メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第95号「論水品」─ 身近な「水」に目を向けましょう 2 ─

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  第95号

    ○ 「論水品」─ 身近な「水」に目を向けましょう 2 ─

      ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説
      ◆ 編集後記


           

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 こんにちは。休刊措置を経ての第2号、前号から間を空けずの配信ができま
 した。

 原文は前号部分の続きです。
さっそく本文から読みたいですが、原文の一文字にこだわるマニアック情報
 ながら、またまた面白い部分があります。

 今年で東医宝鑑が発行されてちょうど400年ですが、おそらく400年の間、こ
 の点に注目した方はほとんどいず、スルーされてきたところではと思います。
 配信日の都合で完全を期してのお届けはできませんが、未完でも配信するこ
 とにしました。

 それはどんな部分でしょうか?まずは原文から見ていきましょう。


 ◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)


 (「論水品」 p678 下段・湯液篇 巻一)

     凡井水有遠從地脉來者爲上有從
  近處江河中滲來者欠佳又城市人家稠密溝渠
  汚水雜入井中成〓用須煎滾停頓一時候〓下(〓(酉僉))
  墜取上面清水用之否則氣味倶惡而煎茶釀酒
  作豆腐三事尤不堪也雨後井水渾濁須擂桃杏
  仁連汁投水中攪留少時則渾濁墜底矣食物

 ▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)


凡井水、有遠從地脉來者爲上、

  有從近處江河中滲來者欠佳、

  又城市人家稠密、溝渠汚水雜入井中成〓、

  用須煎滾、停頓一時、候〓下墜、取上面清水用之、
 
  否則氣味倶惡、而煎茶釀酒作豆腐三事、尤不堪也。

  雨後井水渾濁、須擂桃杏仁、連汁投水中攪、

  留少時、則渾濁墜底矣『食物』


 ●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)


 語法

  從(より)~から、より(時間・場所の起点を表す)

  否則(しからずんばすなはち)そうでなければ

  連(しきりに)続けて、しきりに


・語釈 

  佳(カ、カイ、ケ、ケイ、よし)よい、美しい、立派だ

  稠密(チョウミツ)ぎっしり詰まっている

  溝渠(コウキョ)みぞ、ほり、防衛や灌漑、排水用の水路

  〓(酉僉)(カン、ゲン)えぐい、酢、すい、しおからい

  滾(コン)湯が沸く

  停頓(テイトン)止める

  候(うかがう)事情をさぐる、待つ

  渾(コン)濁る

  擂(する)すって粉々にする

  留(とどむ、まつ)留め置く、待つ


 ▲訓読▲(読み下し)


  凡(およ)そ井水、地脉より遠く来ること有るものを上と為し、

  近處にても、江河中より滲(し)み來たること有るもの佳きに欠ける。

  また城市の人家稠密にして、

  溝渠の汚水井中に雜(まじ)り入て〓(酉僉)を成す、

  用いるに須(すべから)く煎滾し、一時停頓し、

  〓(酉僉)下墜するを候(うかが)い、

  上面の清水を取りてこれを用う、
 
  否(しから)ずんば則ち、氣味倶に惡しくして、

  茶を煎じ、酒を醸し、豆腐を作るの三事、

  尤(もっと)も堪へざるなり。

  雨後に井水渾濁せば、須く桃杏仁を擂り、

  連(しきり)に汁を水中に投じ攪すべし。

  留むこと少時にして、則ち渾濁底に墜つ『食物』


 ■現代語訳■


  およそ井戸の水は、遠くの地脈から流れくるものを上品とし、

  近くでも河川から滲み出たものもまた(を次に)良しとする。

  都市で人家が密集し、灌漑などの汚水が

  混じってえぐみの出たものを用いる場合は、

  まず煮沸をし、しばらく置きえぐみが沈むのを待ち、

  上澄みを掬って使用する。

  そうでなければ水質・味ともに悪く、

  茶を煎じ、酒を醸し、豆腐を作る、この三つには

  最も耐え得ない水になるであろう。

  雨後に井戸が濁れば、桃仁と杏仁を擂り、

  汁を何度も投じながら撹拌するとよい。

  しばらくすると濁りが底に沈みゆく。『食物』

 
 ★解説★
 
 湯液篇の生薬解説に先だった水の項目の冒頭、「論水品」の前号の続き部分
 です。同じ『食物本草』から別の部分の引用です。

 現在の日本は、蛇口をひねれば立派に飲める水が出て、またコンビニやスー
 パーでは水が手軽にペットボトルで買える、という時代・環境ですから、こ
 こに、また今後説かれる内容はピンと来ないところがあるでしょうが、綺麗
 な水の入手が容易ではなかった時代を考える必要があります。

 逆に、使う水の良否をゼロから自分で吟味しなければならないのですから、
 今の時代では考えられないほど先人、特に医療に携わる先達は、水に対して
 鋭敏な感覚と、細やかな配慮を持っていたと考えられ、反対にそうした点を
 学ぶこともできるのではと考えます。

