを云っている人も多くいたようですが、当時も今も70年代以降に生まれた世代にはイジメ問題に敏感な人はたくさんいます。年長世代の山崎氏がピンときていないのは仕方がないんですが、小山田氏サイドが事前にチェックすれば「これはマズい」と判断したはずです。つまり山崎氏が悪いわけでも小山田氏が悪いわけでもなく、事前に小山田氏サイドが原稿をチェックできない編集体制が悪かったのであり、そういう体制の上にあぐらをかいていたという意味でのみ、山崎氏サイドが悪いとは云えるでしょう。
さらに付け加えるとすれば、読者側のリテラシーの問題があります。記事のトーンには大いに問題はあるんですが、そうだとしても、おそらく当時の『ロッキンオン・ジャパン』の読者層の大半には、それを補って「ちょっとヒドい書きっぷりになってはいるが、要は自虐的に語っているのだ」ということを読み取る程度のリテラシーはあったのでしょう。そうでなければ、当時すでに大問題になっているはずです。『ロッキンオン・ジャパン』の読者たちは、単に音楽を聴くだけでなく、それについてミュージシャンたちが「2万字」ぶんも語り倒したり、有名無名の批評家たちが音楽について論じたりするのを、わざわざカネを払って熱心に読むような、要は文系インテリ的なロック・ファンたちです。そこらへんの人民大衆よりは、はるかにリテラシーが高いんです。『ロッキンオン・ジャパン』の記事は主にそういう階層に向けて書かれていて、ちょっと説明不足だったりピントがぼやけたりしていたとしても、そこを読む側の主体的努力で補うのです。そういう状況で成立した記事が、30年近く経って〝発掘〟されて、しかも強烈な印象を与える部分のみが切り取られてネットに上げられたりして、もともと記事の読み手として想定されていたわけでもない、リテラシーはもちろん当時の雑誌編集体制や小山田圭吾氏のパブリック・イメージやらについて必要な何の予備知識もない連中が、カネも払わずに斜め読みして目に飛び込んできた強烈な文言のみに脊髄反射し、非常識だ鬼畜だ人非人だと勝手なことを云い合うわけです。東浩紀氏の云う「誤配」、しかも悪い意味での「誤配」ですね。届くべきところではないところにまで、情報が届いてしまう。云っちゃいけないことをコソコソと云い合うような場であった深夜放送での不謹慎な発言がネットで槍玉に挙げられて、不謹慎だ、そんなこと云うなんて非常識だと糾弾されてしまうということも、近年たびたび起きています。
小山田氏サイドのチェックを経ていないための当然の結果ですが、事実とは異なる記述も含まれているようです。云ってもいないことを勝手に書き加えられたというわけではないでしょうが、次に検証していく『クイック・ジャパン』でのそれとは異なり、小山田氏は、そもそもイジメ加害経験になど言及するつもりもなく、『ロッキンオン・ジャパン』のインタビューに臨んでいます。「生い立ちを語る」という趣旨ぐらいは事前に聞かされ承諾して臨んだのかもしれませんが、万引きをして生徒総会で「小沢に怒られた」話も、ましてイジメの話も、明らかに山崎氏の口車に乗せられる形で、その場の勢いで、そんな話をするつもりではなかったのについ話してしまった、というものです。まさに〝無防備に〟語っているわけです。その場で思い出すままに語っているだけで、正確に語っているわけではない。小山田氏のチェックを経て活字化されたはずの『クイック・ジャパン』でのインタビューと突き合わせると、「全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」というのは、小山田氏がやったことではなく、たしかに小山田氏も現場にいたんだが、内心では「これは一線を超えている」と思ってうろたえており、しかし止める勇気はなく、周りに合わせて表面上はニヤニヤ笑って傍観していた、ということであるようです。さらに云えば、「こうやったら面白いんじゃないの?」などと「アイディアを提供」したというのも、これとは別の態様のイジメについての話です。
もちろん、だから小山田氏には情状酌量の余地がある、ということではありません。まあ単に未熟な小中学生時代の話であるという点では情状酌量の余地があるのは当然ですが、直接の加害者ではなく傍観者にすぎない〝から〟、直接関わっていたのはもっと軽度なイジメだった〝から〟情状酌量の余地があるのではありません。しかし、事前の原稿チェックを経ていないために、実際にあったこととはかなりニュアンスの異なる描写になってしまっていて、そのことが「小山田、許すまじ」の感情に大いに影響を与えたに決まっているのです。そんなことはない、などと云える人の自己省察のなさは、もうお話になりませんね。いきなり、「全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」というのがまるで小山田氏が直接関わるなり「アイディアを提供」するなりしたイジメの内容である、という印象を与えられなければ、もちろんイジメに加担したことそれ自体に怒りを感じるとしても、その感情は今回抱いてしまったほど激しいものではなかったはずです。
