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【創作】夢の案内人 4

 克也と最後に話したあの日の夜、案内人が出てきた。

「祐斗様のご学友の件は、大変不幸なことでございました。ですが、せっかくの才能や能力を、父親への反発から投げ捨ててしまうなど、愚かな行為と言わざるを得ません。誠に遺憾ながら、事ここに至っては、手の施しようがありません。ですが祐斗様、それは決して、あなた様の所為ではございません。あなた様が悔やまれることなど何一つないのでございます」

そうだ、俺は克也に何もしていない。明るい道を選んだだけだ。そうだ、あいつは自滅したんだ。

案内人と話しているときは、そう思っていられた。
だが朝目覚めると、やはりしこりのようなものを感じた。
それは様々な疑問という形で湧き始めた。 

克也は、初めて会ったときから半透明で、影だけ真っ黒に見えたと言った。
どういうことだ、全くわからない。
笑顔を貼り付けた仮面というのは、まさか案内人のことか?
いや、そんな筈はない。
だが克也は、俺が明るい道にいる者を探していたことも見抜いた。

そんなことがなぜできた?
それに、見抜いたのは本当に克也だけか? もし他にもいたら?
今まではいなかったとしても、今後も見抜く奴は現れないと言えるのか?
もし誰かに案内人のことを知られたら、案内人は俺から離れるのか?
案内人は、誰かに話したらどうなるかなどについては、何も言わなかった。


表面的には穏やかな日々が過ぎていった。克也の退社理由についてしばらくは憶測が飛び交っていたが、山崎が入手した『親の会社に入るためだったらしい』という情報で、概ね収束した。

が、俺の疑問は残った。いや、更に広がった。
克也は、能力も人望もあった。それを、父親への反発から惜しげもなく捨てるとは。自分の将来を犠牲にするほどの意味があることとは思えない。
あいつは何を欲していたんだ? 

その一方で、克也の言葉、『俺の人生は俺が決める』が俺を揺さぶった。
俺たちは全く別の世界の住人だとあいつも言っていたじゃないか。俺とは違うのだ。そんなことで動揺する理由がない。わかっていても、ふわふわと浮いているような、足元が崩れるような感覚を何度も味わった。

今後、第二の克也が現れるかもしれないと危機感も更に募っていく。そのとき案内人はどうするのか、俺はどうなるのか。
そして『上手くやれ』という言葉も、追い打ちをかける。

こんな感情は今まで感じたことがない。相反する感情、合理的な思考ができなくなっていることへの驚きと恐れ。正体の見えない何かがじわじわと身に迫ってくるようだった。


6月、父の日に合わせ久しぶりに家族で集まることになった。両親の家で4人で小さく祝おうと、姉から声をかけられた。大学入学後、俺も姉も家を出ていた。俺は、姉ほど頻回には両親の家には行っていなかったので、たまには顔を見せてやるようにという姉の言葉に異を唱えることはできなかった。

父が俺を出迎えてくれた。姉はもう母とキッチンでワイワイやっているらしい。
父は俺を書斎へと促した。
母の日には俺からの贈り物が届いたし、電話でお前の声を聞けたと喜んでいたが、やはり直に会える喜びは比ではないらしい。昨夜から嬉嬉として仕込みを始めた。無理はする必要ないが、たまには顔を見せてやれ、と言われ、気をつけると応えた。

「仕事の方はどうだ? 順調か?」
「問題なくやっているよ」
「そうか」
と微笑んで本題を切り出した。


父はある企業の噂話を始めた。ちょっとした ”お家騒動” があったという。若い息子が2代目として社長職についた。詳しい経緯は聞いてはいないが、父親が会長職におさまるのを息子が阻止して父の一派を追い出した。息子は敵対して窓際に追いやられていた一派と協力して会社を立て直した。が、直後にその一派を束ねていた者に社長職を譲り、自分は退陣したというのだ。

