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光とは

『哲学的な100の質問』のつづき。
なんのこっちゃと言う方は、一番最初のこちらの記事をごらんください。

004.光とは?

わたしにとっては希望のようなもの。可能性と言い換えてもいい。
テイラースウィフトが歌う「mean」という曲がある。それは自分に意地悪なことばっかり言ってくる人に向かっての歌で、「あなた」が口にした言葉でどれだけ自分の心がぐしゃぐしゃになるかを言ったあとに、「でもいつか私は大きな町へ行く、あなたが手の出しようのない大きな人間になる」「そのときあなたは意地悪なまま、何も変わらない、誰も聞かないような話をひとりでずっとしてるんだ」というふうに続くんだけど。
これ数年前に考えて、この記事に書き残してあるんだけど、今読んだら新しく書くより引用したほうがいい気がしたので引用する。

わたしの好きなところは、途中で
「きっとあなた自身もいじめられたり冷たい仕打ちを受けてきたのね」
と、一度相手を想像するところ。
そして、その後に
「だけど、その悪循環は今ここで終わるわ。わたしはあなたの跡を追って、同じ道を進んだりしないから」
って、宣言するところ。
そして、あなたはただの意地悪になるだけだけど、わたしはもっともっとビックになってやると続くのだ。
 
なんというか、この歌はただ今つらい状況にあるひとを「そんなやつただの意地悪なんだよ」と励ます歌であるだけでもなくて、「あんたの言葉に今のわたしはもう傷ついたりしない」っていういじめっこに対する爽快な復讐ソングであるだけでもなくて、同じように冷たい仕打ちに傷ついたとしても、あなたはMeanになってくれるなっていう歌でもある気がして。
そうやって、自分が受けた傷を次の人に返したとしても、そのときはどんなにいい気分でも、結局いつかあなたは、うそつきで孤独でみじめな、ただの意地悪になるだけだよって。
(あ、多分これ受けた傷を返す相手が自分である可能性もあると思うんだ。「どうせ自分は××だから」って鼻で笑って、永遠に自分を傷つけ続ける可能性)
あなたといじめっこが地続きなんだよな。
自分の価値を見失うぐらいに打ちのめされる。
だけど「わたしはその道を行かない」って言い切って、打ちのめされ続ける人生でも、誰かを打ちのめす人生でもなく、「大都会に行くんだ、そしてあなたの言葉に傷つかないぐらいビックになる」っていう希望の道を自分は選ぶんだっていう祈りのような決意が、どんだけ尊いことか。
「いつか」はあなたじゃなくて、わたしが決めるんだっていう歌な気がして、じーんとするのであった。

これを書いたときは「祈りのような決意」だとおもってたんだけど、今は「可能性」であっても、光なんじゃないかとおもうようになった。
はっきりと「こうなるんだ!!わたしは変わるんだ!!」って言いきれないときもあるとおもうのだ。自分を否定するに足る理由に囲まれて。だけど「わたしは変われるかもしれない」という可能性をこころにおもうことが希望になることもあるのだと。
今すぐにはできなくても、だけど、けして折れずにいることはできると。
真っ黒に染まってしまわない、ただひとつのひかり。
「でも、そうじゃないかもしれない」
というひかり。
あと全然関係ないけど、ひかりに一度出会えたら、それは生涯残っていくんだとおもう。
そのひかりをもたらした存在にもう会えなくても、ずっと続いていくもの。
わたしにとってはそういうもの。

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光を描こうとしたらどう描いていいかわからなかったので、わたしが光を感じるものを描いてみた。

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