おもろいよね。
万葉集読んでたら日本語ってむぁじで面白いなぁって思う。
野菜のオクラ切ってたおかんに「憶良らは〜今は罷らむ子泣くなむ〜それその母も吾を待つらむそ」って言ったら「あんたまたそれ試験に出らん知識やろ。なんで憶えとるんよ」て言われてもたけど。
ゑ~~?? でも高校のとき習ったよね。「憶良らは」の「ら」は謙譲の意で「憶良めは」って意味になるとか何とか…。
山上憶良は下級とはいえど貴族やったのに、下々の者たちに寄り添う視点を持ってたのがほんますごいよね。貧窮問答歌とか防人の歌とか。
あとは子どもが何よりも大切って詠んでて、まさかその歌が1300年後のアラサー女の心に響いとるとは夢にも思わんやろなぁ。
タイムスリップしたら、言葉とかどこまで通じるんかなぁって時折思うんじゃけど、上代くらいやとゆっくりであれば意思の疎通はできそうよね。はひふへほ、の発音が、ぱぴぷぺぽ、ふぁふぃふふぇふぉ、とかやったんやろけど。
古事記とか日本書紀とかも、高校のときから読むのすごい好きで。てか東西問わず神話が好きなんやろな。
(『ふることふひと』めちゃおもろいので是非…。1巻から楽しみに買い続けてたのに突如として打ち切りを告げられた読者の気持ち…。編集部むぁじで見る目ねえな?!!!ってなる笑。ほんまつらいンゴ~~)
万葉仮名を使う前の日本では、「やまとことば」の語りは口伝で全部記憶しなきゃいけなかったんですね。稗田阿礼すごすぎないってなる(笑)
額田王って、天武天皇(当時は大海人皇子)との間に十市皇女という娘がいて、でもそのあとに天武天皇の兄の天智天皇にも寵愛されてるんでしたっけ?? ほんで十市皇女は天智天皇の子どもの大友皇子に嫁ぐけど、大友皇子は天武天皇と壬申の乱で争って自害するという…。
この時代って、近親者どうしの婚姻がけっこうありますよね。腹違いのきょうだい、姪、甥、おじ、おばを配偶者にするという…。そもそも古事記だってイザナギとイザナミは兄妹ですし。
日本神話って、弟が兄にけっこう勝つんですけど(っていうか全部?笑)、まあ壬申の乱を正当化せしめんとする天武天皇の意志に忖度してるというか。弟が勝つ物語こそが正義っていう、自身の正統性と正当性を確固たるものにしたかったんでせうね。
何年か前におもろいweb記事を読んだんですが…。
出雲が開墾されたのは古事記が成立した712年くらいからってのを知って、ほんまびっくりしましたわ。神話を”歴史”として裏付けるためにその土地に人を流入させた…って説は面白いな~と思いました。
話を大海人皇子と天智天皇と額田王の三角関係(笑)に戻すと、「あかねさす~」を詠んだのが額田王で、その返歌が大海人皇子です。もちろんどちらも天智天皇の御前で詠んでます(たぶん)。なので、額田王の秘めた想いを詠んだ~ってより、今はもう我々は何ともありませんよアハハって感じで、笑いながら詠んだんじゃないかな、なんて思います。宴の席での遊興ですよね。
「あかねさす」とか「そらみつ」とか、枕詞って美しいですよね。「ぬばたまの」「ちはやふる」「ひさかたの」「八雲立つ」とかも有名かしら。「母」にかかる「たらちねの」を高校生のとき「たれちちの母ww」とか言って笑ってませんでしたか(低レベルすぎ??笑)
万葉集から時代は下って、ワシが私淑する歌人の一人に紀貫之がいてはるんですが、やはり古今和歌集の功績ってほんますごいなって思います。
古今和歌集の奏勅は延喜五年(905年)です。はい、これだけ今日は憶えて帰ってください笑 日本文学史上、めちゃくちゃ重要な年号やと思ふ。20巻1111首あります。1111首って、なんかゾロ目でおもろいね。
「君が代」も古今和歌集の読み人知らずの歌から来てますよねたしか。
なんで紀貫之を私淑してるかって、『土佐日記』で女性に仮託して書いてるのがまずおもろいですよね。男は漢字で日記書きなはれって時代に、というか、ひらがなってのは女が書く文字やといわれていた時代に、「いや、やまとことばでないとこの想いは表現できませんわ」ってなったんでしょうね。
あとやっぱ仮名序に書いてる文学的表現がすごい。なんか涙出そうになるもん。
いや、結びの文まで美しすぎませんか?(この引用部分、全部読んでくださった方いたらすごい笑。握手したいンゴ)
月を見て、「昔の人も同じ月を見てたんやろな」って想いを馳せるみたいに、今の時代のこともいつか懐かしく想うだろう。ってことですよね。単語ごとに区切って読むと、古文ってけっこう意味がわかるので「読めるぅうう読めるぞぉおおお」ってなりますわ。この新潮日本古典集成は、読みやすく読点振ってくれてありがたいです。原文はほぼひらがなやし、読点なんていっさいないですからね(笑)
六歌仙に対する紀貫之の辛口レビュー!はほんまおもろい。なんか恨みつらみでもあったんかな(笑)
けっこう酷評じゃないですか?? 紀貫之何様???って感じ(笑)
商人とか木こりに対する目線も、お貴族様~~って感じ。山上憶良見習ってください。
在原業平が亡くなったとき、まだ貫之は子どもだったみたいですが、直接の接点はなさそうですよね。関わりがあったらここまで貶せないでしょうし。
でも古注では、貫之の書いた文に「このたとえは気に食わね~~」って後の人に訂正されてたりするのもおもろいです。
↓この部分では、貫之さんが今の世(延喜時代)の風潮を嘆いているのがおもろいです。
「近頃の若者は色ボケてろくな歌もよめん」って千年前でも言われてたんですねえ。
いや~~~、人間の営みって、今も昔もそんな変わらんのやねえってなるンゴ。五七五七七の三十一文字に込められた想いが、千年後の我々にも伝わるって、ほんますごいですよね。感動だなあ。
仮名序ってたぶん中学のときに習ったと思うんですけど、ほんまの仮名序はけっこう長いんですよっていう。打ち込むのめんどいから、どっかから引用できんかなってネットの海も探したけど、なんかいい感じのがなかったし、全文自分でポチポチ打ち込みましたわ~。さすがに疲れました笑。褒めてください(傲慢)
ワシは摂関政治が確立してきた頃の平安時代より、藤原北家が台頭して、紀氏とか在原氏とか上流貴族が没落していった平安前期の過渡期に心惹かれます。日本最古の物語、『竹取物語』が生まれたのもそのへんですし。
『竹取物語』の何がすごいって、人間を「罪ある者」として描いたところですよね。だから物語の祖といわれるわけです。
人間の罪は「必ず死ななければならないこと」であるわけですが、かぐや姫が咎人たちの住まう地上にいた期間というものが彼女の罪を贖う期間であったのだとすれば、彼女が月で犯した罪ってのは、いったい何だったのでせうね??
