見出し画像

カラーとモノクロ 12

息をしているような、唇。輝く瞳はグラスアイ。美しい造形の人形を見た。今にもむくっと動き出しそう。

こちらの様子をじっと見て、なにか話したげな様子に見えた。

 

人形といってもいろいろなジャンルがあるが、球体関節人形には特に惹かれる。手足や首などの関節が動き、座ったり首をかしげたりして、作家の(もしくは飾り手の)心情を表す。

 

球体関節人形の展示を見て、今更のように人の魅力は手首の動きや首の角度からも醸成されているのだと気づく。ほんの数ミリの角度が生命を感じさせる。動かぬ瞳のはずなのに、光や影がもの言いたげな表情に変える。
それを生み出すのは作家の研ぎ澄まされた感性。
失敗もある。迷いもあるが、自分の中のイメージをなんとか紡ぎ出そうと日夜研鑽し続ける。

 

そんな球体関節人形作家たちのアトリエにお邪魔した。

 

それぞれのテーマは違うけれど、こういう風に作ると気持ち悪くなる、ということは共通の認識として押さえている。人間にこんな動きはあり得ない、こんなバランスの脚はない。それを踏まえつつ、幻想の静物を作る試みも。ケンタウロスや人魚など、制作の情熱はどこまでも飛翔する。

視覚的にどこまでが許されて、どこからは認めたくないか。

他人の鑑賞にゆだねる前に、作家自身の鑑賞に堪えることが大切。なぜなら自分のイメージで、自分のために作っているのだから。

 

作っても壊し、想像に合致するまで掘り下げていく。盛って削って。縫って解いて。材料も多岐にわたるから、取捨選択にも迷う。一体の人形を作るのに何年もかかることもある。

 

そういうストイックなことを続けているくせに、作家たちはとても明るいのだ。それはやりたいことをやっているという喜びからか、同じことをする仲間がいて居場所がある安心感からか。

人形を作るという作業を選ぶ人の性格が明るいのか、ということも考えてみたが、世の人形作家を全員知らないので、なんとも言えない。悩みのない人なんていない。それでも、モノヅクリをしている人は強い。生活のどこかに辛いことがあるとしても、作業を始めれば心は自由になる。

 

作家たちはそれぞれ個性的で違うテーマの人形を作っているのだけれど、お互いにうまくやっている。

アトリエにいると、仲間の意見を聞けるという安心感があるのかもしれない。自分の作品だけれど、迷ったときは誰かの意見を聞く。見てもらう。思ったような答えは出ないかもしれないけれど、話をするということで自分の気持ちが整理されていくこともある。

 

アトリエ、教室、講座など、いくつかのグループを訪ねたことがあるけれど、今までで一番明るくて楽しそうだったのが人形作家たちだ。

人の形を作り出す人たちは、それを立体の器とは思っていない。物理的にいえば内部は空洞である。しかし、中には人形愛が詰まっているのだ。

 

何もないところに形を生み出すには、常に観察することが大切だ。

人形作家も、画家も、作り出す人はみんなそうだろう。

観察する。そこには少なからず愛がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?