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春近し

このところ毎朝、早い時間から外が賑やか。四方から雪割りの音が響いてくる。この冬に降り積もって押し固められた雪塊を、割って削って道路に撒いて、早く融かそうというのである。近所でこれが始まると、気持ちの上ではもう春を感じる。別に競争しているわけではないのに、どこの家も誰かひとりはこの作業に従事して、特に男性ほど家の周りの雪を融かすのに夢中になる。隠れている氷塊に負けてスコップが壊れる時期でもある。
 
本州では桜の開花の予想が始まっている。北海道の北には、桜はまだまだ先の話だ。せめて家の周囲の雪がなくなって、土の顔を拝んで、春を感じたい。
この春は一筋縄ではいかなくて、3月に入って暖かな日差しが続き、ご近所さんが雪割りをひと通り終えた後で、また大雪が降った。その落胆を感じさせず、また除雪、雪割りの作業が始まった。再びの雪景色にがっかりしたというよりは、残雪との戦いだ。
「もう心は前へ向かっているのでひるむことなく春を目指している」と言う方が合っている気がする。

午前の早い時間に雪を割って道路に撒くと、アスファルトが日差しで温まっていい具合に融ける。いったんは静かになる町内、けれど昼を迎えて雪が融けて水になるころ、またざくざくと音がする。夕方までに何度繰り返すのか。この一連の行動は、雪が多い地方の春の風物詩だ。
腰が痛いとか肩が痛いとかならないように、途中で奥さんが声を掛ける。
「そろそろ家に入んなさい。もう少し待てばどうせ融けるんだから」
それを待っていられない気持ちがもう「春」なのである。
 
私はこのあたりでは新顔。知らない人が多いため、外に人がたくさんいると家を出ることをためらう。みんなは作業に従事して汗を流しているというのに私は気軽な散歩だから、別に悪いことをしているわけではないのに同じ労働をしなくて申し訳ない気持ちになるのだ。雪割りが始まると道に誰もいない時間はない。せめて「こんにちは」「おつかれさまです」と、知らない人にも挨拶ができる大人になろうと思っているところだ。
 
そんなある日、判子が必要な郵便物が届いたのに、運悪くトイレにいたばかりに受け取れなかった。慌てて外を見ると、隣のご主人(雪割りをして外にいたので)と郵便配達員が話をしている。行けば間に合うとジャンパーも着ずに飛び出したが、バイクは去るところだった。追いかけながら叫んだが、バイクの音にはかなわない。郵便配達員は後ろから追いかけてくるオバサンが怖くて逃げてしまったのかも。
雪割りをひと休みして井戸端会議をしていた近所の方々に「どうしたの?」と声を掛けられた。事情を話すとみなさん「あー……」と一緒に残念がってくれた。この機会に近所の方々と親しくなるチャンスかと思ったが、さすがにジャンパーなしで気温6度は寒いので、会議には参加せず早々に家に入った。
不在配達通知を見ていると、再び郵便配達員が訪ねてきた。
「もう一度寄ってあげてって、ご近所の方が……」
住宅が碁盤の目に建っているので、郵便配達員はぐるぐる回っていたらしく、先ほどの井戸端会議の誰かが、声をかけてくれたらしかった。なんとありがたいことかと、近所のひとたちの優しさに心が温かくなった。
 
雪が大量に融けるとき、空気は芳醇な香りがする。大気が濃くなる、と言ったほうがいいだろうか。ほんの少しの土のにおい、苔のような、水のような。きっと大地が生きている匂いだ。その空気を吸って春を思おう。あたたかな気持ちになって、誰かを想おう。
 
 
 

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