小山田氏サイドによる原稿チェックさえ経ていれば、もしかしたらイジメの話題全体が削除されたかもしれませんし、まあそれはそれで問題が隠蔽されてしまうので良くありませんが、少なくとも、事実と異なる印象を与えそうな表現に関しては訂正されていたはずなのです。実際、次の94年2月号に登場する小山田氏は、1月号に掲載されてしまった「2万字インタビュー」に大いに不満であるようです。もちろん、とくにイジメ問題に関するくだりについて、愚痴のようなことを云っています。待ち合わせ場所に現れるなり、「さ、取調べ始めましょうか、山崎さん」と恨みがましい調子であり、いざインタビューの中でも、「僕こないだのインタヴューに、少し後悔してるところがあります(笑)」、「はははは。あの日はほんとどうかしてたんですよ(笑)」と相変わらず自嘲的です。「別にこの『ウンコ喰わしてバックドロップ』とかそういうのはいいんですよ」と云っていますが、直接の加害者であれ傍観者であれ、そういうイジメに加担していた事実はあるんだから今さらどうこう云おうとは思わない、ということでしょう。とりあえずは単に、自分のイメージに傷がついてしまったことを心配していて、もしかしたら山崎氏に対して本気で怒っていたのを歪曲的にトーンを抑えて書かれた可能性もないではありませんが、まあおそらく、「あんなこと云うんじゃなかったなあ」とグジグジと自分の軽卒さを悔いているという感じがします。もちろん被害者に対して申し訳ないとかではなく、自分のイメージ・ダウンを心配しているわけで、真面目な人はもうそれだけで怒りそうですが、それなりの地位を獲得したミュージシャンの心理としては、とくに人非人というほどではない、人間まあ誰しもそういうところはあるだろうという程度の保身です。
とはいえ、この『ロッキンオン・ジャパン』の〝ヒドい〟記事があったればこそ、『クイック・ジャパン』での正確なインタビューが実現するわけですから、何がどう転ぶか分かりません。これから詳しく述べるわけですが、『ロッキンオン・ジャパン』でのそれとは違って、『クイック・ジャパン』での小山田氏の言葉は、稀に見るレベルで誠実なものです。ただ、〝額縁〟が悪い。イジメ問題に関する語りのあり方として、これ以上ないというほど小山田氏の言葉は素晴らしいのに、インタビュアー兼ライターの村上清氏が、地の文でそれを台無しにしてしまっている、というのが『クイック・ジャパン』の記事です。
ともかく『ロッキンオン・ジャパン』のほうを先に片づけます。
最後に付け加えておくべきは、今回〝事件化〟してからの山崎氏の対応のヒドさです。謝罪の言葉など述べるべきではありませんでした。謝罪すべき点があるとすれば、誌面に登場するミュージシャン側に事前にインタビュー記事の原稿チェックをさせなかったという悪しき慣行についてのみです。そのせいで小山田氏は猛烈なバッシングに晒されてしまったわけで、つまり小山田氏に対して謝罪すれば、『ロッキンオン・ジャパン』にも山崎氏にも、他に何ら謝罪すべき点はないということは、ここまで検証してきたとおりです。
山崎氏はイジメ問題というものにピンときていなかったのかもしれないし、今でもピンときていないのかもしれません。仮にそうだとして、それは落ち度ではありません。誰もがあらゆる問題について完璧な認識を身につけておかなければならない義務などないんです。そもそも本当に反省しているのであれば、くだんのインタビュー記事については前々から問題視されていたんですから、その時点で謝罪なり何なりを表明しているはずです。今回やっと謝罪を表明したのは、世間で騒がれたからであって、反省したからではありません。ポーズで謝罪するとしても、少なくとも当該記事に関しては「小山田さんに責任はありません」という一言は絶対に必要でした。
イジメ問題にはピンとこなくても、自分の落ち度が原因で他の誰かが世間から袋叩きにされている時に、とりあえず神妙な顔をしてみせて無難にやり過ごし、自分の代わりに矢面に立たされてしまった人は見捨てて自分だけ助かろう、なんて振る舞いは人の道に反することぐらい、山崎氏の世代にも分かりそうなものです。きっと「ロック・スピリット」とかにも反します。
本当は反省していないのなら「あの記事は自分が責任を持って書いたものだ。自分の基準に照らして何らやましいところはない。そもそも我々は、充分なリテラシーのある、世間全体から見れば少数のロック・ファンに向けて雑誌を作ってきたのであって、おまえら一般大衆に読ませるためではない。理解してくれなくて結構」とでも云い放って、平然としていればいいんです。その程度の意地も張れず、世間様の顔色を窺って、小山田氏を見捨てて自分だけ助かろうという、人の道にもロック・スピリットとやらにも反する振る舞いをした山崎氏は、それなりにスジを通して苦難の道を生きたロックの偉大な先人たちに懺悔しながら、腹を切って死ぬべきでしょう。
3.
