東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─第236号「學道無早晩」(内景篇・身形)
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◇ 東医宝鑑(東醫寶鑑)とういほうかん─古典から東洋医学を学ぶ─ ◆
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第236号
○ 「學道無早晩」(内景篇・身形)
◆ 原文
◆ 断句
◆ 読み下し
◆ 現代語訳
◆ 解説
◆ 編集後記
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こんにちは。前号の「虚心合道」に続く項目、「學道無早晩」に入ります。
◆原文◆(原本の文字組みのままを再現・ただし原本は縦組み
・ページ数は底本の影印本のページ数)
(「學道無早晩」 p75 上段・内景篇・身形)
學道無早晩
延壽書曰人者物之靈也壽本四萬三千
二百餘日即一百二十歳洪範一曰壽百二十歳元陽眞氣
本重三百八十四銖一斤也内應乎乾乾者純陽之
卦也人晝夜動作施泄散失元氣不滿天壽至六
陽倶盡即是全陰之人易死也年到八八卦數已
極汞少鉛虚欲眞元之復不亦晩乎
▼断句▼(原文に句読点を挿入、改行は任意)
學道無早晩
延壽書曰、人者物之靈也。壽本四萬三千二百餘日
(即一百二十歳。洪範。一曰壽百二十歳。)元陽眞氣、
本重三百八十四銖(一斤也)、内應乎乾、乾者、
純陽之卦也。人晝夜動作施泄、散失元氣、不滿天壽、
至六陽倶盡、即是全陰之人易死也。年到八八、
卦數已極、汞少鉛虚、欲眞元之復、不亦晩乎。
●語法・語(字)釈●(主要な、または難解な語(字)句の用法・意味)
特になし(というよりたくさんあって書き入れないので解説と
読者さまの参入に期します(笑))
▲訓読▲(読み下し)
道(みち)を學(まな)ぶに早晩(そうばん)無(な)し
延壽書(えんじゅしょ)に曰(いは)く、
人(ひと)は物(もの)の靈(れい)なり。
壽(じゅ)本(もと)
四萬三千二百餘日(よんまんさんぜんにひゃくよじつ)
(即(すなは)ち一百二十歳(ひゃくにじゅっさい)。
洪範(こうはん)に一(いち)に曰(いは)く
壽(じゅ)百二十歳(ひゃくにじゅっさい)
元陽眞氣(げんようしんき)、本(もと)重(おも)さ
三百八十四銖(さんびゃくはちじゅうししゅ)(一斤(いっきん)なり)、
内(うち)乾(けん)に應(おう)ず、乾(けん)は、
純陽(じゅんよう)の卦(け)なり。
人(ひと)晝夜(ちゅうや)動作(どうさ)施泄(せせつ)、
元氣(げんき)を散失(さんしつ)して、
天壽(てんじゅ)に滿(みた)ず、
六陽(りくよう)倶(とも)に盡(つく)るに至(いた)り、
即(すなは)ち是(こ)れ全陰(ぜんいん)の人(ひと)
死(し)し易(やす)し。
年(とし)八八(はちはち)に到(いた)りて、
卦數(けすう)已(すで)に極(きはま)り、
汞(こう)少(すくな)く鉛(なまり)虚(きょ)す、
眞元(しんげん)の復(ふく)することを欲(ほっ)するも、
亦(ま)た晩(おそ)からずや。
■現代語訳■
道を学ぶに早晩無きこと
延寿書に言うには、人は万物の霊である。
寿命は四万三千二百余であり、
(一百三十歳である。洪範には百二十歳と言う)
元陽の真気は、重さが三百八十四銖(一斤)であり、
内は乾に相応する。乾は純陽の卦であり、
人は昼夜行動しまた精を排泄することで元気を散失し、
天寿に満たないまま、六陽が全て尽きてしまう。
そして全て陰になって死にやすくなる。
年齢が六十四歳に到って卦数が極まり、
水銀が減って鉛は虚する。
真元の復することを欲しても、既に遅いと言わざるを得ない。
★ 解説★
「學道無早晩」に入ります。訓読の「道を學ぶに早晩無し」が非常によく内容を端的に伝えてくれるように思いますがいかがでしょうか。
前の「虚心合道」までで病気の根本的な治療には「道」の修得がキーポイントであることが説かれていたのですが、それを受けて、その「道」の修得には早い遅いは無いんだよ、と語っているというわけで、ここでも内容に一連の流れを持たせてあることがよくわかりますよね。
内容はまたまた難しい用語が多く、医学知識だけでは読めない文章になっています。特にここでは易(えき)になぞらえた寿命の話題で、易の基礎を知らないと読めない内容です。
細かい点ですが、まず原文では「即一百二十歳。洪範。一曰壽百二十歳」となっている部分、前の説と後の一説が同じ120歳になってしまっており、日本発行の『訂正 東医宝鑑』ではこれを前の方を「一百三十歳」と改めています。訳もこちらに準じています。それぞれの数で4万3千200を割るとそれぞれの数の特徴がわかります。
また訳では「六十四歳」としてしまっていますが、原文では「八八」となっていて、これに見覚えのある方もいらっしゃるでしょう、これはメルマガではもう6年以上も前の配信になってしまいましたが、原文では同じ「身形」の少し前の「「年老無子」にある黄帝内経からの引用です。
また某お酒のコマーシャルでも取り上げられた「女は7の倍数、男は8の倍数」の典拠になっていて比較的一般にも有名な文章ですね。
ここでは男性のうちで最後の数として「八八、則齒髪去(六十四歳にして、歯と髪が抜け去る)」と言われていたのでした。
それをこちらで引き合いに出していることに加え、こちらではその「八八」という数は「卦數已に極り」と言っています。
易をご存知の方は易の卦が八かける八で64あることをご存知と思いますが、それを人の一生に準えているのですね。
他にも水銀とか鉛とか、これらはさらに道教的、秘教的な用語でここでは紙面の都合、またマニアックになりすぎるために割愛したいと思います。
おもしろいことに、いつもながらネットの発達は凄いもので、ここに登場する文章、用語など、どの語で調べても内容がわかるページがヒットします。全く便利な時代になったもので、ご興味おありの方はご興味に沿って調べていただけたらと思います。
◆ 編集後記
「學道無早晩」に入りました。上に書いたのですが「八八」に関する過去号を調べたら、2011年の2月15日の配信となっており、そこからもう6年も経ってしまっていることに改めて驚きを禁じ得ません。
歩みは牛歩の如くですが、前にも書きましたように、翻訳が完成すれば一番ですが、途中の経過、また部分部分の細かいところをお読みいただき、読者さまに何か益するところがあるだけでこのメルマガの用は足せたと思っていますので、遅くとも確実に、このまま配信を続けたく思っています。
読者さまの年齢層がどれくらいかわかりませんが、今号の表題「學道無早晩」は力づけられるものではありませんか?今からでも遅くないのですね。
この項目はあと3回で読み終わると思いますが、読み終わって後、また何か読者さまに益するところあるなら、執筆配信の冥利に尽きると申したいと思います。
(2017.10.07.第236号)
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