メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第302号「精爲至寶」(内景篇・精)

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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆

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第302号

○ 「精爲至寶」(内景篇・精)

                      ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説

                      ◆ 編集後記


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こんにちは。前号の次の項目「精爲至寶」です。文が長いので三段に分けて
 読みたいと思います。まずは第一段目です。

◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)

(「精爲至寶」 p81 下段・内景篇・精)

精爲至寶

             
                     夫精者極好之稱人之精最貴而甚少在身
                     中通有一升六合此男子二八未泄之成數
    稱得一斤積而滿者至三升損而喪之者不及一
    升精與氣相養氣聚則精盈精盈則氣盛日啖飮
    食之華美者爲精故從米從青人年十六則精泄
    凡交一次則喪半合有喪而無益則精竭身憊故
    慾不節則精耗精耗則氣衰氣衰則病至病至則
    身危噫精之爲物其人身之至寶乎養性

▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)

精爲至寶

夫精者、極好之稱、人之精最貴而甚少。

在身中通有一升六合。此男子二八未泄之成數、稱得一斤、

積而滿者至三升、損而喪之者不及一升。精與氣相養、

氣聚則精盈、精盈則氣盛。日啖飮食之華美者爲精、

故從米從青。人年十六則精泄。凡交一次則喪半合、

有喪而無益、則精竭身憊。故慾不節則精耗、

精耗則氣衰、氣衰則病至、病至則身危。噫、精之爲物、

其人身之至寶乎。養性。

●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)

▲訓読▲(読み下し)

精(せい)は至寶(しほう)爲(な)り

夫(そ)れ精(せい)は、極好(きょくこう)の

稱(しょう)なり。人(ひと)の精(せい)

最(もっと)も貴(たふと)ふして甚(はなは)だ

少(すくな)し。

身中(しんちゅう)に在(あり)て通(とほ)しうて

一升六合(いっしょうろくごう)有(あ)り。

此(こ)れ男子(だんし)二八(にはち)

未(いま)だ泄(せっ)せざるの成數(せいすう)なり。

稱(しょう)じて一斤(いっきん)を得(う)。

積(つみ)て滿(みつ)る者(もの)は

三升(さんしょう)に至(いた)る、

損(そん)じてこれを喪(うしな)ふ者(もの)は

一升(いっしょう)に及(およ)ばず。

精(せい)と氣(き)相(あ)ひ養(やしな)ふ、

氣(き)聚(あつま)るときは則(すなは)ち

精(せい)盈(み)つ、精(せい)盈(み)つるときは

則(すなは)ち氣(き)盛(さか)んなり。

日(ひび)に啖(くら)ふ飮食(いんしょく)の

華美(かび)なる者(もの)は精(せい)と爲(な)る、

故(ゆえ)に米(こめ)に從(したが)ひ

青(あお)に從(したが)ふ。

人(ひと)年(ねん)十六(じゅうろく)なるときは

則(すなは)ち精(せい)泄(せっ)す。

凡(おそ)そ交(まじ)はること

一次(いちじ)なるときは則(すなは)ち

半合(はんごう)を喪(うしな)ふ、

喪(うしな)ふこと有(あ)りて益(ま)すこと

無(な)きときは、則(すなは)ち

精(せい)竭(つ)き身(しん)憊(つか)る。

故(ゆえ)に慾(よく)節(せっ)せざれば

則(すなは)ち精(せい)耗(もう)す、

精(せい)耗(もう)すれば則(すなは)ち

氣(き)衰(おとろ)ふ、氣(き)衰(おとろ)ふれば

則(すなは)ち病(やま)ひ至(いた)る、

病(やま)ひ至(いた)れば則(すなは)ち

身(しん)危(あやふ)し。

噫(ああ)、精(せい)の物(もの)爲(た)る、

其(そ)れ人身(じんしん)の至寶(しほう)か。

養性(ようせい)。

■現代語訳■

精は至宝である

精とは、極めて良いものを称する語であり、

人の精は最も貴く、かつ非常に少ないものである。

全身に一升六合存在するが、これは男子が十六歳前、

まだ精通がある前の分量であり、重さとしては一斤である。

蓄積させ増やせば三升までに満ちるが、

損耗させ減らす者は一升にも満たなくなる。


精と気とは相い養うもので、気が聚れば精が盈ちて、

精が盈ちれば気が盛んになる。

日常の飲食の粋が精になる、ゆえに精という文字は
 
  米と青とから成り立っているのである。

人が十六歳になれば精通がある。

一度精通がある毎に半合を失う。

失うばかりで増やすことがなければ、

精は尽き、身体は困憊する。

ゆえに慾を節しない者は精が損耗し、

精が損耗すれば気が衰え、気が衰えれば病に至り、

病に至れば身体が危うくなる。

ああ、かくの如く精というものは、

人身の至宝である!『養性』

★ 解説 ★

前号の「精爲身本」に続く「精爲至寶」です。

精爲身本

精爲至寶

並べるだけで何事かを語ってくれますよね。前号部分では精の成り立ちやその性質が語られていましたが、今号部分では物質としての精が具体的に説かれています。

訳では「男子が十六歳」としましたが、原文では「男子二八」となっています。

これは「二八」、つまり「ニ×八=十六」の掛け算を表して、十六歳、ということです。

この表記法、既に読んだ部分に登場しましたよね、

この「精」の前の章、身形の「年老無子」の項目で登場した表記で、メルマガで読んだのはなんと、もう8年も前の2011年2月15日でした。

これは黄帝内経素問からの引用で、某お酒のコマーシャルでも取り上げられた「女は7の倍数、男は8の倍数」の典拠になっている比較的一般にも有名な文章です。

この中で

       丈夫八歳、腎氣實、髪長齒更。
  二八、腎氣盛、天癸至、精氣溢瀉、
  陰陽和、故能有子。

        男性は八歳にして、腎気が満ち、髪が長く、歯が生え換わる。
  十六歳にして、腎気が盛んになり、天癸が至り、
  精気が溢れて射精し、陰陽が穏やかになる。
  ゆえに子を作ることができる。

