真夏の関西 葉月ツアー① 紀伊熊野前編
おはこんばんちわ とうやんです。
7月末に車🚙が返ってきた事で
急に茨城 長野 また長野と
泊まり込みでガッツリ冒険してきました。
が
まだお話は8月上旬。
次は怒涛の
紀伊 大和 河内 山城 近江
以上の県を廻って行きます。
つまり、
和歌山 奈良 大阪 京都 滋賀
で、血迷ったか また長野行きます。
諏訪大社六社から和歌山へ
土日と諏訪大社六社を廻り
月曜火曜と業務をこなし
その晩にまとめていた荷物を積んで
夜のうちに出発です!
ずーっと夜の高速を走り続け
またもや恵那で仮眠をとります。
1時から4時まで3時間寝ます。
そこから一宮JCT⇒三重へむかいます。
なんか料金所多すぎひん?
なんでなん?
深夜割引早々に終わってもうたやん。
桑名やらなんやらを通り過ぎ
伊勢も通り過ぎ
ついに無料道路に突入。
更に三重県を縦断します。
なっがい・・・
ようやく下道へ戻り
ガソリンの目盛も1となり
県境でセルフで給油。
さぁ 和歌山県に突入します。
新宮市に到着。
阿須賀神社 asuka jinja
和歌山県に入ると直ぐに地図左手に現れます。
公式から抜粋
阿須賀神社は、日本書紀にしるされている熊野村、熊野神邑でありまして遠く第五代孝昭天皇の御世の創立と申されます。ご承知のとおり伊邪那美命が熊野に参られ御生みになった神々をお祀りし、従って熊野は黄泉の国常世の国と読まれ、初め家津美御子命は貴袮谷、結速玉命はアスカの森に二宇の社、第十代祟神朝には熊野川上流の音無ノ里、結速玉命は第十二代景行朝、今の新宮に遷座、当社は熊野発祥の地と言われています。(長寛勧文1163年)
御祭神 事解男命、家津美御子大神、夫須美大神、速玉大神
配神 黄泉道守神、建角美神
稲荷社
こちらは徐福の社
不老不死を求め中国大陸から派遣された男です。
あの富士山周辺を舞台として日本の歴史を描いた
世間では偽書とされる宮下文書を編纂したその人である。
木ノ花咲耶姫
大変よい雰囲気です。
宮司さんが気さくな方であちらから
どんどん話しかけてきます。
良い人でよかった。
朝8時~9時というのに
ぽろぽろと参拝者が訪れます。
さすがわ大型連休といったところでしょうか。
ですが、誰もあの場所へむかいません。
私は行かねばという使命感でそこへ赴きました。
神社の横にある海沿いへ行くと
此処に徐福が降り立ったという碑です。
歴史に触れるには無視できないポイントです。
朝一番から良い陽気です。
熊野速玉大社 kumano hayatama jinja
車で5分?ですかね、
かの有名な熊野速玉大社に到着。
こちらは朝から人がたくさんです。
平日やで!?
全国からお集まりです。
!鳥居を潜って一番に現れるのがこちら
八咫烏社と
手力男社。
八咫烏は神武を導いた、その後の日本を牽引した等、
色々云われていますね。
おおもとの導いたという
役目だけでいえば猿田彦神のようですよね。
金色の鵄 点と点が線になるときも近い。
手力男と言えば
天ノ岩戸を動かした力自慢の神様。
先日、御詣りしたばかりの戸隠奥社に祀られる神です。
力あるものが歴史に名を遺すものです。
弁慶は和歌山出身
滋賀 延暦寺で好き放題して
後に京都の清水寺の舞台で義経公と対峙するのです。
さぁ 神々を御詣りしていきます。
右手には
新宮神社と恵比寿神社
御詣りもおわり
唐門を出て目をやると
おっと、稲荷社。
いなり ウカノミタマ
iPhoneで「うかのみたま」と入力すると
「稲魂」と変換されます
宇迦之御魂神
その文字に隠されたのは
豊受大神・豊受姫
大気都比売神(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、
稲荷神(宇迦之御魂神)(うかのみたま)と習合し、
同一視されるようになった。
特に有名なウカノミタマの像
滋賀県守山市にある小津神社に所蔵されてます。
あー また行こ!
とか思ってたら
最近 遭遇しました。この像を模したある社で遭遇。
それはまたご紹介します(10月UPになりそう)
ウカノミタマは
御霊 三つの魂
三神を集合しているのではという説も。
饒速日 建御名方 下照姫(木ノ花咲耶姫)
またはルシファー 猿田彦と豊受姫(アメノウズメ)ちゃうのん
などなど、
こじ付けたらキリはありませんが。
未来に繋ぐ 日本の祈り
ちょうどお盆連休の間
Twitter Instagramにて
みんなで御詣りに行こうと呼びかけ企画を催してました。
内容としては
自分の夢や願いは今回はナシで
日本という国がよくなりますように。
日本全国で同じ期間内に
不特定多数の人がそう願ったら
好転するんじゃないかという企画でした。
その力の転換を応用した
悪いパターンが
政府が強行しようとする「こくそー」です。
負けてられるかの想いで
呼びかけて実行しました。
ご参加頂いた皆様
この場をお借りして御礼申し上げます。
神倉神社 kamikura jinja
御橋を渡ると猿田彦神社
Oh…
さぁ、この危険な石階段を登って行きます。
降ったり止んだりを繰り返します
ガイドのおっちゃんが座り込んでいたが
そこから立ち上がると
磐座の前まで進めます
ここから縄文或いは更に太古の
神事で使われた器等々
出土しています。
ここが熊野において
原初の神域。
太古の人々はここから雨乞い等を行ったのでしょうか
帰り道にもうひとつ 神域を発見
駐車場に戻ると
出雲大社!教会
つまり みんなが安易に想像する大きいしめ縄の出雲大社ではなく
本来 あるべき姿であるべき神を祀るスタイルが
あの出雲大社の右隣にあります。
その新宮版というわけですね
朝8時~9時から参拝を初めて
この出雲大社教会に着いたときには
11:57
もう午前が終わるところでした。
那智の滝まで記事を進めたかったですが
とんでもない量になってまうので
今回はここまで。
最後に私をここまで導いてくれた
クロ戌お兄ちゃんの記事に最大の賛辞を贈ります。
次回をお楽しみに。