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六月のばらばら

 いまだに覚えていることがある。
 教室で、あの日。確か六月も終わりだった。雨が続いていた。
 カナオは教科書全部を窓から投げ捨ててしまった。僕はカナオの後ろの席に座っていたので、その一分前までカナオがいつも通りだったことまで証言できる。
 窓の外は雨粒がこれでもかというように降り注いで、二階から放り投げた教科書たちはすぐにぐしゃぐしゃになって汚れていった。取り返しのつかないぐらいに。
 なんてことを、とカナオを見た瞬間、僕は息を呑んだ。
 その目がとても、きらきらとしていたから。
 カナオは汚らしいものを触ってしまった、というように手をぱんぱんと払った。
 職員室に連れていかれ、こんこんと叱られたらしい。
 その際先生に言ったことには、
「ぜんぶ飽きちゃったから」
 と。
 それ以来カナオは学校に現れなくなってしまった。
 最初はずいぶんとセンセーショナルに噂は学校中を駆け回ったものだけど、もうすっかり慣れっこで、先生がカナオの名前をわざわざ呼んで欠席を確認することもない。
 だけど、僕はその後も誰も座らないその席に、残像を見た。
 ばらばら、と次々に、すべてを投げ捨てて、ほんの一瞬の自由を手にした瞳の。

 時は流れて、僕は教科書を投げることもなく大人になった。
 だけど、今もあの日の教室にいるような気がするのだ。退屈が蔓延した教室で、徐々にカビていくような。
 たとえばこうして、満員電車で揺られているときに。
 そういうときによくカナオのことを考える。カナオはどんな大人になったんだろう。あのとき座り続けていたからこそ、カナオよりいいものになれたりしたんだろうか。カナオを上に見たり、下に見たり僕は忙しい。
 電車が速度を緩めはじめた。ああ、今日一日がまた始まってしまう。
 だるい気持ちで目をつむれば、またあの光景。
 僕はいつかを夢見る。いつかが僕の日常をぎりぎり支えている。
 窓の外側をばらばらと雨が叩いている、あの日のように。

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