とあり、この歳に精通があることが説かれていて、これが今号部分のベースになっているのですね。

大本の原典では何の説明もなく、読者が素問を読んでこの件を知っていることを前提に「男子二八」と書いているのですが、東医宝鑑では、前後の構成で先の「年老無子」を読んでいればこの部分を理解して読むことができるよう構成されているという親切設計になっているわけです。

東医宝鑑は全体で一つの宇宙になっていて前後全体で読むことでその本領を発揮する、というようなことは何度も書きましたが、ここでもこのような離れた個所に心憎い仕掛けを仕組んであることが読み取れる、よい例と思います。

少し余談に流れましたが、文中の文辞には特徴があるのがわかりますか?
 論理的な構成として、

AであればB、

BであればC、

CであればD、

であるから・・・である。

などの手法が使われていますね。これは漢文では非常によく登場する構成法です。この手法が用いられていることがわかれば、あとはA、B、Cに当てはまるものを読んでいけば原文の論理構成に則っての読みが楽になるわけで、この手法は必ず覚えておいた方が良い構成法と思います。

今号部分でどこに用いられていて、どのような流れになっているのか、読み込んで図解でもしていただけたらよりこの文の構成がはっきりするかと思います。

ここまでで既に長くなりましたが、先行訳情報として、お持ちの方はこのメルマガの原文や訓読、私の訳と比べていただきたいですが、省略、また誤訳であろうところ、数多くあります。

問題点がいくつもありますが、ひとつだけ取り上げますと、原文の

氣衰則病至、病至則身危

の部分、「気運は消耗され病気になる」と訳出しています。

まずここの原文は上に挙げたような、AならばB、BならばC・・・という文章構造で、それが訳に反映されていないのも問題なのですが、それは措くとして、一番の問題は「気」を「気運」としているところです。

前の部分にも「気」が登場することがあり、

氣聚則精盈、精盈則氣盛

この部分は「気が集まれば精が充満し、精が集まれば気が盛んになる」と訳しており、こちらは「気」をそのまま「気」と訳しており問題ないのに、なぜか上に挙げた後の部分だけ「気」を「気運」としています。

「気運」をネットで調べて辞書的に意味を挙げるとこんな感じです。「時世のなりゆき。また、その中に認められる、一定の方向を取ろうとする傾向。」

ここで東医宝鑑の趣旨は具体的、物質として身体内に存する「気」また「精」とを説いており、成り行きとして、抽象的な事象としての「気運」を説いているわけではなりですよね。

百歩譲って「気運」は「気の運行」のこととしても、あまり良い訳ではないと言えそうです。
 
 なぜならここの部分は上にも引用しましたが、前の部分「氣聚則精盈、精則氣盛」などを受けているのですね。わかりやすいように訳だけで見ますと、

   精と気とは相い養うもので、
   気が聚れば精が盈ちて、
   精が盈ちれば気が盛んになる。

     ↓

   精が損耗すれば気が衰え、
   気が衰えれば病に至り、
   病に至れば身体が危うくなる。

つまり、前の部分では気と精とが相補して盈ちる過程を、後の部分は反対に精を損耗して気が衰える過程を述べていて、相互に繋がりを持たせてあるわ けです。

ですので相互の繋がりを読むためには用語が前後で「気」と統一してあるほうが読みやすい、むしろ統一していないと繋がりがわかりにくいわけで、訳 語を変えない方が良いというよりはむしろ変えてはいけないと言うべき個所 ではと思います。

他にも問題点が多々ありますので先行訳をお持ちの方は原文他と比較すると、より原文を精しく読むひとつの手段になるかと思います。

◆ 編集後記

「精」の続きです。前号以上に解説が長くなってしまいました。
 他にも取り上げたい個所がたくさんありますが、長さの都合で上記三点、
 二八について、文章構成について、先行訳について、に絞りました。
 
書籍原稿は引き続き鋭意執筆中です。書けば書くほどいろいろアイディアが 湧いてきて、できる限り内容を充実させたい意欲と、できれば早くお手元にお届けしたいという希望とが矛盾している段階です。

面白いことに、真剣に書いていると内容についてのアイディアがどんどん湧いてくるのですね。自分のアイディアというよりは、できる限り良いものにして世に残しなさい、というなんらかの意志が働いているのかと思うほどです。

現状では両方を、可能な限り早く、しかも内容を充実させてお届けするべく続けて執筆に励みたく考えています。お時間のお約束ができずに恐縮ですが、こちらもどうぞお楽しみに。
                     (2019.02.02.第302号)
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