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おかか閣下

頭の中でイメージが結びついている言葉というものが、いくつかある。

僕のなかでの筆頭は、「おかか」と「閣下」。多分、おかかはおにぎりの文脈で知って、閣下は『天空の城ラピュタ』か何かで知った。そしておそらく、ほぼ同時期に知ったのだと思う。しかも、日常生活での登場頻度がほとんど同じくらいなのもよくない。閣下という言葉を聞くと、なんだか口のなかでおかかの味がする。あるいは、おかかを食べていると、脳裏に閣下の姿が蘇る(名前のない、概念としての閣下、閣下のイデア)。

まだそういう経験をしたことはないのだけど、もしも寝ているときにおかかを食べる夢を見たら、それは閣下に関する欲望を抱いていることの検閲の結果だと思う。あるいは反対に、閣下に関する夢を見ていたら、きっと僕はおかかを食べたいと思っているのかも知れない。あいにくそういう夢をみたことはないので、検閲ではじかれるほど反道徳的な形で、閣下を欲望したことも、おかかを食べたいと思ったこともないみたいだ。

別の例でいうと、唐揚げと空手も、僕のなかでは結びついている。これについては、ごく小さいころ、唐揚げを「からげ」と誤認していたことも大きい。しかも、厄介なことに、僕は両方に対して関係が深い。一番の好物は今でも唐揚げだし、空手の経験が役立つ場面もよくある。だからこの二つのリンクは僕のアイデンティティに強い統一性をもたらしている。

「あけび」と「びわ」にも、似たような感覚を抱く。「び」という、およそ果物的ではない音が、両者を結びつけているのだと思う。しかしビジュアルの方向性は180度違うので、間違えて注文するとえらいことになりそうだ。どっちも美味しいけど。

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