「噂では、先代は違法すれすれの行為をしていたらしく、自浄作用とばかりに証拠を突きつけ追い出した。直後に社名を変更し、迅速に新体制を整えた。騒動はあっという間に終わった。これだけ迅速に幕引きするには、ずっと以前から、周到に用意していなければ新体制も整うはずはない」

克也だ、克也に違いない。父親が会社を立て直すよう命令したと、そして命令には従わないと、言っていたじゃないか。あいつはそれを見事にやってのけたのだ。 

「あまり大きな企業ではないし、あまりに終決が早かったのでまだ報道などはされていない。その息子はどうやらお前と年が近いらしい。お前の周りで噂になっているようなことはないか?」

思わず知らないふりをした。

「そうか。我がグループとは取引はないので問題は起こらないだろうが、先々を考えればお前も知っておいた方がいいだろうと思ってな」

姉が用意ができたと呼びに来て、この話は終わった。
「祐斗、わかってるわね、ちゃんと協力してよ」
こっそり隅に引っ張られ、耳打ちで念を押された。楽しい食事会にしたいと、初めから姉に言われていた。勿論そのつもりでいたのだが、かなり苦労した。

克也のことが頭から離れなくなってしまったからだ。
あいつらしいと笑った自分がいた。一方で、羨ましいと感じた自分がいることに驚いた。
そして、退陣した克也はその後どうなった? どこへ行った?
まとまらない思考が乱反射して収拾がつかなかった。


1~2週間後だったか、山崎から克也の噂を聞かされた。” お家騒動 ” ではなく、克也を見かけたという噂だ。
部署内の、山登りが趣味の先輩から、ある山に出かけた際、克也に似た人物を見かけたという。だが、日焼けし髪もボサボサ、髭を生やしてもいた、登山客を案内しながら、反対方向へ行ってしまい、声もかけられなかった。先輩も自信はない、他人の空似かもしれないと言っていたという話だった。

業種が違うので、おそらく社内では『お家騒動』を知る者はいないだろう。退職理由と合わないこともあり、この話は立ち消えた。
だが、本当に見間違いか? 小学校の校外活動でキャンプした際、いつも以上に頼られ、テキパキと作業していた克也の姿を、俺はぼんやりと思い出していた。


その後も克也の話が完全に途切れることはなかった。同期からも、先輩からも、上役からも。

大抵はどこで見かけた、という程度の話だったが、先輩や上役から『彼を見習って・・・』という意味合いで言われた同期が愚痴をこぼしていた。川内には先見の明があったわけだが、それを称賛する者はいなかった。

克也の話が聞こえてくる度に、抑えつけていた様々な疑問や危機感が益々大きくなった。
半透明で影だけが真っ黒、笑顔を貼り付けた仮面、そして上手くやれという声が何度も聞こえ、常に克也に見張られているような気になり、いたたまれなくなった。

集中力を欠いた俺は、単純なミスをしてしまった。同期が気づき、知らせてくれたのですぐにカバーし、大事には至らなかった。初めてのミスでもあり軽い注意で済んだが、上役にも周りの皆にも、陰で嗤われているような気がした。

これまでの、優勝経験や称賛の言葉、評価や自信も、たった一度の敗北で全て吹き飛ばされてしまった。 

案内人が出てきて何か慰めを言っているようだったが、その姿は遠くぼんやりとしていて、言葉は俺のすぐ側で嗤う克也の声にかき消された。まるで崖から突き落とされたような恐怖を感じた。

毎日のように案内人は出てきたが、その度に姿も遠くに離れ、声も届かない。代わりに克也の言葉が何度も響いて俺を苛んだ。

日に日にミスが増えて、皆の俺を見る目がはっきりと変わり、その目に怯えた。自分はこんなに脆かったのかと、愕然とした。

遂に、上司に呼ばれた。社内のカウンセラーと相談し、しばらく休んではどうかと。
――終わった――と思った。
手続き上の説明をされたようだが、何も入っては来なかった。小さく頷き、素直に従った。
――どうでもいい、もう終わったんだ―― 

