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【ネタバレ有】シン・エヴァンゲリオン劇場版を観てきた

#ネタバレ 含む
一回しか観てないのと席がそんなに良くない場所だったこともあり、見落とし、うろ覚えの所も多いと思われるので、お手柔らかに……





まとめ

良かったところ
・庵野秀明の一代記とも言える内容で私小説的で自身を曝け出してる印象

・「父性との対決」を旧劇とは違う形で描き切った点は、締めくくりとして良かった

・碇シンジ=庵野秀明の成長

?なところ
・戦闘や状況の応酬はかなり後退していて、謎の答え合わせは期待の半分も為されないことでエンタメ性は少ない

・レイやアスカ好きなオタクは納得できない部分があると思う(自分は坂本真綾好きなので全てを許す)

・旧劇世代の締めくくりとしてはいいけど、新劇場版からのファンは微妙かも

・女性の描き方は前時代的で、今の女性が共感できる部分は少ないのでは?

・「父性との対決」は少年のテーマなので、大人は問題が幼過ぎないとなるかも


補足
そもそも僕のエヴァンゲリオンはまごころを、君にで完全に終わってるので、あまり熱心な新劇場版のファンでは無いです


徒然パート
もう最後のシーンではっきり分かるんですけどシンジ=庵野、マリ=安野モヨコですよね。
宇部新川駅(庵野の地元)から外に出て行くっていう描写で、そりゃ前からシンジに自己投影はされてるのは周知の事実なんですけど、こうもどストレートに繰り出してくるか、っていう驚き。

旧劇ではアスカこそが現実の女性=他者・現実、レイが理想の女性像=オタク的なものの象徴だったのが、今回式波もレイ同様作られた存在であることが明かされることで、式波も日高のり子?宮村優子?を通した、また別の理想の投影でしかなく(故にオリジナルに一瞬で吸収?されてしまう)マリこそが他者として描かれると。

もう始まる前のマリが一体誰なのか、どんな存在なのかみたいな謎は全部吹っ飛んでモヨコーーーーーーってなりましたよね。バトーさんじゃないけど。(冬月のゼミ生以上のことはわからなかった……それは前から知ってるし……)

バトーさんで思い出したけど、押井守が逆シャアは富野さんが曝け出してるから好きみたいな評価してましたけど、シン・エヴァンゲリオンもそういう点で評価したいです、僕は。
やっぱりエンタメ性は置いておいて、身を切って作られたものは異形の美しさがあると思います。
……なんですけど身を切ったって言葉から連想される刃物みたいな切れ味ってよりは、牧歌的?柔らかさ丸さが全体としての印象として残っていて。

前半の箱根の村シーンの長さ、異常じゃなかったです?全体として戦闘とか、スリリング(謎が明かされるとかも含め)ってより、心の動きと対話、成長の物語の印象が強いんですよね……
あの前半は観てる側を試すというか、あそこを好意的に捉えるか、冗長と捉えるかでだいぶ作品評価が変わる気がします。絶対旧劇ではできなかったことなんだけど、新劇場版からの人どう観るんだろう……


一方、シンジ=庵野としては、旧劇ではオタク代表、オタクカルチャーを愛していて、モラトリアムで何が悪いって感じに対して、ゲンドウがアスカとはまた別の世間一般としての他者、大人になれと迫ってくる世間で。

今作は途中の鬱シーンはあるんですけど、最後の方のシンジくんは結婚して、カラー作って、シン・ゴジラ作った今の庵野で、ゲンドウはオタク化した世間で、TV版〜旧劇時の過去の庵野だなぁと。

で庵野が世間を完全に追い越して、60歳になって、父なんてもんも思ってたよりも、情けないという悟りに辿り着いて「肩を叩いた」んだと思ってます。それにしてもゲンドウが身勝手で情けなさ過ぎて、ちょっとドン引きますけどね……
シンジくんに昔自分を投影してた人は、成長していれば今回も投影できるけど、今もオタク的なものを耽溺してると、投影できないっていうシンジくん(モラトリアムオタク)はシンジくん(成長した庵野)に感情移入できないっていうポジションチェンジが起こっていて、ここも作品評価に影響する部分かな、と。
さよなら、エヴァンゲリオンは世間の目に対して大人になれとか大人になる(オタクをやめる)とかではなく、ただ他者と向き合うとか共同体的な生き方をするんだって選択に見えましたね……


画について
アナザーインパクトの、あの首無しが群れるあたりとかちゃちくなかったですか?
逆に村のシーンの自然でCG使ってるぽいところは印象に残った。


戦闘シーンは早過ぎて確認できない描写多し。
ただし量子テレポート、てめぇはダメだw




旧劇の焼き直し的なシン・エヴァンゲリオン故の破とQは一体何だったのか的疑問
元々どんなストーリーが想定されてたか、全然分からないですけど(リビルドしてエンタメしたかったんだと思ってますけど)、今作見て破とQをどう捉えていいのかが分からないってなりました。

ただマリ=モヨコが決定的になり、私小説、彼の人生って補助線が引かれたことで、今作で新劇場版は以下のように再定義されたのかなと思いました。
序→オネアミスの翼~
破→トップ・ナディア〜TVエヴァ
Q→旧劇前後

主人公ではあって重要なパーツではあるけど、2人目のパーツだし、成り行きだし(旧劇観てると選ばれるべくしてとしか見えなくなりますけども)、作戦立案とか他の人が頑張っている序、そしてエヴァに乗れ=大人になれと世間にせっつかれる序を経て、どんどん戦術の中心になり、アスカが現れ(宮村優子との出会い的な)、更に最後は理想の女性の救助=オタクカルチャーとの心中的でもあるエヴァンゲリオン、とりわけ世間に衝撃(インパクト)を与えた25話26話(周りも行きなさいとか言う)をぶちかます(ニアサー)が、暫くするともうエヴァンゲリオンには乗らんでください(=大人になるな=エヴァの新作を作ってくださいとなる世間)となって混乱、前後旧劇にも刻印されてるような悪意に晒され、宮村優子にも気持ち悪いと言われてしまう旧劇=Qを経て、モヨコとのゴールインに至るという。

理想の女性像である黒レイが、現実の共同体空間では生きられない描写も示唆的だったなと思います。


ATフィールド
あと、あれだけミーム化したATフィールドがエヴァ13号機とゲンドウが使うシーンしか印象に無くて。
個人の心の壁より、世間に流されていくことに対して小さな周囲だけでも正常に暮らしていく、L結界とアンチL結界みたいな方に興味が移ったのかな、みたいなことも感じました。


残酷な天使のテーゼが流れない問題
流れたら圧倒的なカタルシスだったし、エンタメだったと思うんだけど、今の作家性が許さなかったんだろうなぁ……
少年よ、神話になれ、ですからね……
ネオン・ジェネシス辺りで聴きたかった気もしますけどね



終わりに
宮崎勤事件で始まり、オタクからの一撃だったエヴァンゲリオンが一転メジャーになってしまった結果、世間がオタク化し、逆に紆余曲折あり、オタク的世間よりも大人になってしまった庵野秀明が、「まごころを、君に」を再演して、成長しないオタクにもう一度引導を渡した、そんな遅れてきた平成の終わり。


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