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病ませる水蜜さん 第十四話【R18G】

はじめに(各種説明)

※『病ませる水蜜さん』第二章『怪異対策課の事件簿』の第五話です。前回までの記事を読んでいる前提となっておりますので、初めての方は以下の記事からご覧ください。


※物語はここから後半にさしかかりますので、あらすじやキャラ紹介は今回から省略します
※このオリジナルシリーズは私の性癖のみに配慮して書かれています。自分の好みに合うお話をお楽しみください

【特記事項】
最大風速R18”G”の暗黒パートがはじまります。心の準備をしてください。モブ怪異による輪姦、拷問、野晒し、四肢切断、ピアシング、タバコ押し付け、首絞め等のリョナ描写もりだくさんが主人公を襲います。カントボーイ化あり

ご了承いただけましたら先にお進みください。



病ませる水蜜さん 第十四話
 怪異対策課の事件簿 第五話

一『江戸の白狐』


「深雪ってさ、前に稲荷神は嫌いって言ってたけど昔何かあったの?」
 出発前のミーティングには、礼と水蜜も参加していた。月極が手土産に置いていったという京都の和菓子を食べてみようかと見つめながら、礼が前々から気になっていた疑問を口にした。
「愚かな人間どもが、おれを稲荷なぞと間違えるからだ」
「それだけでそんな怒る?」
「雪ちゃんと私が江戸の吉原で出会った話はしたよね」
「おい」
「いいじゃん、恥ずかしい話じゃないんだから」
 遠慮なく高級和菓子を頬張りながら、水蜜はのんびりと話しはじめた。
「江戸の街で稲荷神と知り合いになってね。真っ白な耳と尻尾が雪ちゃんとよく似てたんだけど」
「似ても似つかん。貧相な餓鬼だった」
「そう。その子もほとんど信仰されないまま痩せ衰えて今にも消えそうだった。雪ちゃんみたいにムキムキの一匹狼は異常なんだってば」
 その稲荷神を一時期保護するような形で、一緒に過ごしていた時期があったのだそうだ。
「あの頃も蜜から『怪異から人間を助ければ信仰が集まる』と言われて雑魚を掃除してやっていたんだが、馬鹿な人間どもはおれを稲荷神と間違えた」
「それで、雪ちゃんと稲荷神で信仰が半分こになっちゃったんだよねえ」
「馬鹿馬鹿しいことを説明させるな」
「こんなこと言ってるけど、雪ちゃん怒ってなかったよ。あの子のこと可愛がってた」
「それは蜜だろう。狐を遊女に化けさせ自分の妹分だと言い、遊郭でいい暮らしをさせてやっていた」
 少し拗ねたような表情の深雪の頬を、水蜜がくすくす笑いながらつつく。
「そうだっけ? 私から見たら雪ちゃんと兄弟みたいだと思ってたよ。名前も似ててさ……ええと」
 何やらイチャイチャしはじめた水蜜と深雪には心底うんざりした表情をしつつ、蓮の手前大人しくしていた羊は一言だけチクリと刺す一言をこぼした。
「そういう話を最初からしてくれていたら私も入院せずに済んだんですけどね」
「郷徒くんが信用できない顔してるせいでしょ」
「まあまあ……この話はそれくらいにして」
 水蜜と羊は放っておくとピリピリしはじめるので、適当なところで礼が割って入る。
「その稲荷神は江戸にいたって話だから、今回の廃神社とは関係無いかもしれないけど。再会できる手がかりとかあるかもね。神霊の友達なら、協力してもらえたりしないかな」
 水蜜は悲しそうな顔をして答えた。
「ううん、残念ながらあの子とはもう会えない」
「あいつが死んだのを、おれも蜜も確かに見た」
 雪ちゃんが狐嫌いなのは、あの子を思い出すからでしょ。そう水蜜が言うと、深雪は黙ってしまった。
「神霊でも、死ぬんだ……」
「死ぬよ。以外と簡単にね」
「今回の調査地は、かなり昔から神主不在で荒れ果てた廃墟になっているそうです」
 そこにかつて稲荷神がいたとしても、もうずっと前に消滅している可能性が高い。だからこそ、如何わしい宗教に好き勝手使われていてもおかしくない。そういった状況は、たとえ元の神様がいないとしても不健全な状況だと明李も心配していた。とりあえず現場の空気を霊感のある人間が確認して、状況によって神職の協力者を呼べばいいだろう。山で出現した怪異のことを思うと不安は残るが、今回は蓮もいる。本題はすんなりとまとまり、あとはしばらく雑談して解散となった。

二『迷い出た羊』

 ミーティングから数日後。羊は蓮の車に乗せてもらって現場に到着した。現場である廃神社は、住宅街のすぐ近くにある小高い丘の上にあった。近くの駐車場に車を停めた後は、長い石段を登っていくしかない。そこそこ体力を使うので、蓮は羊を気遣いながらゆっくりと登っていった。深雪は姿を消しており、羊はいつも通りうっすらと気配を感じ取っていた。
 『廃社となった稲荷神社跡地に、怪しい宗教の人が居座っているようだ』そんな匿名の電話を受けたのは、廃神社の土地を管理する不動産会社であった。月極の経営する会社とも繋がっており、そこから怪異対策課へ依頼が運ばれてきたというわけだ。怪異対策課は、羊と深雪を調査に派遣することにした。心配した蓮も同行してくれることになり、心強く嬉しく思った羊だが、一方で漠然とした不安感も抱えていた。自分にとってこんなに都合の良い状況を与えられた先には、相応の地獄が待ち構えている気がして。
 そういう嫌な予想ほど、当たってしまうものだ。

 石段を登り切ると、目の前に朽ちかけた鳥居があった。羊と蓮が鳥居の手前で辺りを見回していると、深雪も姿を見せて羊の隣に立った。
「よし、ここだな……ここまでは嫌な気配は無かったな」
「神霊の気配も無い。痕跡すら感じない。おまえたちの言ったとおり社の主はとっくにくたばったか、元々神霊など祀っていないこけおどしの社であったか」
「山の方には異様な怪異と神霊の気配があったそうですが、こちらは何も感じませんね」
「確か拝殿の前で不動産会社の担当者と待ち合わせだったな。早速行って案内してもらおう」
 そう言って、鳥居に一歩近づいた途端に。羊と蓮のスマホが、同時に着信音を響かせた。
「墨洋さんだ……もしもし、どうしましたか。こちらは現地入りしてこれから調査開始なのですが……」
『すまない、郷徒すぐ戻って来てくれ! 神霊級の怪異がこっちに出た! 水蜜さんが攫われて追跡している!』
「水蜜さんが……? あっ」
 それを聞き取った深雪は、羊の返答も待たずに消えてしまった。
「もう、深雪さんどこに行けばいいのかわかってるんですかね。まだ詳細を聞いてないのに……墨洋さん?」
 電話は切れてしまっていた。かけなおそうとしても繋がらない。もしや、墨洋たちも危機的状況なのだろうか。
「怪異対策課の方で何かあったようです。蓮さん、一度戻りましょうか……蓮さん?」
 スマホを手にした蓮が、青い顔で立ち尽くしていた。
「礼から……嫁と娘が事故に遭って、病院にいるって」
「ええっ、大変じゃないですか……! 急いで行ってあげてください」
「羊さんはどうする? 車で一緒に途中まで……」
「いえ、私は拝殿前で待っている不動産屋さんに伝えて来ます。後でタクシーを呼んで怪異対策課に向かうので、蓮さんは先に行ってください」
「いや、でも……」
「調査は延期すると言ってくるだけなので大丈夫、すぐ追いつきます。急いで藤代さんたちのところへ」
「わかった……!」
 蓮を送り出し、残された羊は一度深呼吸をしてから、鳥居に向き合った。偶然? あまりにもトラブルが起きすぎている。山の調査を本格的にしはじめたので、敵が先に攻めて来たのか。
(それなら、まさか。蓮さんが今回の件に協力してくれたから……怪異か教団の誰かが、蓮さんの家族まで狙って……?)
 だとしたら、俺のせいかもしれない。
 そこまで思いかけたが必死で振り払い、羊はともかく不動産屋を探すことにした。そして、一人で鳥居の中へ足を踏み入れる。周りが静かになった気がした。
 廃墟と化した拝殿前で待ち合わせしているはずだったが……そこにある異常に気付いて、羊は一人で来たことを激しく後悔した。拝殿には、本来鈴緒というお参りのときに鳴らす紐付きの鈴がぶら下がっているはずである。それがあるべき場所に……男性が、首に縄をつけてぶら下がっていた。彼は服装などからおそらく、待ち合わせしていた不動産会社の人間だ。まずい……そう思った羊は、一旦ここを出て応援を呼ぶことにした。人が首を吊って死んでいるので、普通の警察も呼ばなくては。
「遅いよ、もう」
 鳥居の方へ振り返ろうとしたが、それはかなわず。息がかかるほどすぐ後ろで見知らぬ男性の声がして、羊の首にも縄が巻き付いていた。碌な抵抗もできず、ゆっくりと絞められて……あっけなく意識を手放した。

