7/17の日記(小説?)

他人に可愛いと言われないことの何が、そんなに重大なんだろうと思う。いつまでも答えの見つからない問いが、忘れた頃に突然ふっと現れては私をちょっぴり傷つけて消えていく。いつもとヘアスタイルを変えてみたり、時間かけて丁寧にメイクしたり、そういう時に出会う人に可愛いと言われないことの何がそんなに悲しいんだろう?あの時、可愛いという言葉の座席が私にだけ用意されなかったことが、なんであんなに悔しかったんだろう。
 帰り道に図書館で借りた、「ヨーロッパの哲学史」という何やら難しそうなタイトルの新書を、床に投げ出したままのバッグを手繰り寄せて取り出す。心が騒がしい時はとりあえず難解な本を読む。内容なんて二割ほども入っては来ないし、文字の羅列がそれ以上の意味をなして私の胸に飛び込んでくることもない。けれどその暗号をひたすら目で追っているうちに、ほんの時々、不意に、言葉が真実味を帯びてゼロ距離で肉迫してくるのだ。それは私の中で重さを伴って心臓にぶら下がり、ドクドクと脈打ちやがて血液となって身体中を巡る。難解な暗号のただなかに埋もれる一瞬のきらめき、その瞬間だけを求める時、私の心は決まって静かになる。もっとも、難しい本読んでる私かっこいい、と悦に浸れるのもあるけれど。タレスという人は万物の根源は水であると唱えたらしい、うんうんそこまでは知ってる前回の世界史の授業で習ったところだから。なんでよりにもよって水なんだろうなしかし、海だからかな、手につかめないからかな、柔らかいからかな。ところで数千年も昔のギリシャの水は美味いんだろうか。ヨーグルト美味しいわけだし、水も美味しそう。
 ああ私、喉が乾いているんだな。それに気づいたのはすごく自然な流れで、思わず笑みが溢れた。犬もテレビも白壁も寝静まったあとのリビングで、起こしてしまうのはなんだか忍びないので暗闇をスマホで照らしながらキッチンに向かう。何か飲み物がないかと冷蔵庫を開けながら、ふと、真夜中に開ける冷蔵庫というのは、なんでこんなにイケないことをしている気持ちになるんだろうと思った。たとえば好きな人と授業を抜け出して遠くに行くような、もちろんそんな青春を味わったことはないけどそんな感じ。普通とは違う時の流れに巻き込まれて、不安と罪悪感でいっぱいいっぱいだけどもう「普通」の素早い背中を必死で追いかけて、走り疲れて転んで擦り切れることはないのだという安心感。たかが飲み物一つ探すだけでやけに大げさだけど、そういうことを拾い集めなければ疲れてくたびれてしまうのだ、私は普通にはなれないから。あの人にも今日、可愛いって言ってもらえなかったから。私にとっては可愛いと普通がイコールで結びついていることをふと知る。
 顔面から得られる情報量なんて大したことないよね実際、だけど令和のJKにとっては前髪とインスタに載せてすぐ反応がつくような他撮りと新作コスメが命よりも重いんだ。そんなのしょうもないって一蹴したいけど普通になれないくせに変人に徹しきることすらできないから、だから可愛い自分に手っ取り早く安寧の地を求める。そんな私のことを馬鹿だと面倒くさいと石を投げていいのは、令和のJKを経験したことのある人だけです。社会から否が応でも押し付けられる記号に忖度したことがないと、自分は常に自分の人生を生きているのだと胸張って言える人だけです。
 結局冷蔵庫の中をいくら漁っても飲み物は見つからなかったので水道水を飲むことにした。日本の水道水は安全と言っても、カルキ臭いし生温いしいつもは絶対に飲まないのに、なんとなく今日は飲んでみようかと思った。案の定、食器用洗剤を一滴溶かしたような微かな苦さが喉をつんざき噎せ返りそうになって、なんとか堪えて流し込むと今度は目頭がじんと熱くなるのを感じた。胸の奥がひくひくと痙攣し、空気を必死に取り込もうとする。ああだめだ。沢山の水の滴が、目の奥からこぼれ落ちてくる。体の奥が真空状態になって苦しくって、寝室で眠っている家族に聞かれないことを祈りつつ、うっうっと呻きながら涙を流す。水道水が苦いからではなく、悲しいからでもなかった。そこには何にも理由がなかった。東京の地下浄水場で綺麗に濾過された水は、私の体を内臓ごと冷やした。古代ギリシャの水は美味いのだろうか。

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