メルマガ『東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─』第343号「精滑脱屬虚」(内景篇・精)3

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 ◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆

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  第343号

    ○ 「精滑脱屬虚」(内景篇・精)

         ◆ 原文
      ◆ 断句
      ◆ 読み下し
      ◆ 現代語訳
      ◆ 解説

      ◆ 編集後記

           

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 こんにちは。「精滑脱屬虚」の続きです。
 

 ◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
      ・ページ数は底本の影印本のページ数)

 (「精滑脱屬虚」p84 上段・内景篇・精)

          内經曰思想無窮所願不得意
   淫於外入房太甚宗筋弛縱發爲筋痿及爲白淫
   夫腎藏天一以慳爲事志意内治則精全而澁若
   思想外淫房室太甚則固有淫〓不守輒隨溲尿(〓さんずい失)
   而下然本於筋痿者以宗筋弛縱也謙甫

 ▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)

  内經曰、思想無窮、所願不得、意淫於外、

  入房太甚、宗筋弛縱、發爲筋痿、及爲白淫。

  夫腎藏天一、以慳爲事、志意内治、則精全而澁。

  若思想外淫、房室太甚、則固有淫〓(さんずい失)不守、

  輒隨溲尿而下。然本於筋痿者、以宗筋弛縱也。謙甫。

 ●語法・語釈●(主要な、または難解な語句の用法・意味)

 ▲訓読▲(読み下し)

  内經(だいけい)に曰(いは)く、

  思想(しそう)窮(きはま)り無(な)く、

  所願(しょがん)得(え)ずして、意(い)は

  外(そと)に淫(いん)し、房(ぼう)に入(い)ること

  太甚(はなはだ)しきときは、宗筋(そうきん)

  弛縱(ししょう)して、發(はっ)して筋痿(きんい)と

  爲(な)り、及(およ)び白淫(はくいん)と爲(な)る。

  夫(そ)れ腎藏(じんぞう)は天一(てんいち)、

  慳(けん)を以(もっ)て事(こと)と爲(な)し、

  志意(しい)内(うち)に治(おさま)れば、

  則(すなは)ち精(せい)全(まった)ふして澁(しぶ)る。

  若(も)し思想(しそう)外(そと)に淫(いん)し、

  房室(ぼうしつ)太甚(はなはだ)しきときは、

  則(すなは)ち固有(こゆう)淫〓(さんずい失)(いんいつ)して

  守(まもら)ず、輒(すなは)ち溲尿(そうにょう)に

  隨(したが)ひて下(くだ)る。

  然(しか)るに筋痿(きんい)に本(もと)づく者(もの)は、

  宗筋(そうきん)弛縱(ししょう)するを以(もっ)てなり。

  謙甫(けんほ)。

 ■現代語訳■

  
  内経に説くには、慾に極まりがなく、しかも所願を得られずに、

  淫らな思考を過度にし、また性交をいたすこと甚だしい時には、

  宗筋が弛緩して筋痿となり、また遺精や白帯となる。

  腎臓は天一であり、精を惜しんで行動し、精神が内に治まれば、

  精は全くして漏れることがない。

  もし慾が過度になり、また性交が甚だしい時には、

  固く守ることができずに放逸となり、尿に伴って漏れてしまう。

  随って、筋痿の元は、宗筋が弛緩するがゆえである。『謙甫』

 ★ 解説 ★

 「精滑脱屬虚」の次の段です。

 内経から引いた羅謙甫の著作から引用しているという、二重の引用になっています。

 
 いつも書くことですが、現在はネットの検索が容易で、例えばかつてならこの文章が内経の、また羅謙甫の著作のどこに登場する文なのかを調査するには、それぞれの全巻を精査するか、もしくは予め全ての医書に通じていて、どのような文がどこに登場していたのかを把握している必要がありますが、ネットが発達した現在、この文も内経の、また羅謙甫のどこに登場する文なのか、あっという間に調査することが可能です。

 現代においてこのような文献を読むには必須の能力と思いますので、ご興味おありの方は、内経、素問なのか霊枢なのか、またどの章なのか、さらに羅謙甫のどの著作のどこにどのように登場するのか、検索で探してみてくださればと思います。

 おもしろいことに、羅謙甫の著作では原文の「内經曰」の「内經」の部分が内経の篇名になっており、東医宝鑑では篇名でそのまま引用したらどの著作から引用したのかわかりにくいと判断し、あえて「内經曰」と変えたであろうことまでわかります。

 少しネタバレになってしまいましたが、ここでは初めに羅謙甫の著作を調べれば、そこに内経の篇名が載っているということでそちらも判明します。

 もちろん、予めそのことはわかりませんので、順当には内経を調べてから、羅謙甫にあたる、という順になりますね。

 
 そしてそれぞれの著作もネット上に訳や解釈を挙げてくれている情報がありますので、そちらの訳や解釈も参考にしながらこちら東医宝鑑の訳も検討できるという便利さも増すことになります。

 細かい点ですが、原文の「所願不得意淫於外」の部分、江戸期の『訂正 東医宝鑑』ではこのように訓読しています。原典では原文に返り点などで表記されていますが、メルマガでは訓点を表記しにくいですので、読み下した上で記載します。

  所願不得意淫於外

  所願意ヲ得ズシテ、外ニ淫シ、

 これはおそらく誤りなのですが、どこが、なぜ誤りか、このメルマガの長い読者さまならもうおわかりですよね?

 訓読ではわかりにくいですが、訓点のない白文で見ると明白です。『訂正』の切り方を、前後を含め全体を白文で表記してみます。実際には『訂正』には句点は入っていず、文章の句切れから私が判断して入れたものです。

  内經曰、思想無窮、所願不得意、淫於外、

  入房太甚、宗筋弛縱、發爲筋痿、及爲白淫。

 先の部分、どこが、なぜ誤りか、内容を検討してなくてもわかりますよね?

 そうです、原文では漢字四字のまとまりで文を形成しているのに、『訂正』はこの部分を五字、三字で切ってしまっているのです。

 訓読に拘りすぎるとこの原文の切れ目の意識が薄くなって、このような誤りを犯してしまうのですね。今まで読んだ部分でも何度かありましたよね。

 この『訂正』を読んだ方はその時代の一級の読み手であったと思いますが、その方でさえこのような上手の手から水が漏ることがあるという見本のような個所ですね。

 
 これなども、『訂正』の訓読を無批判に読んでいては鵜呑みにしてしまいそうなところで、常に情報を相対化して読む必要がある良い例でもあると思い細かい点ながら指摘してみました。
 

 ◆ 編集後記

 「精滑脱屬虚」の続きです。この項目は文が長く、読了まであと6、7号が必要で、この項目だけでも年を越してしまいそうですが、いつも通り、倦まず弛まず配信を続けていく所存です。
                      (2019.11.24.第343号)
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