 一方その頃、蓮は電話で聞いた病院に到着した。しかし、妻と娘の名を告げてもそんな事故は聞いていないという。慌てて蓮は礼に電話した。そこで異変に気づいた。
「何? 兄貴まで……病院? 藤代さんたちが? いや、俺今日は兄貴に電話してないよ」
「じゃあ、あの電話は……そうだ、水蜜は? 深雪はそっちに行ったか?」
 礼は水蜜と二人でいつも通り大学にいたが、深雪がすごい勢いで駆けつけてきて驚いたそうだ。神霊に襲われたんじゃないかと問い詰められたが、礼も水蜜も心当たりがなく困惑するばかりだった。
「兄貴も深雪も今日はこれから郷徒さんと調査でしょ?」
「化かされたのか……くそっ」
「兄貴?」
「礼、墨洋さんに連絡してくれ」
 急いで車に戻りながら、蓮は手短に礼に指示を出す。
「郷徒さんに『水蜜が怪異に襲われている』って電話したか、確認してくれ。たぶん礼と同じで、そんな電話してないって言う」
「それって……」
「あと、大至急深雪に『あの神社に戻って郷徒さんを見つけろ』って伝えてくれ。小生も今から戻る」
「どういうこと? 神社にも何かいたの?」
「後で説明するから、とにかくその通りにしてくれ!」
「わ、わかった……!」
 電話を切ると、蓮は羊に連絡をとろうとした。しかしまったく繋がらなかった。
「やられた……! くそっ、羊さん無事でいてくれ……!」
 まさか、消滅したと思われていた稲荷神が生きていた? しかし、それなら何故羊たちを分断するようなことを。山に巣食っていた『白き雛たちの夢』の一団を率いる黒幕と関係があるのか。何もわからない。ただわかっているのは、敵は明確に狙いすまして、羊を一人にしたということだ。

