筒井筒


何ヶ月かに一度の眠れない夜。


いや、めっちゃ嘘。
ほんとは眠れない夜、もっと沢山あるよ。
でも別に、今言いたいのはそんな事じゃない。

また、ふと思い出してしまった。
私が大好きだった古文、筒井筒。
高校生のとき、古典の授業で習ったこれが24歳になった今、この瞬間も、わたしはずっと忘れられなくて、何度も何度も思い出してしまうのだ。


幼なじみの男女が、大きくなって疎遠になってもずっとお互いのことを忘れられなくて、恋に落ちて結婚して...みたいな、そんな話。

正直細かい話は全然覚えてないのだけど、わたしには大好きな部分がある。
それは、冒頭の、ふたりが疎遠になってしまっていた長い時間の経過を、それぞれ、

『筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに』

『くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき』

と詠んでいて、つまり、男は会わないでいるうちに伸びてしまった身長を、女は会わないでいるうちに伸びてしまった髪の毛で表現してるところ。

なんだか、時間をそういうふうに表現できるのって、凄く陳腐な言葉になってしまって悔しいけど、純粋にロマンチックだなと思う。柄にもなくて恥ずかしいけど、でも、わたしという人間は意外とこういうのに弱い。もう、認める。弱いです。

そして、わたしは高校時代から好きなバンドがあるのだけど、そのバンドが歌うある曲に「あたし髪が白くなるまで」っていう歌詞がある。高校時代の通学中にこの曲を聴いていて、わたしはとってもドキドキしてしまった記憶がある。これも一種の時間の経過を表す表現なのだと気づいてしまったのだ。

いや、なんかめちゃくちゃ大袈裟に書いてるけど、わたしがときめいたのは、わたしという人間はこういう表現に弱いのだと分かったこと。人間は自分自身がどういう奴なのかわかった時にドキドキするんだと、その時、初めて知った。

それってとても大きな気づきではないか。


いや、そんなことないか。
やばい、お得意の着地点見失い癖が出てる。もう辞めようかな、この話。


とにかくわたしはずっと、多分おばあちゃんになって白髪だらけになっても、筒井筒を忘れない気がするし、ロマンチックな表現にときめき続けるし、こういう自分を肯定し続けるよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?