その夜、案内人は現れもしなかった。俺を見限ったということか。あれほど仰々しい態度で俺のためとか支えるとか言っていたくせに。まあ、仕方ない、俺は暗い道に落ちてしまったのだから。

虚しい笑いがこみ上げ、朝から酒を呷った。
――どうせ休みだ、どうでもいい――

何日も、無為に過ごした。酒を飲み、酔い潰れて眠り、悪夢にうなされ恐怖で飛び起きた。朦朧とした頭で、ぼんやりと思った。

どこで間違えたんだろう。何が悪かったんだろう。子どもの頃はこんなじゃなかった。両親に見守られ、様々な知識を得、豊かな時間を過ごした。毎日が楽しかった。何のトラブルもなかった。

ふいに克也が出てきて言った。「上手くやれよ」
そうさ、上手くやってきたさ。克也、お前が現れるまでは!

強烈に感じた怒りと憎しみ。こんなにも強い感情が俺の中にあったとは。
相手は幻影だとわかっている。わかっているが怒りが収まらず、本を幻影に向かって投げつけた。本棚に収めた分厚い本を、手当たり次第に何度も何度も投げつけた。 

全ての本を投げるより先に、体力が尽きた。不摂生が祟った。ベッドに倒れ込み、自分の愚かさを嗤った。

克也の所為にして何になる。克也は俺に、「好きにしろ」と言った。克也は目の前から消え、俺はこれまで通りの道を進めばよかっただけだ。現れるかどうかもわからない第二の克也の影に怯え、取り乱し、立て直しもできずに全て失った。

何年も母と妹のために耐え、計画を練り、決意した通りに父親への ”借り”を返した克也との、この差はどうだ。

克也の言葉が蘇る。
『俺の人生は俺のものだ 俺が決める 邪魔はさせない』

俺は明るい道を選ぶと決めたが、それすら貫けなかったではないか・・・

ビシッ! 一瞬、稲光のようなものが目の奥で光った気がした。

・・・・・・選んだ、のか・・・?

本当に、自分の意思で? 
・・・選ばされたのではなかったか?

案内人はなんと言っていた? 
より良い方向へ導く役目・・・どちらかの道を選ばなくてはならない・・・活躍・素晴しい人生・・・

何度も繰り返すうちに聞き流すようになったが、あれは刷り込みだったのだ。幼い子どもが相手なら簡単なことだ。あいつは俺を誘導していたのだ。

そもそも、あいつは何者なんだ?
夢に出て選択を迫るなど、考えてみれば異常だ。何の目的があって3歳の俺に近づいた?

いや、それよりも・・・

俺は酒を控え、体調を整えることを優先した。案内人を呼び出すために。

ようやく案内人を呼び出すことに成功した瞬間、高揚した。
いつもの美辞麗句を並べ立てる案内人を遮って言った。

「もう聞き飽きた。お前を呼び出したのは質問したいからじゃない。そこをどいてくれ」
「は・・・」
「お前はいつも俺の正面に立っていた。その肩越しに、二手に分かれた道があるのをずっと見てきた。なぜ二つなんだ。本当に二つしかないのか。お前が立っているその向こうに、三つ目の道はないのか」

「いえいえ、決してそのようなことはございません。わたくしはあなた様のためだけの水先案内人。あなた様のおためにならないことを申し上げたことなど一度たりとも・・・事実、これまでのあなた様の輝かしい業績は・・・」

これまでは素直に聞き入れていた言葉を、切り捨てるように続けた。
「なぜ片方の道だけが明るい。周りを全て薄暗くし、いくつもある道を隠すためじゃないのか? もっと周りを明るく照らせ。その背中の向こうはどうなっている」

「いえ、本当に何もございません。わたくしが祐斗様のおためにならないことなどするはずが・・・」
「そこをどけ!」
「どうか、どうか信じてくださいませ。わたくしは・・・」
「うるさい! 黙れ! もう騙されないぞ。お前の好きにはさせない! そこをどくんだ!」