***

 何者かに襲われ気絶していた羊は目を覚ました。何やら祭囃子のような、陽気な音楽が聞こえる。ぼんやりした視界は、妙に鮮やかで……はっきり焦点を結ぶと、そこが豪勢な宴の場になっていることがわかった。羊はその最も上座、主役のような席に座らされていたのだった。さらに周りを見回すと、そこは先程までいた廃神社の拝殿前だと気づいた。まるでタイムスリップしたかのように、ボロボロだった拝殿は金箔のひとかけらも欠けていない煌びやかさを取り戻している。雑草だらけだった地面も綺麗に整備され、紅色の布が敷かれて沢山の膳が並んでいる。豪奢な器ばかりで、食べ物は何も乗っていなかったが。空までもやけに彩度が高く、まるで絵の中に入ったかのような艶やかな空間が眼前に広がっていた。
「ここは……」
「ようこそ、我が門の中へ」
 先ほどの男の声がして、即座に振り返ろうとした。しかし、異様に身体が重い。そのときはじめて、羊は豪華で重厚な着物を着せられていることに気がついた。頭にも大きな帽子が被せられていて視界が悪い。すべて真っ白であることから、それが花嫁衣装……白無垢であることが察せられた。どうしてこんなものをと、綿帽子だけでも外したがその動作だけでも重労働だった。腕一つ動かすのにも異様に重いのだ。金縛りのような霊障を受けている……相手への脅威を感じながら、ゆっくりと振り返って後ろを見る。拝殿の前に、全身真っ白な青年が立っていた。
「あなたは……愛溟 風斗(まなくら ふうと)。元宗教法人『白き雛たちの夢』を統括する教祖であり、現在は信者大量失踪事件の重要参考人。間違いありませんね」
「へえ、僕のこと知ってるんだ」
 羊は現場に行く前に一通りの調査を済ませている。彼のことは『白き雛たちの夢』独立前の母体組織情報を調べたときに知った。
「あなたは元の教団に在籍していたときは、テレビやネットなどメディア露出が多く有名な人だった。熱心な広報活動で若い信者獲得に大きく貢献した。それなのに突如教団を裏切り、怪異を利用した犯罪に走った。何故ですか」
 わけのわからない場所に拉致され、体の自由をほとんど奪われててなお、毅然とした態度で問いかける羊を、愛溟は端正な顔に口だけの笑みを貼り付けて見下ろしていた。
「何故って。僕は愛溟風斗であって、本人ではないからかな。彼が生前やりたかったことと僕は関係ないし」
「あなたは……なりすまし、偽物なのですか」
「いや、このカラダは本物だよ。愛溟は死に、肉体だけ僕がもらったんだ。僕は外皮がなくては認知してもらえない。人間が理解できる名前もキャラクターも持ち合わせていない。今の僕は『愛溟』として生きてるわけ」
「死体を乗っ取る……悪霊の類ですか」
「悪霊かあ。なんか雑魚っぽくていやだな。せめて異し国の神とでも呼んでくれよ。ああ、そっか。こんなただの人間の皮じゃ貫禄が出ないよね」
 いいものを見せてあげる、と声が聞こえたかと思うと、瞬きひとつした内に愛溟が消えた。そして突然、拝殿の奥からすさまじい神気を感じて羊は後ずさった。身体が重く、ほとんど移動できないまま上半身だけでも仰反る、そのくらい恐ろしい気配。そんな神霊が拝殿に潜んでいたのに、どうして気づけなかった? こんなに近づかれるまで。
「いいだろう? 東京の教団本部にいるときに拾ってきたんだ」
 愛溟の声が、脳に直接流し込まれている。
 目の前に現れた神霊は、薄暗い室内から這い出てきた瞬間にはシルエットで巨大な蜘蛛であると思った。しかし全貌が明らかになるにつれ、その異様さと不自然さが露わになった。
 蜘蛛の胴体に見えたのは女性の身体。高そうな花魁衣装を着ていたが、着物は古びて埃っぽく色褪せている。頭部は無く、首にはかんざしが大量に突き刺さっていた。人間より一回り大きな女体が、帯から下の着物を広げ下半身を露わにして股開く。そこはよく見えない……見たくない箇所ではあるが、股間から鳩尾にかけて縦に裂けているようだった。妊婦のように腹が膨れていて、そこから痩せた子供の上半身が飛び出していた。大きな女の脚が蜘蛛の前脚のように見え、腹から飛び出した子供の腕が蜘蛛の顔にある鋏角に見えていたのだ。他の脚にはそれぞれに卒塔婆が括り付けられていて、蜘蛛さながらに歩くたびに下駄で歩くような音が響いた。それらは薄汚れた白い毛で覆われていた。脚の代わりにされているものの正体が獣の尻尾だとわかったのは、子供の上半身についた頭部がイヌのような頭蓋骨だと気づいたからだ。頭には三角の白い耳がついていて、顔面は毛皮と肉をむしり取られたように髑髏が剥き出しだった。乱雑に赤い札が何枚も貼り付けられている。
 状態の悪い死体だったが、羊はそれが白狐の神だったものだろうと確信した。顔はなくなっているが、耳や尻尾は見慣れたそれによく似ていた。頭の中で比較している神にバレたら殴られてしまいそうだが。
「きっと、深雪に似た稲荷神だったんだ。尻尾が六本ある狐の神……それを遊女に化けた逸話だとかと混ぜて、無理やり蜘蛛の化け物みたいに改造した? 最低のセンス……っ⁈」
 思っていたことが口から出ていることに気がついて、はっと口を抑える。頭の中に居座った愛溟の声が、機械的な笑い声を響かせた。
「ここは僕の『門』の中なんだから。何でも僕の思い通りなんだよ。君も遠慮せず思ったことを話せばいいよ、郷徒羊くん。神に造られた家畜の一族、生贄の山羊」
「私の想像が正しければ、その変わり果てた神霊は……水蜜さんと深雪さんが江戸で看取ったという稲荷神。どう弔われたのかは知りませんが、あなたは拾ったのではなく態々引き摺り出してきたんですね。彼らが大切にしていた神霊仲間だから」
「僕の手の届くところにあったら、捨ててあるのと同じなんだよ。君もね」
 あえて水蜜と親交のあった神霊を見つけてきて、このような悍ましい怪異に改造した。目的は不明だが、そんな思考の神霊が今、羊を狙っている。
「偽の電話で深雪さんと蓮さんを帰らせて、私だけを残したのも……おそらくあなたは、水蜜さんの関係者を狙って行動しているんですよね」
「そうだよ。あの教団の人間を選んだのも、水蜜が関わったから選んでみただけ。名前と反対に真っ黒な組織だから潜みやすかったのもあるけどね。愛溟くんと気が合ったのは偶然。彼の『信者を増やしたい』としか考えていない愚直さが、僕の権能のひとつと相性ばっちりだった。それで気に入って、今でも使ってる。神霊が手に入ったら捨てる予定だったんだけどね」
 礼とシンディから聞いた、山の有様を思い出す。古巣の教団から奪った信者たちに雛を植え付け、新たに『信者』を生み出す……ただし、おぞましい化物の。本物の愛溟が願ったこととは全然違うにも関わらず、あたかも彼の遺志と名前を継いで、願いを叶えてやっているかのような態度。死者を冒涜している。心底、怖気がする。
「私のことも殺して、死体を使うんですか」
 そうであれば、なんとかして偽物であると皆に伝えなくては。すでに自分が死んだ後のことを考えている羊に、愛溟は思わず苦笑した。
「君は相変わらずだね。でも殺しにきたんじゃないよ。君にはできるだけ君自身の意志で仲間になってほしくて」
「仲間……?」
「君は最近、当初の目的を見失いかけていないかな? 郷徒家だって自身の血族なのに穢らわしい分家として切り離し、都合の良い家畜として使い潰してきた水蜜の横暴に一矢報いたい。そう思っていたはずだよね」
「それは……」
 今でも、水蜜のことは憎いし大嫌いだ。野放しにはしておきたくない。だから月極とも手を組んだ。郷美正太郎に申し訳ない気持ちはできたが、彼だって家族を村の因習に関わらせることは嫌がっていた。深雪とも良好な関係を築きつつあるが、だからこそ彼には水蜜なんかに振り回されずまっとうな神様になってほしかった。
「水蜜さんが嫌いだという私情はあります。ですが、私は『正体不明の神が得体の知れない動きをしている』という社会への脅威をなんとかしたいだけです。そこに私の個人的な思惑は関係ありません」
「そうやって、綺麗事を言うとは思っていたよ」
 愛溟は乾いた声だけで笑った。
「ではあなたは水蜜さんを私情で憎み、危害を加えたいと思っているのですか。何故ですか」
「それは仲間にならないと教えられない」
「……」
「ああ、でも憎んでいるという表現は薄っぺらくて適切じゃない。もっと複雑だよ。君もそうだろう」
 羊は愛溟の正体と目的を探りたかったが、禍々しく改造された神の瘴気に晒され続ける状況では会話するだけで過酷であった。油断すると本音がそのまま口から引き摺り出されてしまう。
「私的な情で動いているのは正解。僕の行動に高尚な理由なんてないし。元の愛溟とは違ってね」
 金縛り状態でも会話で時間を稼ぎ、かつ愛溟の正体を探ろうとする羊を見て、愛溟は説得で羊を裏切らせることは不可能だと悟ったようだった。いや、はじめから無理だとわかっていて弄んでいるようでもあった。
「これから、どうするつもりですか」
「それは君次第だよ。僕としてはどちらでもいい。早めに納得して着いてきてくれれば楽だし、足掻くなら色々試して君の反応を見るから」
 歪な稲荷神の姿をした愛溟は、卒塔婆でできた蜘蛛の脚で地を打ち鳴らし、かんざしの詰め込まれた女の首穴から悲鳴のように不安な鳴き声を響かせた。するとあちこちの物陰から、全身真っ黒な怪異が何人も姿を現した。神霊のなりそこないのような、強い呪いを纏った悪霊だった。これらの気配も、今までちっとも感じなかった。愛溟の『門』とやらに隠されると、膨大な神霊も悪霊も気配を感じず、ここまでの接近を許してしまうというのか。あまりにも危険だ。それを外の仲間に伝えたくても、羊は宴席の中央から動くことができない。
「ここの神社の主人がいなくなり、路頭に迷っていた眷属たちの成れの果て。僕が新たな稲荷神となり引き取ってあげたんだ。まあほとんど手遅れで、元あった神々しさもどこへやら。今はただの野蛮な妖怪どもさ。君がいやらしい匂いで誘うから、みんなやる気満々みたいだよ」