さて、いよいよ大団円といきましょう。
私が見るところ今回の事件の最大の謎は、一見どうにもヒドい代物としか思えない、それこそ〝いじめ自慢〟のような印象をたいていの人には与えかねない、実際まあ自分がイジメをやっていたという事実に関してとくに反省の弁を挟むことなく、ただひたすらイジメの具体的な状況について、こともあろうに加害者の側が一方的に、しかも語る側も聴く側も大笑いしながら、終始楽しげに饒舌に語りまくるという、まさに鬼畜の所業とも云うべきインタビュー記事に関して、当時も今も少なからず、しかもどうやらむしろ苛酷なイジメを受けた側の人々の中に、「あれを読んで救われた」と云う者が存在するということです。
私には当初、まったく意味不明な感想でした。インタビュー記事の現物を読んでみて、事前に想像していたほどヒドくはないなという印象は持ちましたが、それにしても「救われた」という反応は不可解です。このインタビュー記事のどこをどう読めば、そんな感想を抱けるのか? この天才・外山恒一の読解力をもってしても、当初まったく歯が立たなかったのだという事実を認めるに私はやぶさかではありません。
もちろんイジメられた経験を持つ者の大多数は、こんなものを読まされれば激怒するでしょう。「救われた」などと云っているイジメ被害者側の人間は、少数ではあると思います。しかし一定数、確実にいる。少なくとも無視するには忍びない程度にはいる。そのことが私には何よりも解せなかったし、ここが謎であり続けている限り、とうてい事件の真相に迫り得たとは云えない。逆に云えば、その理由がはっきりと分かった時、私はついに事件の真相に到達したことを確信したのです。
取っ掛かりとしてもう1つの大きな謎は、問題の記事を書いた村上清というライターの意図です。
ああ、基本的なことから確認しなければいけませんね。問題の記事は、まず第一に誰の〝作品〟かと云えば、小山田氏ではなく村上氏の作品なのです。村上氏は当時24歳、周囲の無名の人々へのインタビュー記事を主体とするミニコミを発行してたようです。『クイック・ジャパン』第3号から連載が始まる「いじめ紀行」は、村上氏なりの問題意識に基づく、イジメをめぐってその加害者側からも被害者側からも詳細に体験を語ってもらおうという主旨の、村上氏自身が同誌に持ち込んだ企画らしい。正確には、連載タイトルは「村上清の〝いじめ紀行〟」です。つまり小山田氏は、その村上氏の連載の、第1回目のゲストとして登場したにすぎません。
そして問題の小山田氏へのインタビュー記事がもし不快なものであるとすれば、何よりも、村上氏の手になる〝地の文〟がまず不快なのです。地の文はインタビューの合間合間にも挟み込まれますから、インタビュー部分は仮に違和感を持つとしても不快感というより単に疑問符の嵐、小山田氏は一体どういう心境でこんなに楽しげにイジメを語れるんだろう?という釈然としない思いに駆られるというようなことなんですが、そこに地の文が挟み込まれると、一気にただ不快な気持ちにさせられます。地の文に始まり地の文で終わるので、読後感は極めて不快です。
〝鬼畜〟なのは小山田氏ではなく村上氏ではないのか、という気がしてくるのです。
が、しかし困ったことに、私たちはすでに北尾修一氏なり町山智浩氏なり吉田豪氏なりの証言によって、村上氏が実はかなりハードなイジメの、もちろん被害者側からの経験者であるという情報を知ってしまっています。しかも「いじめ紀行」はそんな村上氏が自ら提起した企画だというのです。村上氏はイジメ問題に関して、まさか軽薄な興味本位、覗き趣味的な感覚でいるはずがなく、むしろ極めて真面目な、強いこだわりを持っているはずなんです。それで、これか?と。
具体的に見ていきましょう。
タイトル・ページには惹句として、「『新しい方法で〝いじめ〟を考えてみる』シリーズ」とあります。具体的にどういうことなのか今ひとつ理解しがたいとしても、何らか真面目な意図でイジメ問題に斬り込もうとしてはいるらしい。そこでここはひとつ謙虚になって、私たちの側が村上氏の意図を理解できていないだけかもしれないし、不快感をぐっと抑えて、まずはその不可解な意図を汲み取る努力をしてみようではないか、と。
本文1ページ目の前半は、村上氏の自己紹介です。周囲で見かけたちょっと気になる人に次々とインタビューを敢行するミニコミを発行しています、という内容に続けて、1ページ目後半、いよいよ本題に入ります。「そんな僕にとって、〝いじめ〟って、昔から凄く気になる世界だった。例えば/※ある学校では〝いじめる会〟なるものが発足していた。この会は新聞を発行していた。あいつ(クラス一いじめられている男の子)とあいつ(クラス一いじめられている女の子)はデキている、といった記事を教室中に配布していた。/とか、/※髪を洗わなくていじめられていた少年がいた。確かに彼の髪は油っぽかった。誰かが彼の髪にライターで点火した。一瞬だが鮮やかに燃えた。/といった話を聞くと、/〝いじめってエンターテイメント!?〟/とか思ってドキドキする。/だって細部までアイデア豊富で、何だかスプラッター映画みたいだ。(あの[イジメられていた少年が自殺に追い込まれたことが大きく報道され、〝学校でのイジメ〟を一気に社会問題化させた85年の]『葬式ごっこ』もその一例だ)」というのが、実質的な書き出しです。
何を云っているのかさっぱり分かりません。いや、それこそ単に軽薄でモラルの欠片もない人非人が興味本位でイジメ問題を取り上げているだけのことであれば、ただ書いてあるとおりに受け取ればよく、理解できます。こういうことを書く奴はガス室送りにすべきだ。しかしどうもそうではないらしいから私たちは途方に暮れざるを得ないわけです。それにもしそんな単なる人非人企画であれば、同時期の『危ない1号』などの「鬼畜系」とは違う、王道の健全なサブカルチャー誌たる『クイック・ジャパン』の編集会議を通るわけがありません。