 意味は訳や読み下し、さらに原文をお読みくださればほとんど解説は必要な
 い、明確な記述でしょう。

 面白いのは、雨で水が濁ったら桃杏仁、つまり「仁」ひとつを前の二つにか
 けた「桃仁・杏仁」のことですが、桃の実とアンズの実の種の核、それを擂っ
 て水に投げ込むと言っている点で、浄化装置などのない時代、生薬がこんな
 用途にも用いられたという好例と思います。

 (杏仁は杏仁豆腐(アンニンドーフ)の原料ですね、ちなみに「杏」を
 「アン」と読むのは唐音によるもので、「杏子」を「アンズ」と読むのも同
 じです。漢方では普通「きょうにん」と読みます。現在中国の標準語では
 「xing4 ren2 シンレン」と読んでかなり音が違います。読みひとつでもなか
 なか歴史的に面白い背景があるんですね)

 効果の程は確かめていないので定かではありませんが、本当に濁りが取れる
 のか、他の物質と比べてどうか、などの科学的な検証実験も面白いと思います。


 ここからは上に書いたようにマニアックな原文情報なのでご興味無い方は飛
 ばしてくださればと思いますが、原文に2か所問題点があります。1点が上に
 書いたような、おそらく400年間ほとんど注目されなかった点でしょう。

 
 それは、この文で井戸水の3種が挙げてあるうちの2つめ、
 「有從近處江河中滲來者欠佳」の「欠」の字です。

 大本の朝鮮発行版でこの「欠」になっています。これですと「欠佳」で
 「佳い」が「欠ける」のですから「よくない」という意味になります。

 つまり、ひとつめの「遠くの水脈からの水は良い」と対比させて、「近場で
 河川から滲み出た水はよくない」と言っていることになります。現在の韓国
 発行の現代語ハングル訳の東医宝鑑もこれに準じて「よくない」としていま
 す。


 これに対して、日本の江戸期発行の『訂正 東医宝鑑』ではこの字を「又」
 に変えて「又佳」としています。

 「又佳 またよし」ですから、「遠い水脈から来る水が優れているが、近場
 でも、河川から滲み出る水もまた良い」と言っていることになります。つま
 り、意味として上の朝鮮原版の「欠」と真逆になってしまいます。

 確かに文章の流れに鑑みれば、3つ挙げてひとつめが「よい」、みっつめが
 処理を必要とする「よくない」なのですから、ふたつめは「よくない」より
 は「最上ではないけれども、良いに属するもの」というニュアンスで並べら
 れているのが自然と考えられます。

 また、現在のように河川の水質汚染などもない時代ですから、実際上でも、
 「よくない」よりは「よい」に分類される水だと考えるのが妥当のようで、
 その点でも「よい」の方が自然ではと見えます。

 日本の『訂正 東医宝鑑』の訓読者さんがそう考えたかはわかりませんが、
 流れに鑑みて「欠」を「訂正」し、「又」に変えたのでしょう。


 私も文章の意味の流れや構文を考えて、初めはこの「欠」を原本の誤植だと
 思いました。ただ誤植の証拠がありません。こういう場合は原本と「訂正」
 を比べてみても解決せず、さらに引用元を辿るのが唯一の解決策であること
 は、すでに何度も書きました。この場合は前号と同じ『食物』つまり
 『食物本草』ですね。

 そしてネットでいろいろ探したところ、残念ながら私が探した限り全文の掲
 載は見つからなかったのですが、ありがたいことに、朝鮮発行の『食物本草』
 をテーマに書かれた論文がネットにあり、さらに本文を何枚か撮影の上掲載
 してくれていて、偶然にもこの部分の写真が載っているのです!

 下がそのページのリンクです。ご興味がおありの方はご覧ください。

http://medhist.kams.or.kr/2009/1.pdf

 論文はハングルですが、画像は原本の写真ですから漢字です。
 論文4ページめに、該当部分の記述が原本の画像とともに掲載されています。

 時代的に見て、おそらくホジュンさん或いはこの部分を執筆した東医宝鑑の
 編者さんは、これと同じ版本を見、そして原文のまま「欠」と引用したので
 しょう。つまりこの版本を元にする限り、東医宝鑑原本の「欠」は誤植では
 なかった、というわけです。

 では日本の『訂正』の訓読者さんは何を元にこの「欠」を「又」に変えたの
 でしょうか?訂正するに際して、元になった本があるのでしょうか、それと
 も文章の流れに鑑みて、独自の判断で変えたのでしょうか。


 さらに面白いことに、『食物本草』より後に編纂された、史上最大級の本草
 書、『本草綱目』でも同じような記載があります

 『本草綱目』の水の解説部分にやはり似た記述があり、そこには「穎曰」と
 記してあります。「穎」は『食物本草』の編者、汪穎のことと考えられ、
 「穎が曰(いわ)く」と言っているのですから、李時珍はその部分を『食物
 本草』から引用したと見てよいでしょう。

 ではその『本草綱目』でどうなっているのかと言いますと、朝鮮版東医宝鑑、
 のような「欠」ではなく、また日本版訂正東医宝鑑のように「又」でもなく、
 「次」となっているのです!