 悪霊たちは皆、雄のかたちをしていた。猿のような悪霊が羊の着物の裾だけを器用に捲り、上半身は重い打掛で拘束したまま細い腰を晒す。枯れ枝のような素足を掴んで股を開き、じっとりと潤った蜜壺を値踏みするように拡げた。
「これで……脅しているつもりですか……怖がって、仲間になると言うと?」
 羊が精一杯の去勢をはっても、拝殿から宴席を見下ろす愛溟はじっと動かずこちらを観察していた。頭部が剥き出しの狐の頭蓋骨なので眼球も無く、こちらを見ているかはわからなかったが。
「さあどうだろう。試しに助けを求めてみるかい」
「あなたに従うつもりはありません」
「そうかい。じゃあ君たち、久しぶりの『花嫁』だ。我が花嫁に求める役割は、享楽の宴における御饌である。神人共食、ご馳走はおまえたちにも振る舞おう。存分に喰らうといい」
 盃に白く濁った酒がなみなみと注がれる。頭を振って抵抗する羊の顎が掴まれ、無理矢理流し込まれていく。口の端から大量に溢れているが確実に呑まされてはいて、見た目以上に強い酒は下戸の羊から抵抗する力と理性を確実に奪っていった。
 その間に他の悪霊が何やら怪しい道具を持ってきた。動物の角を磨いて作ったらしい、古めかしい張形……現代風に言えばディルドというやつだ。リアルに男根を彫り上げたそれに何やら薬臭い粘液を塗り込み、露わになった秘部に躊躇いなく押し込んでいく。
 羊を取り囲む黒い塊のような悪霊たちには、ぎらぎらと血走った目があった。数は個体によってまちまちだったが、どれも羊が卑猥な玩具で犯されるところをじっと見ていた。張形が出し入れされて下品な水音をたてるたび、嘲るような笑い声がざわざわと聞こえる。
 見せ物にされている。真っ赤なお目出度い宴席の中央で、酔わされ、辱められ、生臭い性欲を向けられている。愛溟は言葉を発することなく、眷属たちの狂宴を見下ろしじっとしていた。やはり、こうして痛めつけて羊の心を折ろうとしているのだろう。そう思った羊は、酒に酔っておぼつかない思考の中でも時間を稼ごうと必死だった。
 雁首のデフォルメされた突起で執拗に前立腺を擦られ、たまらず一度絶頂したところで張形が引き抜かれた。そこで突然身体の拘束が緩んだので、渾身の力で怪異を振り払い宴席から逃げようとした。ざわめく黒い影の隙間から……待ち望んでいた人の姿が見えたので、羊の抵抗はより力強くなった。
「蓮さん!」
「羊さん! どこだ!」
 蓮が引き返してきたのだ。
「蓮さん、ここです。ここに事件の主犯が、神霊がいます!」
 羊は声を張り上げた。蓮は確かにこちらを向いた。こちらに視線を向けている、そのはずなのに……
「くそっ、拝殿で待ち合わせじゃなかったのか? もう逃げた? 羊さん、どこだ!」
「蓮さん……? どうして……」
「見えてないんだよ」
 頭の上から愛溟の声がした。
「ここの拝殿、ピカピカでおかしいと思わなかった? 本当の神社はとっくの昔に廃れているはずなのに。今、あの僧侶には廃墟の神社しか見えてない。ここじゃない、門の外にいるから」
「平行世界……独自の領域を生み出す力……?」
「そんな感じかな? 僕が開く門の内と外ってこと。どんなに叫んでも無駄だよ、助けてはもらえない」
「蓮さん……!」
 愛溟の嘲笑うような声を無視し、白無垢を振り乱して羊は裸足で走る。砂や石で傷ついても構わずに地を蹴る。
「もうここにはいないのかな……」
「行かないで!」
 必死で手を伸ばす。醜く傷ついた細い指先が、蓮の法衣の袖に届きそうで、届かない。
「ん……?」
 ただ、風で袖が揺れた程度の違和感だけが伝わるのみで。結局蓮は羊に気付けずに、神社を去っていく。
「置いて、いかないで」
 後ろから悪霊たちに追い付かれる。まだ蓮の背中が見えているうちに、背後から腰を掴まれ獣のような交尾を強いられた。酒や塗り込まれた薬のせいで痛覚は麻痺し、強制的に感じさせられる快感にたまらず嘔吐く。野外で、悪霊とはいえ大勢に見られながら、想いを寄せる相手がすぐそこにいるのに醜い嬌声を上げ、嬲られている。体力の限界と絶望から羊が身体を弛緩させたところで、胎内の魔羅が脈打ち大量に射精した。
 黄泉竈食ひになるかはわからないが、酒を呑まされ、さらに精液まで注がれてはこの異世界から余計に出られなくなる気がする。
「……やめ……中、出さないで……」
 たまらず、声に出してしまった。か細い声の訴えは、かえって悪霊たちの劣情を煽った。最奥を押し潰すように深く挿入され、余計懇ろに種を注がれる。いまだ勃起のおさまらぬ肉棒の感触、じゅくじゅくと胎内で泡立つ精液の感触が妙に鋭く感じられて、羊を口を押さえて吐き気と嬌声を飲み込んだ。
 宴席に連れ戻された羊は、再び悪霊に囲まれる。もう拘束は不要と思われたのか、白無垢を脱がされそれを敷物にして仰向けに寝かされる。大量に注がれた精液が尻穴から漏れて、純潔の象徴を汚していく。物音が聞こえて、また悪霊の一部が何か道具を持ち込んだ。
「そうそう。君は山の方にはいなかったけど、報告は聞いてる? 『この先門外の法適用せず』つまり、門の中には独自のルールがある。ここで起きた物理的な事象は、門の外の現実に反映されない。さっき君があの人に触れられなかったようにね」
 急に思い出したように、愛溟が声を出した。朦朧としていた羊の意識がそれで取り戻され、悪霊たちが何をしようとしているのかをはっきり視認してしまった。
「だから、ここで受けた傷は、ひとたび門の外に出れば全部無かったことになるんだ。たとえ死ぬレベルの負傷でもね。例えば……今そこの眷属がやろうとしているような。大きな斧で、君の手足を剪定して犯しやすくするとかでも」
 手足を大の字に広げて押さえつけられ。まずは、右の足から。躊躇なく、骨は砕かれ肉が断たれた。舌を噛みそうだった口には別の悪霊が男根を咥えさせていた。羊が歯を立てたところで、人ならざる者にとってはちょっとした刺激にしかならないらしい。満足げに腰を震わせ、羊の喉奥に精液を流し込んでいる。
「ほら、大して血が出ていないだろう。これは幻覚みたいなものだから。ま、感じる痛みは現実と同じだし、気絶したり死んだりできないぶん幻覚のほうがつらいかもだけど。次は左足いってみよー」
 膝を砕いて切られた足は、お供物のように膳に置かれる。それすら悪霊たちの慰みもの。小さな猿のような悪霊が膳に近づくと、必死で逃げようとしたときに傷ついた足裏をねぶる。爪が欠けた足指の隙間までしゃぶりながら、自身の小さなペニスを扱いている。
 そんな光景を見る余裕もなく、もう一本の足も切り落とされた。残った太腿は取手のように掴まれて、大量の悪霊がかわるがわる犯しやすくするための道具になった。
「これでもう逃げられないし。腕はもっとゆっくり愉しもうよ。先から少しずつ潰していこう」
 愛溟の声に、悪霊の群れがわっと歓声を上げる。既に疲れ切って反応が薄くなっていた羊だが、爪を剥がせば新鮮な悲鳴が上がった。締まりも良くなるので、羊を犯す悪霊が順番に爪を一枚ずつ、なくなれば指の関節をひとつずつ。豪奢な膳の上に丁寧に並べられた肉片の数が、悪霊たちの種を注がれた回数になる。掌の骨、腕の肉は名残惜しそうに少しずつ毟り取られて、両腕の肘から下が無くなるころには何周か輪姦され尽くして落ち着いた。
 その頃には片目まで抉り出されていて、ぽっかり開いた眼窩すら小さな悪霊の魔羅を楽しませる膣として消費されていた。腫れて閉じたまぶたの下から血混じりの精液が頬を伝う。どれだけ悲痛に叫んでも泣きはしなかった羊の代わりに、顔に嘆きの化粧を施していた。
「まあ、こんなもんかな」
 雅なギヤマン陶の酒器に注がれた酒、そこに浮かべられた眼球をつまみ上げた愛溟が退屈そうに呟く。
「これ以上は搾りかすだしいらないや。さあみんな、最後の仕事だ。花嫁を本殿までお連れして」
 手足を失った羊はされるがままに輿に乗せられ、汚れた打掛を被せられた。最初に脱ぎ捨てた綿帽子だけは無事で、かえって惨めだな、などと。気絶も許されず、羊はぼんやり考えていた。綿帽子も元通り被せられると、突然白無垢の着付けも綺麗に元通りになった。四肢は戻ってくれなかったが。どこか晴れやかな雰囲気の悪霊たちは次々と盛装し、行列は煌びやかになっていく。拝殿から本殿までの短い距離をゆっくり、ゆっくりと進んでいく。
 頭がおかしくなりそうだから、羊はなんでもいいから記憶を掘り返しては思考を止めないようにしていた。白無垢、婚姻の儀礼にかこつけた悍ましい何か、犯される生贄、目の前にはお社。そっくりな話を、どこかで聴いたような気がする。あれは誰が語ったものだったか。
『巫女を務めたばかりの僕。そして神のお社の中という場所設定。それらが偶然儀式と重なった……』
 本殿に辿り着くと、先回りして待ち構えていた愛溟が待ち構えていた。お社の中から狐頭の化け物の手が伸びてきて、輿から羊を抱き上げる。続いて、悪霊たちが膳をうやうやしく掲げて、羊から奪い取った四肢のパーツを中に運び込んでいく。それらは粛々と、耳が痛くなるほど静かな空間で行われた。
「私を犯した者たちの首が落とされれば、あの儀式と同じになるのに」
 異形の神に抱き締められた羊の口から出た言葉が、静寂を壊した。羊の頭の中から、凶々しい空想だけを切り抜いて呪詛に変えさせたのは愛溟のしわざだった。
「そのようにしよう」
 愛溟は羊の片目の虚を指で開いて、眼球を押し込んで戻した。ぴったり嵌ったところで、ふいに鈴の音がして。
 先ほどまで羊を夢中で抱いていた悪霊すべて、頭を残して吹き飛んだ。鞠のように、境内に転がるたくさんの首、首、首。羊が上げた悲鳴は、愛溟が本殿の扉を閉めたことで途切れた。
 かくして門は愛溟と羊だけを連れて本殿の中へと吸い込まれ、神社は元の荒れ地に戻ってしまった。この後怪異対策課による大規模な捜索が行われたが、ついに羊を見つけ出すことはできなかった。