ただまあ、要は村上氏にライターとしての才能がないだけでは?という疑惑はすぐに頭をもたげてはきます。何よりもまず、自分を立ち位置を確定できていないのです。書き出しからして、「僕にとって、〝いじめ〟って、昔から凄く気になる世界だった」とまるで他人事です。ここはむしろ、自分も実はハードにイジメられた経験を持つ当事者だ、と宣言してしまったほうがいい。それだけのことで、仮に「いじめってエンターテイメント!?」などという暴言を吐いても、自身の辛い経験をどうにか相対化して、何か別の視点を獲得することによって解放されたいという気持ちなのかな?といったふうに、ただ「不快」という脊髄反射的反応とは違う読み方を読者に促せます。しかし村上氏は、「僕自身は学生時代は傍観者で、人がいじめられるのを笑って見ていた。短期間だがいじめられたことはあるから、いじめられっ子に感情移入することは出来る。でも、いじめスプラッターには、イージーなヒューマニズムをぶっ飛ばすポジティヴさを感じる。小学校の時にコンパスの尖った方で背中を刺されたのも、今となってはいいエンターテイメントだ。『ディティール賞』って感じだ。どうせいじめはなくならないんだし」などと続けてしまう。全然ダメです。
まず自分がはっきりとイジメられる側だったことを認めろよ、と。その情報が本文中にはないから……まあ「コンパスの尖った方で背中を刺された」とかってことは書かれてはいますが、そういうイジメを受けていたのは「短期間」で、「今となってはいいエンターテイメントだ」と振り返ることができる程度のものだと、自分がイジメられっ子だったと読者に思われまいと自分で一所懸命否定しているんですから、今回のように北尾氏や町山氏や吉田氏などによるテキスト外からの情報提供がなければ、本人が書いているとおり基本的には「傍観者で、人がいじめられるのを笑って見ていた」という鬼畜な奴なんだな、と受け取るのが正しい現代文読解というものです。
すると、これはまったく鬼畜が書いた鬼畜丸出しの鬼畜垂れ流しであるとしか読めません。イジメられた側が書いている文章だという前提で読めば、イジメに「ポジティヴさ」を「感じる」のではなく「感じたい」のだなと分かる。自身の悲惨な経験に何らかの積極的な意味を見出すことで、直視しがたい悲惨なイジメられっ子時代を肯定的に捉え直し、「ポジティヴ」に語れるようになりたいんだな、と解釈できるわけです。そうであればまったく不快ではありません。しかしそのためには、せめて自分が「傍観者」などではなくれっきとした「イジメられっ子」で、他人が「いじめられるのを笑って見ていた」のではなく、自分がいじめられるのを見て笑っている他人がたくさんいたのだということ、「短期間だがいじめられたことはある」のではなく、かなりの長期にわたってイジメられ続けていたのだということぐらい、まず直視する必要があります。辛いでしょうから、細部にわたって思い出し、直視する必要はありません。具体的なことは思い出したくないが、結構な長期にわたってハードにイジメられた、ぐらいの線で素直に認めればいい。そもそも、本当にイジメに「ポジティヴさを感じる」のであれば、自分がイジメられっ子だったことをあっけらかんと肯定し、そのことを書けるはずです。まだ「ポジティヴさを感じる」ことができていないから、自分がイジメられっ子だったことを認めたくない、イジメられっ子だったと読者や世間に知られたくない、と思ってイジメられっ子だった事実を頑なに否定してしまうんです。ならば、「ポジティヴさを感じる」などと嘘を書いてはいけない。
おそらくは〝きれいごとでは済まないイジメという出来事をまずはニュートラルな視点で直視しよう〟という企画主旨でありながら、しかし肝心の筆者自身が、今なお現実を直視することから逃げ続けているから、読む者を不快にさせる文章しか書けないんです。少なくともこの時点での村上氏には、まだモノを書く資格がない、したがってつまり才能がない。文章技術などといった小手先の話ではなく覚悟の話であり、覚悟も才能のうちです。
村上氏が『ロッキンオン・ジャパン』のインタビュー記事を読んで、小山田氏にもっと詳しく話を聞きたいと思い立つ場面なども、いちいち軽薄でカンに触ります。本当は、もっと真面目に考えているはずなんです。それが文体に表れてこない。ただの鬼畜系ライターが、〝イジメのエキスパート〟にエグい話をいっぱい聞きたい、とか云ってるようにしか見えないんです。もう1回、丁寧にイジメられて出直して来い!とでも云ってやりたくなります。
インタビューに先だって、小山田氏にイジメられていた当事者を探し出そうと奔走するくだりも、ただただ不快です。実際にはたぶんオドオドとしたキャラクターなのではないかと思いますし、恐る恐るアプローチしたんだろうと思いますが、ただ無神経にズカズカと、他人の傷口をこじ開けようとして回ってるようにしか読めません。単なる嗜虐趣味のゴミカス野郎ではないか、と。
なので、小山田氏の語りは基本的には誠実なものなのですが、村上氏の地の文の印象に引きずられて、不快な気分で胸も頭もいっぱいになった状態でインタビュー部分に入っていくと、まるで小山田氏までが鬼畜の仲間であるかのように感じられてしまうところがあります。あんな不快なものは二度と読みたくない、という人も多いでしょうが、ここはいっそ、地の文を一切オミットして、地の文のことはもう忘れて、インタビュー部分だけを読み直してみると、印象が変わってくるかもしれません。
