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生理は汚いの?

今の日本で生理について、堂々と語る場面は少ない。生理は女性なら誰でも経験するものでありながら、おおやけには語られない隠されたもの。サニタリーボックスのことを「汚物入れ」と呼ぶくらいだもの。生理は汚いもの、恥ずかしいもの、という思い込みを持っているのは私だけではないはずだ。

私自身もこれまで生理に対してネガティブな態度だったし、めんどくさいもの、女性を苦しめるもの、気持ち悪いもの、不快な物、誰にも見られてはいけない汚いモノ、不浄なものという認識だった。それは誰に教えられたでもないけれど面々と引き継がれてきた思い込み。父親に生理のことを話してはいけないとか(我が家ではそうだった)女性はお風呂は最後に入るという古い風習もきっと「女性は生理があるから汚いと」いう考えからきている気がする。神聖な場所に入ってはいけないとか、そんなこともきっと生理と関係しているのだろう。

私が中学生の頃だったか、生理中にお風呂に入ってお湯を汚してしまったことがあった。後から入った父親が「湯船に血があった」と母親に激怒しているのをよく覚えている。父親はとても未熟な人間だったからそんなことでキレたけれど、それはうちの家だけで起こった特殊なことなのか、よその家庭ではどう生理に対して向き合っていたのか私には分からない。

大人になって付き合った男性の生理対しての態度も人それぞれだった。あまり気にせず生理中もセックスしたい人もいれば、「血」というキーワードを聞いただけで萎えてしまう人もいた。そんな時は、生理を汚いと感じている男性に失望するし、わたしまで否定されたような気持ちになった。

かくいう私も最近までは自分の生理に対してネガティブな思いを持っていた。

それがここ10年布ナプキンを使い続けてきたことでだいぶ意識が変容していることに気が付いた。

毎月、経血をこの目で見て、洗濯機で洗う前の予洗いの段階で、自分の手を使ってナプキンにたまった経血を搾り出したりすることにすっかり慣れると、生理や血は汚いものではなくて、当たり前だけど「経血」すなわち「血」は私の一部であり、生理が起こることは動物である私たちにとって至極真っ当なことで、生理は自然の一部であるという認識に変わっていた。

本来はこの認識が当たり前なことであるはずなのに、社会から隠されているから、隠されれば隠されるほど、生理や、生理がある女性そのものを貶めている気がする。

生理があることは全くもって恥ずかしいことではない。男性が射精するのが恥ずかしいことではないように。

私たちはここでもやはり呪いのかけられている。自分たちを貶める呪いから自分を解放していかなくてはならない。その一歩はまず気付くことから。気付いたら、生理のある自分を大切に扱う。生理があるから生命は育まれてきたのだ。生理があることは生命に必要不可欠なことで、同時にとても尊く誇らしいこと。破壊と再生の奇跡のシステム。女性の尊厳を取り戻そう。

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