三『幼気な巫の祈り』

 お社の中に連れ込まれ、扉を閉じられると真っ暗になった。少しも光の無い、空気からも情報を感じ取れない不気味な空間。ただ愛溟の冷たい腕に抱えられていることだけしかわからない。その腕がゆっくりと羊を下ろして、なにやら柔らかな布の上に寝かせた。身体が軽くなって、肌に空気が触れる。着物を脱がされている、裸になったと感じた。
 愛溟の手に、急に生きた肉感と体温が宿る。先程まで痩せた少年の手だったものが逞しい男の大きな手に変わった。しかし暗黒の中なのでどうなったのか何もわからない。その手は羊の頬を優しく撫でてから、首に何かを巻きつけた。肌に触れる感触はロープらしかった。いよいよ殺されるのか……そう思ったところで、愛溟が離れた。そして頭上で小さな電子音がして……真上に白い天井があり、シーリングライトが明るく照らしているのを見た。そこはもう神社でなくなっていたのだ。
 首を動かして見られる範囲で判断するに、そこはマンションの一室のような知らない部屋。内装にはやけに生活感があり、独身男性が住んでいるかのような雰囲気があった。
「ここは、灰枝直毅が死ぬその日まで暮らしていた部屋だよ」
 はっとして声の方を見れば、そこには
「……ひっ」
「どうした? そんな怖がることないじゃないか。クソ野郎どもはみんな消してやったよ。当然だろ? 約束したもんな。羊さんには、生きていてほしいって」
「やめ、ろ……その姿と声を使うな……!」
 目の前には、羊にとっては誰よりも抱かれたくて、誰よりも抱かれたくない男の姿があった。正体が愛溟なのはわかっている。彼は狐の神を乗っ取っているので、権能で自在に姿を変えられるであろう。羊の精神を揺さぶって従わせるには、この姿になるのが一番だとはとっくに見抜かれている。羊にとって何より忌々しかったのは……男の顔の認識が曖昧にされて、蓮なのか直毅なのか、どちらか判別できなくなっていたことだった。祝福と呪詛が一緒になった怪物が、羊に優しい言葉をかけながら近づいてきた。両手で顔を包み込まれて、ゆるりと舌を絡めるキスをされる。この状況、そしてそれに僅かでも悦びを感じてしまったことに凄まじい拒否感をおぼえた羊は、愛溟の唇に噛みついてしまった。
「あ……っ」
 相手が明らかに敵でも、羊は他人に暴力を振るうことを頑なに封じてきた。自分なんかが、どんな相手であっても人を傷つけてはいけないと思っていた。怪異に襲われても、無防備に身を捧げてきた。
 しかし蓮を侮辱されることはどうしても許せなくて、牙を剥いてしまった。湧き上がる罪悪感、戸惑い。ふるえだす羊を見下ろして、愛溟はにやりと嗤った。
「いってえ……こういうこともできるんだ、羊さん」
 声は蓮に近い気がした。それでも直毅の面影は拭いきれなかった。羊が怯えて拒絶しようとすると、力で屈服させようとする雄のぎらぎらした光が瞳に宿る。目が合うだけで震えが止まらなくなる。
「ダメだよ、自分でなんとかしようとしちゃ。どうせうまくいかなくて、もっと痛い目に遭うんだから。こんな風に」
 目をはじめとして、羊の傷は完治していた。四肢は失ったままだが切断面が塞がっていて、痛みは消えていた。しかし肘や膝の傷跡に触れられると、疼くような不快感がして思わず目を閉じてしまった。
「でもさ、こうなったのは良かったと思わない? 羊さんはどうしても無理しちゃうから。外を出歩く脚とかいっそいらなくて、こうやって赤ちゃんみたいに、ずっと俺の家のベッドに寝ていたほうが安心だし」
 首につけられたロープは、羊が寝かされているベッドのフレームに括り付けられている。脱走防止というよりは、支配されていることを可視化する飾りのように見えた。
「ね、そうしよう。ずっとここにいようね。あんな辛い仕事なんて辞めてさ」
「職務は、全うします……きっと誰か、ここを見つけてくれる。それまで……あなたに従うことなんてない。あなたに殺すつもりが無いのなら、いつまでもチャンスを待ちます。暴力で脅しても、誰に化けてなだめすかしても、どっちも私には大したことじゃない。我慢すればいいだけ」
「すごいな。まだそんなに正気あるんだ。でもさ、それって本当に正気かな? 怪異にレイプされるのがわかっててのこのこ飛び出していく仕事が大したこと無いって? おかしいよ」
「普通の人ならおかしいでしょうね」
「自覚はしてるんだ。それならこれは自傷? それともオナニーかな? いや、両方か」
 愛溟が……蓮によく似た男が、羊の横たわるベッドに乗った。狭いシングルベッドの上で羊に覆い被さり、恋人に向ける甘い視線で羊を見つめる。ほんの僅か、心が揺れた隙をついてキスされた。今度は抵抗できなくて、むしろ求められるがままに舌を絡めてしまう。大きなてのひらが痩せた胸を撫でる。たまらず反応してぷっくりとふくらんだ乳首を強めに摘まれ、涎と嬌声とをはしたなくこぼした。
「痛いのが気持ちいいんだよね、羊さんは。セックスして気持ちよくても心は痛くて、恋をしてときめくのも痛いことだと思っていて。一瞬嬉しくても、どうせ後で痛い目に遭うから。一緒くたに痛いことだと思い込んで、どうせなら全部快楽にしちゃえって思ったんだね。エッチなこと大好きなマゾだもんね」
「ち、ちがう」
「違わないだろ」
 ベッドサイドに散らかった小物の中から手探りで拾い上げたのはライターと安全ピン。出された針先を小さな火が舐めるさまを、羊は『直毅はタバコを吸う人だったんだな』などと思いながら眺めていた。何をされるのか薄々気づきながら、思考だけでも逃避しようとして。熱された針は、何の予告も無く乳首を貫いた。激痛に引き攣った声をあげてのたうつ羊の腹をひざで押さえつけ、ピアシングした安全ピンを留めた。
「う、ぅ……」
「ほら、酷いことされたのに、ここは濡れてる」
 痩せた腿は必死で閉じても秘部を守れずに、三角の隙間に滑り込んだ手を愛液で濡らす。太い指が一本、また一本。膣のように作り変えられた肉穴はよろこんで迎え入れる。悪霊たちに散々犯されたはずのそこは繊細な感度を取り戻していて、指先で前立腺を探り当てられれば素直に反応する。細い腰が跳ねるたび、育ちきれなかった雄芯が頼りなく揺れて薄い子種を撒き散らした。
「可哀想に……もう誰にも種付けできないくせに、一生懸命勃起してる。人間の男としての幸せなんかはじめからなかったのにね。ずっと雌の家畜みたいに扱われて、そういうカラダに育っちゃった」
「や、やだ、もう、いじらないで……イってる、もう、ずっと、イってるからぁ……」
「そういう幼くて莫迦っぽい仕草、俺は好きだよ」
 刺されなかった方の乳首を優しく舐めながら、たっぷり時間をかけて前戯を施す。甘やかせば甘やかすほど、かえって羊は怯えてしまうことを愛溟は知ったうえで、恋人のようなセックスを装う。蓮と幸福に結ばれる幻想を見せながら、暴力と支配を織り交ぜて羊の心をぐちゃぐちゃにかき乱していく。
「羊さんも気持ちいいセックスをしようね」
 優しく抱きしめながら挿入する。激しい抽送はせずに、羊の気持ちいい場所目がけてゆっくりと体重をかける。文字通り手も足も出せない羊は喘ぐことしかできない。それすら罪悪感を感じて、血が滲むほど下唇を噛み締める愚かしさ。何をさせても下手くそで、雄の支配欲を煽る。こいつには俺がいてやらないと駄目なのだと思わせる。
 愛溟が欲しかったのはそれだった。死体にして、愛溟が皮を被っても意味が無い。腐りかけの魂は、最も甘い芳香を放つ瞬間のまま飼い殺さなくては。
「声、出して。我慢しなくていいから」
「で、でも。へんなこえ、だから……あっ、あ」
「そんなことないよ。気持ちいいなら声出して教えて」
「わたしが気持ちいいかなんて、だれも」
「だよね。いつもそう。一方的に突っ込んで中出しして、それで終わり。そういう相手ばっかりだったんだよね」
「だから、それまで我慢すれば、おわる」
「言っただろ。羊さんも気持ちよくならなきゃ。気持ちよくなっていいんだよ。消費されるばかりでいいの?」
「……それで引き延ばして、あなたをここに繋ぎ止めておけるのなら」
「ホント頑固だな。甘やかしても拷問されてるような顔して」
 一度身体を離す。蓮のように甘やかす遊びはもう飽きてしまったようだ。愛液で濡れそぼり屹立する男根を、うつ伏せに裏返した羊の鼻先に突きつけた。
「時間を稼ぐんだろ。じゃあしゃぶって媚びてみろよ」
 短い手足でもがく羊は弱った犬のようで、涎まみれの口元を拭うこともできないままペニスに唇を寄せた。たどたどしくフェラチオをはじめた羊を見下ろしながら、愛溟はタバコを手にとり火をつけた。羊の舌使いは拙く、お世辞にも気持ちいいとは言えない。
「下手だな、歯が当たって痛いんだけど」
「ご、めんなさ……」
「そうやって結局喉使わせてんだ。エロい穴が空いてる以外は無能だな」
 首につけたロープを軽く引く。簡単にへし折れそうなうなじを灰皿代わりに火を押し付け、次のタバコを咥えた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「はあ……もういいよ」
 タバコを咥えたまま、愛溟は羊の身体を無造作に持ち上げた。対面座位の姿勢で挿入すると、ベッドに括り付けてあったロープの端を解いて真上に放り投げた。
「……く……ぁ……」
「はは、すごい締まって気持ちいい」
 ロープは天井に吸い込まれて、強い力で上に引っ張り上げられていく。羊の首は吊られた状態になったが、身体は浮き上がらなかった。愛溟に腰を掴まれたままだからだ。自身の体重がかかるより強い負荷が、か細い首にかかっていた。
「死ぬ瞬間ってすっごく気持ちいいらしいよ……ここまでどうやっても心折れなかった君に、最後にご褒美をあげよう」
 最後に聞いた声は、愛溟のものだった。下から激しく突き上げられると同時に、上からも一気に引っ張られて首から鈍く砕ける音がした。絶頂と絶命を同時に感じながら、羊はようやく気絶する自由を与えられたのだった。

