『親といるとなぜか苦しい「親という呪い」』(リンジー・C .ギブソン)
5年くらい前に本格的に体調を崩してからというもの、活字が追えなくなってきたので本は滅多に読まないのですが、東洋経済の記事からたまたま興味あって読んでみました。
本書では毒親のことを「精神的に未熟な親」と言い換えていることによって、自分の親の特徴をはっきりと捉えさせてくれ、大変に納得感があった。
自分の親の正体がよーくわかりました。
本書の中盤で、「精神的に成熟した親」のいる家族内では、子どもと親が精神的に温かな交流がある、ということが繰り返し述べてられていた個所で、改めて衝撃を受けてしまった。
なぜなら、私にとって、「家族」とは、「温かさ」と対極にあった場所で、そこで親とこの間に「温かな精神的交流」があるなど、微塵も感じたこともなければ、思ったこともなかったからだ。
しかし、いわれてみれば確かに、そうなんだろうな。
トラウマ解放活動により、親の問題の理解と自己理解が進み、もうすぐ大丈夫になるかな、と思っていた矢先、
「精神的に未熟な親(しかも両親共に)」の作った家庭内は、常に戦場のようで、安心感など微塵もなく、
「精神的に温かな交流がある家庭」なんていうものが存在すると考えたことすらなかったし
なんなら、「家庭」という語から「温かい」という語は一番遠いところにあると感じていたな、
ということを、本書中盤を読みながら気づいてしまって、
改めて、とても惨めな気分になり、苦しくなりました。
可哀想な子どもだったな、私。
精神的に未熟な親の、人生に関するあらゆる不平不満や他人の悪口を、何時間、何年にもわたって聞かされ続け、
私自身のことはいいように利用され、否定され、
何年もの間体調不良になる程苦しめられて、本当にくだらない。
こういう人たちのことを「理解しよう」としてただなんて、自分、馬鹿みたいだったな。
ああ。
悲しみを深く感じて、感じ切った後には、
今の自分の家族のことだけ考えていこう。
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