四人目の カトリック小説家 鏡月 玖璃子
四人のカトリック作家の連弾
教会で祈る時、四人のカトリック作家の連弾が聞こえる。
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私は毎日、日本語の聖書、英語の聖書、そして憲法の論文 生活保護法の解説を毎朝、少し、読む。そして毎週、教会で祈る。それを四半世紀続けてきた。私にとっての刀のすぶり、漢文の素読、型なのだ。
若いころは、悲壮的な思いを抱えながらこの作業をしていた。刀をふるその時々に違った光景が見えてきた
無理に刀をふりまわし致命的な失敗をし、体や心を潰し失敗してきたこともある 今は無理をしないで淡々と刀を振っている。
その時その時に何かが見えるだろう。
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偉そうに書いたけど 実はその型が本当に崩れそうになるとき、おきまりで、遠藤周作のイエスの生涯、イエスの誕生、そして曾野綾子 私を変えた聖書の言葉 心に迫るパウロの言葉の順に読んで、またいつもの型を戻している。その二つのカトリック作家に加え、時々、高橋 たか子と鏡月 クリスという人の作品を読んでいる
遠藤周作も曾野綾子ほかの二人もカトリックの基本、型を熟知している。
遠藤周作は、型の悪いところを見つめ、限りなくやさしいまなざしですべて見つめてくれ、ちかづき、抱きしめようとしてくれるように文章を綴っているように思える。彼の二つの作品は私にはかぎりない優しさと癒しにみちている。私は休めるのだ。
曾野綾子は、型を崩そうとしないで直立している。すぐに寄り添うわけでもない。ただ、立っているのだ。それゆえに私はフラフラになりながら立てる。
髙橋 たか子は型を極め、心と世界の存在の奥底まで下って行った。彼女の文章で、私は心の中の泉の音が聞こえるのだ。
鏡月 クリスは新しく出てきた作家。彼女は型を様々な世界の境界に於いて、様々な光を、あてながら、型とその映し出しされた影を、あくなきまでに見つめ続けている。その誠実な努力の積み上げを文章に感じる。その光にあたると。もう一度わたしは力を込めて真剣に刀を振らないといけないと思う。
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教会で祈る時、四人のカトリック作家の連弾が聞こえる。
一粒の種は点から面へ広がり、種は豊かに芽吹く
春がおとづれる前に、世界中では、多くの人々が、心の種を静かに
芽吹かせている。たとえ、多くの人はそれに気付かないとしても。
そのことを伝えようとして、カトリック小説家鏡月 玖璃子は、自分の与えられた才
を埋もれさせずに意志を持って育てようとしている。
彼女の作品により、一粒の種は点から面へ種は芽吹き始めている。
私は小説家ではないが、そのような生き方をしたいそう改めて思う。
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彼女の初回作PANGAEA DOLL、二回目の作品Iconographを続けて、読むと、
リアルな一粒の種が、花を咲かせたのちに、散り、多くの実が結び世界中に風にのっ
て広がっていく。その光景が未完成ながら心の中に広がっていく。
私はこの春の気配が近づき、世界中が神の再臨を待ち望む時期に毎年この二冊を読
みたいと思う。
この二つの作品をつなぐのは、ヨハネの福音書に象徴される「言葉」なのだと私は思う。
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一つ目の作品は、言葉の光は遥か彼方に見える。主人公と登場人物の闇と肉と苦しみ
と分裂、神話と幻影が、多くの楽器により奏でられ、入り乱れ、オーケストセラの最
終章がおとづれてるとき、点が二つに、そして一つの点に深い位置でつながる。遥か
彼方から照らす光を浴びて、立っている主人公と著者の姿が見える。
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それから5年以上を経て、二つ目の作品は現れる。言葉そして種は、多くの登場人物
の中にすでに散りばめられ、彼らが住まう世界は絡み合い空間も時間も広がっている。
まるで言葉によって、世界が作られたように。
点と点は必ずしも交わらない、しかしその点の一つ一つの色彩は豊かで
違う色を奏でる。点と点の距離は、離れ、縮まり。また離れ、その間に光が差し込ん
でゆく。あえて、前作にある深い闇の色を薄くして、登場人物のみならず、より多く
の読者の心をひろく、照らそうとしているのかもしれない。私はそう思う。
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種は一人の心を深めそしてそこから離れ拡散し点から面へ広がり、種は豊かに芽
吹く、未完成のこの世界は 影と光を交互に織り交ぜながら作られてゆく。完成さ
れることはこの世で目にすることはできないとしても。
それども私はこの春の気配が近づき、世界中が神の再臨を待ち望む時期に毎年この二
冊を読みたいと思う。
自分の与えられた才を埋もれさせずに意志を持って育てようとしている。
自分の人生という作品により、一粒の種を点から面へ種は芽吹き始めさせる。
私は小説家ではないが、そのような生き方をしたいそう改めて思う。
ヨハネの福音書 始めにことばありき
吐き出された種に普遍的なものが見えてくるのかもしれませんね。
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