とはいえ、小山田氏の語りもまた奇っ怪なものです。この奇っ怪な印象はどこから来るのだろうと考えてみるに、結局のところ小山田氏は、自分が「沢田君」や「村田君」をイジメていたという事実を、頑ななまでに認めようとしないんですよ。正確に云うと、「今から思えば」れっきとしたイジメだったことはすんなり認めるんです。もちろん、そうでなければ「いじめ紀行」なんて企画に加害者側として登場することを承諾したりするはずがありませんよね。ところが、当時リアルタイムでは、イジメているつもりはなく、「一緒に」ふざけて遊んでいるつもりだった、という線は絶対に譲ろうとしない。イジメる側はみんなそう云うんだよ、という意見はありましょう。私もそう思います。しかし、小山田氏はとにかく奇妙なまでに頑なで、だから読んでいてつい笑ってしまったりするんです。ハードにイジメまくっている話をさんざんしておきながら、〝イジメているつもりはない〟などと強情を張る。かと思えば、すぐに続けて〝今にして思えば〟「イジメなんだけどさ(笑)」です。これは笑って読んだとしてもべつに人非人ではないんじゃありませんか? インタビュアーの村上氏や、同席していた編集者の赤田祐一氏や北尾修一氏もつい吹き出してしまう、というのは仕方ないでしょう。「これはイジメじゃないんだけど……」と小山田氏が饒舌に語るエピソードが、聞けば聞くほどいちいちことごとくイジメ以外の何物でもなく、「いやいやいやいや、イジメだよ!(笑)」という「(笑)」です。
かなりハードなイジメの話を微に入り細にわたって延々と、しかも楽しげに笑いながらとめどなく語り続ける小山田氏について、まあ不快と云えば不快なような気もしつつ、単に不快というのとは違ういわく云いがたい気分にさせられるというほうが当たっている気がして、時間を措いて何度か繰り返し読んでみるうちに、次第に気づいてきます。少なくとも一番初めの時点では、小山田氏の云うとおりそれはイジメではないんです。主観的にはまったくイジメではないんでしょうし、客観的にも微妙な気がします。もちろんそれが、エスカレートしていくにつれて、誰がどう見てもイジメでしかないものに変質していくんです。ところが小山田氏ら、ちょっと離れて客観的に見れば明らかにイジメている側の人たちの主観の中では、その過程はただのグラデーションで、どこまではイジメではなく、どこからはイジメである、というようなはっきりとした線引きはできないわけです。ある程度以上の段階になると、実は小山田氏も内心、これはイジメではないか?と思い始めているフシはあるんですが、やはりイジメだと認めるわけにはいかないんですね。おそらく〝イジメは悪いことだ〟という認識はあって、だから自分のやっていることは決してイジメではないと思いたい。それはイジメた経験を回想している現在の意識ではなく、イジメていた当時の意識として、です。小山田氏は、〝今から思えば〟それがイジメだったことを明確に認めます。しかし、当時の意識としては、決してイジメているつもりはなかったという〝事実〟を絶対に否定しようとはしないんです。これは保身とは違います。だって、〝今から思えば〟イジメだったことは認めているんですから。小山田氏はむしろ誠実なのであって、〝決してイジメているつもりはなかった〟からこそ実際にはイジメがエスカレートしていくというメカニズムが、小山田氏が当時の意識のありように頑なにこだわり続けることによって、むしろ明確になっていきます。
「イジメ、ダメ、絶対」などと呪文を唱えているだけではイジメは絶対になくならない、という、おそらくは村上氏の本当の問題意識が、村上氏の稚拙な文章によって台無しにされながら、しかし小山田氏の誠実な語りによって結果として表現されていくさまは、まるで魔法を見せられているかのようです。イジメっ子だった当時の小山田氏にも、「イジメ、ダメ、絶対」みたいな道徳観念はあり、自分のやっていることはイジメではないと思っている、あるいは思い込もうとしているからこそ、却ってイジメは残虐なレベルにまで加速していきます。
イジメっ子時代の小山田氏の中にも、それなりの倫理・正義感のようなものがあります。語られていることから推測するに、大怪我をさせる可能性があったり、まして死なせてしまうかもしれないようなことはアウトで、それは当時の小山田氏にとっても、〝ダメ、絶対〟な〝イジメ〟です。相手の精神を崩壊させてしまうかもしれないようなこと、つまり「全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさし」たり、「ウンコを喰わしたり」というようなこともそうなのでしょう。逆に云えば、そこまでは行かないようなことであれば、当時の小山田氏の基準では〝アリ〟です。やられる側からすればたまったものではないですが、「沢田君」を段ボール箱に閉じ込めてガムテープでグルグル巻きにして、〝空気穴〟を開けて時々「大丈夫か?」などと声をかけて確認し──つまり死んだりはしないように〝配慮〟しつつ、そこから「毒ガス攻撃だ!」とか云って黒板消しをバタバタやったり、「村田君」をロッカーに閉じ込めて扉の側が下になるように倒し、抜け出せないようにした上で何人かでガンガン蹴るとか、そういうことならちょっと怖い思いをするだけで怪我をするわけじゃないんだし……という感覚でしょう。イジメの定番であろう〝プロレスごっこ〟も、常に「村田君」が技をかけられる側で、「すぐ泣く奴」だっという彼が仮に痛い痛いと泣き出したりしたとしても、怪我さえさせなければ〝アリ〟なんだと思います。まったくヒドい話ですし、小山田氏も、〝今から思えば〟あれはイジメだったという認識でいるんですが、イジメる側の主観としてはきっとそういうつもりなんだろうなあ、と非常にリアルなものに感じられます。
