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金メダリスト'国枝慎吾選手'との思い出

おめでとう!

東京パラリンピック 車いすテニス 男子シングルス 金メダル☆彡

ファンだった国枝選手に、以前に携わっていた番組に出演してもらったのがご縁。
まさに 職権乱用(すでに時効 笑)

当時(10年以上前)世界のプロテニス界において、世界から尊敬されている日本人選手がいることを知人より知りました。
パラスポーツは日本では ほとんど報道されることもなかったので「国枝慎吾さん」だよ!と聞いても 正直、ピン!ときませんでした。
しかし、その戦歴を聞くと あまりにも無知な私を恥じるほどだったのです。

しかも、ヒロシマに来る!

早速のオファー! 突然だったにも関わらず 快諾していただけて☆彡

しかも ヒロシマの広域公園センターコートにて披露までしてくれた程 ♪♪

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実に楽しい時間でした。

「どうして出演して(会って)頂けたのですか?」

「だって、楽しそうじゃないですか!」

と、 とても素敵な笑顔で☆彡

お話しのなかで、9歳の時 脊髄腫瘍が発病し車いす生活になったとの事。
実は、わたしも9歳の頃に右脚骨肉腫が発病し 肉腫摘出手術で足の骨の半分程を削りました。
ほぼ、カケだったのこと。 
右脚切断も視野にいれての手術でしたが、わたしの右脚は残った経緯があり、すぐに共鳴したしだい....

また、その折の 国枝選手との会話で
世界を獲った多くの要因は、メンタルトレーナーとのコンビネーションだと話していました。

当時は、まだメンタル面について日本ではそれほど脚光を浴びてかったですし、まだまだ根性論が存在していた頃、さすが 世界で戦う選手ならではだと記憶しています。

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ARIGATO

そして、2012年ロンドンでの金メダルから 9年!
見事に、東京で"金メダル"☆彡

あの瞬間での 国枝選手の"男泣き"に 私は号泣..... 
しかも、声をあげて。。汗

ここまで、世界ランクを落としながらも頑張ってきた国枝選手。
もう限界なんじゃないかとの報道も。

でも!ここまでの結果が見事に成果に あの男泣きに現れていました!

そして、この度の「パラリンピック」☆彡

国を越えて称えあう、多くの種目で活躍されるアスリートに 私は イエ、日本人は歓喜し、鼓舞されたと思います。

明日からまた「がんばろう!」
そんな気持ちになった世界中の人々に 「ありがとう ☆彡」と。

画像はピンボケですが、当時の彼のラケットです。
試合中に誰よりも決して、そして自分に負けないんだと、いつも見て鼓舞させている

「オレは最強だ。」

私が大切にしている画像です。

がんばれ!
   国枝慎吾選手!
がんばれ!
   パラスポーツの選手たち!
がんばれ!
   世界中の人々!

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