――羊さん、羊さん起きて!
 声が聞こえる。必死に呼んでくれる、泣きそうな声。
「蓮さん……」
「良かった……もう大丈夫だよ。怪異はみんな倒した。無事でよかった。頑張ったね、羊さん」
 強く抱きしめられる。あたたかい、くるしい、でも、うれしい。
「ごめんなさい……もう、ねむくて」
「ああ、何も心配するな。これから病院に運ぶから、羊さんはゆっくり休むといい。あとはみんな小生がやっておくからな」
「はい……ありが、と、う……」
 眠い。とても眠い。
 蓮が優しく抱き上げて、運んでくれている。心地よい揺れる感触、逞しい胸に頭を預けた。
 眠い、きもちいい、ずっとこうしていたい
 羊は目を閉じ、再び意識を手放した。

……

 ああ、僕の負けだよ。正直君を侮っていた。もっと早く弱音を吐いて、従順に従うようになると思ってた。どんなに犯されても心は清らかなままですなんて、ただのハッタリだと思ってた。でも、本物だった。筋金入りの莫迦だったんだよ。従順なようで、何にも思い通りにならない。言うことをきかせているようで、どんどん莫迦のペースに巻き込まれている。真に純粋な心とは、荒唐無稽な夢を見続ける白痴のようなものだ。君は人の身でありながら、始祖の本質を垣間見せてくれた。出来損ないだから、頭の良いフリをするのは苦手だったんだね。その点まで理想的なサンプルだった。始祖そのものはそう簡単に手の内を見せてはくれないからね。
 水蜜の幼体、とでも言うべきかな。成体にはなれそうにないけれど。なったところで、羽ばたけず水も飲めずに死ぬ束の間の奇跡だろう。だから、繭の中で眠っていればいい。清らかなままの君が眠っているうちに、使えるところは僕が余さず使ってあげる。
 君は醜いと思い込んでいるようだけど。君が必死で押さえ込んでいる怨み、憎しみ、淫蕩な破滅願望は美しい。君を呪うものすべて、君を救おうとするすべてを等しく受け入れて。何もかも滅ぼす呪詛を創ろう。
 どこまで出来るか、精々頑張って見せてくれよ。