ところが、〝どこまでならアリか?〟という基準はイジメっ子によって違いますから、小山田氏らイジメの常連グループがいつもの調子で〝ちょっとフザケて〟いるつもりで特定の〝友達〟にプロレス技などかけて〝遊んで〟いると、面白がって割り込んできた新参メンバーが、それまでのメンバー内でなんとなく共有されている基準が分からずに、下手をすると死んでしまうかもしれないような技をかけたり、「全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさし」たり、「ウンコを喰わしたり」という展開が起きます。小山田氏からすればそこまでいくと〝イジメ〟なんですが、急に「やめろよ」などと云い出すのもバツが悪いでしょうし、結局は場の空気に流されて、内心動揺しつつヘラヘラ笑って見ていた、という話も出てきます。これまたリアルな描写でしょう。小山田氏自身も、イジメられっ子をマットレスでグルグル巻きにして、その上から「ジャンピング・ニーパットやったりとか」しています。マットの上からなんだし、そんなことで死にはしないだろうと思っていたんでしょうが、のちそれで死なせてしまう事件が大きく報道されるわけで、小山田氏も、「あれはヤバイよね、きっとね(笑)」と振り返っています。こういうところにいちいち「(笑)」を付けるのが書き起こしている村上氏の才能のなさなんですが、もちろん小山田氏自身が笑いながら話したんでしょうし、これまたニュアンス的には「考えが足りませんでした(笑)」という自嘲的な「(笑)」です。
云うまでもないことであるような、もしかするとわざわざ云わなければならないのかもしれないような気がしつつ云うんですが、まさか小中学生時代にヒドいイジメの加害者だったから小山田氏を許してはいけないと考えている小中学生レベルの大人はいませんよね? オウム事件でタガが外れて、そのさらに2年後の酒鬼薔薇事件で「悪い子供は殺せ!」つまり14歳だろうが死刑にしろ!的な大合唱になったようなFラン国家ですから、意外とそういうダメな大人も多いのかもしれません。
小学生はもちろん、中学生だってごく少数の早熟な人を除いて、大多数はまだ半ばサルであるような年頃でしょう。分別も何もありません。すぐにタガが外れて、マズい方向に流されたりしてしまうものです。一線を超えてしまうことだって、ままあるでしょう。小山田氏の誠実な回想は、ああ、子供というのはすぐそういうことになっちゃうんだよ、ということをまざまざと実感をもって思い出させてくれます。イジメられた側はたまったものではありませんが、こればかりはどうしようもない。ヒドい間違いを繰り返しながら、大人になるまでにどうにか、分別というものを身につけてくれるよう願うしかありません。自分が小中学生だった頃を思い出してみれば、そうそう小山田氏のイジメを一方的に非難する資格はないことに思い当たるはずで、思い当たらない人は、まともな大人になれていないことをまず自覚すべきです。私は中学生の頃と云えば、もうその2、3年後には政治活動の世界に足を踏み入れるような「ごく少数の早熟な人」の側ですから、当時すでにハナモチならん正義の人であって、イジメとも断乎闘っておりましたが、小山田氏などはしょせん大人になってもサブカル界でしか活躍できなかったような凡庸な人なんですから、一緒にするわけにはいきません。私とは違うんです!
小山田氏がイジメた相手が障害者であったことに過剰にこだわっている人も多いようです。要するに〝知恵遅れ〟的な、とりあえず介助者などいなくても通学できるぐらいの軽度の障害者であったようなんですが、小山田氏が加担したイジメは、相手が障害者であろうがなかろうが、大人がたまたま現場に出くわしたらとりあえず怒鳴り飛ばして往復ビンタの5往復や10往復はくれてやるべき、ろくでもない事例です。グーで殴ってもいいくらいです。ただし同時に、子供の過ちに対して、大人は寛容でもなければいけません。むしろ子供のうちにたくさん間違っておかないと、大人になってから子供じみた間違いを起こすことになります。小中学生の頃の小山田氏のイジメについて、いい大人が今さらどうこう云うべきではありません。しつこく追及してよいとすれば、小山田氏にイジメられていた当人だけです。イジメられた経験があって、イジメの恨みは絶対に忘れないというのであれば、小山田氏ではなく、自分をイジメた連中を、草の根分けても探し出して報復すべきです。私が、今回の騒動の火元となったデマ記事の犯人がもしや小山田氏にイジメられた当人──つまり「沢田君」や「村田君」であった場合に限って、その卑劣な復讐を支持すると云っているのも、そういうことです。
もちろん、小山田氏の小中学生時代のイジメはどうでもいいんだ、そのことを20代半ばのれっきとした大人になって、雑誌で自慢話のように語ったことが許せないのだ、という多少は常識的な向きも多いでしょう。小山田氏の雑誌インタビューが、実際に〝イジメ自慢〟であるならば、そのとおりです。ところが、『ロッキンオン・ジャパン』はそうではありませんでしたし、『クイック・ジャパン』もよく読めばそうではなく、むしろ『ロッキンオン・ジャパン』よりはるかに良質な、イジメという現象のリアリティを浮きぼりにする素晴らしい記事であるわけです、村上氏の地の文さえもう少しちゃんとしていれば。
小山田氏の回想をもう少し追ってみます。