 「欠」「又」「次」・・・どれも似た漢字で、現在のようなはっきりとした
 活字文字があるわけではない時代、どれをどう混同してもおかしくないです
 よね。その部分に虫食いがあったり、摺りが薄かったりしたらなおさらです。

 さらに本草綱目では「佳」がなく「次之」となっています。つまり、
 「これに次ぐ」で、ひとつめが「よい」ふたつめが「その次」みっつめが
 「さらに次」と、3つの水に上中下と3段階の順序をつけていることになりま
 す。文章の流れからは、一番これが自然に見えますが、いかがでしょうか。


 整理しますと、

 ・朝鮮発行『東医宝鑑』原本は「欠佳」(よくない)

 ・その引用元であろう朝鮮版『食物本草』は同じく「欠佳」

 ・日本の『訂正 東医宝鑑』は「又佳」(またよい)

 ・大本、中国明代の『食物本草』を引用したであろう『本草綱目』では
  「次之」(これにつぐ)

 
 そして、問題点、まだ解決していない点は

 ・日本の『訂正』の訓読者さんが「又」とした根拠の書籍の有無

 ・『本草綱目』の引用「次之」の根拠

 ・大本の中国明代発行の『食物本草』での記載

 ・『食物本草』がオリジナルなのか、さらに以前の書籍の引用なのか


 ここまでの調査で私としては、本草綱目が「穎曰」と言っている点を重視し、
 また文章の流れから、大本の『食物本草』の記述は本草綱目と同じ、朝鮮版
 の食物本草が誤植、それをそのまま引く東医宝鑑は誤植を受け継ぎ、日本版
 は訓読者さんの独自の判断での「又」ではないかと推察しています。

 ただ、その一番肝心な元版、中国明代発行の『食物本草』を配信までに目に
 することができず、現時点では解決できませんでした。これもできれば明代
 の初版、初版でなくとも『本草綱目』編纂までに発行された、編者・李時珍
 が目にしたであろう版を確認する必要があります。


 残念ながら配信までに間に合わずこの辺で調査を終えなければいけなかった
 のですが、しっかり調べたら、これだけで立派な論文になりそうなテーマで
 す。今後の調査を期して、解決したらまたご報告したいと思います。


 これだけで長くなりましたが、もうひとつの問題点は、メルマガでは文字化
 けしてしまう「(酉僉)」で、これは語釈に書いたように普通は味としての
 エグみであったり、しおからい、酸味、また液体としての酢などの意味で用
 いられる漢字です。

 しかしここではしばらく置くとこの「(酉僉)」が沈むと言っているので、
 味や全体の液体としてではなく、澱のような、実際の物質としての意味を表
 しているものと考えられます。

 ただ、私がざっと調べた限りでこの漢字をこのような用法で用いているもの
 は見当たらず、便宜的に「えぐみ」と訳しておきました。

 しかし、物事は「存在すること」の証明より「存在しないこと」の証明の方
 が難しいんですね。なぜなら「存在すること」は実例をひとつ見つけたらそ
 れで証明できますが、「存在しないこと」は全ての過去の用例やら実例やら、
 また科学分野ならまだ見つかっていない法則などまで含めて勘案しなければ
 ならないからです。

 この場合も、私が探した限りで用例がないというだけで、過去数千年の漢字
 文献全てを見たわけではありませんので、探し続ければおそらくどこかにあ
 る、というより前例があるからこそ、ここでこのような用い方をしたのでしょ
 う。根気よく探せばどこかに見つかるのではと考えています。

 以上2点、深く読むならこんな一字一字にさえ気を配って読まなくてはいけ
 ないという見本として、ここに記録しておきたいと思います。

 そして上の「よくない」と「よい」の違いのように、一字の違いで全く意味
 が逆になってしまう例もあり、この場合などは実際に水を使用するなら、享
 受する結果にも違いがでてきてしまうことになりますよね。そんな原文読解
 の面白さと厳しさを見るために、未完ながら発表してみました。


 ◆ 編集後記

 復刊号から間をおかずに配信することができました。本当はもっと「欠」
 「(酉僉)」について調べ上げてからお届けしたかったのですが、資料の調
 達にさらに時間が必要で、そうすると配信が遅れてしまいます。

 せっかく復刊したのでできれば週1ペースは守って配信したく、未完成のま
 ま配信することにしました。未完なら「欠」のくだりを全て割愛しようかと
 も思いましたが、問題意識を持てばたった一字を読むのにどれだけの考察と
 調査を要するかのサンプルとして、どなたかのご参考になるかとも思い、不
 完全のままお目にかけることにいたしました。この点はガッチリまとめない
 と形にできない書籍や論文などと違う、メルマガの利点と言えますね。

 私も引き続き調査したいと思いますが、志または興味がおありの方は、上の
 調査をもとに大本の食物本草に辿りついて解決してくださればと思います。

 もしくは、すでにご自身で食物本草を持っていらっしゃる、ネット上のどこ
 にあるかご存じの方は、ぜひとも当方にご教示くだされば幸いです。

                      (2014.10.16.第95号)
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  ◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆
         発行者 東医宝鑑.com touyihoukan@gmail.com

      
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