四『黒い山羊の誘惑』

 羊が行方不明のまま、何日も経った。結局、羊不在のまま山での作戦が決行されることとなった。主犯である愛溟の確保を優先してのことである。現場には、全国から選りすぐられた怪異対策課の実働隊が集まった。
「……では、開けますよ」
 例のドアの前に、猪狩が立っていた。若い者を犠牲にするわけにはいかないと、彼たっての希望で先陣を切ることにしたのである。後ろの実働隊が頷くと、ドアノブを握ってそっと開いた。
 開いた瞬間、生温い腐臭が一気に流れ込んできた。と同時に、何かが猪狩に向かって倒れ込んできた。誰もが咄嗟に攻撃しようと身構えたが……やめろ、と後方から墨洋の怒鳴り声がした。
「郷徒!」
 ドアの向こうから出てきたのは羊だった。ぐったりと目を閉じている羊は墨洋が引き受けて後ろに下がった。猪狩はドアの向こうを見た。
 壁しかないはずのドアの先には、異空間が広がっていた。地面は赤黒い泥で濡れ、空は雨が降り出しそうな曇天だった。あちこちに枯れ木や廃屋があり、まともな生き物の気配は皆無だった。
「あれは……!」
 遠くから、青白い頭部が肥大化し、脚は八本生えた怪異が首に絡みついたロープを引きずりながら近づいてきていた。ものすごい速さで、しかも大量の似たような個体が。
「くそ……やってやる!」
 実働隊が身構えていると、いつの間にか起き上がっていた羊が急に前に出てきた。猪狩たちが対応できないうちに勝手にドアノブを掴み、勢いよくドアを閉めた。ばん、という乱暴な音が静かな部屋の中に響いた。
「ここは危険です。一度タいひしてください」
「し、しかし……」
「この人は行方不明になっていた怪異対策課の郷徒だ。目立った外傷は無いが、霊障を受けて精神が傷ついている可能性がある、至急医療班に」
 墨洋が羊を下がらせ、再度ドアを開けるよう指示する。部屋から出されようとする羊は小さく「無駄だと思いまスけどね」と呟いた。
「嘘だろ……」
 ドアを開けると、もうそこに異空間は存在しなかった。そんなものあるわけ無いだろうと言わんばかりに、小屋の壁があるだけになっていた。それ以上の進展はなく、山の調査は一旦中止となった。
 後方には医療班と除霊班が控えており、羊は急ぎ手当を受けた。細かい傷と疲れた様子くらいで、羊に大きな異状は見られなかった。
「ご迷惑をおかケしました」
「何があったんだ」
「大したことは何も。すぐにレポートにまとめテおきます」
 墨洋が心配そうに問い詰めたが、羊はいつも通りの様子で『何もなかった』の一点張りだった。そこに深雪も現れた。
「おまえ……」
 羊の姿を見て、深雪は何かひっかかったようだった。しかし何も言わずに黙り込んだ。
「深雪さん」
 羊は相変わらず虚な目をしていたが、上目遣いだからかいつもより妙に大きく見える両の眼球で深雪を見た。
「深雪さんの助けも、今回は間に合いませんでしたね」
「自力で逃げられたではないか」
「そう、ですよね」
 羊は俯いて、深雪から目を逸らした。
「神頼み、してしまいました。深雪さんはそういうのじゃないのに」
「羊さん!」
 話を聞きつけた蓮も駆けつけてきた。さぞ喜ぶだろうと深雪は思ったが、羊の反応は思ったよりも素っ気なかった。
「無事だって聞いた、けど……」
「はい。無事に戻って来られました」
「そんな嘘つくなよ」
「え……」
「誰も気づかなかったのかよ。わずかだが、呪いの気配がする。早く祓わないと」
 ぱっと見でわからないのは無理もないけど、と蓮は付け足した。背中に悪霊が憑くような、表面的な呪いではなかったからだ。身体の奥、内臓に染みついたような呪い。まるで、呪いを孕んでいるような……。羊が怪異に何をされたのかは、語らずとも察せられた。
「……辛かったな」
 蓮にそう言われて、優しく抱きしめられて。心配かけまいと素っ気なくしていた羊だが、耐え切れず蓮の胸に縋りついた。背中を撫でられて、うっとりと目を閉じた。
「やっぱり、すゴく怖かったです」
「そうだろ、無理するな」
「メいわくですよね、こんな」
「そんなこと気にするな。もっと早く助けに行けなくてごめんな。他に困ったことはないか? 何でも言ってくれ」
「なンでも……? それナら」
 何か言いかけたが、羊は口をつぐんでしまった。
「いえ、忘れてくだサい」
「どうした。気にするなって言ったろ」
「もう大丈夫です。蓮さんが励ましてくれたから、もう平気です。早く怪異対策課に戻らなイと」
 せめてお祓いだけでも、と言う蓮には『署で何とかする』と背を向けて。
(これ以上は、蓮さんが穢れてしまうから)
 その一言は、言えずに押し殺した。

 羊は怪異対策課に戻り、門の向こうであったことをほぼ全て話した。『白き雛たちの夢』代表である愛溟風斗がすでに人間ではなくなっていること。信者たちを怪異の苗床にして山に放ったのも、門という概念を隔ててドアの向こう側に異世界を作り上げたのも愛溟の能力であるらしいこと。廃神社でもおそらく鳥居を門にし、偽の電話で深雪と蓮を引き離して羊一人だけを異世界に迷いこませたこと。
 愛溟はわざわざ東京で水蜜の旧友である稲荷神の死体を持ち出し、グロテスクに改造して好き勝手に使っているという話もした。同席していた深雪も苦い顔をしていたので、愛溟がそんなことをしたのは単に神霊の力が欲しいだけではない意図があると断定された。水蜜に何やら興味を持っていて、その足がかりに子孫である羊に接触してきたのではと話すと、水蜜と羊の警備を強化しようという案も出てきた。
 空の神社を乗っ取って新たな神に成り変わり、悪霊を自身の手下として羊にけしかけてきたこと、輪姦されたことに至るまで報告すると「大したことないって言ってたが大嘘じゃねーか」と墨洋がキレた。一通り叱られた後、さっさと帰って休めと怪異対策課を追い出された。
「家で主治医にしっかり診てもらえ」
 墨洋はシンディに、くれぐれもよろしくと伝えて送り出した。シンディは羊を心配してぴったり寄り添っていたが、何かが変だとずっと悩んでいた。仕事の話以外はずっと黙っている……のはいつもそうなのだけれど。
 シェアハウスに戻ると、シンディは一通り羊の診察をした。すでに病院にも連れて行かれているので繰り返しになるが、シンディ自身が診ないと気が済まなかったのである。
「夕食とお風呂が終わったら、呪術的な面も検査します」
「キにしすぎですよ」
「そんなことありません。普通の医療ではわからない呪いを受けているかもしれないので」
 変わったことがひとつあった。羊が珍しく、夕食をしっかり標準量食べたのである。
「ズっとまともなもの食べてなくて、おイしかったです」
「そうですか。それは良かった」
 ちゃんと食べられるようになるのはいいことじゃないか。せっかく食欲が湧いてきたなら、指摘せずに自然に受け止めてやるべきではないか。そう思って、何も言えなかった。
「片付け、テつだいますよ」
 シンディが食器を片付けながら悶々と考えていると、羊が気配も無く真後ろまで近づいていた。驚いたはずみについ手を滑らせてしまって、ティーカップをひとつ割ってしまった。
「あっ」
「ごめんなさい。私が急に話しかけたから」
「いえ! ヨウはリビングでゆっくりしててくださ……ouch」
 急いで破片を拾い上げようとしたせいで、シンディの指が傷ついた。人差し指の腹に赤い線が一筋浮かび上がる。手首ほど太い触手をバッサリ斬られても平然としていたシンディである。その程度の痛みより、羊とお揃いで使おうと買ったお気に入りのカップがひとつ駄目になってしまったことの方を惜しんでいたくらいだった。
 しかし、不意に羊がその手を取って躊躇いなく傷を舐めたものだから、シンディはすっかり動揺してしまった。
「ヨウ⁈ な、なんで」
 嫌ではなかった。だけど……いつも控えめに閉じている薄い唇からのぞく、小さな舌。見てはいけないものを見ている気がするのに、目を逸せない。
「あ……ごめんなさい。ダメですよね、お医者さんにこんなこと」
 ぱっと手を離して、羊は手当てするものを取りに行ってしまった。こちらから手を伸ばしかけると、すぐに逃げてしまう。じれったい感覚に戸惑いつつもシャワーを浴びて、さて羊の様子を見ようと準備のために自室に戻ると。なんと、シンディのベッドの上で羊が待ち構えていた。
「どうしました? 検査してくれるっていうから」
「そう、ですけど」
 やっぱり何だかおかしいな、普段は過剰に人と距離を置く羊が。シンディは今日の羊による報告を反芻しつつ、ひとつ思い当たることがあって羊のシャツを脱がせた。相変わらず痩せてへこんだ腹に、今日は夕食分だけほのかに膨らみが残っている。てのひらでそっと触れて、推測が当たっていることを確信した。
「いなくなっている間、多くの怪異に襲われていたと報告にありましたね……前に、一体だけに襲われていたときには気づきませんでした。ヨウ、あなたは」
「シンにはわかってもらえるんですね」
 声が少しはずんで、羊はぎこちなく笑った。
「怪異に抱かれると、その呪いを引き受けてしまうのですか……?」
「そうみたいです。怪異の体液は消えるけど、情念は消えない……怪異にならなきゃやってられなかった苦しい思いが伝わってきて、しばらく変な夢が見えて。何でなのかわからなかった」
 今までは怪異に犯されても一度に数体が限度で、一体あたりの力も弱かったので大した影響は無かった。何より合間に深雪にも抱かれていたので、神霊の精である意味殺菌されてなんとかなっていたのである。それが今回は一度に数えきれない怪異に輪姦された。深雪にも察知できなかった異空間に隔離され、元は稲荷神の眷属だった神霊スレスレの悪霊たちに、長年の呪いを注ぎ込まれた。身体の外からでも、深雪や蓮、シンディに勘付かれるほどに。
「それは大変です。すぐに取り除きますから……」
「待ってください」
「どうして? 苦しいでしょうに」
「はじめは、苦しかったけど……今はなんだか、きもちよくなってて」
 呪いで苦しみ喘ぐような声が、官能的な吐息に染まる。
「今日の羊はどうしたのですか。なんというか……悪魔のような魅力を感じます」
 そんな場合じゃないのに、思春期の少年のような間抜けさでドギマギするシンディを羊な意味深な眼差しで見つめていた。
「悪魔……そうですね、そうかも」
「あ! えと、ごめんなさい。日本語だとなんで言えばいいか。傷つけるつもりはなくて。嫌な気持ちじゃなくて、なんか……」
「いいえ、わかってますから」
 腹に触れていたシンディの手を、羊の両手が優しく包む。
「以前、私の身体は治せないと言っていましたね」
「触手の怪異にされた改造のことですか? はい、残念ながらそれの解決法はまだわかりません」
「でも、別の道があることを、私に黙っていますよね」
「えっ? いや、でも……」
 一切感情の読み取れない表情で、羊がシンディを見つめ続ける。シンディは迷いながらも打ち明けた。
「改造を無かったことにするのは、怪異の脳が生きていたとしてもできなかったと思っています。しかし……できることはすべて、ボクが受けついでいるし理解もしています。改造の続きを……最後まで、行うことも……」
「最後までやったら、どうなるんですか」
「半端な改造による不定期な発情、それをなんとかしたいんですよね? 気持ちはわかるけどおすすめしません」
 羊の下腹部に異常が出ているのは、本来性器でない直腸内を子宮のように使おうとしているから。それを分離して、会陰部に子宮に似た器官を独立させる。そうすれば消化器の邪魔をしなくなるから、嘔吐を伴う発作も和らぐかもしれない……シンディもそこまでは解析できていた。
「でもね、子宮と言ってもニセモノですよ。子どもを産むことはできない。刺激すると気持ちいい穴、それだけ。怪異に都合のいい体にされるだけで、ヨウが得することはありません。それに……それを形成するにあたって、男性器を使います。男でなくなってしまうんですよ? 女にもなれず、怪異を育てる空っぽの穴だけが残る。そんなものが治療と呼べますか」
「治療じゃないですね。でも、シンは……最後までやってみたい。そうですよね」
「え……」
 半分図星だった。しかし、好奇心以上にやりたくない気持ちが強かった。人間の社会で生きていくために最低限必要な常識。親切な医者であろうとする仮面。それも少しはある。しかし、なにより強くシンディを縛っているのは、自身も母親に男性器を切除されたというトラウマ。
 シンディは、羊のことを気に入っていた。同じ部屋に住んでもいいなんて、彼にとっては母親以外許したことがなかった。それほど羊に気を許していて、自分の一部のようにすら感じていた。そんな彼をこの手で去勢するなんてあり得ないと思っていた。それが最大の理由。
「ダメです。それだけは、ダメですよ……」
「未完成のものを完成させられる力が、あなたにはある。それをやらずにいるのは、気分が悪いのでは」
「でも……」
「シン」
 羊がシンディの手を強く握って、腹に押し当てた。弱い鼓動が伝わる。内臓がたよりなく動く感触も。
「私は、私を求める人のためになることがしたい」
「ヨウ……」
「シンが、そうしたいと思うなら。私は、何をされても」
 シンディの思考がぼんやりとしてきた。
「本当に……良いのですか……?」
 服を脱ぎ、一糸纏わぬ姿になった痩躯を、無防備にベッドに投げ出す。蠱惑されたシンディがその上に覆い被さって、幕のように羊の裸体を隠す白衣の裾を、羊の手が甘えるように手繰り寄せた。
「あなたが望むのなら、喜んで受け入れます」
「ヨウさえ許してくれるのなら……ボクは……」