イジメられた側が軽度の精神障害者だったこととも関連するんですが、そもそもの始まりの段階では、小山田氏はその〝変わった級友〟に、とにかく単に興味津々なだけです。小学校のしかも低学年、小2の時の話です。転校してきた初日に、廊下でズボンを脱いでパンツを脱いで、下半身丸裸になってトイレに駆け込んでウンコをした、と。半ばどころかほぼサルである小学生しかも低学年生にとっては衝撃的な事件です。障害者だとか何だとか、そんなカテゴリーは小学校低学年にはまだありませんよ。〝とにかく変わった奴〟でしかない。一体どういう奴なんだ?ってことで興味を抑えきれずに、こんなことを云うと、こんなことをすると、一体どういう反応をするのか、気になってしまうと試してみずにはいられなくて、次々とさまざまな「ちょっかい」を出してしまう。小学生時代を通してイジメは次第にエスカレートしていったようで、段ボール箱に閉じ込めて〝空気穴〟から黒板消しでバンバンと……というのは、この「沢田君」に対しての小学校5年生の時のイジメです。なお、『ロッキンオン・ジャパン』で、イジメの「アイディアを提供」して云々というのは、この「黒板消し」などの例を指しているようでもあります。
ただ、中学生になって以降は、「沢田君」をイジメ続けていた話は出てきません。中学時代は単にクラスが別々になっていただけのようですが、再び同じクラスになった高校時代にはフツーに友達付き合いをしている様子です。いつも鼻水を垂らしているのを見かねて、箱入りのティッシュを買って渡したり、むしろ世話を焼いてやっている感じですらあります。北尾修一氏の検証記事に対して、イジメの加害者と被害者の関係を、まるで本当は友達同士だったかのように解釈させようとしている、という非難が巻き起こりましたが、小山田氏の回想に即す限りでは、主観的にはともかく客観的には明らかに加害者と被害者という関係だったのは小学生時代の話で、高校時代にはそうではないようですし、小学生の頃と高校生の頃とで関係が変化しているというのは、何ら不可解な話ではないはずです。「沢田君」が母親と住む家を村上氏が探し当てて訪問した際、「沢田君」は小山田氏と仲が良かったのかと訊かれて「ウン」と答え、母親も小山田氏とは「仲良くやってたと思ってました」と云ったという話も、とくに不自然ではないでしょう。もし北尾氏が、小学生の頃の関係を「本当は友達同士だった」としたのなら歪曲ですが……ただし小山田氏の側は小学生の頃から主観的には一貫して「友達」のつもりではいたようで、しかし〝今にして思えば〟小学生の頃にやっていたことは明白にイジメだった、ということのようです。記事の最終ページに掲載された「沢田君」からの小学生時代の年賀状の意味も、〝今にして思えば〟イジメでしかなかった当時の関係を小山田氏なりに反省していて、今でも年賀状をちゃんと取ってあるように主観的にはこの頃からずっと「友達」のつもりでいたんだけど、そう受け取ってはもらえなかったかもしれん、すまん、の意味でしょう。もちろんそれがほとんど伝わらないわけですが、村上氏の地の文のせいで。
ちなみに、加害者側の一方的な話を雑誌に載せるなんて!という怒りの声もたくさん見られました。私は、そんなことには何の問題もないと考えます。とくに、被害者を自称する側の一方的な話だけが流通する傾向がある現在、ますます強くそう思うほどです。加害者とされる側にだって云いぶんはあるでしょうし、もしかしたら実は加害者でも何でもなく、自称・被害者による誣告だったということもあるかもしれないんです。ヘサヨの連中がたまに蒸し返す、私のかつての〝DV〟事件とされているものもほぼそういうケースですし、被害者とされる側の了承がなければ加害者は何も語れない、なんてことはあってはなりません。もちろん例えば本当に単なる〝イジメ自慢〟のような記事であれば、そんなもん載せちゃダメです。結局、是々非々であって、加害者側の一方的な話を載せるのは絶対アウトだとか絶対許されるとか、一般化できません。
今回のものは、しつこいですが村上氏の地の文のせいで、ちょっと微妙ではあります。そもそも村上氏は、元イジメっ子の小山田氏と元イジメられっ子の「沢田君」との対談、という鬼畜きわまりない企画を本当はやりたかったようです。まあ、鬼畜きわまりないというのは冗談で、先に述べたように高校時代には、つまり最後に会った高校卒業の時点ではもうとっくに、〝イジメる・イジメられる〟の関係ではなくなっていたんだとすれば、2人の再会をセッティングすること自体はべつに残酷なことではないでしょう。しかしこの対談は、村上氏の報告によれば、「沢田君」の病状が進んでいて対談などできる状態ではないということで、「沢田君」の母親からお断りの連絡があり、実現しませんでした。本来ならその時点で「いじめ紀行」第1回の〝小山田圭吾の巻〟はポシャるはずだったんですが、小山田氏の側から、打ち合わせの時の録音を使ってはどうかと提案があり、実際そのようなものとして記事は掲載されたわけです。
小山田氏は、かつてイジメた「沢田君」と「村田君」のうち、とくに「沢田君」に対しては強い思い入れがある様子です。そして、単なる成り行きで掲載されてしまった『ロッキンオン・ジャパン』の記事とは違って、この『クイック・ジャパン』のほうは、最初からイジメのことを詳しく語るつもりであり、しかも村上氏が「沢田君」や「村田君」の実家と連絡をとりながら企画を進めていて、掲載された記事は当然、まあ病状が進んでしまっているという「沢田君」本人にはともかく、少なくともその母親には読まれるだろうことが前提になります。したがって小山田氏の提案は、場合によっては「沢田君」本人にも読まれる可能性を考えた上での、むしろできれば「沢田君」本人にこそ読んでほしいと願ってのものであることは間違いありません。さきほど述べた末尾の「年賀状」の解釈も、そのことを踏まえたものです。
