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カラーとモノクロ 23

昨年の春に交通事故に遭ってから体調を崩して、今年は病気続きでした。noteの記載もしませんでした。展覧会にも出かけられなかったので、なかなか芸術家とも会えませんでした。

軽い家事と安静、やりたいことはたくさんあるけれど出来もせず、長い時間が過ぎました。白血球が減っていたので感染症にかかるのを恐れ、ほとんど家で過ごしていました。
知人たちが日々を謳歌して制作に勤しみ、展覧会を開いたり、旅行や食事会に出かけているのをSNSで見る日々は、ひとりだけ外国に引っ越したような気がして寂しかったけれど、一方で気が楽と思うこともありました。

私は切り替えが早いほうで、ひとりでいる時間が多いならひとりでできることをすればよい、と考えました。
事故から両手のしびれ、けいれん、ばね指と経過して、この夏にやっと自分の名前が書けるようになり、鋏が少し使えるようになり、練習して線も引けるようになって、もとの生活に戻りつつあります。

他人は「休むべき時はきちんと休むべきだ、そうしなかったから長引いているのだ」と簡単に言います。
しかし、家族がいるのに食事も作らないならそれは私ではなく、「家族がいるならすべてやってもらえばよい」という人々のうちの何人が家族になんでもやってもらって暮らしているのかと想像すると、その人だって言うほど家族に頼れているのだろうかと思ってしまいます。
それにあまりに動かずにいると体が弱りますから、体力を維持するために寝付くのはいけないと思いました。
まあ、春には私の版画の師匠のホームページを制作しましたが、あれは遺族の希望もあり超特急の作業になってしまい、確かに少し負担が大きかった部分もあります。頑張りすぎたのは反省。

そこからの長い闘病から、しばらく庭を眺めるだけの静かな時間を経て、今は自分のホームページを制作しています。病気の間、もしこのまま死ぬようなことになったら自分は何を残せたんだろう? なんて考えてしまったのです。だからと言って何を残せるわけでもないんだけれども、しばらくの間だけでも自分がこの世界にいたのだという記しを残したいと思ってしまいました。その後、快復して当分はまだ元気でいられそうなので、今度はのんびりやっています。
師匠はホームページを残すことを志して、データをきちんと整理してまとめていました。私はそこまで丁寧な人間ではなく、今回自分のホームページをまとめながら、やはり師匠は凄い人だったと気づかされました。

まだ途中のページがあります。
昔はホームページの作りかけのところに「工事中」とか、新しく掲載したところに「new」とか付けたりしましたね。現在のSNSなどは常に新しいことが前提なので、そんな中途なことを書かなくなり、遊び心の表し方も変化しました。

https://sites.google.com/view/kawanotomoko/


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