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「自分とは何か」的な創作物の話

 唐突ですが世間には自分とは何かを求める人達で溢れています。理由は諸説あるのでしょうがそんなことは一旦おいておきまして。
 今時世の中には「自分とは何者か」とか「自分を定義されたくない」とか、その手のヤツがあふれかえっています。「大ベストセラー!」みたいな感じで視界に入り、手に取るまでした方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 でもちょっと考えてみると、「僕は何者だ」という類の小説や歌ってあなたが意図的に深いところまで調べたりしてない限りはあなたに届く=少なくともある程度有名になったモノである、ということであり、「僕は何者だ」という叫びが痛切なものであったとしても軽薄なものであったしても、あなたに届いた時点でそれは「ある程度支持を得たもの」とか、場合によっては「売れっ子」などの肩書きを得ていることが多いということがわかります。言い換えると、自分からいろいろ漁ってる人でない限りはあなたに届いた「僕は何者だ」の類のものは、既に何かしらの「色」がついたあとのものであり、僕は何者だという叫びが何者でもないまま誰かに届くことは極めて稀ということになります。
 そもそも多くの人に共有されている以上たくさんの人に共感(具体的な姿勢はさておき)されている、ということでありますから、自分からそういうののをあさりに行くような人でない限りは、大抵の場合あなたの視界に届いた時点で「僕は何者だ」を叫ぶ彼は真の意味での孤独では少なくともない、と思ってしまうのです。
 尤も、だから何、と言われると切ないよね、とかそんな感じの感想で終わってしまうのですが。

 文責:高梨辣油
 ※この文章はOutLogging名義で投稿したものの再掲です。

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