もう1人のイジメられっ子である「村田君」を小山田氏がイジメていたのは中学生時代です。「村田君」は「沢田君」よりもさらに軽度の精神障害者で、小山田氏によれば、「わりと境界線上にいる男で、やっぱ頭が病気でおかしいんだか、ただバカなんだか、というのが凄い分かりにくい奴」とされています。形容の仕方が無神経なように感じるかもしれませんが、私はむしろ、同じクラスの生徒という近しい関係性の中で、仮にポリティカリーにコレクトな格式ばった形容がおこなわれたほうが、よっぽど何か差別的な心性の存在を感じてしまいそうです。小山田氏らが、ロッカーに閉じ込めて外側からガンガン蹴飛ばしたり、プロレス技をかけたりしてイジメていた相手が、この「村田君」であるようです。プロレス技をかけて「遊んで」いるところに、加減というものをわきまえていない新参のイジメっ子が現れて、シャレでは済まない危険な技をかけ始めたり、全裸にしてオナニーを強要したり、というのも「村田君」に対するイジメで、「ウンコ喰わせて」云々というのもそうなんでしょう。この「村田君」が、のちに同窓会に顔を出したことがあると小山田氏は語っています。もし高校生活の最後までイジメられ通しだったとすれば、同窓会なんかに顔を出すとは思えませんから、「村田君」に対するハードなイジメも、やがて止みはしたのでしょう。
いずれにせよ小山田氏が、直接的なものであれ傍観者的なものであれイジメの加害者であったのは、中学生時代までのことであるようです。小山田氏の回想に即す限りでは、さすがに高校生になってからは分別もついて、先ほど述べたように「沢田君」にもむしろ優しく接しています。
それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。
懸案の〝謎〟を解決しましょう。
小山田氏の回想はイジメの問題を考える上で、これ以上は望み得ないレベルの貴重な証言です。そうそう、多くのイジメはこんなふうに始まるし、こんなふうにエスカレートしていく、という典型的なありようが語られています。これは、小山田氏がまさしく、世間が要求するような意味では「反省」しない人間だからこそ可能であるような語りです。
安易に「反省」してはいけないのです。
イジメていたつもりはなかった、ただちょっとフザケてからかっていただけで、「友達」のつもりだったというのが主観的には「真実」なのだとすれば、安易に「あれはイジメでした、ごめんなさい」と謝罪を口にするのではなく、イジメているつもりはなかったのに、どうしてイジメと云われても仕方がないような状況に至ってしまったのか、その経緯にとことんこだわり続けるべきなんです。小山田氏はおそらく、それをちゃんとやっている人です。
イジメられた経験を持つ側もさまざまで、やはり「きちんと反省して、償ってほしい」という人が多いんだろうとは思いますが、「今さら謝られたってどうにもならない。むしろ簡単に謝ってなんかほしくない。イジメた側はイジメた側で、自分の経験と真摯に向き合ってほしい」と、あえて言葉にすればそんなふうに、考えている人も少数ながらいると思うのです。そういう人たちが、小山田氏の〝告白〟を読んで「救われた」と感じることは、充分にあり得ます。
最後に、村上清氏について云っておかなければなりません。はっきり云って、小山田氏の真摯な告白を、まるでその正反対のものであるかのように誤認させてしまった最大の責任は村上氏にあります。
もちろん村上氏にも情状酌量の余地は充分にある。
村上氏もやはり、「イジメ、ダメ、絶対」などという空疎なスローガンの連呼では何も解決しないと考えて、そうではないイジメ問題への迫り方を模索しようとしたのでしょう。村上氏は盛大に失敗しましたが、その失敗を、「イジメ、ダメ、絶対」の連呼という何の意味もないキャンペーンの枠組から出ようと志したこともないような連中が非難する資格はありません。そういう連中より、村上氏のほうが何億倍も立派です。
しかし、その失敗が原因で、小山田圭吾というまあそれなりに実績も才能もあるのであろうミュージシャンが、それ以上に、イジメ問題に関する最良レベルの語りを実践してくれたあまりにも誠実すぎる人物が、窮地に立たされています。この状況を傍観してダンマリを決め込んでいるようであれば、村上氏は単にライターとして未熟だったという謝れば済む程度の落ち度ばかりでなく、悪質なイジメの傍観者と同レベルの卑怯者であることによって、責めを負わなければならない立場に身を落としてしまうことになります。もともと『クイック・ジャパン』第3号のくだんのインタビュー記事は、村上氏にとって、志は良かったが才能あるいは覚悟が伴っていなかったというだけの小さな失敗にすぎません。しかし、ここで体を張って小山田氏を守ろうとしないのは、その志すら自ら裏切ってしまうということです。
志したテーマの正しさは確信しているが、それを担うには書き手として未熟だった、という以上の「反省」などする必要はありません。小山田氏に対しても「謝罪」は必要ないでしょう。提示したテーマにふさわしい、素晴らしい素材を提供してくれたことに感謝の念でも示せば、それで充分です。細部の文言はともかく、小山田氏を見殺しにはしないという決意を公然と表明することができれば、その時点で、今度こそ「いじめ紀行」をいよいよ担うに充分な才能あるいは覚悟をも、村上氏はすでに手にしているはずです。