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自分の心の平穏が第一

(ヘッダー写真は今朝の空)

X(Twitter)は見る専で、自分と同じものを好きな人のツイートを見たりするのは結構好きなのですが、誰のツイートを見るかはとても厳選しています。

基本的にはフィーリングですが、主に以下の4点が重要になっているかなと思います。
・私と似た熱量であること(あまりに熱烈すぎると合わないのです)
・見ていて面白いこと(オタクの語彙は大概面白いです。私にない視点での感想や考察はとても興味深いです)
・批判的なツイートがない/少ないこと(見てるだけで傷ついてしまうので…)
・社会的なことを呟かないこと(考察などはとても興味深いのに、このために見られなくなってしまった方は何人もいます)
こういうツイートをしろということではなく、私個人が、個人的に好んでいるツイートの傾向、というだけです。念の為。

基本的に私は社会情勢に対してアンテナを張りたくないタイプです。新聞を読むのもしんどいです。
私にはどうすることもできない問題を認識すると絶望して打ちのめされてしまうし、その中を自分が生きていかなければならないことを思うと不安でどうしようもなくなってしまうし、賛否両論あるものはどちらの意見もわかるからどうしたらいいのかわからなくなって苦しいし、批判的なものを見ると傷ついてしまいます。
だから、極力そういうものには触れないようにしているんです。
それを怠惰だという人もいるかもしれませんし、私自身そう思うこともありますが、自分の心の平穏が第一じゃないですか。
私が心を削ってそういうことに触れたとして、誰も得しないし、誰も、それで削れてしまった私の心はケアしてくれないんですよ。
そういう態度を、怠惰だ、無関心だと言う人たちは、じゃあ私の心がそれで壊れてしまったら、そこまでいかなくてもその絶望感や不安やざわざわへの対処に費やした時間や労力に対して、責任取れるんですか、という話です。

よく覚えているのは、高校時代の家庭科の時間に難民のビデオを見せられて、本当に具合が悪くなってしまったことです(映像の揺れが激しくて映像酔いしたのもあったのですが)。
大学の後輩も、高校時代に似たような題材の映像教材で具合が悪くなったことがあるそうで、やっぱり一定数、そういう人はいるみたいです。

だから、こういう人もいるので、社会の問題への参加を強要しないでほしい(社会の問題に「無関心」であることを責めないでほしい)と思いますし、
私と同じように社会の問題からは距離をおかないとしんどい人には、自分の心の平穏が第一!と(自分に向かっても)叫びたいと思います。

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