 君の体液の中で息をしていたい。

 数時間経って、すっかり夜が更けた。
 手術というよりは、黒魔術の儀式のような行為だった。シンディがやると決めればあっけなく、羊の胎内は、あの触手型怪異が望んでいたかたちに作り替えられた。男性の骨格のまま、性器だけが消滅し、女性の紛い物に書き換えられた。これが化け物になった瞬間なのだと、後に羊は振り返ることになる。
 悍ましい過程で生まれたものの、出来上がった膣口はあまりにも慎ましく、処女膜すら綺麗に備わっていた。花はすぐさまシンディによって手折られ、シーツに赤い花弁が散らばった。
「ヨウ、がまんしなくてもいいのですよ。痛いのなら、もっと薬を足しますから……ね、顔をよく見せて」
 顔を覆う傷だらけの手を取って、涙に濡れた頬を舌の代わりの触手で拭う。ヒトの体液の味。新しくできた子宮の中も、こんな味の液体で満たされるのだろうかと夢想しながら。シンディは羊の肉に溺れる。
「声も、聴かせて」
「い、いや……」
 また指を噛もうとする動きを制止して、丹念に愛撫する。快楽に酔う自分を罰し続け、顔も声も醜いと塞ぎ込む極端な禁欲は、淫らになった肉体とはあまりにもちぐはぐで哀れで、放って置けないと思った。
「いたい、いたい……で、でも……きもち、いい」
 完成した擬似子宮は完璧だった。それとのセックスは酒よりも麻薬よりも強烈で、シンディはトラウマなどすっかり吹き飛ばされていた。羊がセックスによる快楽を得ても嘔吐しないことに気がついて、シンディは羊に無条件で受け入れてもらえる喜びによりいっそう執着を強めた。
 ひとしきり堪能した後、二人はまだ繋がったまま、ベッドの上で抱き合って寝ていた。シンディの腕の中で、羊が掠れた声で囁いた。
「あのね、シン、私は……神様の子を授かってみようと思うんです」
 羊は、何者かに洗脳されている。
 何度か射精して冷えた頭は幾分かまともな思考を取り戻し、シンディは確信に至っていた。羊の不自然な行動、違和感の正体。部屋の中にいる、知らない気配。羊は既に洗脳された上で怪異対策課に送り返された。そして隠れている誰かに操られながら、シンディを誘惑した。何ごとかはわからないが、『神様の子』と言うには淫らすぎる羊の酔い方から、黒魔術的な悪事に利用するためシンディを道連れにしようとしているらしい。子宮を造らせたのも計画の内なのだろう。
 翻弄される中で必死で考えて、そこまでは、分析できたのに。怪異対策課としては非常にまずいことになったと、わかっているのに。
「ヨウは、そうしたいのですか」
「シンと一緒になら、できると思うから」
 シンディの胸に縋りつき、潤んだ目を向けてくる羊は今まで見た中で最も生き生きして見えた。羊が快楽に拒絶反応を起こさず、与えられたものに素直に気持ちいいと返せるようになるのなら。食事を摂ったり、やりたいことをやりたいと言えたり、そんな普通の幸せを取り戻せるのなら。嫌なことしか無い過去の記憶なんて、忘れさせられたままでいいのではないかと。シンディは、そう結論づけてしまった。
「わかりました。ヨウがしてほしいこと、ボクがなんだって叶えてあげますね」
「ええと、それじゃあ……キス……してほしい、です」
 少し舌足らずな、幼い誘惑。求められるままに舌を絡めて深く口付ければ、できたばかりの膣内が妖艶にうねった。吸い付いてくる子宮口に亀頭のくびれを捩じ込んで、また二人同時に果てた。そんな快楽の前では、シンディの薄っぺらな社会性なんて簡単に溶けた。あとは羊の求めるがまま、共に失踪したのだった。

「あいつ、ほとんど洗脳の意味無かったな」
 もぬけの殻となったシンディの部屋、冷たくなった紅茶をおままごとのように舐めながら。全身真っ白な男が機嫌良さそうに独りごちた。
「呪病に理解のある彼くんも確保完了したし、実に順調だね。ここまできたらあとは確実にこなしてくだけだと思うけど、油断はしないようにしなきゃ。何せ……次は神霊の捕獲だからねえ」
 愛溟は古びたかんざしを一本取り出すと、それをティーセットの傍らに添えて去っていった。

愛溟風斗
(まなくらふうと)

次 第十五話

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