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朝とは

『哲学的な100の質問』のつづき。
なんのこっちゃと言う方は、一番最初のこちらの記事をごらんください。

005.朝とは?

朝とは、鬼滅の刃で鬼殺隊のみんなが命をかけて目指した夜明けのこと…。
(最近1巻からジャンプ本誌最終話まで読み直したところ)

わたしは夜眠るときに息苦しくなってしまうことがたまにあって(最近はないが)、寝ようと思っても寝られないし、寝れたとしても寝てるうちにぽっくり死んでしまうんじゃないかとおもったりしていて、そんなとき、朝が近づいてくるとすごくほっとした。あ、生き延びた…みたいな。朝になるとふっと体が楽になって寝れたりした。「みんなが」寝れている時間に寝れないことが余計にわたしを焦らせて、「みんなが」起きだす時間になったからようやく寝れた…みたいなところがあるとおもう。

最近はふうか氏が幼稚園を行き渋っているので(最初の頃はいろいろあって行きたくなかったのだが、そこは先生にも相談して無事解決し、楽しく通うようになったけれども、直前で「ママと離れたくない、ずっと一緒にいたい」という気持ちが強くなるようだ)、朝起きた瞬間胃がきりきりする。今日はどっちだろうと。
すいっと行くか、行きたくないと言い出すか。
どうするのがいいんだろうと。一気に全責任がわたしにズドーンとくる。
ふうか氏の心が第一だとはおもってるので、休ませたときもすでに何回かあるのだけど、現在のふうか氏は純粋に「行きたくない」わけではないのである。厳密には「行きたいけど行きたくない」。「友達に会うなど楽しいことがあるから行きたいけど、ママと離れたくないから行きたくない」という。だから、その別れ際のギャアーさえ突破すれば、あとは楽しんで帰ってくる。少なくとも今はそう。
できるだけ見誤らないように、様子を観察して、ふうか氏の話もよく聞き、先生と相談しつつ進めているのだが。(段階によって対処はちがうとおもうので)(ほんとうに追い詰められた「行きたくない」を見逃してはいけないともおもうし、ここで休ませたほうがいいという判断も大事とおもう)
ふうか氏の「行きたくない」を全部受け容れられたらいいのかもしれないけど、わたしのキャパシティ的にとても無理なので、今は直前でギャーっとなっても先生に預けてさっと去るようにしている。
今日は行くのか行かないのかわからない、ふうか氏の意思次第、もしくはわたしの裁量にかかってるのかもしれない、というときが一番精神的に負荷がかかっていた。
わたしを犠牲にするのもちがうとおもうし、ふうか氏を犠牲にするのももちろんちがうとおもうので、様子見様子見、手探り手探りで、どっちかのキャパシティや余裕がパーン!となってしまわないようにやっていきたいとおもっている。
先週は後半ルンルンでいけたのだが、土日を挟むとリセットされましたわ…。
なんとなく、これは小学生になってからもあるんじゃないかとおもうし、なんなら小学生のときからが本番な気がしている。行くか、行かないかじゃないよ。そういうものじゃくくれない、コトに向きあうときが来るというか。学校が楽しめる場所であるといいんだけどな。

今日炭治郎の誕生日らしいよ。

『頑張れ炭治郎頑張れ!俺は今までよくやってきた!俺はできる奴だ!そして今日も!これからも!折れていても!俺が挫けることは絶対にない!』

リスぺクト炭治郎。

炭治郎、誕生日おめでとう。炭治郎に出会えてよかった!!ほんとうは戦いに向かない、やさしいやさしいきみが大好きだ。

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