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世界は本当に量子力学か:量子力学:隠れた変数(の否定)

前回までは量子力学の直感的でない性質の話をしてきた.今日は"世界は本当に量子力学か?"という素朴な理論に対してのある程度の答え.

量子力学では位置と運動量といった,交換しない(掛け算の順序を入れ替えられない)演算子の観測のばらつきの積に下限がつくのだった.要は同時にしっかりと値を決められないのだ.

他にも,もつれた状態の観測は空間的に離れた二点にわたる量子力学的状態が一瞬のうちに純粋状態に収束するのだった.この時におこる局所性や因果律の正当性をとんちのような方法で得たのだった.

直感とよく一致する古典力学に対して量子力学は

・同時に決められない物理量がある
・"状態"と呼ばれるものが観測によって変化する
・観測の範囲では因果律も局所性も破れない

というなんだか気持ちの悪いものになっている.特に量子力学黎明期の物理屋や,古典力学の次に量子力学を学ぶ者にとってこれは受け入れがたい(人もいる).

例えばこれまでのお話物理でも使ってきた"スピン"と言う物理量.これまではただの"内部自由度"というボカした表現をしてきたが,実は古典的対応物がある.スピンというだけあって自転の自由度だ.

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スピンは古典的には角運動量ベクトルで表され,その向きが回転の向き,大きさが回転の強さを表している.上の絵の赤い矢印が角運動量ベクトルだ.青いたまは角運動量ベクトルの向きを軸として回転してその回転の強さをベクトルの大きさ(ながさ)で表しているのだ.回転が強くなれば矢印が伸び,回転軸が変わればベクトルの向きが変わる.

しかし量子力学ではこのようにスピンを矢印で書くことはできない.そうできないのだ(これは量子力学に明るい人でも時々誤解している(偏見)).量子力学ではスピンの大きさと,スピンのある方向(量子化軸)の成分しかわからない.上の青い玉を光子と思うなら,光子のスピンの大きさは"1"でそのスピンの方向は+1か-1しかないのだ.だから無理やり古典的対応物を作るのならばスピンは真上か真下しか向かない.つまり斜めを向いた状態がないのだ.

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なぜなら,量子力学において角運動量演算子の縦横奥行き(x,y,z)成分は交換しない.

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数式で書くとわかっている人にはわかるのだが,わからない人にはわからない.またいつか説明するから,今は掛け算の順序が入れ替えられない物だと思ってほしい(ちなみに大きさ"j^2"と各成分"j_i"は交換する).

角運動量の成分が交換しないから,同時に決定することができない.同時に決定することができないから"矢印"を書くことができない.だからスピンは古典的対応物が自転だが,量子力学の世界では回ってすらいないのだ.

これを受け入れられようか.


ところで,古典的運動方程式は(原理的に)必要な初期条件を無限の精度で用意して,無限の計算力があればどんなことも予測できる.それこそサイコロを振ってどの目が出るか,振り方さえわかっていれば絶対に予測できる.

しかし人間の現実的な初期条件を用意できる精度や計算精度能力の関係でサイコロの目を予測するのは実質不可能である.だから確率に従って目が出ると思って扱うのだ.

(全くもって余談だが,サイコロの目は予測できないが,ある程度の訓練を積めば好きな目を選んで出せる(振り方がある).要はイカサマの一種だ.実際見せてもらったが"3"と宣言して"3"をだす,そんなことをそれなりの精度でやっていた.あれは感動した.自分はついぞできるきがしなかった.)


そこでこんな考えが浮かぶかもしれない.量子力学は不完全な理論であって,量子力学では同時に決められない物理量も実は完全な理論では決まっているのではないか.と.

量子力学しか知らない人間には感知できない,"隠れた変数"があるのだと.量子力学では決まらない物理量も"隠れた変数"によって実は決まっているのではないか.そんなことを考え,実際それらしい理論を書いた人がいた.

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サイコロのように量子力学も確率に従って出ているように見えて,実は決まっていると思おうと,考えた人がいた.


では確率ではなく,スピンの向きまで隠れた変数によって決まっているとしよう.そして二つの光子のスピンを測定する.この時z軸とy軸方向でそれぞれ測れるとしよう.

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この時のスピンのzまたはy方向成分をσ_1zなどと書くことにして,隠れた変数理論から計算できるであろう確率平均をだす.すると次のような不等式が出てくる.これは隠れた変数理論がスピンの向きを決定できて,かつ局所的な理論であればなんでも良い.計算を本当はやるべきなのだが,ここはお話物理,許してくれ.

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要はスピンが実は矢印として書けるなら,それがどんな理論だろうと,スピンを測定すれば,この不等式を満たすということだ.


しかし,実際に実験してみるとこの不等式を満たさない状態が(割と簡単に)作れてしまった.それは先のお話物理で散々登場した,あの状態だった.

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この状態を持ってきて先の実験に相当する物理量を測定すると,先ほどの確率平均の組み合わせが不等式を破ってしまう.なんなら量子力学を仮定した時の不等式をきっちり満たすのだ.

そう,隠れた変数が真に世界を記述しているなら満たされるべき不等式が現実には破れているのだ.それどころか実験結果は量子力学を支持するようなものだった.


これをどう捉えるべきか,計算が間違っている?否.実験が間違っている?否.理論とセットアップから導き出された結論が,間違いがない実験によって否定された時.間違っているのは理論しかない.

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なんてこった.量子力学が不完全な理論でそれを補完するために隠れた変数理論を作った.確率をだすどんな理論も満たすべき不等式が出てきたのに,現実の世界はそれを満たさない,なんなら量子力学が満たすべき不等式をきっちり満たすのだ.

量子力学が不完全であることを示そうと思ったら,なんなら量子力学が正しいことをもう一歩確実にしてしまったのだ.

だから残念なことに,世界は測定でどんなものも,好きなだけ決められる可能性が完全に消えてしまった.世界の観測は確率に支配されている.世界は量子力学なのだ


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実はここでは量子力学に明るいように振舞っているが僕は量子力学の最先端を行くものではない.量子力学は計算ツールとして使い,それが適切に使えば適切に計算結果を出せば良い程度の立場だ.世の中にはそれに甘んじず,量子力学とは何か,世界はなぜ量子力学なのかを問おうとしている人々がいる.

僕はそんな人間ではないが,素朴な疑問がある.それは"なぜ人間は実数しか観測できないのか,複素数はなぜ観測できないのか"だ.

量子力学では一般の状態ベクトルの内積は複素数になる.規格化された状態の内積の二乗が現実におこる確率になったりするのだが,なぜ二乗しなければならないのか,なぜ世界は内積そのものを見られないのか.

もちろんホログラフといった限定的に光の位相など複素数的な情報を持った実数をみる方法がある.しかしそれは本質的に実数を見ていて複素数は見ていない.

この疑問に誰か答えてはくれないか!

もしこの世を複素数的に感じられる人がいればスピリチュアルな人だろうが,宗教の教祖だろうが話を聞いてみたいものだ.信じるか信じないかは聞いてから考えよう.

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