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母の日に想うこと。

閲覧ありがとうございます。
3月に仕事を失い、職場で出会った方と同居を初めてはや一ヶ月。仕事が決まらないまま、5月を迎えることになりました。
ハローワークへ行って手当や補助を受けることを本格的に考え始めています…。お金が全てではないですが、心の余裕が失われていくのは確かです。

ですが余白の時間のおかげで、noteに投稿したり、ライフスタイルのデザインを考えたり、趣味の時間を存分に持てたりしているので結果オーライといったところでしょうか。

今日は、近付いてきた”母の日”を見て想うことを残してみようと思います。

今年は5月10日が、母の日みたいです。
みなさんは自分の母親になにか贈り物をしたり、食事をしたりするのでしょうか。私は実家にいる時、毎年何かしていました。
ある年は夕飯を父親、妹と私で用意したり。
ある年は妹と感謝の手紙を書いてみたり。
一番最近だと、キーケースを手作りしました。フェルトとやわらかい下地で作ったため、強度はほとんど無く、ケースというより鍵を包む布みたいなものに仕上がったのですが、それでもしばらく使ってくれていましたね。
…やっぱり毒親じゃなかったのかなあ……

いやそんな話は置いておいて。
母の日には○○!といったポップを、色んなお店で目にします。通販サイトでも特集が組まれていますね。だから、母のことを思い出します。
母の日も祝えない親不孝な娘だなあ、とも思います。

そんな中、よく言われていたことを思い出しました。
「お前の手は苦労していない人間の手だ」
という母の言葉。

確かに私の手は肉付きがよく、指も太く、赤ちゃんの手みたいな見た目をしています。母は、骨格がよく分かるような手。いわゆる"働き者の手"でした。

同時に、小学生の時に書いた作文のタイトルを思い出しました。
「母の手は、魔法の手」
今思うと健気な題名ですね 笑
料理も洗濯も難なくこなし、私と遊んでくれる手は魔法がかかったようによく動く器用な手でした。

母に憧れていた。きっとあんな風になれないのだ、だって私の手は赤ちゃんみたいで、苦労していないから。何か成し遂げたとしても、変わらず幼い自分の手を見て、苦労していないから意味ないな、と成果を認めることができないまま大人になっちゃいました。

仕事で皿洗いをしたり、自炊をしたり、洗濯や掃除をすることで、最近は両手の手荒れが酷いです。両手全ての指にあかぎれができたり、すぐ乾燥して粉を吹いたりしています。ボロボロ。お世辞にもきれいな手とは言えません。痛いなあ、っておもうことも多いです。

同時に、傷ついていく自分の手に満足している自分がいます。塗り薬やハンドクリームをきちんと準備してはいますが、丁寧にケアはしていません。
このまま自然治癒すれば、母のような"働き者の手"になるかなあとワクワクしています。

あ、でもおすすめのハンドクリームがあったら教えて下さい!

ここまで読んでいただいてありがとうございます。
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@towa_r0924

ここまで読んでくださってありがとうございます。毒親育ちの自分に嘆くばかりだった人生から、少しずつ前を向けるようになりました。このnoteは、誰かが前を向くきっかけになればいいな、と思っています。もしよければ、また覗きに来てください!