ピシ、ピシ、ピシ・・・カシャーン・・・!
軽く乾いた音がして仮面にひびが入った。いや、一点に楔を打ち込んだような穴が。そこから一気にひびが四方八方に走り、粉々に砕けて落ちた。その下に隠された素顔が見えると思った刹那、案内人の姿そのものが粉々に砕け散った。

一瞬見えた気がしたその顔は、誰かに似ているような気も、誰にも似ていないような気もした。
だが欠片や塵さえも風がどこかへ吹き飛ばすと、明るい道も暗い道も第三の道もない、真っ白な空間が広がった。
これまでずっと見続けてきた仮面の形すら、俺は思い出せなくなった。

目覚めた後、覚えていたのは俺があいつにぶつけた言葉とあいつが動揺したこと。
もうこの先案内人は現れない。俺は確信した。

俺はゆっくり起き上がった。
今日、やらなければならないことがある。躊躇ってはならない。集中し、確実に処理しなくては。

俺は久しぶりに出社し、辞表を提出した。

思ったより簡単に受理された。まあそうだろう。迷惑をかけたし、会社にとっては一番望ましい結果だろう。そのことについては、俺は何も感じることはなかった。
部署内の挨拶を済ませ、人事部で必要な手続きをしてビルを出ようとしたところで誰かが俺を大声で呼び止めた。

山崎や同じ部署の同期が走ってきた。わざわざ他部署の山崎にも教えたのか。近づいてくる山崎の顔が怒っているような泣いてるような、変な顔になっていてつい笑ってしまった。

女性のうち一人が俺を責めた。
「今日で最後だなんて、お花買ってくる暇もないじゃない」
山崎は俺を馬鹿野郎と怒鳴った。

それでも俺は嬉しかった。案内人に操られていた頃なら、こんなことを嬉しいとは感じなかっただろう。
ああ、本当に俺は馬鹿だ、もっと早く気づけばよかった。こんな風に感じることも嬉しかった。


数日後、朝、食事を済ませて荷物を再確認した。切符も揃っている。
俺は、山崎が教えてくれた山に行くことにした。克也を探すために。
情報は曖昧で、他人の空似かもしれないが、今はそれに賭けるしかない。

気になることは二つ。克也がすぐに見つかるか、見つかったとして俺の話を聞いてくれるだろうか、ということ。
迷惑だと追い返されるかもしれない。

もし追い返されるとしても、せめて一言、伝えたい。克也への感謝を。
案内人の呪縛を解くきっかけをくれたのは克也なのだ。克也に会っていなければ、俺はずっとあいつの人形だったろう。

感謝を伝えるところから、改めて俺の人生をスタートさせたいと思った。そしてできることなら、今後のことも話したいと思う。

ふいに、何かがよぎった。これから何度も訪れるであろう、選択の機会。
今後は俺が、俺自身が選択するのだ。今までしてこなかったことを。
じわじわ鼓動が早くなっていくのを感じた。汗が滲んでくるのがわかる。やがて額から流れ始め・・・目眩だろうか? 景色が揺れた。倒れそうになり、急いでテーブルに手をついた。

・・・まだ呪縛は完全に解けてはいないのか。
片手をテーブルについたまま、片手で顔を覆った。
結局あいつに踊らされるのか? これからも? 冗談じゃない!

昔、克也が時々口にしていた言葉を思い出した。

「は・・・ダッセぇ・・・」
ああそうだ。こんなことでうろたえるな。こんな状態で、克也が話を聞いてくれるわけがない。堂々と会いに行け。追い返されても食い下がれ。そんなこともできないで、今後何ができるというんだ。

『お前の人生だ。好きにしろ』

どこかから、克也の声が聞こえた気がした。いや、記憶の中にあった声か。

「ああ、勿論、そうさせてもらうよ」

・・・後悔などするものか・・・今からやり直すのがどんなに難しいことでも。
大きく息を吐き、ゆっくり体を起こした。荷物を手に、玄関へ向かう。 

扉を開け、朝日の中へ一歩踏み出す。
俺の人生を、今日から、始めるのだ。


(終)






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