異質で、罪を犯した、人間であって人間でない存在は、物語の世界から消え去らねばならない。それが物語の理です。
『竹取物語』の作者は、決して高い地位につくことのできない、身分の低い男性貴族といわれていますよね。出家していればそれは、世俗を捨てた人であることを意味します。
挫折し、現世に諦念を抱いた作者は、この伝奇物語で何を訴えたかったんでしょうか。
九世紀後半から十世紀前半。古く由緒ある家柄の者たち――大伴氏、紀氏、橘氏、在原氏といった貴族たちが藤原北家の台頭によって没落していった時代。いわば、作者は出世不可能な存在でした。だからこの婚姻難題譚を編んだんでしょう。現世に対して、ままならないことを訴えるために。
ひらがなを使うこと自体がアブノーマルで、常軌を逸脱した行為。人々が右を向いて生きている中で、ひとり左を向いた者。
彼は己の生み出した物語が千年という歳月を息し続けるとは到底考えなかったことでせうね。
解決した者が、誰ひとりとしていない物語を、あなただったらこの時代に書けますか??(笑)って話です。すげえよなあほんま。
日本史選択の皆さんって、一度は藤原ノイローゼ、源シンドロームに罹患したことがあるんじゃないかと思いますが(山川の日本史の教科書の索引部分を見てみてください笑)、歴史に名を遺すってのはどういうことなのかを改めて考えさせられますね。つまり勝者にとって正当で正しい歴史が後の時代に遺っていくわけです。
そういえば今の大河って源氏物語を題材にしてましたね。
大河ドラマはそもそも全部フィクションなんやから、時代考証的にどうなのとか言い始めたらキリがないのはわかっとるけど、『光る君へ』の何が許せん(心が狭い笑)って、紫式部の名前を勝手に「まひろ」にしちゃったとこなんよな~(初っ端すぎる)
「なんてこった!! 死者への冒涜だぁぁ!!!」ってひとりで去年の暮れごろ騒いでました(めんどくさい奴)
そもそもなんで眉落としてないんやとか、お歯黒してないんやとか。ねえ。
時代劇でもさ、江戸時代の結婚後の女性ってほんとならお歯黒と眉剃りしてるはずやのになんでやとか。ねえ。そんなわかりきったこと言いませんよ。今の時代の女優さんに「明日から眉落として来て」とか言えんからでしょ(笑)
美醜も時代によって違うからほんま面白いですよね。このお歯黒や眉剃りもですが、平安時代は引目鉤鼻ぽっちゃり色白黒髪ロングストレートが、いわゆる美人の象徴でしたし。
大河ドラマから歴史を学ぶのは大変危ういですが、大河ドラマをきっかけに歴史を学ぶのは全然アリやと思いますよ。誰が語っとるんかを意識できたらなおいいよね。
明治大正昭和期を扱っとるドラマとかでも、現代の観点から語られるとマジで萎える、というか疑問符を呈さざるを得ないときってありますよね。今やってるドラマでいうと『虎に翼』とかかな。いや、この時代の人間がこんなこと思って行動するか?? 視聴者に迎合しすぎてないか?? ってツッコミを思わずいれてまう~~(ドラマは黙って見なさい笑)
その時代の物語を語るなら、せめてその時代の価値観で物事を語ってほしいンゴね。主人公だけ未来からタイムスリップしとるわけやないんやからさ。まあ歴史はみんなが右向いてる中で左向けた人が変えてきたってのもあるし、もちろん前衛的な考えをもった人もいるので一概にくさすわけじゃないですが。没入感がなくなるんですよね。
まあ、storyにツッコめるってことは、historyを知ってないとあかんわけで。心の中に「ほんまか工藤」っていう平次は飼っておきたいと思いまふ。
空の月でも仰いで、昔の人に想いを馳せつつ、今生きてる世の中をいっそう愛しく思いませうかね。
カルペディエム!