手紙とは
『哲学的な100の質問』のつづき。
なんのこっちゃと言う方は、一番最初のこちらの記事をごらんください。
012.手紙とは?
手紙はやっぱりパソコンや携帯で打つメールとかLINEとかではなく、紙の媒体のものなイメージ。やっていることは一緒なんだけど、なんとなく書くことも変わってくるかなあと言う感じがする。
5月ごろ、実家でいろいろ物や本を整理してたのだが、友達からの手紙なんかも結構見つかって、ひさびさに読んだら全然内容を忘れていて、この子はわたしをこの時期そんなふうに感じていたのだなあ…なんて思いながら読んだ。
そのなかに、あーあるあるこういうことやっちゃってたわー、とも言うべき、未来のわたしへの手紙というものを見つけた。ただ、あて先はわたしではなく高校受験後のわたしだ。差出人は中3のわたし。
ふむふむ、と封を開けてみたら、中3のわたしは自分を見失っていた。そうだったっけ…。やりたいことがいまいちわからない、どの高校に行こうかな迷ってるとか、受験終わって無事高校生活送ってる?どんなん?みたいなことが書いてあった。
なんかその自分見失ってる文章が、わりとまんま今にも当てはまってしまって、わたしって基本的にはずっとおなじようなことで悩んで、自分を見失い続けてんだろうな…とおもった。そして、たまに見つけて、再び見失う。
中3のわたしよ。わりと高校生活はリア充したぜ。剣道部で体育会系となって汗を流し、なぜか稽古後に卓球やバトミントンもこなし、マンガはやっぱり大好きで絵もひきつづき描いてたよ。だんだんと文章を書くことに惹かれ始めたのもこの時期。ひそかに。クラスの仲間と合唱コンの闇練をしたり、誰かを好きになったり、やっぱり好きになれなかったりした。
ちなみに高3でもまた自分を見失うから、どうか安心してほしい。大学でも見失うし、会社勤めしても見失うし、結婚してからも、子どもを産んでからも、引き続き見失う。平常運転だ。
大丈夫、しくじらないわけではないから。正直しくじってるから。しくじりで自分をまたひとつ知るようだ。そこからも道は生えているようだ。その先にわたしがいるようだ。
高校時代、友達とやりとりしたFAXはなんとなく、手紙として換算している。絵と文章を描いて送りあいっこしたな。楽しくてドキドキした。あれも、「パソコンとは」で書いたようなドキドキワクワク感があった。
でも、手紙を書くと、いらんこと書きすぎてしまうなーという思いもある。対面だと間違わなかったのになあということ。自分に酔いやすいというか…なんか筆がのっていらんこと書いてしまうときがある、夜中のテンションのような感じで。
送った後に、「あれは全然いらなかった」と気づいてしまう絶望。
だから、おさえておさえて書くぐらいが、ちょうどいいんだろうなとおもったりする。
手紙を書いて喜んでもらえることももちろんある。
ゆっくりと言葉を選べるから、手紙と言う方法はすごく好きだ。
わたしは特に親しい相手以外は、しゃべるよりは書いたほうが自分のよいところ出せるんじゃないかとおもっていたりする。(親しい相手はしゃべっててもいい部分が出せる気がしている。このひとは待っててくれる、という安心感があるから。でも、警戒スイッチのオンオフを自分では決定できないので、どうしようもない)
前に『言いたいことの20%しか伝わってないし、それでいいと思ってる節がある』と言われてギクーッとしたことがあって、そこは本当にどうにかしてったほうがいいんだろうなとおもう。うまく言えなくても言う努力みたいなのをしないと、たぶん回路はなかなかつながらないままだから。
まあ、それはともかく、文章だと言いたいことはおそらくもっと上、60%は言えるような気がする。(あとの40%の部分はなんというか勇気みたいなものの問題な気がする)
でも、それでも対面のほうがいいときっていうのはあるよな、と強くおもう。
その言葉のニュアンスが伝わらなかったりすることもあるし、相手の反応で次の言葉を選べたりもするから。
前の幼稚園で、ふうか氏のお友達の多くとさよならをしなくてはいけなかったときに、みんなの絵を描いて渡した。いらなかったらサッと捨てられる感じで(ペラ一枚で大きすぎない)、かつわたしの愛が伝わるような感じにしたかった。あなたのこういう部分がとても好きだった、ということを絵に込めたかった。結構、伝わったとおもう。あのとき、わたしはみんなの絵を『手紙』としてかいていた。文字で書くより伝わるんじゃないかとおもったのだ。
みんな元気にしているかな。ちなみにその時の記事はこちら。
もうひとつ思い出した。大学のとき友達がおススメしてくれた本がすごい印象的だった。この作者さんの本ほかにも読んだけど、これがずば抜けて好きだった。
姫野カオルコさんの『終業式』という本。
本分全部が手紙でできている。誰かから誰かへ。そのうち媒体はFAXだったりeメールだったりもするんだけど、途中で、書いたけど出せなかった手紙、書きかけてやめてしまった手紙というのが何度も出てきて、それに胸が締め付けられる。人生をつくるのはそのひとが『言った言葉』だけじゃない。そのひとが『言わなかった言葉』というのもまた、人生をかたちづくっていく。
ということで、今回の絵は、言わなかった言葉『出せなかった手紙』のほうを絵にしてみました。
「あの頃、わたしはいつも、出せない手紙をあなた宛てに書いていた。」
という感じの。
いい線画が描けた気がして、色塗りでめちゃ失敗して、色を消しゴムで消したらうっすらと残って、もうそれぐらいでちょうどいいんじゃないだろうか…ということで、ここで完成としました。こういうのいつも見誤ってしまう…色数絞ったほうがいいときとか、淡い感じで塗ったほうがいいときとか、塗った後にいつも気づく…。
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